日々の覚書

MFCオーナーのブログ

妖精

2010年02月12日 21時32分56秒 | 音楽ネタ

Soundstagesessions

最近、スティービー・ニックスの『The Soundstage Sessions』というアルバムを買った。去年の1月に出ていたそうだが、タイトルからも察せられるように、テレビ番組か何かに出演した時のスタジオライブだそうな。DVDも出ているが、CDだけを購入した。え? いや別に深い意味はないです。ライブは、見るより聴く方が好きなだけで^^;

それにしても、スティービー・ニックスの(一応)新譜を買うなんて、実に久しぶり。『トラブル・イン・シャングリラ』以来ではなかろうか。フリートウッド・マックでの活動が忙しくて、ソロ・アルバムにまで手が回らなかったのか。そういえば、マックは去年全米ツアーを行なったそうだが(情報源はこちら)、結局日本へは来てくれないのか....確かに、観客動員が不安といえば不安だもんなぁ...

僕は、実はフリートウッド・マックも大変好きなのだが、あくまでも“バッキンガム・ニックス”以降のマック、つまり1975年の『ファンタスティック・マック』以後のマックが好きなのであって、ピーター・グリーン中心のブルース・バンド時代や、ボブ・ウェルチ時代は、あまり聴いてない。なので、昔から堂々と「フリートウッド・マック好きです」とは言いづらかったし(笑)、「マック好き」と言う人がいると、どの時期のマックが好きなのか確認してから、話をするようにしていた(笑)。けど、その『ファンタスティック・マック』が出てから既に四半世紀が経過し、世間では“フリートウッド・マック=バッキンガム・ニックス以降”として認知されているので、近頃では気にせず「フリートウッド・マック好きです」と言えるようになった(笑)。でも、振り返ってよくよく考えてみると、ピーター・グリーン期やボブ・ウェルチ期のマックしか認めない、という人には会ったことがない。ほとんどの人が、“バッキンガム・ニックス”以降のマックのファンだった。別に、いちいち気にする必要はなかった、ってことだ(爆)

フリートウッド・マックの名前を知ったのは、1976年夏頃かと思う。ちょうど、『ファンタスティック・マック』が、発売後1年近く過ぎてもじわじわと売れていた頃だ。もちろん、これはアメリカでの話であって、日本ではそれほど話題になっていた記憶はない。ただ、某ミュージック・ライフ誌に掲載されていたビルボードのヒットチャートで、フリートウッド・マックという妙ちきりんな名前を見つけ、なんだこりゃ、なんて思っていたのは覚えている。その後、FM(フリートウッド・マックではなく、ラジオのことね。笑)で何曲か聴いて、結構気に入っていた。まだ、『噂』が出る前のことだ。

その頃、僕はフリートウッド・マックのメンバーなんて、全く知らなかった。「セイ・ユー・ラブ・ミー」とか「オーバー・マイ・ヘッド」といったヒット曲をFMでエアチェックして聴いてただけで、それ以上の興味はなかったし、雑誌でも彼らの写真を見た事はなかった。日本では、マックはそういう存在ではなかったのだ。初めて彼らの写真を見たのは、1977年『噂』が発売になった頃である。その写真を見た時、僕の目はその中の一人に釘付けとなった。言わずとしれた、スティービー・ニックスである(笑)

女性の年齢を書くのは失礼とは分かってるけど、スティービー・ニックスは1948年生まれという事だから、『噂』が出た頃は29歳だった訳だ。中2のガキにとって、29歳の女性なんて、想像もつかない大人であり、ヘタすりゃ年増というイメージだったのだが(失礼)、その写真のスティービーの、なんと可愛かったことか。他のメンバーもまだ若かったし、それなりにシブくカッコいい写真だったんだけど、でも、特にスティービーは可憐で美しかった。正に「妖精」である。それ以降、マック熱が上がったのも無理はあるまい(爆)

『ファンタスティック・マック』が一年かけて全米No.1になる、というロングセラーとなり、『噂』も発売直後から「オウン・ウェイ」のシングル・ヒットも手伝って快調に売れるに従い、フリートウッド・マックがメディアに登場する機会も多くなった。FMで耳にする機会も増えた。クラスの洋楽好きとの会話に於いても、フリートウッド・マックの名前が出るのは珍しい事ではなくなった。マックは完全に、日本でも認知されたのである。また、マック人気が高まるにつれ、FMのマック特集で『ファンタスティック・マック』以前の曲もかかったりするようになり、中学生もマックに関する正しい知識を身につけていったのだった(笑)

正に妖精の如く、可愛らしいスティービー・ニックスではあったが、その歌を聴いた時はびっくりした。見た目と声のギャップがあり過ぎたのだ(笑) 別に、嫌いとか馴染めないというのはなかったけど、意外だな、という感じは持っていた。「ドリームス」は確かに好きだったけど、それ以上に、当時は「オウン・ウェイ」や「ユー・メイク・ラビング・ファン」の方が好きだった。しかし、約2年後に出た「セーラ」を聴いた時、僕はスティービー・ニックスに一生を捧げることを誓ったのである(爆)。それくらい、「セーラ」は一世一代の名曲であった。

それ以降、最初に感じたスティービー・ニックスの見た目と声のギャップなんぞ、どこかへ行ってしまい(笑)、80年代に入ってからソロ活動を開始した事もあり、僕はマックとは別物として、スティービーを追いかけるようになったのである。1981年の『麗しのベラ・ドンナ』以降ソロ・アルバムは6枚、ファン以外の人からすると、どれも似たように聴こえるかもしれないが(笑)、とにかくスティービーなんだから悪かろうはずがなく、どれも素晴らしい。中でも、一番好きなのは『ワイルド・ハート』かな。

YouTubeでも見れるけど、この時期(80年代)のスティービーのライブもなかなかのもんである。黒系のヒラヒラした衣装に身を包み、四角いマイクで歌う姿は正に妖精! もうたまりません。一時期、日本の山根麻衣という歌手が、スティービーそっくりの衣装とマイクで歌っていて、雰囲気もなかなかいい線いってて、こちらも結構良かったなぁ(笑) 妖精とはいえ、スティービーは女性にも人気だったのである。そりゃ、憧れるよな。

実際、可憐な外見ではあったけど、スティービー自身は、結構自己主張の強い人と思う。その音楽にも窺えるし、インタビューを読んだりしても、なんとなく分かる。ただ可愛いだけではない、筋の通ったものがあるのだ。男は、そこに惚れる訳です(笑)

スティービー・ニックスは、ソングライターでもあり、「ドリームス」「セーラ」はもちろん、ソロでの「スタンド・バック」「レザー・アンド・レース」なども、彼女の自作である。メロディがどうこうというより、スティービーの個性の上に成り立っているような曲が多いが、妙に心惹かれてしまうのだ。あまり知られてないけど、「ペーパードール」や「ブルー・デニム」なんて曲も実に良いので、是非聴いてみて頂きたい(笑)

あ、もちろん、スティービーだけでなく、ちゃんとマックも聴いてましたよ(笑) 80年代のアルバムでは、なんといっても1987年の『タンゴ・イン・ザ・ナイト』でしょう。いや、80年代どころか、マックの最高傑作と言ってもいいのでは。けど、その後、リンジー・バッキンガムやスティービーが不在だった時期もあり、この頃は実は聴いてません^^; 再び聴き始めたのは、黄金期のメンバーが再集結した、1997年の『ダンス』からである。

という訳で、久々のスティービーの新作『The Soundstage Sessions』なんだけど、やはりよろしい(笑) 一曲目の「スタンド・バック」を聴いた時、声に往年の艶が失われ、高音も出なくなっている、と感じたけど、曲が進むにつれ、全くそんな気配はなくなり、変わらぬスティービー・ニックスの歌世界を堪能出来る。選曲も、マックのレパートリーを含め、偏りなく収められていてよろしい。しかし、変わらぬとはいえ、スティービーも還暦過ぎた訳だし、妖精ぶりは健在だけど、年齢的にも来日は難しいのだろうか、なんて思ってしまうのである。ちょっと悲しい。

ところで、フリートウッド・マックとフォリナーって、なんとなく共通するものがある。もちろん、音楽性は全く違うけど、似てる部分は多いのだ。つまり、

1.日本でも人気はあったけど、基本的にはアメリカで売れていたこと
2.日本では、FMではよくかかったけど、AMではそれほどではなかったこと
3.マニアックなファンが少ないこと
4.マックやフォリナーを聴いて、バンドやら楽器やらを始めた人というのがほとんどいないこと

なんと言いますか、どちらも昔は“中道路線”なんて言われてたけど、一種インパクトが弱い印象があるかも。マックやフォリナーを聴いて人生が変わった、みたいな話を聞かないのである(笑) でも、スティービー・ニックスに人生狂わされた、なんて人は多いと思う(笑)

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産業医

2010年02月11日 16時37分46秒 | 与太話

医者を大きく分類すると、「基礎」と「臨床」に分けられるらしい。「基礎」は、大学なとで医学の勉強や研究に当たる医者で、「臨床」は、病院等の医療現場で患者の診察や治療に当たる人たちだ。世間一般のイメージでは、医者=臨床医という事になろう。実際、医学部なとでも、基礎より臨床の方が人気が高いと聞く。ま、基礎では食っていけないというのもあるだろうし(笑)

実は、上記以外の医者というのも存在する。学校にいた「校医」とか、企業に派遣される「産業医」とかだ。この中で、校医はともかく、産業医というのは、はっきり言ってどうしようもない。医者の落ちこぼれではないか、と思えてならない。

我が社にも産業医がいる。いや、いる、というのは正確ではない。なにしろ、この産業医のセンセイ、ほとんど会社にいないからだ。出社してくるのは、おそらく月に1~2回程度ではないか。ま、産業医というのは、我が社が契約してるというより、保健所かどこかの指導により派遣されてくるのであろうから、多分うち以外にも複数の会社に出入りしているのだろう。それらの会社を順番に回れば、うちに来るのが月1~2回になってしまうのも仕方がない。ただ、それでは、何の意味もないと思うのだが。

ある程度の社員を抱えた企業は、産業医を選任しなければならないそうな。従業員の健康管理等のチェックを義務付けられている訳だ。しかし、うちに来ているセンセイは、そんな事していない。確かに、何ヶ月かに一度、産業医のセンセイによる面談がある。会社で行なった健康診断の結果、やや問題ありとされた社員は受講するようにお達しがあるが、それに該当しなくても、希望する人は受講する事が出来る。しかし、この面談とやら、僕も一度受けたことがあるが、まぁテキトーでひどいもんである。健康診断の結果を見ながら、テキトーな質問をし(3度の食事の時間とか、一日どれくらい歩いているかとか、食べ物の好き嫌いはないかとか)、あーだこーだ一般論(脂っこい物を控えろとか、運動しろとか、タバコ止めろとか)をレクチャーし、一応聴診器を胸に当てておしまい。このセンセイは、血圧やコレステロール値が高い、というのは、そういう良くない食習慣や生活習慣が原因であり、それを指摘してやるのが仕事だと考えているようだ。

確かに、それ自体は間違いではない。しかし、コレステロール値の高い人に対して、食生活が悪いんだ、と説教たれようとしたら、実は見た目に悪い事は何もしてない、というケースも多々あるはずで、結局健康というのは個人によって異なるものであり、個人別にそこそこ詳細なデータがないと、どうすれば血圧やコレステロール値が下がるのか、なんて事は分からない。はっきり言って、会社の健康診断の結果だけでは、そこまではカバーし切れないのだ。だから、産業医のセンセイも、そこいらを踏まえて、適切なアドバイスをしなければならない。けど、センセイのセリフは決まっている。

「健康には個人差があります。かかりつけのお医者さんと相談して、良い方法を見つけて下さい」

だったら、アンタの面談なんて受けるだけ時間のムダじゃないか、と言いたくなる。痩せろだの運動しろだの、勝手な事を言われた挙句、突っ込んだ話になると、自分の領域ではない、と逃げる。それが産業医の実態なんである。産業医はあくまでも、一般的なアドバイスをするだけであって、個々の健康管理までフォローするのは不可能です、というのなら、産業医を選任するメリットなど、何もないではないか。時間と金が勿体ない。

あと、うちの産業医の仕事として、安全衛生管理と称して社内を巡回し、「晴れてるのに傘立てに傘が置いてある。撤去しろ」「ロッカーの上に書類を入れたダンボールが置いてある。片付けろ」「冷蔵庫に賞味期限切れのジュースがあった。始末しろ」と、あれこれケチをつけるというか、口を出す、というのがある。これ、産業医の仕事か? だいたい、傘やらダンボールやらが、安全や衛生と、どういう関係があるのだ? 総務部の連中がチェックするのなら、納得できないことはないが、産業医である。企業の安全衛生管理指導者の立場にあるとはいえ、月に1~2回しか会社に来なくて、しかも来たら来たでつまらん巡回をしてるとは、正に金のムダ。しかも、月一回の安全衛生会議は、ほとんど欠席だし。この僕ですら、月一の会議には、きちんと出席しているというのに。

ま、この産業医のセンセイに限らず、健康診断にやって来て、問診とやらを担当する医者とか、この手の「基礎」でも「臨床」でもない医者、というのはろくなのがいない。何故か。要するに、“志”が低いのだ。医者というのは、人の命を預かる重要な職業であり、それだけに膨大な知識と豊かな経験が要求される訳で、当然医者になろうとすれば、フツーの人の何十倍も勉強しなければならないし、過酷な労働にも耐えなければならない。加えて、人格者でなければならない。人の何十倍も努力し、しかも人の何十倍も優れていなければ、立派な医者にはなれない訳で、だからこそ、世間の人は医者を尊敬するのだし、また医者は高給が保証されているのだ。そういう医者を志望する人たちは、最初は高い志に燃えているのだろうけど、中には徐々に脱落していくのもいるだろう。自分は医者には向かない、と諦める人もいるだろうが、立派な医者にはなれない、或いはなりたくないけど、医者という肩書きで楽な仕事をしよう、と考えるのもいるに違いない。そういう連中は、「基礎」にも「臨床」にも行かず、産業医なんかになったりするのである。

実際、傍で見ていても、産業医って気楽である。企業に行くのが仕事だから、土日祝祭日は確実に休みになる。残業は絶対にない。医療の現場にいる訳ではないので、診察もしなくていいし、急患に対応する事もない。当直だってないし、もちろん手術だってしなくていい。人の生き死にを見る事もない。医者でありながら、これほど楽な商売はあるまい。もちろん、開業医ではないから、高給は保証されないだろうけど、サラリーマン並みの待遇は堅いだろうしね。僕だって、可能ならなりたいくらいだ(爆)

校医も同様では、という意見もあるだろう。しかし、校医(というか、保健の先生?)は産業医と違い、基本的に学校に一人毎日常駐していたし、具合悪い生徒がいると、診察して場合によっては救急車を呼んだり、という処置はしていた。毎日生徒たちを見ているから、全員とは言わないまでも、健康状態とかも把握していた。何もしない産業医なんかとは違うのだ。

ま、そういう、医学を学びながらも、志の低い者が産業医になる訳で、ろくなのがいないのは当たり前。ま、こちらとしては、とにかくセンセイとは呼ばないようにしている。当然でしょ。具合悪くても、診察すらしてもらえないのに、センセイなんて呼ぶ必要ないものね。そしてもちろん、尊敬されることもないのである。

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我が青春のサウンドトラック-LP編・その4

2010年02月07日 22時39分07秒 | 映画

なんと、この企画、実はまだ終わっていなかったのである(爆) でも、これで最後なので、勘弁してね(誰に言ってんだ?。爆)

話変わるが、今でも昔でも、音楽ソフトを購入する方法のひとつに通信販売がある。ただ、今と昔と異なるのは、昔は通信販売独自の商品があったことだ。つまり、通販用に新たに編集された『○○大全集』みたいなのが作られていた、という訳。かくいう僕も、友人と共同で、CBSソニー・ファミリー・クラブでLP全集を買ったことがある。その時は、2セット同時購入でなければ買えない仕組みになっており、友人と1セットづつ分担で買ったのだ。友人は『サイモン&ガーファンクル全集』、僕は『パーシー・フェイス全集』、共に4枚組、値段は1セット当たり6000円くらいだったのではなかろうか。1500円×6回の分割にした記憶がある(笑)

で、今回紹介するLPも、通販での発売だった。『小学館版 世界の映画音楽 全12巻』、監修は淀川長治先生である。ハガキ等で申し込むと、月一枚づつ“配本”されてくる仕組みで、バラで欲しい場合は、本屋に注文すると取り寄せてくれた。なにしろ、小学館から出ているので、扱いは書籍なのだ。もちろん、レコード屋では買えなかった。今思うと、なんだか不思議なシステムだ。つーか、当時も不思議な気がしてたけど(笑)

この全集の事を知ったのは、中学一年の頃。雑誌(おそらく、友人に借りた『スクリーン』か『ロードショー』。『キネマ旬報』ではない。笑)の広告で曲目を見て、痛烈に欲しい、と思ったのを覚えている。さすが、天下の淀川先生の監修だけあって、選曲が一筋縄ではなかった。こんなの音源があるの?、みたいなのも多数含まれていたし。

けど、一枚1980円と、当時としても廉価だったとはいえ、中学生が全て揃えるのは無理だった。で、曲目を見ながら悩み抜いた末に買ったのが、以下の2枚である。

200908121720000

小学館版 世界の映画音楽 第7巻
風と共に去りぬ-哀愁の女性ドラマ巨編

A-1.風と共に去りぬ-メイン・タイトル
   2.スカーレットとレットの出会い 『風と共に去りぬ』より
   3.ララのテーマ 『ドクトル・ジバコ』より
   4.ライアンの娘-メイン・タイトル
   5.遥か群衆を離れて
B-1.アラバマ物語
   2.ウィッシュ・ミー・ア・レインボー 『雨のニューオリンズ』より
   3.約束-メイン・テーマ
   4.若者の鼓動 『砂丘』より
   5.欲望-メイン・タイトル

忘れもしない1975年秋、あの『風と共に去りぬ』がテレビで放映されるというので、大きな話題になった。今では信じられないことだけど(笑)。レンタルビデオもCS放送もDVDソフトもWinny(笑)もなかった時代、古い名画なんてテレビで放送するのを見るしかなかったのだ。そういう事情もあり、『日曜洋画劇場』とか『月曜ロードショー』『水曜ロードショー』『土曜映画劇場』といった番組は、常に高視聴率だった。ついでに言うと、日曜は淀川長治、月曜は荻昌弘、水曜は水野晴郎、が解説を担当していた。土曜は忘れた(笑)

という訳で、チョー話題になった『風と共に去りぬ』のテレビ放映、確か前編と後編に分けて、2週に渡って放送されたはずだが、僕もしっかり見た。淀川先生も、ラジオ番組で絶賛した映画だったけど、正直言ってあまり面白いとは思えなかった(笑)

と、その『風と共に去りぬ』をタイトルに掲げた、『世界の映画音楽』の第7巻を、まず僕は買ったのである。お目当ては、もちろん『風と共に去りぬ』ではなく(笑)、『アラバマ物語』と『砂丘』だったような気がする。

『アラバマ物語』は、ご存知グレゴリー・ペック主演、今でも語り継がれる名画である(見てないけど)。が、僕の興味は、この映画の音楽をエルマー・バーンスタインが担当した、という点にあった。この「我が青春のサウンドトラック」の企画で何度も名前が登場しているが、『荒野の七人』『大脱走』『黄金の腕』などを手がけた人だ。この『アラバマ物語』は、店頭でもサントラ等を見かけた事がなく、FMの映画音楽の番組でもかかる事はなかったので、聴きたくても聴くチャンスがなかった。この全集に中に入っていると知った瞬間飛びついたのも、当然と言えば当然(笑)

聴いてみると、『荒野の七人』あたりとは違い、非常にリリカルで繊細な曲である。最初は、やや物足りない感じがしたけど(若かったからね。笑)、何度か聴いてるうちに、虜になってしまった。最近、エルマー・バーンスタインが生前発表した自作自演集のCDを買ったのだが、その中に『アラバマ物語』は、しっかりと収録されていて、本人にとっても、会心作だったのだろう。

『砂丘』については、以前ブログネタにした事がある。ピンク・フロイドの音楽が実に衝撃的だったので、迷わずこれに決めたような気がする。ただ、タイトルにある『哀愁の女性ドラマ』というのに、『砂丘』が該当するとは思えなかったけど...(笑)

この全集、見ての通り、なかなか豪華な箱に入っていたのだが、中にはLPの他、作品解説、淀川先生や豪華執筆陣によるエッセイ、映画製作現場の裏話、などが掲載されたブックレットや、なんと収録曲の楽譜(全曲ではないが)まで入っており、特に作品解説が凄くて、むさぼるように何度も読んだものだ。『ドクトル・ジバコ』とか、マジで見たくなってしまったし。

『欲望』という映画は、ロック・ファンの間では、ジェフ・ベック期のヤードバーズが出演している事で有名だが、面白い事に、解説ではヤードバーズのヤの字も出てこない。映画評論家の先生方にとっては、ヤードバーズは別に興味の対象ではなかったみたい(笑)。この映画、音楽担当はハービー・ハンコックだそうで、それについては、なかなか細かく書いてあるんだけどね(笑)

さて、続いては、

200908121721000

小学館版 世界の映画音楽 第4巻
ゴッドファーザー-硝煙と愛の幻想

A-1.ゴッドファーザー-愛のテーマ
   2.サンドラの愛 『ビッグ・ガン』より
   3.狼は天使の匂い
   4.シンジケート
   5.レッド・サン
B-1.第三の男
   2.ジェルソミーナ 『道』より
   3.ヘッドライト
   4.戦争と平和
   5.モア 『世界残酷物語』より

何故、4巻が7巻より後なのだ?、と言われそうだが、この全集、番号順に配本されていた訳ではなく、結構ランダムというか適当だった(笑)。本屋に注文して取り寄せて貰ったんだけど、支払いは図書券だったような(笑)

こちらも、なかなか聴けない曲が多く、それなりに期待した訳だが、『哀愁の女性ドラマ』ほどは聴かなかったような気がする。思ったほどではなかったのかもしれない。『狼は天使の匂い』なんて良かったけどね。これはフランシス・レイの作曲で、映画音楽の人にしてはヒット曲が多い人だったこともあり、あまり知られてないように思うけど、本人の自作自演集には収録されているので、やはり自信作なのだろう。

余談だが、作家の森村誠一がエッセイを書いてて(ちなみに、『人間の証明』で一気に有名になる2年程前だ)、フランシス・レイが音楽を担当したポルノ映画みたいなのが見たい、と言ってるのだが、直後にフランシス・レイが手掛けた『続・エマニエル夫人』が公開された。森村誠一氏は見に行ったのかな(笑) ま、どうでもいい話ではあるが(爆)

でも、あの頃って、映画というものが、今とは違うムードを持っていたような気がする。

こういう企画をやり始めたせいか分からないが、近頃、昔聴いてた映画音楽が、無性に聴きたくて、あれこれ買い込んで聴いている。懐かしいのはもちろんだが、今でも細かいフレーズとか覚えていたりするのにも、我ながら驚いていて、本当に好きで何度も繰り返し聴いて、すっかり血肉になっているのだな、というのを、改めて実感する。三つ子の魂は恐ろしい(爆)

てな訳で、「我が青春のサウンドトラック」企画も最後という事で、ここでクイズです(なんのこっちゃ)。上記2枚のLPのジャケットに登場している2人の女優の名前をお答え下さい。

でも、これ、当てたらマジで凄いと思う(爆)

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想い出のアルバム-COMMON THREAD

2010年02月03日 23時17分21秒 | 想い出のアルバムシリーズ

Commonthread

コモン・スレッド~ソングス・オブ・イーグルス(1993)

1.テイク・イット・イージー/トラヴィス・トリット
2.ピースフル・イージー・フィーリング/リトル・テキサス
3.ならず者/クリント・ブラック
4.ハートエイク・トゥナイト/ジョン・アンダーソン
5.テキーラ・サンライズ/アラン・ジャクソン
6.テイク・イット・トゥー・ザ・リミット/スージー・ボガス
7.言いだせなくて/ヴィンス・ギル
8.いつわりの瞳/ダイアモンド・リオ
9.ニュー・キッド・イン・タウン/トリーシャ・イヤーウッド

10.サタデイ・ナイト/ビリー・ディーン
11.過ぎた事/タニヤ・タッカー
12.我が愛の至上/ブルックス&ダン
13.サッド・カフェ/ロリー・モーガン

先日、イーグルス・トリビュート・セッションを観戦した。昨年の夏に参加したセッションの第4回だ。今回は諸事情により演奏には参加せず、観戦オンリーだったりだが、それでも十分楽しめた。イーグルスって、自分で演るより人の演奏を聴いてる方が楽しいかも(笑)

セッションそのものは、演奏も歌もグレードが高く、素晴らしいものだった。大好きなイーグルスの曲を生き生きとブレイする皆さんを見ていて、ふと思い出したのが、この『コモン・スレッド~ソングス・オブ・イーグルス』だ。イークルスのコピー(カバー)ではあるのだが、やはりオリジナルとは印象が異なり、新たな発見がある、という点で共通している。

この『コモン・スレッド』だが、参加しているのはカントリー畑のミュージシャンたちであり、選曲もいかにもそれっぽい。「ホテル・カリフォルニア」「呪われた夜」「魔女のささやき」といった、シリアスというか雰囲気暗い曲がないのである。個人的には、イーグルスはカントリー系の曲が好きなので、明るく軽やかでほのぼのとした曲で占められたこのアルバム、曲目を見ただけでもそそらるものがあった。

で、実際に聴いてみると、これがまた実に良いのである。前述したけど、アレンジもほとんど原曲のままだし、細かいフレージングの違いはあれど、ほんとコピーみたいなものだ。しかし、オリジナルをそのままコピーしているようでも、何か雰囲気が違う。洗練された雰囲気を感じる本家と比べ、どこか荒っぽい感じがするが、本家よりずっと明るく穏やかな印象を受ける。イーグルスの場合、「テイク・イット・イージー」の対極に「ホテル・カリフォルニア」があり、どちらもイーグルスに他ならないのだが、後者の持つ“重さ”が前者に乗り移ってしまい、結果として、どの曲もミョーにシリアスに聴こえてしまう、というのが特に後期に感じられたが、この『コモン・スレッド』で聴ける「テイク・イット・イージー」には、そういうシリアスさはない。これこそイーグルスの本質なのだ、と主張しているかのようだ。オリジナルでは、グレン・フライがリードボーカルを担当していた曲が多いのも、何やら象徴的だったりして(笑)

収められたイーグルス・カバーは、どれもカントリーやフォークの雰囲気が強い。カントリー系のアーティストばかりだから、当然といえば当然だが。また、前述したように、なんとなく荒っぽい感じがするのだが、それはドラムの音が前面に出ている事にもよるのだろう。本家は、ドラムは抑え気味だったから、このアルバムのように、ドラムを強調すると聴きなれた曲も印象が変わる。その点でも、新鮮に聴けた。大好きな曲ばかりだし(笑)。今でも、よく聴いてる。

参加アーティストの中で、当時名前を知ってたのは、ヴィンス・ギルとジョン・アンダーソン(もちろん、イエスの人ではない)とタニヤ・タッカー(ハロー・ミスター・サンシャイン!)くらいだったけど、そんな事は気にならずに聴けた。女性が歌うイーグルス・ナンバーもいいものだ。一番気に入ったのは、トリーシャ・イヤーウッドによる「ニュー・キッド・イン・タウン」で、後に彼女のアルバムも買ってしまったくらい(笑)。なかなか美人で、90年代のリンダ・ロンシュタット、なんていわれていたような(笑)

この『コモン・スレッド』はベストセラーとなり、それがきっかけとなって、イーグルス再結成の話が持ち上がった、というのは有名な話だけど、イーグルスのカントリーテイストが強く打ち出されているだけに、アメリカ人がイーグルスに何を求めていたのか、なんて事まで、そこはかとなく想像できてしまう好盤である。90年代前半は、やたらと大物アーティストのトリビュート・アルバムが発売されたけど、その中でも代表的な一枚と言っていいと思う。

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