日々の覚書

MFCオーナーのブログ

運命の変化

2017年04月30日 20時06分55秒 | 音楽ネタ
いささか旧聞ではあるが、J・ガイルズとアラン・ホールズワースが相次いで亡くなった。どちらも、知る人ぞ知るミュージシャンであり、ジョン・ウェットンのような有名人ではないので、メディアの扱いは小さかったけど、それにしても残念だ。慎んでご冥福をお祈り致します。

アラン・ホールズワースについては、実はよく知らない。改めて経歴を見てみると、ソフト・マシーン、テンペスト、UK、ブラッフォード等々、なかなかに有名なバンドを渡り歩いているのだが、10代の頃の僕の趣味とは、ほとんどシンクロしてないので、その名前すら知らなかった。初めて知ったのは大学で軽音楽サークルに入った頃。サークルで最初に組んだバンドのギタリストが、ホールズワースの熱狂的なファンで、色々とホールズワース関連を聴かされたおかげで、名前だけでなく、そのギタープレイや音楽性もようやく知る事が出来た。個人的には、ビル・ブラッフォードのプロジェクトによるアルバム『ワン・オブ・ア・カインド』が気に入って、よく聴いてたな。80年代前半にはソロで来日公演を行い、結構盛り上がっていた記憶がある。

その後、ホールズワースはマイペースで活動を続けていたらしい。そういえば、2003年の春、京都のRAGでホールズワースのライブを見た事があったなぁ。トリオ編成のバンドで、ドラムはチャド・ワッカーマン。よく分からんけど凄い演奏だった。ブルースっぽいフレーズを弾こうとしたけど上手くいかず、苦笑いしながら本来のスタイルで演奏再開した場面があったのを思い出す。ブルース苦手らしい。なんとなく、なるほど、と思ったものだ。

訃報に接し、追悼しようと思ったものの、ホールズワース関連の音源が全くなくて愕然とした。前述したけど、僕の趣味とシンクロしてないので、レコードも買ってないのだ。唯一聴いてたブラッフォードの『ワン・オブ・ア・カインド』もカセットコピーだけだし、UKだってトリオになってからしか聴いてない。なんということか。

話変わってJ・ガイルズだが、もちろん、あのJ・ガイルズ・バンドのギタリストである。さすがに、名前を知ってる人も多いはず。自身の名前がバンド名になってるんで、リーダーかと思われがちだが、聞いた話だと、駆け出し時代にライブハウスと契約する時、J・ガイルズの名前が入っているのが条件だったので、こういうバンド名になったらしい。

初めてJ・ガイルズ・バンドを聴いたのは、1976年に出たライブ盤『狼から一撃!』だったと思う。当時FMで聴いた「デトロイト・ブレイクダウン」に、中学生はあっけなくノックアウトされたのだ(笑) ま、暑苦しいまでに男臭いバンドであったが、今聴くと、その暑苦しさがたまらない。良くも悪くもB級感漂うバンドだった。後に音楽性をポップな方向に修正してヒットを出したが、その後分裂してしまった。よくあるパターンといえば、よくあるパターンなんだけど。分裂後は、ハーモニカのマジック・ディックとプルース・バンドをやってたらしい。90年代に、CDを見かけた事がある。あと、知らなかったけど、J・ガイルズ・バンドの再結成ツアーとかもあったみたい。

前述したけど、J・ガイルズ・バンドはデビュー時のアトランティックからキャピトルに移籍して、音楽性を修正してヒットを出したのだが、そのキャピトル移籍第一弾となった『サンクチュアリ』というアルバムを、今は聴いてみたいと思っている。

といった事を踏まえて(意味不明)、最近買ったCDについて、あれこれ。



Loud Hailer/Jeff Beck

ジェフ・ベックが凄いのは、本来の自分のスタイルとかルーツとかにとらわれず、何でもやってみることだ。もちろん、若手との共演にも積極的。去年出た6年振りの新作は、ボーンズというバンドのメンバー、ロージー・ボーンズ(Vo)とカルメン・バンデンバーグ(G)という2人の女性ロッカーと組んだアルバムだ(ちなみに、このカルメンというギタリスト、エイドリアン・バンデンバーグと何か関係があるのかないのか?)。娘どころか孫、いや曾孫と言ってもいい二人とがっぷり四つに組んで、古くも新しいロックを聴かせるベックは、クラプトンとは違った意味でやっぱ凄い。革ジャン着たベックが、この若い二人の女性ロッカーと並んでいる写真があるが、全く違和感がないのもご立派。

後人的には、前作の時にも感じたけど、ベックはボーカルものの方が良いと思っているし、こういうベックの方が好きだ。自分一人で弾きまくるより、ボーカルと対峙した方が、そのプレイがより映えるような気がする。インストをやるなら、ベックと同格のプレイヤーがいないとダメ。いわば、競争相手がいないと生きないタイプ。70歳を超えた今も、若手と並んでも違和感ないのは、そういう性質によるものなのでは、という気がする。いくつになってもロック小僧。円熟とか成熟とかいう言葉は似合わない。ベックって、やっぱ凄い。



Morin Heights/Pilot

ブリット・ポップといえば、1990年代のオアシスやブラーをはじめとする、当時活躍したイギリスのバンドたちによるムーブメントだった訳だが、実は似たようなのが1970年代にも起こっていた。ベイ・シティ・ローラーズの成功に刺激され、似たような音楽性やスタイルのバンドが、雨後の竹の子の如く登場し、活況を呈したというか、訳分かんない状態だったというか(笑)、ケニー、アローズ、フリント・ロック、ハローといったバンドの名前が挙げられるが、このパイロットも、そのムーブメントの中で一括りに紹介されていたような記憶がある。ま、BCR人気に便乗してでっち上げられたバンドもあったと思うが、パイロットはそういったバンドとは、その時既に一線を画す存在だった。何しろ、1976年の時点で、彼らは「マジック」「ジャニュアリー」といったヒットを放っていたからである。もっとも、BCRに在籍していたメンバーもいたらしいけど。

この『モーリン・ハイツ』はパイロットの3作目。ヒットを出した前2作と比べると、地味な扱いらしいが、内容は悪くない。つーか、僕はパイロットのアルバムを聴くのは初めてだけど(笑) 当時、中学生だった僕は、FMで聴いたパイロットの「カナダ」という曲が好きで、その曲が入っているという事で、この『モーリン・ハイツ』を買ったのである。ポップだけどひたすらポップというのでもなく、どこか捻れた感じがするのがイギリスっぽいな、なんて思ったりして(笑) ちなみに、プロデューサーは、あのロイ・トーマス・ベイカー。知らなかった。



I'm Nearly Famous/Cliff Richard

50年の長きに渡り、イギリス音楽界の第一線に君臨するクリフ・リチャードの、1976年発表のアルバム。当時の邦題は確か『君想う夜』。タイトル曲はシングルカットされ(原題は「Miss You Nights」、アルバム・タイトルとは違うのでご注意。笑)、FMでよくかかってた。格調高いバラードで、アート・カーファンクルとかも取り上げていたのではなかったかな。

当時は知らなかったのだが、クリフ・リチャードは70年代に入ってから、活動が地味になっていたらしいのだが、このアルバムで復活したのだそうな。ま、確かに、今聴いてもなかなかの内容で、ヒットするのも当然、という感じの作りだ。「デビル・ウーマン」がアメリカでもTOP10に入るヒットとなり、後の「恋はこれっきり」のヒットの下地になったような気がする。

どうでもいいが、このCD、HMVの通販で買ったのだが、注文してから届くまで実に5ヶ月かかっている。注文する時は、1~2週間で出荷となっていたが、その後入荷の目途が立たない、入り次第連絡します、というメールが何回か来た末にやっと届いた。何故、そんなに時間かかったのか。同じクリフ・リチャードのCDでも、他は在庫ありがほとんどなのに、このCDだけは在庫無し、納期未定状態が長く続いていた。不思議だ。ま、深くは追求しないけどね(爆)



Change Of Fortune/Soul Asylum

去年出た、ソウル・アサイラム5年振りの新作。同時に、去年ソウル・アサイラムは約20年振りに来日公演を行った。ところが、僕は新作の事も来日公演の事も全く知らず、後で聞いて唖然とした。ぴあとかイープラスとかローソンチケットとか、毎日のようにお知らせメールが来てて、一応目は通しているんだけど、ソウル・アサイラム来日情報は全然気づかなかった。というか、載せてないだろ、って感じ。ま、知ってたとしても、見に行ったかどうかは分からないけど(笑)

その20年前、ソウル・アサイラム来日公演の事を知り、前売り券発売日にひたすら電話し続けたものの、3時間近く電話が繋がらなくて泣く泣く諦めた、という事があったのを思い出した。あの時の会場は、渋谷オンエアだったような。う~む、やっぱり行きたかったな(笑)

という訳で、新作である。ジャケットを見て、ウォークマンだかのCMを思い出す人も多かろう(笑) 聴いてみると、相変わらずのソウル・アサイラムではあるものの、違う雰囲気も感じられる。で、ライナーを見てみると、メンバーが替わっていた。ギターのダン・マーフィーがいない。ボーカルのデイブ・パーナーと共に、バンドのオリジナル・メンバーだったのだが、家庭の事情その他で脱退してしまったらしい。一体どうすんだ?って感じ。

ま、バンドのオリジナル曲は、ほとんどデイブ・パーナーが書いているので、ダン・マーフィーがいなくても、大きな変化はないのかもしれない。しかし、ライナーにも「誰も僕に干渉せず自由にやれた」というデイブ・パーナーの意味深な発言があり、事実今までに見られなかった曲調も目立っている、という事を考えると、実はダン・マーフィーの影響力は大きかったのではなかろうか。もちろん、内容は悪くない。

しかし、それにしても、ソウル・アサイラムの特徴でもあるのだが、全編に漂う“若手感”がハンパない。メジャーデビューからほぼ30年、『グレイブ・ダンサーズ・ユニオン』でブレイクしてからも25年、既に立派なベテランの域である。フォロワーが生まれ、若手によるトリビュート・アルバムが作られても不思議ではない。にもかかわらず、この“若手感”である。先のジェフ・ベックにも通じるが、これは凄い事だ。どんなにベテランになっても、常に前を、上を向き続けるソウル・アサイラムというかデイブ・パーナーの今後に注目。



Sing Street-Original Motion Picture Soundtrack

先日、妻がレンタルしてきた『シング・ストリート』を見た。面白かった。80年代中頃のアイルランドはダブリンを舞台に、バンド活動をする高校生を描いた作品なのだが、その手の映画での楽しみは。なんといっても音楽。これが実に素晴らしい。もちろん、ストーリーも良かったけどね(笑)

ダブリンの高校に通う高校生が、一目惚れした自称モデルの女の子の歓心を買う為に、バンドやってると口から出まかせを言ってしまい、行きがかり上メンバーをかき集めてバンドを結成する訳だが、イカしたバンドには黒人がいる、という理由で、学内ただ一人の黒人少年をスカウトに行ったり、といったエピソードが笑える。結成して最初はデュラン・デュランのコピーとかをやってるんだけど、主人公のロック好きの兄から、オリジナルやらないとダメだ、と言われて、オリジナルを作るのだが、これが実に良い出来なのである。それが聴きたくて、このサントラ買ったようなものだ(笑) あの頃のニューロマンティックの香りがする。素晴らしい。ついでに言うと、オリジナル曲のPVを作るのだが、これがまた楽しい。素晴らしい出来映えなんである。ロック好きは、このあたりだけでも十分に楽しめると思う。

単にバンドだけがテーマの映画ではないけど、あの当時の空気を上手く切り取っていると思う。特にサントラは80年代全開である。バンドのオリジナルと当時の既成曲が全く違和感なし。映画見てなくても楽しめるのでは。

ただ、音も見た目もイカしてるバンドなのに、“シング・ストリート”というバンド名だけはイカさないなぁ(笑)
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ポール・イズ・ライブ

2017年04月15日 18時38分00秒 | 音楽ネタ


既に皆さんご存知の通り、ボール・マッカートニーが来日公演を行う。4月25日が武道館、27日・29日・30日が東京ドームという事で、もうすくだ。今回は(も?)、東京公演だけなのだろうか。それにしても、ポール・マッカートニーにとって、ビートルズ時代も含めると、6回目の来日公演になるらしい。ソロになってからは5回目という事になるが、そのうち3回が21世紀になってから、というのが凄い。なんか、年齢を重ねるたびにパワーアップしてるような感じ。前回、すなわち2015年の来日公演を見た友人によると、2時間以上にわたり、座りもせず水も飲まずにステージをこなしていたそうで、いやぁとにかく凄い。僕は、それほどポール・マッカートニーの熱心なファンではないし、今回の来日公演も行かないけど、それでも、いつまでも元気でいて欲しいと、願わずにいられない。

という訳で、レコード・コレクターズ先月号は、ポール・マッカートニー特集だった。一位、何回目だろうか?(笑) ま、来日公演が決定した事、数年前から続くアーカイブ・コレクション・シリーズの第10弾として、アルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の拡大版が発売される事、が重なったのを受けての特集だろうと思われるが、比較的最近の作品、なんて思っていた『フラワーズ・イン・ザ・ダート』が、実は出てから既に28年が経過している、という当たり前の事実は、ちょっとした衝撃だった(笑) あれから28年か...ポールの初来日公演を東京ドームで見た事を、今さらながら思い出した。年とったなぁ(爆) あの時のオープニングは「フィギュア・オブ・エイト」、知らない曲だったけど、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の収録曲だった。

以前にも書いた事あるけど、僕はポール・マッカートニーは好きだけど、熱心なファンではなく、大ヒット連発だった70年代に比べると、80年代の作品にはあまり魅力が感じられなくて(えらそーに)、ほとんど聴いてない。だから、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』も未聴である。発売された当時は、エルビス・コステロという意外なミュージシャンと組んで新境地を開拓、という事で話題になっていた記憶があるが、なにせ熱心なファンではないので(笑)、CDを買ったり借りたりして聴いてみよう、というまでには至らず、要するに、ポール・マッカートニーの新作が出た、という情報だけがあるものの、FMやらMTVやらで耳にする事がなかったので、聴かないままで終わっていたのである。かといって、今回のアーカイブ・コレクション化を機に聴いてみようか、という心境でもない(笑)

この、2010年の『バンド・オン・ザ・ラン』を皮切りにスタートしたポール・マッカートニーのアーカイブ・コレクションだが、これまでに9作がアーカイブ化されており、次はこの辺りではないか、と実は僕は思っていた。

 

『ロンドン・タウン』と『バック・トゥー・ジ・エッグ』、共に1970年代後半、ポールが絶好調だった時期のアルバムなのであるが、今となってみると、なんか地味な存在になってしまっている。なんでだろうね?(笑) ちなみに、僕はこの2枚共LPで持ってて(数年後に中古盤を買ったのだが^^;)、どちらも好きなアルバムであるのだが、確かに地味かもしれない、とも思う(笑)

『ロンドン・タウン』が出たのは、1978年の夏頃と記憶している。この年の春先、ポールは「夢の旅人」という、スコットランド民謡みたいな牧歌的な曲をイギリスで大ヒットさせていた。なんでも、当時のイギリスでのシングル・レコードの売り上げ記録を更新し、その記録は未だに破られていないとかという超特大ヒットであったのだが、もちろん、当時の僕からすると、「夢の旅人」は、えっ?うそっ?、てな感じの曲であり、これっぽっちも良いと思えなかった(笑) B面の「ガールズ・スクール」の方が、ずっと良かったな。

後に聞いたのだが、ご承知の通り、ポール・マッカートニーはウィングスを率いて、1976年にアメリカツアーを敢行し、大成功を収めている。その模様を記録したライブ盤『ウィングス・オーバー・アメリカ』も全米No.1を獲得するヘストセラーとなった。ウィングスはヒートルズを超えた、とすら言われ、ポールにとっては正に我が世の春であったろう。そんな喧噪が落ち着き、夢だったアメリカ制覇を成し遂げてイギリスに戻って落ち着いてみると、やはり自分はイギリス人なのだ、とそのアイデンティティを再認識して「夢の旅人」に至り、そして『ロンドン・タウン』に至るのだそうな。分かるような分からないような(笑)

でも、まぁ確かに、しばらくアメリカナイズされた作品でヒット連発だったのと比較すると、『ロンドン・タウン』は嘘のように地味というか、静かなアルバムである。シングル・カットされて全米No.1になった「幸せの予感」を含むアルバムなのだが、でもやはり静かな印象。しかし、この「幸せの予感」がまた素晴らしい曲なのだ。僕も当時から大好きで、さすがポール・マッカートニーと一人勝手に唸っていた(笑) ただ、この曲は是非アルバム・バージョンで聴いて欲しい。ベスト盤に入っているDJエディットとかでは物足りない。

個人的には、冒頭を飾るタイトル曲がとにかく好きだ。この曲聴きたさにLPに針を落とし、そのまま最後まで、というパターンだな(笑) ほんと、何度聴いても良い曲と思う。シングル・カットはされたけど、大してヒットしなかったんで、ベスト盤には未収録だが名曲だ。“銀色の雨が汚れたロンドンの街に降り注ぐ”なんてベタな歌詞も、霧の街ロンドンのイメージを誘発する。

この『ロンドン・タウン』は、ほとんどジャケットに写っている3人(ポール&リンダにデニー・レイン)の3人で録音されたそうで、そのせいか、アコギをメインにしたトラッド風の曲もあったりして、全体的にシンプルな印象。ただ、前述の通り、アメリカ臭はほとんど感じられない。どの曲も、うっすらと霧がかかったかのようなウェット感がある。マイケル・ジャクソンがカバーした「ガールフレンド」だって、実に英国風のポップスだ。正に、イギリス人としてのアイデンティティが作らせた傑作と言えるのでは。極上のメロディを持った名曲は少なくて、やっぱ地味だけどね(笑)

で、続いて『バック・トゥー・ジ・エッグ』である。出たのは1979年の夏頃と記憶している。新生ウィングスとしての初アルバムであり、先行シングル「グッドナイト・トゥナイト」もヒットしたし(アルバムには未収録)、イギリスの有名ミュージシャンを多数招集したロケストラも話題となり、発売前から世間は大騒ぎしていたのではなかったかな(笑) ま、それだけ、ポールの一挙一投足に皆が注目していた証である。

と、そんな状況の中で世に出た『バック・トゥー・ジ・エッグ』だが、やや地味だった『ロンドン・タウン』に比べると、新生ウィングスのお披露目というのもあり、バンド・サウンドを全面に押し出した作りになっている。前作同様、極上の名曲はあまりないので(笑)、違った意味で地味ではあるが、勢いはあるし良いアルバムと思うよ。ただ、話題のロケストラは、当時も今も成功してるとは思えない。ロケストラ名義では2曲収録されていて(「ロケストラのテーマ」と「ソー・グラッド」)、参加ミュージシャンも、ウィングスのメンバーに加え、ギターにハンク・マービン、ピート・タウンゼント、デビッド・ギルモア、ベースにジョン・ポール・ジョーンズ、ロニー・レーン、キーボードにゲイリー・ブルッカー、トニー・アシュトン、ドラムにジョン・ボーナム、ケニー・ジョーンズ、といった面々(よく見るとツェッペリンとザ・フーは参加率高い)による豪華なセッションと言えば聞こえはいいが、皆で一緒に演奏してるもんで、誰が何をやってるのか分からない。ジャズのビッグバンドみたいに、名前を連呼しながら順番にソロ交換でもやってくれないと、これだけの顔ぶれを集めた意味がないのではなかろうか。

とはいえ、前述したけど、良いアルバムだ。ラジオのジングルみたいなオープニングから「ゲッティング・クローサー」になだれ込んでいく展開がたまらない。この曲、アルバムからの第一弾シングルだったのだが、やはり大してヒットしなかったので、ベスト盤に収録される事もない、知る人ぞ知る曲なんだけど、個人的はに大好きな曲だ。ポールお得意のメロディアスなロックンロールって感じ。

A面ラストの「アロー・スルー・ミー」もシングル・カットされた。この曲も当時から実は好きなのだが、やはり大したヒットにならず、地味な存在の佳曲な訳だが、数年前に出た『ピュア・マッカートニー』というベスト盤に収録されていたのには驚いた。これによって、熱心なファンでない多くの人たちに、「アロー・スルー・ミー」が知られる事になったと思うと、実に喜ばしい(笑) B面にさりげなく鎮座している、これまたポールお得意のメドレー曲の2連発もいいね。

この後、新生ウィングスとして、このアルバムを引っさげ、1980年についに来日公演が実現するはずだったのだが、ご存知の通り、大変残念な結果になってしまった。日本の音楽史上5本指に入る大事件だったと思う。確かに、平成になってから、ポール・マッカートニーの来日公演は実現したけど、この時のショックを引きずっている人は、まだたくさんいるのではなかろうか。

という訳で、絶頂期の作品であるにもかかわらず、地味な存在になってしまっている『ロンドン・タウン』と『バック・トゥー・ジ・エッグ』、是非陽の当たる場所に戻してあげて欲しい、と切に願うものである。で、いま気づいたけど、この2枚共、収録曲数がLPにしては多い。『ロンドン・タウン』は15曲、『バック・トゥー・ジ・エッグ』は14曲である。なんというサービス精神! こんな所も地味になる要因なのだろうか?(よく分からんぞ)

では、ポール・マッカートニーのファンの皆さま、目前に迫った来日公演を、是非堪能して下さいませ。この2枚の曲は絶対にやらないでしょうけどね(爆)
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実は15周年を迎えていたU-500

2017年04月08日 16時02分30秒 | 与太話
久しくネタにしていなかったので、覚えておられる人も少ないと思うが、U-500すなわち「毎日の昼食代を500円以下に抑える」プロジェクト(笑)が、実は、スタートしてから15周年を迎えていたのである。しかも、2年前に(笑) 世間に知られる事もなく、粛々と15年も続いていたとは...しかも、現在も継続中で、この4月から、なんと!17年目に突入したのである。う~む、我ながら、なんとなく凄いと思う(違)

という訳で、今回は久々にU-500ネタである。まずは、節目となる15年の総括(笑)を。「数値で見るU-500の15年」ってとこかな(笑)

期 間         :2001年4月~2016年3月
期間中総昼食回数    :3,616回
期間中総昼食代     :1,572,967円
期間中1回当たりの昼食代  :435円

積み重ねとはいえ、15年間の昼食代総計が150万円以上、というのが恐ろしい(笑) 1回平均435円にもかかわらず、この数字である。もし、昼食に500円以上かけていたら、と思うとゾッとする(爆)

ま、それにしても、消費税値上げ等を乗り越えて、昼食500円をキープし続けた、というのは驚嘆に値する(自分で言うな)。実は、以前に書いたと思うが、この期間中、一回だけ月の昼食代平均が500円をオーバーした事がある。忘れもしない(爆)2004年4月である。この時の数値はいうと、

期 間    2004年4月
昼食回数   20回
昼食代総計  10,112円
1回平均     505.6円

今となっては、非常に悔やまれる(爆) ま、大勢に影響はないのが、かろうじて幸いだが。

で、ついでなので、15年の期間中、最も月平均が低かった月の数値もご覧下さい。2003年12月である(いらねーよ)

期 間    2003年12月
昼食回数   19回
昼食代総計  6,051円
1回平均     318.5円

月平均が400円を下回った月は、この期間中26回あるのだが、その中でも318.5円というのは、突出した数字である。一体、どんな物を食べていたのか?(笑)

と、そんな(どんな?)U-500は、15周年を迎えた以降も、粛々と継続中である。では、16年目に突入した昨年度、つまり2016年4月~2017年3月の結果を、ここに公表させて頂く。

期 間    2016年4月~2017年3月
昼食回数   238回
昼食代総計  107,111円
1回平均     450円

うむ、まぁ良い数字ではなかろうか。ただ、この数字には少々からくりもある。それも公表しましょう(笑) 2016年度に昼食を取った場所の統計である。

1位・・・社員食堂 110回

これが”からくり”である(笑) どうしても、我が社の社員食堂で昼食を取る事が多くなる。また食堂で食べると1食400円なので、実に安上がり、U-500に対する貢献度無限大なのであるが、これはフェアではない、と仰る向きもあるだろう。そういう意味では、500円以下では喜んでいられない、毎月450円以下を目指さねば、という事で、2017年度は、それを目標に頑張ろうと思う(笑)

しかし、昼食回数238回で、社員食堂利用が110回、率にして46%、つまり、2日に一度は昼時に会社にいた(昼食代抑えるために、わざといるようにしていた、という時もある)訳だ。もっと、外回りしなさい(爆)

では、一応、2位以下も公表する。

2位・・・吉野家        7回
2位・・・コンビニ、キオスク等 7回
4位・・・小諸そば       6回
4位・・・なか卯        6回

少ない(爆爆) これ以下は、すき家とか駅の立ち食い蕎麦とかが続く。

という訳で、今後も引き続きU-500頑張りますので、よろしくお願いします(何を?)
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