日々の覚書

MFCオーナーのブログ

感謝こそすれ

2008年09月30日 21時44分40秒 | 時事・社会ネタ

夕刊で見つけたローカルな記事。滑稽ではあるものの、腹立たしい記事でもあった。

その内容はというと、

神戸港などの岸壁に放置された車を、2年程の間に約300台盗んで転売していた男が逮捕された。放置車両だから盗難届けは出ないだろう、と目をつけ、ナンバープレートをはずして放置してある車両をレッカーで運び、一台3万円くらいでスクラップ工場に売っていたそうな。

神戸市では、年間約200万円をかけて、放置車両を撤去していたそうだが、この男が犯行を本格化してから、放置車両が大幅に減ったらしい。なんでも、2005年度は73台、2006年度は80台だったのが、昨年は19台だっとか。

犯人は、神戸市内で自動車修理業を営んでおり、経営が苦しくてやった、と供述しているらしい。逮捕されたきっかけは、放置車両が少なくなった為、停車中のトラックを盗んだからだとか。

まぁ、なんというか、放置車両を“盗んだ”とか、“犯人”とか“犯行”とか、完全に犯罪者扱いであり(罪状は窃盗らしい)、分からない事はないのだが、この男のやった事は、そんなに悪い事なのか? だいたい放置車両ほど迷惑なものはない。うちの近所にも、ナンバープレートをはずして放置された車が、よく転がっている。持ち主が、自分で始末しないで道端に捨てていく、それも証拠を隠滅した上で...警察は、ほとんど弱い者いじめみたいな検問や、路駐取締りなんてやってるヒマがあったら、車を放置した輩をつきとめて逮捕すべきである。放置車両の撤去だって、税金使ってやってる訳だし、無駄遣いもいい所だ。そういう迷惑きわまりない放置車両を片付けてくれた訳だから、行政はこの男に感謝すべきではないか。立派な社会貢献である。少なくとも、逮捕というのはおかしい。不起訴で当然。

たとえ、捨てられた物であっても、所有者の許可なく拾って金に換えるのはいけない、というのなら、空き瓶を集めて換金してる人たちも、逮捕されるはずだが。空き瓶集めならエコだからいいのか。それとも何かい、エコな活動をしている人たちは、お金に換えたりしないからいいのだ、とでも言うのかね。冗談ではない。行政がやらない仕事を無償でやれ、なんて虫が良すぎるわい。

警察では、この男が売った放置車両の車体番号を調べ、所有者を割り出して被害を裏付ける方針だという。何考えてんだか。放置車両から所有者が分かるのなら、何故そいつらを逮捕しないのか。それに、車を放置した奴らが、放置した車が盗まれたからといって、被害届けを出す訳がなかろう。でも、廃棄費用惜しさに、人の迷惑顧みず、車両放置する非常識な奴らであるから、犯罪者のくせして被害者ヅラして、ほいほいと被害届けを出し、損害賠償を請求する、なんて事はしかねないかな。こういうのを厚顔無恥という。それならまず、放置した奴らを逮捕してからにしなさい。ほんと、バカじゃないの。

ま、日本の警察など、この程度のレベルという事だ。僕が、いかにこの記事を読んで憤っているか、それは文中に「(笑)」の文字が、一度も使われていない事から察して頂きたい(爆) 

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新人類

2008年09月29日 23時21分38秒 | スポーツ

そろそろプロ野球も大詰め、阪神独走かと思われたセ・リーグは、ここへきて巨人の猛追もあり、ほんとどっちが優勝するのか分らない、という展開だ。でも、今の阪神と巨人だったら、申し訳ないけど、CSで勝つのは巨人という気がする(笑)

パ・リーグの方は、西武ライオンズがリーグ優勝を決めた。優勝という意味では、6年ぶりらしい。実際には、4年前に日本シリーズで中日に勝って、日本一になっているのだが、この時はシーズン2位で、プレーオフを勝ち上がっての日本シリーズだったので、優勝した訳ではない。とはいえ、西武ライオンズ及びファンの皆さん、おめでとうございます。

ご存知、西武の監督は就任一年目の渡辺久信である。かつて、西武の黄金期を支えたエースだ。1984年ドラフト一位で西武に入団、ルーキーの年から一軍に定着、3年目には最多勝投手となって、優勝に貢献した。ドラフト指名直後の渡辺を見た時は、ただのヤンキーじゃん、って思ったけど(笑)、プロ入り後は、成績もさる事ながら、野球選手らしからぬ言動やファッションで注目を集め、同じ西武の工藤や日本ハムの西崎あたりと並んで、「新人類」なんて呼ばれていた。

そう、20数年前の日本には、「新人類」と呼ばれた若者たちがいたのだ。今じゃ、ほとんど死語だろうね(笑) 

「新人類」とは何か。ま、昨今の若者は、こんな言葉知らないだろうから、一応解説しておく。といっても、大したことはない(笑) 要するに、当時の大人(というか中高年)たちが、常識も通用せず、何考えてるのか分らない若者たちを指して、「新人類」と読んだだけの話。そのちょと前は、宇宙人なんて呼び方もあったみたい(笑) ま、いつの時代でも、大人たちは若者が理解出来ない、というのは当たり前で、そういう点では、若い世代は上の世代から見れば、常に「新人類」だったのだ。それは明治も昭和も平成も変わらない。だから、僕のような中年からすれば、今の10代や20代は「新人類」なのである。

しかし、事はそう簡単ではない。今、若者を「新人類」などと呼ぶことはない、という点から見ても、かつての「新人類」というのは、特別だったのだと言える。この言葉は、特定の世代を指して使う言葉なのだ。その特定の世代とは、どのあたりか、というと、1980年代半ばから後半にかけて20代だった人たち、つまり1960年代(それも前半)に生まれた世代と言っていいと思う。という事は、僕も「新人類」なのである。これこれ、笑うんじゃない(爆)

この1960年代前半生まれ、つまり昭和30年代後半生まれ、というのは、共通言語のない世代と言われてから久しい。団塊の世代でもなく、全共闘世代でもなく、ビートルズ世代でもない。東京オリンピックは覚えてない。力道山なんて知らない。長嶋茂雄は晩年しか見た事ない。特定の世代に共通するアイテムというものを持たない、最初の世代なのだ、という話を僕は大学生の頃に聞いた。なんというか、自分らより上の世代は、「オレたちには東京オリンピックがあった」「学生運動に明け暮れた」みたいな、別にどうでもいいようなことを自慢してるような気がして、「下らん」と思ったのを覚えている(笑)

ま、よく考えてみると、昭和30年代以降というのは、高度成長の波に乗り、日本中が豊かになり、選択肢が増え価値観が多様化し始めた時代なのだろう。国民が一丸になって、何かに熱中する、なんて時代ではなくなりつつあった訳だ。街頭テレビで皆で力道山を応援するとか、銭湯にも行かずにドラマを見るとか、そういう時代ではなくなったのだ。そんな時代に育った世代は、集団より個を重んじ、自分の時間を大切にする傾向がある、なんて当時言われたような記憶がある。

でも、当時の僕は、ちょっと違うように感じていた。多少レベルは違うかもしれないけど、同世代でも、やはり共通の言語、例えばウルトラマンとか大阪万博とかミュンヘンオリンピックとかフィンガー5とか仮面ライダーカードとか、同じように熱中したものというのは必ずあった。価値観の多様化云々とはいうものの、我々の世代だって、皆同じなのだ。上の世代とは、熱中したものが違うだけ。なのに、我々は「新人類」と呼ばれた。何故?

よく言われたのは「付き合いがよくない」、ま、つまり、就職して、上司や先輩に飲みに誘われてもついて来ない、社内のレクリエーション等にも参加しない、会社にいる時には真面目に仕事するけど、残業はしたがらない、飲みにも行かないわ残業もしないわで、アフター5はそんな忙しいのかというと、そうでもなく、まっすぐ家に帰って一人でテレビ見てたりする、と、そういう所が理解出来ない、ということ。当時の僕は、そんなライフスタイルではなかったから、ごく一部の人間を見て、全員がそうであると思い込んでるのではないか、と思ったけど、要するに、僕らより上の世代の常識が、通用しなくなり始めていたって事なんだろう。

僕自身の場合、食っていく為に就職したので(笑)、仕事ならともかく、休日まで会社の人間と一緒に過ごすなんてとんでもない、という意識はあった。休みの日は好きな事をしたかったのだ。けど新米だし、仕事も覚えにゃいかんし、最初の頃は気持ちだけは、仕事優先だった。けど、残業なんて滅多になかったし、上司や先輩に飲みに誘われるなんて事もあまりなかった。我が社は車通勤が多いので、飲んで帰る人は少なかったのだ(笑) ま、でも、食っていく為に働く、なんて言う新人は、やっぱり理解不能だったかも(笑) 今でも、「会社の為に」という意識はない(爆) でも、仕事してない訳じゃありません(眉唾)。

前述の、西武の渡辺や工藤は、プロ野球選手ではあるが、野球に対するスタンスが、それ以前の選手とは違っていたような気もする。かつての選手に見られた、求道的な雰囲気が全くないのだ。どこか、軽く野球をやってるような。でも、彼らは毎年立派な成績を残していたし、怠けていては成績なんて残せないから、真面目に野球に取り組んでいたのは確かだと思う。工藤なんて、若い頃から栄養学やトレーニング理論の本を読んで勉強していたというし。ただ、そういう、いかにも真面目にやってます、真剣に野球に取り組んでいます、というのを周囲に見せようとしなかった。一所懸命やるのは当然だけど、一所懸命やってる、というのを他人に見られたくない、そんな感じかな。

そういうのって、なんとなく分る気がする。努力はする、練習もする、だけどそれをアピールするのはカッコ悪い、という感覚。努力してる所を周囲に見せても、結果がついて来ないと、逆にみっともない、ならば遊んでるように見せて、しっかり結果は出し、「たまたまですよ」とか「まぐれですよ」なんて言ってみる、そういう方がずっとカッコいい。

それと、他人に強要されると、やる気が失せる、というのもあるように思う。やらなければならない事は、自分で分かってるんだから、口を出さないでくれ、という感覚。これも、よく分かる。

そう、渡辺や工藤、西崎といった選手たちの佇まいは、決して『巨人の星』ではなかったのだ。ま、僕も『巨人の星』嫌いだったけど(爆)

と、そんな、やる気あるのかないのか、みたいな「新人類」たちは、今や中年となり、理解出来ないながらも、若者を使わねばならない立場だ。いや、意外と、「近頃の若いもんは分からん」なんて言わないのが、「新人類」なのかもしれない。若い者には若い者なりの価値観があり、それは上の世代には受け入れられないもので、実はそれは当たり前と達観してるのかもしれない。就任一年目にして、若手ばかりのチームを率いて優勝してしまった渡辺監督を見てると、そんな気がするのである。

これからは、旧「新人類」に注目だ!(爆)

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時が来たりて

2008年09月28日 18時03分20秒 | 映画

今回は、海の向こうの芸能ニュースをネタにしてみました^^

ポール・ニューマン死去
説明不要の名優、ポール・ニューマンが亡くなったそうな。享年83歳。癌だったらしい。4月のチャールトン・ヘストンに続き、古き良きアメリカ映画を象徴するスターが、また一人いなくなった。慎んでご冥福をお祈り致します。

と言いつつ、ポール・ニューマンの映画で印象に残ってるのは? と聞かれると、答えに窮したりする^^; ポール・ニューマンといえば、なんといっても『明日に向って撃て!』であり『スティング』なんであるが、実はこの2作とも、あまり好きではない^^; どちらも、僕が見た時には既に高い評価と人気を得ていた映画であるが、個人的には前評判ほどではなかった、というのが正直な感想。両方とも、ジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの共演、という共通項があり、その点でも大いに期待して見た訳だったのだが...

『明日に向って撃て!』は、説明の必要はないと思うが、1960年代から注目された“アメリカン・ニュー・シネマ”を代表する作品だ。が、これも含め、僕はどうも“アメリカン・ニュー・シネマ”と相性が悪いらしく、ここに分類される映画を、面白いと思った事がない。『俺たちに明日はない』しかり『イージー・ライダー』しかり。中学生にして、既にガチガチの保守派だったようだ(笑) ま、なんというか、それまでのハリウッド映画とは違う方法論で作られた映画、という事なんだろうけど、ストーリーがあるのかないのか、って感じで、僕にとっては分りづらかった。ヌーベル・バーグの諸作品についても、同様の印象を持っている。

『明日に向って撃て!』で印象に残っているのは、逃亡するポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが追い詰められ、何百メートルもの渓谷から川に飛び込まなければ逃げ切れない、という所で、レッドフォードが何故か躊躇している。で、ニューマンが問い質すと、レッド・フォードは一言、「オレは泳げないんだ!」 それを聞いたニューマンは大爆笑し、次の瞬間レッドフォードを抱きかかえて川へ身を投げる、というシーンである。いや、別に有名なシーンではないと思うけど(笑)

だけど、この映画の音楽は良かった。アカデミー賞を獲得した主題歌「雨にぬれても」は名曲だ。シングル盤持ってました(笑) 音楽担当はバート・バカラック。全編、西部劇らしからぬソフィスティケイトされた音楽に溢れていた。

『スティング』の方は、確かに面白いけど、なんというか、上手く行き過ぎ、みたいな感じで、のめり込めなかった記憶がある。ご承知のように、詐欺師の話だけど、その仕掛けがあまりにも大がかりで、却ってしらけたような^^; 一緒にしちゃいかんが、『ロンドン・ハーツ』での騙しっぷりと、一脈通じるものがあるような気がする(爆) ただ、この映画も音楽は良かったな。ジョージ・ロイ・ヒル監督って、こういう面ではいいセンスしてる、と思う。

ただ、映画自体はともかく、ポール・ニューマン自身は、凄く良かったと思う。他の映画を見ても、あの人なつこい笑顔がいいけど、反面その笑顔の裏に隠された異常性、みたいなのも表現できる人だったし、不良中年みたいな役を演じるのも見事だった。完全なワルではなく、あくまで不良ね(笑) 監督としても、才能ある人だったと思う。『我が緑の大地』なんて、マジ感動しましたです。

チャールトン・ヘストンのときにも感じたけど、やはり時代は変わっている。寂しいけど。

レッド・ツェッペリン再結成ツアー決定か?
去年の暮れ、一夜限りの再結成ライブを行なったレッド・ツェッペリンが、ついにツアーに出る事になったらしい。その再結成ライブが好評だった為、ツアーが検討されていたが、ロバート・プラントが乗り気でなかったので、代役のボーカリストを立ててツアーをする、というのも視野にあったらしい。で、そのロバート・プラントが承諾したので、再結成ツアーに出る事がほぼ決まり、現在計画中らしい。プラント曰く、「蚊帳の外に置かれたくなかった」 はい、その気持ち、非常によく分かります(笑)

ま、ツアーが企画されれば、日本公演も検討されるだろう。でも、見に行かないような気がする。チケット高くなりそうだし(爆) と、それはともかく、僕はレコードでしかツェッペリンを聴いた事がなく、そのレコードのサウンドを今ステージで再現出来るとは思えないので、それなら見ても仕方ないかな、なんて気になってしまうのだ。ずっと活動を続けていて、その間に彼らのライブも変わった、というのであれば別だが、20年ものブランクがあっての再結成ツアーである。いきなり、昔の曲をやろうったって、ちと無理でしょう。もちろん、全盛期とは違う音になるだろうけど、くどいようだが、活動を続けていて、そういった変化もファンはずっと見ている、というのであれば問題ないけど、いきなりではレコードとの落差がデカいだけ、という気がする。で、結局失望してしまうのではないか、なんて気がするのだ。

と、それより、この件に関しては気になる事がある。

再結成ツェッペリンのドラマーは、ご存知ジョン・ボーナムの息子ジェイソン・ボーナムである。再結成ツェッペリンでツアーに出るってことは....

 

 

 

 

フォリナーはどうなる?(爆)

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Trouble Man

2008年09月27日 23時37分25秒 | 与太話

世間には、ファミレスの店員やタクシーの運転手と、よく揉め事を起こす人がいる。ま、僕の上司もそういう人だ。この場合、本人の性格にも問題があるのだが...(笑)

本人の責任とは言い切れないケースもある。その上司を例にとると、天ぷらうどんを頼んだら、天ぷらに火が通ってなかったとか、ピラフを注文したら、冷たいのが出てきたとか、そういうのが実に多い。僕も、その天ぷらうどんの時、一緒にいて同じ物を頼んでいたのだが、そっちは何ともなかった。このケースは、確かに本人が悪いのではないのだが、やはりトラブルを引き寄せやすい性格の人であるので、こういう事も起こり得るのだ、としか言いようがない(笑)

ちなみにこの人、どういう点がトラブルを引き起こしやすいのかというと、目下や年下或いは自分より立場の弱い人に対して、態度が尊大なのである。また、他人のする事にケチをつけたくて仕方ない、という性質もある。ま、店員からすると、“イヤな客”である(笑) 本人はそんな気なくても、自然と店員に対しても尊大に振る舞っているのだろう。だから、衝突も多くなる、という訳だ。

また、取引先の人から聞いた話だけど、その人の会社は非常に辺鄙な場所にあり、電車はもちろん、路線バスさえ走ってないので、従業員は全員車もしくはバイク通勤だそうな。となると、会社としては、交通事故を気にするし、実際従業員による事故も、ちょくちょく発生するらしい。で、その人、事故の処理をしていて、とある事に気づいた。よくよく見ると、事故を起こす人って、だいたい同じ人なんだそうな。で、その事故の多い人にあれこれ聞いてみると、行動にあるパターンがある。コンビニやガソリンスタンドに入るのでも、常に右折して入るとか、信号や渋滞を嫌い、狭い裏道を好むとか、要するに、事故に繋がりやすい行動をとる人だったのだ。

と、何が言いたいのかというと、災いというものは、運不運の問題だけでなく、自分が招き寄せている場合が多い、ということ。何か起きるたびに、「近頃の店員はなってない」とか「いきなり飛び出してくる方が悪いんだ」とか、相手を責める前に、自分の言動・行動を冷静且つ客観的に振り返ってみる必要がある。自分自身を制御し、周囲との無駄な軋轢を避けるよう努力すれば、自然と災いは遠ざかっていくものだ。天災は避けられないけど、人災は避ける事が出来る。常に自らを鏡に映し、自分を律する目と精神を養いましょう。そうすれば、争いに巻き込まれる事なく、平穏な日々を送る事が出来ます。さあ、そこの貴方、明日から始めてみませんか?

あ、いや、別に、怪しい宗教の人ではありません(爆)

というか、↑のような事が出来る人なら、端からトラブルに遭遇する事なんて、ないんだけどね(笑)

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こどものばんど

2008年09月26日 22時37分52秒 | テレビ番組

先日、サブタイトルが「仰天超絶インパクト人間&世界天才キッズSP!!」という、とあるテレビ番組を見た。ま、だいたい内容は想像できますね(笑)

なんとなく見始めて、結局最後まで見てしまったのは、「世界の天才キッズ」と称して、子供のミュージシャンたちが出てきたからだ。11歳の時アメリカの素人オーディション番組で優勝し、“奇跡の声”を持つと言われる現在14歳の少女、2歳でギターを弾き始め、ギブソンと史上最年少で契約した8歳の少年、プロミュージシャンの息子で、弱冠9歳ながら父親のバンドでプロとして演奏するベーシストの少年、そして日本からは11歳の天才ドラマー、となかなか興味をそそられる子供たちが登場し、一人一人腕前を披露した後、番組の最後で一緒に演奏する、というので、つい見続けてしまったという訳(笑) おかげで、ゴールデンタイムの2時間、ずっとテレビの前に座ることになってしまった。2時間である。返してくれ(爆)

この子供たち、VTRで紹介する時から、すごいすごいと連呼してたもんで、一体どんなに凄いのか、と思って見てた訳だが、年齢や経験年数を考えると、確かに凄いお子達だ。皆上手い。けど、子供にしては上手い、というレベルで、子供だからという色眼鏡で見なければ、それほど凄い訳でもない。キブソンと契約してる少年のプレイを聴いて、これくらいならオレでも弾ける、と胸をなでおろした中年ギタリストも大勢いたはずだ(笑) もちろん、子供なのにこれだけ弾ける、という事は、逆に考えれば大人になったら、もっと上手くなるという事で、これこそ発展途上。8歳のギタリストに関しては、ギブソンはその将来性を買って契約したのだろう。発育途上なのに、大人と同じサイズの楽器を弾いている、というマイナス点も考慮すると、やはり凄い子達だ、と思わざるを得ない。

ま、そのスーパーキッズたちによる、即席バンドだが、これは演出があざとかったように思う。単に、スタジオで「では、よろしくお願いします」で演奏させればいいのに、彼らが初めて顔を合わせてから本番に至るまでを、VTRで見せたりする。スタジオで1曲(2曲)演奏させる為に、6日前に集合させ、リハーサルをさせていたらしいが、子供とはいえプロなんである。6日もリハの時間を取るなんて、失礼というものだろう。本番前日、或いは当日本番前に2時間、で十分ではなかったか。彼らの凄さを強調するのなら、その方が効果的だ。要するに、涙と感動のキッズバンド、という安直なドラマを作ろうとしてるだけなんである。相手が子供だと思って舐めてるよね(笑)

なぜか、このスーパーキッズバンドのプロデューサーとして、つんくが登場したのも解せない。つーか、一体彼は何の為に呼ばれたのだ? 一応、選曲とアレンジをしたらしいが、VTRを見てる限り、彼はリハにはほとんど顔を出していない。前日にようやく顔を見せた程度。つんくがいない間は、代理が指導してたようで、子供らからすれば、代理の方がよっぽど先生ではないか。直前に来て、偉そうな顔されても困るよなぁ。

しかも、前日になって、予定してたキーボードの少年が来日出来なくなったので、急遽大阪の天才少年ピアニストを呼ぶ、という設定もわざとらしい。どうして、近頃のテレビ局の連中は、全く関係ないサイドストーリーを本編に付加したがるのか。そういうエピソードがあれば、感動も大きいとでも思ってるのかね。

と、あれこれあって(笑)、本番で、子供たちはレイ・チャールズの(つーか、サザンの)「いとしのエリー」とジャクソン5の「I Want You Back」を演奏し、スタジオの大人たちからやんやの喝采を浴びた。確かに、落ち着いた演奏ぶりだったけど、6日もリハしてますから(笑) 相手が子供だから、というだけで必要以上に持ち上げようとするのが、却ってイヤな感じだった。ほんと、子供たち、食い物にされてます(笑)

ま、本番終えた後の、8歳ギタリストの一言、「子供だけでバンドやるのが夢だったので、とても嬉しい」というのが、とにかく印象的だったな。天才ともてはやされ、大人たちとばかり演奏している彼らも、やはり同年代と一緒にやりたいのだろう。意外と、大人に混じって演奏するのは、窮屈に感じているのかもしれない。さりげない一言だけど、実に深い一言でもあった(笑)

と、結局は大人のいい慰み物になってしまった、スーパーキッズバンドな訳だが、やはり子供とバンドをネタにした、もっとひどい番組を見てしまったことがある。

その番組は、スーパーキッズではない、フツーの子供たちが出演する番組だった。なんというか、自分が存在する意義は何なのか、とか、どうしようもなくイヤな自分を変えてしまいたい、とかで悩んでいる子供を連れてきて、様々なことに挑戦させて、生きる価値を見出してやろう、という誠におせっかいな番組である。つーか、10歳かそこいらの子供が、こういう心境に陥っていることだけでも、現代の学校教育が間違っている事の証明であると、僕は思うのだが、どうなんでしょう?(笑)

その番組では、5人の女の子が集められ、進行役のタレントに「何をやりたいか、ここで決めなさい」と迫る。で、5人のうち一人が「バンドやってみたい」と言い出すと、タレント(ちなみに千秋である。コイツ嫌いだ)が、「ではバンドでいいですね」と強引に決めてしまう。かくして、ハーモニカやリコーダーくらいしか触ったことのない女の子たちが、勝手にパートを決められ、生まれて初めてギターやらドラムやらを手にする。それから、10日程練習させて、人前で演奏させる、というのであるから、もう無茶苦茶だ。僕の目には、拷問としか見えなかった(爆)

サンプラザ中野がスーパーバイザーとして登場し、楽器の弾き方を教え、彼が作った曲を課題曲として練習させる。各楽器には中野以外にも先生が付き、マンツーマンで指導する。さすが、若いだけあって、少女たちは徐々に楽器を覚え、簡単な事なら出来るようになっていく。この辺の進歩の速さは、確かに凄い。ヤラセでなければ、だが(笑)

しかし、ある程度まで来ると、急に中野は無理難題を言い始める。初めて楽器に触れ、少しづつ演奏する楽しみを感じ始めた少女たちに、挫折を味あわせようとしてるのだ(と、僕には映った)。そして、彼女らが投げ出してしまうように仕向けていく。でもってお約束、「やる気がないヤツは出て行け」の一言。本当に、スタジオを飛び出してしまう少女もいた。

さらに、そんな少女に千秋が追い討ちをかける。「ここで諦めるなんていくじなし」「自分でバンドやりたいと言っといて、投げ出そうってつもりなの」「自分を変えたいと言ってたのは嘘だったの」「カッコばかりつけて、結局自分では何も出来ないなんてサイテー」 これだけ言われて打ちのめされない子供がいたら、お目にかかりたい。ここで、僕は耐え切れなくなり、テレビを消してしまった。

ま、サンプラザ中野も千秋も、演出の一部として、ああいう発言をしている訳で、本気で言ってるのではないと思いたいが、それにしても、あまりにあざとい。自分が何をやりたいのか分かってない少女に、勝手に楽器を押し付け、挫折してまた戻ってきて、血の滲むような特訓に耐え、そして本番を迎えて、涙の大団円、という感動ドラマ(ヘドが出る)を演出したいがために、いたいけな少女たちをいたぶっている訳だ。こんなものを見て感動している人間とは、付き合いたくない。

最後まで見ていなかったので、何とも言えないが、おそらくスタジオを飛び出した少女も、心を入れ換えてスタジオに戻り、皆と練習して、本番ではちゃんと演奏したのだろう。で、上手く出来た事に喜び、皆と抱き合って涙を流す、そして「つらくてもやり抜くこと、仲間と一丸になって目標に向かって頑張ること、彼女たちはバンドを通して、かけがえのない大事なものを学びました。きっと、彼女たちは、これからの人生で出会うどんな障害にも、諦めず立ち向かっていくことでしょう」なんてアナウンスが流れ、大人たちは目頭を押さえる、という結末になったに違いない。なんとおぞましい。あー、見ないでよかった(爆)

僕は断言するが、ここで生まれて初めてバンドを経験した少女たちのうち、誰一人として、今は楽器すら触ってないと思う。初めてなのに、あんな経験をすれば、収録終わったらバンドなんてこりごり、と感じるに違いないからだ。画面を見ていても、彼女らが楽しそうにしてたのは、最初だけで、あとは苦痛にしか見えなかった。確かに、練習しなければ楽器なんて弾けるようにならないけど、単に収録が終わるまでというノルマを果たす為に練習していても、楽しくないし上達もしない。上手くなりたい、という気持ちがなければダメなのだ。そして、上手くなると、もっと楽しいという事が分からなければ。テレビの収録とはいえ、せっかく楽器に触れた彼女たちが、その楽しみを放棄してしまうような方向に持っていった大人たちの罪はデカい。しかも、ちょこっとだけ達成感らしきものを味あわせただけで。

この少女たち、今どうしてるんだろう? 追跡調査してみたいな(笑)

と、つまらぬ感動を大人が味わいたいが為に、あれこれいじられる子供たちって、本当に不憫だと思う。大人のためにではなく、子供たち自身の楽しみのために、色々な事を教えてあげるのが、大人の役割のはずなんだが。

結局、今の大人って、子供を可愛がるのも自分が楽しいから、だけなのかもしれない。子供にとっては、不幸な時代である(笑)

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