日々の覚書

MFCオーナーのブログ

建国記念日

2017年02月11日 12時58分28秒 | 時事・社会ネタ
今日は建国記念日である。人それぞれ色々意見はあるだろうが、海外のニュースなどを聞いてると、つくづく日本に生まれた幸せを感じる。やはり、日本は良い国だと思う。でも、その行く末を思うと、不安を感じる事もある。

今、世界中で問題になっているのが、難民、特にシリアからの難民の受け入れだ。日本は、シリア難民の入国については、かなり厳しい姿勢で臨んでいて、審査を通過して受け入れた難民は、これまでに6人しかいないらしい。が、さすがに国連あたりからの圧力に耐えきれなくなったのか、300人規模で、シリアの「留学生」を受け入れる事にしたそうな。留学生なのに、妻子等の家族を帯同出来て、そのまま日本で就職して永住への道も開けているとか。ま、要するに、「留学生」とは言ってるけど、実質的に難民の受け入れである。

個人的には、難民どころか、移民受け入れも反対である。そりゃ、確かに、自国に住めなくなって、海外へ移住せざるを得ない人たちは、本当に気の毒だと思う。中には、自業自得と言えなくもない国もあるが、気の毒だからと言って、では日本へ来て下さい、というのはちょっとおかしい。高齢化と人口減が深刻な問題になっている日本にとって、移民を受け入れれば、その両方の問題を解決出来る、なんてとんでもない事を言ってるのもいるが、そんな目先の損得だけで、日本人のアイデンティティ崩壊にも繋がりかねない大問題を論じないで欲しい。断言する。移民、それもイスラム系移民(=難民)を受け入れたら、日本は崩壊する。

海外、特にヨーロッパの例を見ればお分かりだろう。イスラム系の難民を大量に受け入れたドイツ、フランス、スウェーデンといった国で、何が起きているか。難民たちによる凶悪犯罪が増加、難民と先住民とのトラブルも絶えず、国民たちの不満は難民受け入れを推進した政府に向かっている。元々、自分とこ以外の宗教は認めず、自分たちがいつも正しくて、全ての民族の中で自分たちが一番優れていると思っているイスラム教徒には、「郷に入れば郷に従え」なんて言葉は存在しないから、どこへ行っても、自分たちのやり方を貫き通し、紛争の種を蒔く。イスラムって、そういう宗教だ。歴史が証明している。そんな連中が、何万人も日本に入ってきたらどうなる?

しかも、今最も問題になっているのはシリア難民だが、中東の中においてでさえ、他国からバカにされていると言われるくらい、シリアは民度の低い国である。そういう連中が日本にやって来たらどうなるか、火を見るより明らかだ。

日本に住みたいのなら、日本のルールを守って欲しい。日本という国に敬意を払い、ちゃんと働いて、税金を払って、周りの人たちに迷惑をかけないで生活する人なら、受け入れてもいいと思う。文化も風習も違う外国にいて、しかも受け入れて貰っているのに、難民全員にスマホを支給しろとか、給食に豚肉を入れるなとか、勤務時間中でも時間になったらお祈りさせろとか、とにかく勝手な事ばかり言う奴らは入国させるべきでない。難民申請して審議中でも、日本に滞在する事は出来るらしいが、そんなのも入国させたらダメだ。定住の既成事実を作って、そのまま居ついてしまうぞ。許可が下りない難民は、送り返すべき。トランプのやってる事は正しいのだ。

他国に比べると、宗教や人種に寛容な日本は、つい言う事を聞いてやってしまうだろうから、イスラムは住みやすいだろう。「多文化共生」という言葉があって、つまり、文化・風習等が異なる民族でも、お互いを理解し合って、平和に暮らしましょう、という考え方なのであるが、そんなのイスラムにとって都合が良いだけの考え方だ。奴らは「多文化共生」を盾に、自分たちの好きなようにする。受け入れ側は「多文化共生」に縛られて、ただ黙認するだけ。イスラムに悪いからと、ニューヨークで“メリークリスマス”と言っちゃいけない、なんておかしくないか? これでは「多文化強制」だ、と言った人がいたが、正にその通り。海外では、リベラリストたちが唱える「多文化共生」によって、イスラムたちに浸食されている。

日本は良い国だと思う。僕は、日本に生まれて良かったと思ってるし、誇りにも思っている。それだけに、閉鎖的と言われようと何だろうと、この国を移民たちに荒らされたくない。人口が減って、このままだと日本が維持出来なくなる、というのであれば、それも仕方ないこと、と思う。日本人がいなくなったら、日本は終わり、それでいいのではないか。移民を受け入れて、名ばかりの日本を維持していくより、ずっとその方が潔いと思うけど。

てな事を改めて感じた建国記念日なのであった。
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トランプ・ショック

2016年11月12日 19時50分38秒 | 時事・社会ネタ
11月6日
クイーンのトリビュート・バンドFLASHのワンマンライブを見に四谷へ。去年に続き2年連続のワンマンライブである。ちなみに、去年のライブの模様はこちらで。

今年の会場はLOTUS

 

去年も書いたけど、FLASHはクイーンのトリビュートバンドであるので、本家のコンサートをMC等も含めて再現するのである。去年のテーマは1979年のハマースミスオデオンという事だったが、今年のテーマは1974年3月のレインボー・シアターという事で、なんというか、マニアックな(笑) このコンサートは、『Live At The Rainbow '74』として発売されているので、ファンにはお馴染みだ。『クイーンⅡ』発表に伴うツアーに於ける公演であり、つまりクイーンがまだアルバムを2枚しか出していない時期のライブであり、当然演奏されたのは1stと2ndの曲ばかりで、今となっては非常にレアなのである(は?) そんなレアな時期のレアなクイーンのライブを、今回FLASHは再現したという訳だ。

 

 

なんでも、演奏・MCだけでなく、衣装も再現したのだそうな。大変な事である。それだけ、気合いを入れたライブという事もあり、FLASH実に素晴らしかった。去年より良かったかも(笑) メンバー及びスタッフの皆さん、本当にお疲れさまでした。初期クイーンっていいな、と改めて思った次第です。

ライブ終了後、近所の店で行われた打ち上げにも参加した。久々に会う人もいて楽しく過ごせたし、初めて会う人からは、クイーン・セッションをやってる店の情報も聞けたりなんかして、有意義だった。セッションの方には、なるべく間を空けないで顔を出したいものだ。忘れられないうちにね(笑)

打ち上げ終了後、妻の友人が東京に来ていたので、四谷で合流して、BLUE HEATという店のブルース・セッションに行った。僕は見てただけ、だけど^^;

 

パッと見フツーの冴えない(失礼!)おじさんたちが、ステージに上がるとシブいミュージシャンに変身する。実にカッコいい。彼らの家族や部下たちは、そんな姿を見た事あるのだろうか?(笑) もったいない。

充実した日曜日だった。

11月9日
全世界の注目のもと、第45代アメリカ大統領を決める選挙が行われ、大方の予想を覆して、共和党のドナルド・トランプが、次期大統領に就任するのがほぼ確実となった。ヒラリー・クリントンは、僕の記憶に間違いなければ、大統領選挙に挑戦するのは3度目のはずだが、今回も初の女性大統領誕生の悲願を叶える事は出来なかった。悲運な人だ。同情はしないけど(笑)

トランプ勝利は衝撃的だったようで、普段、政治の話なんかした事のない、うちの課員が勤務中にネットでニュース速報を見て、「え~、トランプなの~、マジかよ~」なんてぼやいていたくらいで、日本の一般人の間でも関心が高かった事が窺える。ちなみに、我が社で大統領選挙の結果が話題になったのは、正直な所今回が初めてである(笑)

「メキシコとの国境に壁を作る」とか「イスラム教徒は入国させるな」とか、過激というか無茶苦茶というか、歯に衣着せぬ発言で注目を集めたトランプだが、彼が大統領になってしまうと、既にあちこちで言われているように、気になるのは人種問題云々より日米安保がどうなるのか、である。トランプは、米軍の日本駐在にかかる経費を日本に負担させろ、なんて言ってるようだが(実際には、経費の7割近くを、日本が負担してるのは、皆さんご存知の通り)、金だけでなく、実際に戦うのはアメリカ兵であり、日本が加担しないのは不公平だ、なんて事になると、今までの大統領とは違う考えのトランプであるから、日米安保条約を破棄したり、解釈を変更したりする可能性が全くないとは言えない。日米安保がなくなると、日本からアメリカ軍がいなくなるから歓迎、なんて喜ぶ人も中にはいるだろうが、多くの人が分かっているように、事はそんなに単純ではない。沖縄から米軍がいなくなったら、早速中国軍が乗り込んでくるだろう。これは大変だ、なんてレベルではない。下手すると、日本国の存亡に関わってくる問題だ。憲法9条だけでは国は守れない。今の日本は、日米安保を死守しなければならないのだ。TPPなんて、どうでもよろしい。

という訳で、トランプが大統領になると、日本も色々大変なのだ。前述の、うちの課員がそれを分かってて、トランプかよ~、とぼやいていたのかどうかは分からない(笑) これから厳しい状況にならなければいいが。かといって、だからヒラリーの方が良かったのに、という言う気もないけどね。

11月11日
「私は泣いています」のヒットで知られる、歌手のりりィが亡くなった。享年64歳。慎んでご冥福をお祈り致します。

前述の「私は泣いています」がヒットしたのは1974年という事なので、当時りりィは22歳。テレビで何回か見た事あるが、もっと年上と思っていた。当時の22歳と今の22歳は違うし、僕がガキだったせいもあるが、なんか、もっと色々な経験をした大人の女性に見えたのだ。ほんと、あの頃の20歳って、今よりずっと大人だった。

10年くらい前に、りりィのインタビュー記事を見た事がある。「最近の若い子は、酒もタバコもやらないから面白くない」なんて言ってた。そういう事を言える、“大人の”女性は少なくなったように思う。もっと、あれこれ言って欲しかった気もする。

色々な事があった一週間だった。
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耳こそはすべて

2016年03月12日 14時43分02秒 | 時事・社会ネタ
なんということか、またしても大物ミュージシャンの訃報である。それも2連発。ジョージ・マーティン(享年90才)にキース・エマーソン(享年71才)。慎んでご冥福をお祈り致します。

ジョージ・マーティンは皆さんご存知の通り、ビートルズのプロデューサーとして知られている。ビートルズを手がけるずっと前からEMIでディレクターとして働いており、ピーター・セラーズ等のコメディ・レコードも多く手がけたらしい。この時に培ったテープ編集やSE編集の技術、そしてクラシックを含む幅広い音楽的素養が、後にビートルズの作品をプロデュースする際に、多いに役立ったのでは、といわれている。確かに、ジョージ・マーティンがいなかったら、ビートルズはあり得なかったかもしれない。「ペニー・レイン」や「プリーズ・プリーズ・ミー」等での逸話が証明しているように、数多くのビートルズ作品に於いて、ジョージ・マーティンの貢献度は恐ろしく高い。ほとんど素人みたいなビートル達のアイデアを具現化し、見事なアレンジを施し、完成度の高い楽曲に仕上げた功績からしても、“5人目のビートルズ”の称号は文句なし、ってとこではあるが、ピート・ベストやスチュアート・サトクリフ或いはピリー・プレストンまでも“5人目のビートルズ”と呼ばれたりしてる訳で、レコーディングで一緒に演奏したりもしてるとはいえ、ジョージ・マーティンはビートルズのメンバーというより、もっと高いポジションの人であったように思う。育ての親というか教師というか。

プロデューサーと言っても出自は様々で、エンジニア出身もいれば元ミュージシャンもいる。宣伝マンみたいなプロデューサーもいる。元々は音楽家であったジョージ・マーティンは、良い楽曲を見定め、アレンジ等で完成度を高めていくタイプのプロデューサーだったと思う。特に楽曲にはこだわったみたいで、ビートルズが解散してから約10年、久々にポール・マッカートニーと組んだ時、ポールが10曲ほどのデモテープを渡して、後日どうだったと訊いたところ、そのまま使えるのは3曲くらいしかない、と言い放ったそうな。ま、当時のポール・マッカートニーにここまで言えたのは、ジョージ・マーティンくらいだろう。なんたって、育ての親である。

ジョージ・マーティンは、ビートルズ以外だと、ジェフ・ベックやアメリカのプロデュースを手がけている。ジェフ・ベックは考えてみると意外。アメリカは、なんとなく頷ける。デビュー曲のヒットの後、今イチ伸び悩んでいたアメリカだが、ジョージ・マーティンのプロデュースにより殻を破った感がある。あと、さらに意外な所では、リトル・リバー・バンドも手がけた事がある。これは、マーティン自身が所有するスタジオを使って貰う為の取引だった、と言う説もあるが(笑)

さて、もう一人のキース・エマーソンだが、こちらは自殺という説もあり、かなりショッキングなニュースだ。正直言うと、決してELPのファンだった訳ではないが、間違いなくロック界のスターでありカリスマでありヒーローであった。正に一時代を築いたミュージシャンであり、そういう人たちの訃報は悲しいなんて一言では済まされない。時代は変わっていくのである。

考えてみれば、僕がロックをはじめとする洋楽を本格的に聴き始めたのは、中学生の頃なので、かれこれ40年前の事になる。もちろん、当時僕は10代だった訳だが、その頃活躍していたミュージシャンたちは20~30代、現在は60~70代になる訳で、そりゃ亡くなる人も出てくるよな。こっちだって50代なんだし(笑)、みんな年取ってるのだ。病気にだってなるだろう。ミュージシャンだって人間なんだから当然のこと。これからショックな訃報はどんどん増えるだろう。大物の訃報が相次ぐ昨今、ボブ・ディランとかポール・マッカートニーとかチャーリー・ワッツとか、それなりに覚悟しといた方がいいよ(不謹慎)

閑話休題。前述したように、僕はELPはそれほど好きではなく、LPもファースト・アルバムを持ってる程度。ちゃんと聴いたのも、有名な『展覧会の絵』や『レディース&ジェントルメン』くらい(どっちもライブ盤だ)のもんだけど、2~3年前から、ちょっとELP聴きたいな、と思ってベスト盤を探したりしていた。ベスト盤と言っても、正直言うと、「タルカス」とか「悪の教典」とかの長い曲はいらなくて(笑)、もっと短めの曲、つまり「ナイフ・エッジ」「聖地エルサレム」「庶民のファンファーレ」といった曲が1枚のCDに収まってればいい訳なのだが、そんな都合の良い編集盤はなかなか見当たらず(笑)、まだ買ってない。

キース・エマーソンは、キーボードのスタープレイヤーの元祖と言える人だが、実は結成当初のELPはエマーソンをはじめとするメンバー3人が皆イケメンで、アイドル的な人気もあったのでは、と思われる。彼がスター・プレイヤーになったのは、その華麗且つワイルドなプレイだけではなく、ルックスの良さも要因のひとつではなかろうか。人前に立つ以上、実力だけでなく、ルックスだって良い方がいい。そういう点でも、一時代を築いた人だった。もう、こういう人は出てこないだろう。

知り合いのはじめちゃんがメンバーのThe Sons Of EveというELPのコピバンがあって、ここのキーボードの人が、とにかく凄い。一度見て欲しいものだが、彼もキース・エマーソンを崇拝してただけに、今回の訃報はショックだったろうな。正に茫然自失の態ってとこだろう。お察しします。

なんと言っていいのか、とにかく、なんか、寂しいな...
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グレン・フライを悼む

2016年01月23日 23時54分24秒 | 時事・社会ネタ
今年は何かヘンだぞ。年明け早々にナタリー・コールが亡くなったと思ったら、いきなりデビッド・ボウイの訃報である。これだけでも十分ショッキングなのに、今度はグレン・フライである。もう呪われてるとしか思えん。なせ、こんなに続くのか。グレン・フライ、享年67才。潰瘍性大腸炎、関節リューマチ、肺炎などの合併症で帰らぬ人となった。慎んでご冥福をお祈り致します。

グレイ・フライ、今さら説明するまでもなく、あのアメリカを代表するバンド、イーグルスの(ドン・ヘンリーと共に)創始者であり、(ドン・ヘンリーと共に)メイン・ソングライターであり、(ドン・ヘンリーと並び)メイン・ボーカルである。要するに、イーグルスの中心人物だった訳だが、いちいち但し書きがついてるのでもお分かり頂ける通り、イーグルスはグレン・フライ一人のバンドではなく、ドン・ヘンリーとの双頭バンドであった。この二人で多くのヒット曲を世に送り出し、イーグルスは全米一のロック・バンドになったのである。つまり、この二人でイーグルスなのである。ということは、グレン・フライが鬼籍に入った今、イーグルスは40年以上の長い歴史に幕を降ろすのだろう。いつかはそういう日がやってくる。寂しいけれど、仕方ない。

僕がイーグルスを知ったのは、4作目のアルバム『呪われた夜』が出た頃(1975年)だと思う。タイトルだけだと、なんかおどろおどろしい印象だが、実はイーグルスはウエスト・コーストのバンドで、とてもさわやかで明るいらしい、という事を知ったのは、翌1976年2月の初の来日公演が評判になってからだ。この頃、確かイーグルスと前後してドゥービー・ブラザーズも初来日公演を行っており、時ならぬウェスト・コースト・ブームが巻き起こったような記憶がある。当時のウェスト・コーストを代表する2パンドの来日公演が続いたのであるから、無理もない話ではある。

そう、この頃は、イーグルスはウェスト・コーストを代表するバンドだった。来日公演の直後くらいに『グレイテスト・ヒッツ』が出て、FM等でよくかかっていて、僕のイーグルスに対するイメージもこのベスト盤によって植え付けられたと言える。とにかく、さわやかで軽やかで明るくて...確かに、「呪われた夜」とか「魔女のささやき」とか、やや暗めの曲もあったし、「いつわりの瞳」なんて、歌詞の内容は決して明るくもさわやかでもないのだが、でも、イーグルスはウェスト・コーストのバンドであって、明るくさわやかなのである。実際、イーグルスはそういうバンドだと思ってたし、そういうイーグルスが実は好きだったのも確かだ。あの『ホテル・カリフォルニア』が出るまでは。

ま、とにかく、『ホテル・カリフォルニア』は凄かった。確かに良いアルバムなのだが、『グレイテスト・ヒッツ』までのイーグルスとは違う、陰鬱なムードがアルバム全体を支配していた。タイトル曲が大ヒットし、21世紀を四半世紀過ぎた今でもなお、洋楽のウルトラ・スタンダード・ナンバーとして認知される名曲になってしまった訳で、それくらい話題になり売れたのである。猫も杓子も「ホテル・カリフォルニア」。イーグルスはウエスト・コーストどころか、アメリカン・ロックを背負って立つバンドになった。そして、そこからイーグルスの転落は始まっていたような気がしてならない。

『ホテル・カリフォルニア』が出た当初、僕もテープに録音して貰って、このアルバムを毎日のように聴いてた。それまでのイーグルスとは違うような気はしてたけど、間違いなく良いアルバムではあった。けど、何度も聴いてるうちに、加えて、それ以前のアルバムも後追いで聴くようになって、ある事に気づいた。そして、『ホテル・カリフォルニア』に違和感を感じるようになった。その違和感とは....

『ホテル・カリフォルニア』には、グレイ・フライが歌う曲が一曲しかない。

何度も聴くまで気づかなかったのか、と言われてしまいそうだが、実際そうだったのだ。僕は、自分では気づいていなかったけど、実はドン・ヘンリーよりグン・フライの方が好きだったのだ。そして、明るくさわやかなイーグルス、というイメージは、僕にとってはグレイ・フライが体現していたのである。

それに気づいて以降、イーグルスに対するスタンスは間違いなく変わった。『ホテル・カリフォルニア』の後を受けて、難産の末生まれたアルバム『ロング・ラン』を聴いた時、その思いは一層強くなった。そして、『ホテル・カリフォルニア』の呪縛から解き放たれる事のないままイーグルスが解散すると、僕の興味はグレン・フライの動向にしかなかった。

という訳で、僕にとってはイーグルスはグレイ・フライなのであり、ソロに転じてからはグレン・フライはフェイバリット・ミュージシャンとなった。アルバムは一通り聴いてたし、確か1992年と記憶しているが、ソロでの来日公演にも行った。ソロになってからのアルバムは名盤揃いだ(『ストレンジ・ウェザー』を除く)。ドン・ヘンリーも、そういや何かやってたねぇ、って感じ(笑)

90年代に入って、イーグルスが再結成されると、自然とグレイ・フライに対する関心も薄れていった。ここ20年くらいのグレン・フライは、イーグルスという優良企業の経営者みたいにしか見えなかった。

そんな訳で、突然のグレン・フライの訃報はショックだった。いつかはこういう日が来る。分かってはいるんだけどね...

先日、蕨のHONEYFLASHでのクイーン・セッションで、「ホテル・カリフォルニア」が演奏されたのだが、奇しくも追悼のような感じになってしまった。あの時点では、もちろん訃報は入ってなかったのだが。

という訳で、イーグルスのアルバムを一枚選ぶなら『オン・ザ・ボーダー』か『呪われた夜』、一曲というならこれかな。

https://www.youtube.com/watch?v=QtmAHq0TKHI

ソロになってからも名曲はたくさんあるが、一曲というならこれ。

https://www.youtube.com/watch?v=qmV9vk2950o

グレン・フライよ、安らかに。僕は貴方の事を決して忘れません。

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追悼:ケーシー・ケイサム

2014年06月17日 00時08分40秒 | 時事・社会ネタ

この名前を聞いてピンとくる人が、いったい何人いるのだろう? ケーシー・ケイサムが亡くなった。享年82歳。ここ数年は闘病生活を送っていたらしい。謹んでご冥福をお祈り致します。

ケーシー・ケイサム、アメリカのDJである。クラブやステージでターンテーブルを回す人ではなく、ラジオで喋るDJである。もしかしたら、ラジオで喋りながらターンテーブル回してたかもしれない。アメリカのDJと言えばウルフマン・ジャックだよ、と言う人もいるかもしれないが、僕にとってはDJと言えば、やはりケーシー・ケイサムなのである。何故なら、彼がDJを務めていた『全米TOP40』を、毎週のように聴いていたからだ。

今を去ること約35年前、高校生だった僕の楽しみは、土曜日の夜にラジオ関東の『全米TOP40』を聴く事だった。その為に一週間を生きていた、というのはもちろん大げさだが、僕の高校生活は『全米TOP40』と共にあった、というのは言い過ぎではないかも。あと、吹奏楽部もだけどね(笑) 土曜の夜11時、ノイズだらけのラジオからケーシー・ケイサムの声が聞こえてくると、それだけでわくわくしたものだ。あ、いや、ケーシの声にわくわくしたまではなくて、これから始まる最新のヒットチャートにわくわくしたんだけど(笑)

当時の『全米TOP40』は、アメリカから送られてくる番組の音源に、日本側出演者によるアナウンスや解説等を加えて再構築したもので、決してケーシー・ケイサムが喋りまくる構成だった訳ではない。彼の声が聴けるのは、曲紹介や順紹介くらいで、番組そのものは、湯川れい子やラジオ関東アナウンサーの坂井隆夫、或いは一般公募で選ばれたアシスタントたちによって進行されていた。要するに、日本で作ってるラジオ番組って感じだったのだ。

にもかかわらず、ケーシー・ケイサムと言えば『全米TOP40』の印象は強い。まだ10代だった僕に、最新のアメリカのヒットチャートとアメリカへの憧れを、ケーシーの声が運んできた、という気がする。

ケーシー・ケイサムが他にどんな番組をやってたのか知らないし、その後どんな活動をしていたのかも知らない。80年代中頃には、あれこれあって僕も『全米TOP40』を聴かなくなっていた。番組のその後も知らない。どっかのFM局で放送していたような気もするが。

『全米TOP40』は僕の青春でした、とまでは言わないけど、高校時代を思い出す時、決まって真っ先に頭に浮かぶのは、部屋のベッドでゴロゴロしながら『全米TOP40』を聴いていた自分の姿である。青春ではなくても、それに近い、重要な存在だったに違いない。今回、ケーシー・ケイサムの訃報に接して、またひとつ、何かが終わってしまったような気がしている。

ケーシー・ケイサム、安らかに。

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