日々の覚書

MFCオーナーのブログ

近頃のランチタイム事情

2009年10月31日 00時21分01秒 | 与太話

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今、吉野家では「ヨシギュー祭礼」なのである。期間中に、牛丼食べると写真のような↑券をくれて、これを3枚集めると、牛丼並が一杯無料で食べられるのだ。券の配布期間は、11月16日まで、引換期間は11月30日まで。残された時間は少ない(笑)

あと半月で2枚、券をGETしないとならない。半月の間に牛丼2回食べればいいだけなのだが、意外と難しいと思う。気合入れなければ(違)

思えば、僕が今の会社で営業の仕事を始めた頃、既に20年とちょっと経っているが、その頃、いわゆる「お昼」に昼食を摂るのは至難の業だった。12時過ぎると、どこの店も満杯になってしまうのだ。しかも、それがずっと続く。12時から1時どころか、11時45分から1時半くらいまでは、フツーの店でフツーに昼食を摂ることは不可能だった。とにかく、混んでて行列が絶えなかったし。あの頃は、昼休みは昼食を摂る時間ではなく、道や電車が空いたりするので、移動の時間にしていたくらい。とにかく、20年とちょっと前には、通常のランチタイムに昼食を摂った記憶がほとんどない。

これは、東京・大阪といった大都市だけでなく、それ以外の地方都市でも例外ではなかった。何故か、昼休みには飲食店が混み合うのだ。当たり前と言えば当たり前なんだけど、近頃少し状況が変わってきてるような気がする。

いや、確かに今だって、昼時には店は混む。だが、かつてのように、それが一時間以上も続く、という事は少なくなった。12時と同時にどっと客が押し寄せるのは変わらないが、その客たちが食事を終えて出て行くと、その後は空いてるのだ。だから、12時半頃に行くと、すんなりと店に入れたりする。つまり、昼休みに店が混むのは、ほんの一時になってしまったのだ。

そこのあなた、やはり同じことを感じてますね(笑)

これはどういう事なんだろう? 

1.不景気なので、就業人口が減った
2.不景気なので、弁当持参したり、そこいらでパン買ったりして、店へ行かなくなった
3.不景気なので、昼食を食べれない人が増えた

いずれにせよ、不景気のせいなのか。そういえば、ここ数年で、飲食店の人たちが店の前で呼び込みするのが、当たり前になってしまった。かつては、呼び込みするのはキャバレーかピンサロと、相場が決まっていたものだが。不景気が全てを変えてしまったのか?

正に未曾有の不景気である。ランチタイムの光景まで様変わりするとは。恐るべし。いつまで続くのだろうか。日本は一体どうなる!?

単なる杞憂、或いは妄想であればいいのだが....(近頃とってもペシミスト。笑)

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町おこし、ようお越し

2009年10月29日 22時29分37秒 | 与太話

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先日盛岡へ行ったので、昼に盛岡冷麺を食べてきた。写真見ると、さりげなく店の名前が分かってしまうけど、回し者ではありません(笑)

何故、盛岡の名物が冷麺なのか、昔からとても不思議だった。だって、冷麺って元々韓国の料理のはずだし。で、調べてみたら、在日朝鮮人が盛岡で開業した時に、メニューに冷麺を加えたのが日本最初だったらしい。つまり、日本で最初に冷麺で商売を始めた土地が盛岡だった、という訳だ。1954年のこと。その後、別の店がメディアを使って冷麺を宣伝して、広く知られるようになったらしい。これが1979年。ついでに言うと、初めて“盛岡冷麺”の名前を使ったのが、1987年。盛岡冷麺の歴史は、意外と新しい。

このように、決してその土地の名物でも郷土料理でもない料理(食べ物)が、全国的に有名になる、というのは、もちろん珍しいことではない。札幌のスープカレー、仙台の牛タン、宇都宮の餃子等々、必ずしもそこへ行かないと食べられない、というものではないが、でもそこへ行ったら必ず食べるもの、として認識されている。こういうのを、ご当地グルメと呼ぶ訳だが、なんというか、さほど高級感のない料理が多いのがよろしい。牛タンは例外として(笑)

以前、富士山方面に旅行した時、山梨県の富士吉田市を通過したのだが、ここには“吉田うどん”と呼ばれるご当地グルメがあり、市内に星の数ほど吉田うどんの店があるそうな。確かに、車で走ってると“吉田うどん”の看板をたくさん見かけた。そのうちの一軒に入って、“吉田うどん”を食べてみたが、結構美味かった。讃岐風のコシの強い麺に、一面キャベツが乗っかっており、これがなかなか良いのである。

富士吉田とうどん、なんて特に関連はないように思われたので、いわゆる町おこしの一環として、うどんを始めたのだろう、と思っていたが、実は富士吉田では、昔からおめでたい席などではうどんを食べる慣習があり、つまりこの“吉田うどん”は、ご当地グルメではなく、立派な郷土料理なのである。同じ山梨県のほうとうと同様だ。ただ、ほうとうは「ケ」の料理であるのに対し、吉田うどんは「ハレ」の料理なのだそうだ。なんか、逆のような印象があるけど(笑)

その富士吉田市の隣(?)の富士宮市では、ご当地グルメとしてやきそばが有名だ。B級グルメを決めるB1グランプリで優勝したこともある。知る人ぞ知るやきそば好きの僕であるが(笑)、まだ一度も食べたことないのが、実に残念だ。家からそんなに遠い訳でもないし、一度は車飛ばして食べに行ってみるか(笑)

町おこしの一環として企画・開発されるケースも多いご当地グルメだが、料理ばかりではない。こないだテレビ見てたら、山形で“芋煮飴”なるものが売り出された、と聞いて驚いた。芋煮はご存知ですね? 山形の郷土料理だが、その芋煮の味がする飴な訳だ。結構人気で、観光客によく売れてるらしいが、これはどうも手を出す気にならんな。もともと飴好きじゃないし(笑)。もしかして、山形県内限定で“ポテトチップス芋煮味”なんてのが販売されてたりして(笑)

てな訳で、なかなかにチープで味わい深いご当地グルメなのだが、我が茅ヶ崎のご当地グルメって何だろう? う~ん、“しらすのかき揚げ”か?(笑) 一応、漁港あるし。海岸近くの居酒屋には必ずあるメニューだけど、売り切れるのも早いらしい。ただ、聞いた話だと、毎日あまりにも注文が多く、その日の朝取れる分だけではとてもこなし切れない為、他所から仕入れたしらすを、茅ヶ崎で取れたものとして客に出したりもしてるらしい。注意して下さいね(笑) あと、今調べている所だが、碧の“湘南ラーメン”というのもあるらしい。

皆さんの町のご当地グルメは何でしょう? 是非教えて欲しいな。出来たら、送ってくれるとさらに嬉しいです(爆爆)

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Black or White

2009年10月25日 22時15分06秒 | 音楽ネタ

Whatsgoingon

レコード・コレクターズ最新号の特集は、「70年代のモータウン」である。1959年デトロイトに設立されたモータウン・レコードは、今年で50周年を迎える訳だが、60年代の頃はファミリー企業的な社風があり、アーティストはもちろん、ミュージシャンやソングライターも自社で丸抱えして、独自のサウンドを作り出し、ヒットチャートを席捲した。70年代になると、ファミリー的な雰囲気はなくなるものの、ニューソウルの波に乗り、数々の名盤を送り出した。正に、一時代を築いたレコード会社だったのである。洋楽を聴く人なら、誰でもモータウンという名前くらいは知っているだろう。

僕が洋楽を聴き始めた70年代半ばの頃、黒人音楽は「ソウル」というジャンルで一括りにされていた。R&Bなんて言葉は、よほどの通でなければ、使ってなかったように思う。白人がやってるのは「ロック」、黒人がやってるのは「ソウル」、とかなり単純というか乱暴に区別されていた。

この頃、僕はソウルはほとんど聴かなかった。なんというか、このジャンルは、どれを聴いても同じに聴こえたのである^^; それに、なんだか暑苦しいような印象も持っていた。当時よく聴いてたロック・ポップス系と比べると、曲の構成なども明らかに違っていたし、要するに中学生には馴染めなかったのである。未だに、ソウル系は詳しくない。

ソウルを聴かない、というのは黒人アーティストもほとんど知らない、という事を意味するが、もちろん例外はあった。スティービー・ワンダーやアース、ウィンド&ファイア、スタイリスティックスあたりは、FMでもよくかかってたから、他のロック・ポップスと同列にとらえて聴いてた。特に、あの頃(1976年頃)のスタイリスティックスの、日本での人気は凄かった。今でも耳にする「愛がすべて」をはじめ、「ファンキー・ウィークエンド」「16小節の恋」「フロム・ザ・マウンテン」等々、FMAM問わず、ラジオで毎日のように耳にした。もしかすると、カーペンターズやベイ・シティ・ローラーズ並みの人気というか浸透度だったかもしれない。

スティービー・ワンダーは、ジェフ・ベックに曲を提供してるのは知ってたので、ロックの人みたいな感じで聴いてた。実際、ロック系の番組でもよくかかっていた。アース、ウィンド&ファイアは、ディスコみたいな感覚で聴いてた。ソウルは聴かなかったけど、ディスコは好きだったのだ。もちろん、ディスコがソウルと非なる音楽である事は、当時も承知してた。アース、ウィンド&ファイアは、クロスオーバーというジャンルのグループとして、紹介されてたような記憶がある。

こうして名前を並べてみると、なんとなく見えてくる物がある。スタイリスティックスもスティービーもEWFも、いわゆるディープなソウルとは、一線を画した音楽だ。それ故、一般にも浸透したし、中学生にも馴染みやすかったのだろう。

で、そのレコード・コレクターズなのだが、ふと思い出したが、以前にロック・アルバム・ランキングに続き、ソウル・ファンク・アルバム・ランキングというのを掲載していた。てな訳で探してみたらありました。去年3月号で、特集が組まれていた。ロックの時と同じで、60~70年代の黒人音楽のベスト・アルバムをライターが選出し、編集部が順位をつけるのだ。1~100位まで掲載されている。その100枚の中で、僕が持っているアルバムを拾ってみたら、このようになった。

ホワッツ・ゴーイン・オン/マービン・ゲイ(1)
インナービジョンズ/スティービー・ワンダー(4)
ライブ/ダニー・ハサウェイ(8)
スーパーフライ/カーティス・メイフィールド(17)
オフ・ザ・ウォール/マイケル・ジャクソン(19)
3+3/アイズレー・ブラザーズ(26)
キー・オブ・ライフ/スティービー・ワンダー(33)
アイ・ウォント・ユー/マービン・ゲイ(39)

太陽神/アース、ウィンド&ファイア(86)
ディスコ・パーティ/マーサ&ザ・バンデラス(89)

アルバム・タイトルの後ろの( )内の数字は、レココレの順位である。

うむ、ソウル系ほとんど知らない割には、10枚持ってるというのは立派かも(違)。ま、ここにある10枚、いずれもソウルの定番であろうから、持っていて当たり前なのかもしれない。『サー・ジェント・ペパーズ』や『クリムゾン・キングの宮殿』『ジギー・スターダスト』『狂気』みたいなものか。

この10枚のうち、リアルタイムで接したのは、『キー・オブ・ライフ』『オフ・ザ・ウォール』『太陽神』の3枚だけ。『アイ・ウォント・ユー』は、雑誌の広告で何度も見た。『スーパーフライ』は、映画少年だった頃、タイトル曲だけ知ってた。それ以外は、かなり年いってから聴いたものばかりだ。

年いって聴いたせいもあるが、新しいというか意外な発見もあった。ワム!の「イフ・ユー・ワー・ゼア」が、アイズレー・ブラザーズのカバーだとは知らなかった。昔から曲だけは知ってた「ダンシング・イン・ザ・ストリート」「ヒートウェイブ」は、マーサ&ザ・バンデラスの曲だというのも、随分後になって知った。

ここに挙げた10枚、いずれも中学生の頃に、ソウルに対して持っていた“暑苦しい”という印象の作品ではない。マービン・ゲイやカーティス・メイフィールドなんて、ソフィスティケイトされた、クールでオシャレなサウンドだ。アイズレー・ブラザーズは、このアルバムに限っては、かなりロック寄り。スティービーやマイケルは、この時点でソウルを超越していた。もしかすると、ロック好きが聴くソウル、ってのはここいらなのかもしれない。ソウル好きが好むロック、というのに一定の傾向があるのと同様に。

80年代に入り、“ソウル”が“ブラコン”へと進化(?)するのに伴い、より黒人音楽は洋楽ファンに浸透し、白人でブラコンをやる者も増えてきて(それ以前の“ブルー・アイド・ソウル”とは、やはり非なるものである)、“白”と“黒”の境界線は、かなり曖昧になった。ボーダーレスと言っていいのか? ま、それも決して悪い事ではなかろう。だいたい、白人と黒人の音楽を区別する事自体、無意味と言えば無意味なのだ。ただ、一口にブラコンと言っても、かなり細分化され、こっちには訳分からなくなってるのも確か。これは、他のジャンルにも言えるのだけど。僕にとっては、かつての“ソウル”と同じように、“ブラコン”は皆同じに聴こえる。

そうなってくると、昔のように、ロックはロックらしく、ソウルはソウルらしくあった時代が懐かしくもある。こないだ取り上げた「夜汽車よ!ジョージアへ」みたいな曲に、非常に愛着を感じたりするのだ。

所で、ベーシストって、ソウル好きが多いような気がするんだけど、どう思われます?(笑)

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サルでもできる“反省”

2009年10月22日 23時25分57秒 | 与太話

もう一月も前の話だが、今年のキング・オブ・コントの優勝は東京03だった。不勉強にも知らない名前だったけど、芸歴は長いみたいで、素直に面白かった。2位になったサンドウィッチマンとの得点差が気になったが、東京03の優勝自体は文句なし。

その東京03、テレビ特番の生放送中に、司会の島田紳助に恫喝されたらしいが(本番前に挨拶に来なかった、というのが理由らしい)、やりにくくなると思うけど、頑張って欲しいもの。そんな東京03のネタをひとつ。

万引きの謝罪

このコントを見てると、つい“反省”って何なのだ、と考えてしまう。ちなみに、手元の国語辞典には、

反省【はんせい】自分の行動をかえりみること

とある。で、“かえりみる”を引いてみると、

省みる【かえり-みる】自分の行いの善悪をふりかえる。反省する。

となってる。

凶悪事件の裁判が行なわれ、「被告は反省している」ので減刑された、なんてよく聞く。この部分だけを見ると、「反省している」=「悔い改めている」と解釈してしまうが、実は「反省」という行為は、自分の行いを振り返っているだけであって、悔いているのかどうかとは別物なのである。

僕は反省する事は滅多にない。けど、後悔する事は多い。「なんで、あんなことを言ってしまったのか」「あんな事すべきじゃなかった」「もっとよく考えればよかった」と、ミスや失敗をした時、あとで後悔してる。さんざ後悔した後、「もう二度と、こんな事はするまい」と固く誓うのである。

もちろん、「オレはなんという事をしてしまったんだ」と激しく後悔し、謝らなければ、と強く思うこともある。前述の、「被告は反省してる」というのは、自分の罪を悔い、謝罪する気持ちでいっぱいである、という状態を指しているのだろうけど、それは反省とは違う。

そりゃ、僕だって反省する事もある。バンドのライブ終わった後とか、「この曲テンポ速かったかな」「あそこのブレークで、タイミング合わなかったな」とか、振り返ったりする訳だ。その場合、自分の演奏(行為)を振り返り、悪かった点を見つけると、「次回は気をつけよう」と思うのだが、反省するというのは、次に同じ失敗を繰り返さない為に行なうのだ、と僕は思っている。なので、凶悪犯罪の被告が反省、なんて聞くと、「次は失敗しないように」なんて思ってるように聞こえて、おいおいまたやる気かよ、なんて誤解してしまうのだ。「今度は、一撃でしとめよう」とか「次は見つからないようにしよう」とか、被告が言ってるように思えてしまう。なので、被告が本当に悪い事をした、もうしません、という気持ちを強く持っているのなら、「悔い改めている」という言葉を使った方がいいのではなかろうか。裁判官の心象も良くなるように思うが。

だいたい、凶悪事件の被告が「反省してます」なんて言う場合、犯した罪の大きさにおののく、というより、事件を起こした事により、罰を受けねばならないという恐怖、この先普通の社会で生きていけないという不安、等々罪を犯した為に、自分に降りかかってくる艱難辛苦を思って絶望的になり、「ああ、なんて事をしてしまったんだ」と激しく悔いているのであろうから、やはり“反省”という言葉より“後悔”という言葉の方が似つかわしい。弁護人が、「被告は深く反省しています」と言うより、「被告は激しく後悔しています」と言う方が、“反省”してるように聞こえません?(笑) “反省”しても、“後悔”しない人って、案外いそうな気がするし。

という事もあり、僕は二言目には「反省してます」と口にする人間は信用しない。あくまでポーズだけで、とりあえず勘弁して貰おう、という意図が見え見えだからだ。↑の東京03のコントのように(笑)。

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追悼・加藤和彦

2009年10月17日 21時41分12秒 | 時事・社会ネタ

加藤和彦が亡くなった。軽井沢のホテルの部屋で死んでいるのが見つかったとかで、どうも自殺らしいという話。享年62歳。慎んでご冥福をお祈り致します。

しかし、またしてもショッキングなニュースだ。かつて敬愛していたミュージシャンの訃報というだけでもショックなのに、自殺らしいとなれば尚更である。加藤和彦は、近年でも、派手ではないが意欲的な活動を続けていたし、決して行き詰ったりしている様子はなかった。少なくとも、こちらから見ている限り。だが、報道によると、彼は死の直前、友人知人に手紙を送っており、その中に「音楽でやるべきことがなくなった」と書かれていたらしい。ミュージシャンにとって、「音楽でやるべきことがなくなる」というのは、すなわち死を意味する。あくまでミュージシャンとして、だけど。

加藤和彦といえば、多くの人が「帰ってきたヨッパライ」「イムジン河」でお馴染みのフォーク・クルセダーズ、或いは北山修との共作「あの素晴らしい愛をもう一度」を思い出すだろう。けど、僕にとっての加藤和彦といえば、やはりサディスティック・ミカ・バンドであり、『パパ・ヘミングウェイ』『うたかたのオペラ』『ベル・エキセントリック』と連なるソロでの“ヨーロッパ三部作”である。この時期、すなわち70年代半ばから80年代にかけての時期の加藤和彦は、最も才気走っていた。竹内まりやらへの曲提供、岡林信康などのプロデュース等でも、その才能とセンスを遺憾なく発揮していた。テレビにもよく登場してたし、この頃の日本のロックシーンを、加藤和彦が牽引しているかのような感があった。

加藤和彦はフォーク・クルセダーズ解散後ソロに転じ、その後サディスティック・ミカ・バンドを結成する訳だが、コンセプトはグラム・ロックだったらしい。70年代前半の話で、当時の日本のロック・バンドの大半はハード・ロック或いはブルース・ロックを標榜していた時代に、グラム・ロックをやろうとするなんて、なんたる慧眼。1973年に出たミカ・バンドの1stは、正にキッチュなグラム・ロックを日本流に翻訳したもので、加藤和彦の先鋭的なセンスが光る傑作である。そして、続く『黒船』では、なんとあのクリス・トーマスをプロデューサーに迎えている。あの時代に、外人プロデューサーの下でレコードを作るなんて、画期的を通り越して無謀だったとすら思えるが、結果的に大成功、ミカ・バンドは日本のロックが誇る名盤をモノにするのである。

この後、イギリスへ渡り、ロキシー・ミュージックの前座としてツアーを行なった。日本のバンドの海外進出の先駆でもある。

このサディスティック・ミカ・バンドというバンド名は、当時加藤和彦の妻だったミカの包丁さばきが、あまりにもサディスティックだったことに由来するらしいが、プラスティック・オノ・バンドをもじった名前であるのも間違いない。ミュージシャンではないミカを、強引にステージに立たせた、というエピソードからも、それは察せられる。加藤和彦らしい話ではある。

ミカ・バンド解散後再びソロとなり、数年後“ヨーロッパ三部作”を発表。最初から三部作として制作するつもりではなかったようだが、レコーディング・メンバー全員をバハマ、ベルリン、パリまで連れて行き、全て現地で録音する、という大胆な方法が功を奏し、3枚のアルバムは、それぞれの土地の持つ雰囲気が色濃く反映された傑作となった。この三部作の中では、2番目にあたる1980年の『うたかたのオペラ』が、個人的には一番よく聴いたアルバムであり、一番好きな、忘れえぬ名盤である。歌詞からサウンドから、大戦時(か、もっと前か)のベルリンを再現した虚構性の強い楽曲たちが、とにかく素晴らしい。心情を素直に表現する、というレベルとは明らかに違うフィクションの世界。この人は、やはり何かが違うのだ。

ミュージシャンとして、実に先鋭的な感覚を持つではあったが、いやそういう人だからこそ、と言うべきか、どことなく浮世離れした物を感じさせる人でもあった。ミカ・バンド結成当時、本人はロンドンが好きで、ヒマさえあれば渡英して、あちこち歩き回ったりしてたらしい。グラム・ロックをやろう、というのも、当時のロンドンの空気に惹かれたからなのだろうけど、ミカ・バンドのメンバーたちが、そういうコンセプトを理解出来なかったので、全員をロンドンへ連れて行って、その雰囲気を体感させた、という話を後に聞いて、やはりフツーの感性ではないな、と思った。近年、ミカ・バンドを三度再結成した時も、なかなか曲のアイデアが浮かんでこなかったので、気分転換にロンドンへ行ってきたら、帰国後すぐに何曲か出来たらしい。こういう話を聞くと、遊びか何か分からなくなってくるが、音楽を作る上では、遊びの感覚も大事なので、ま、納得のいく話ではある。フツーの人にはマネ出来ないけどね。

その“ヨーロッパ三部作”以降、僕自身はあまり加藤和彦を聴かなくなっていた。1991年に久々に出たアルバム『ボレロ・カリフォルニア』も聴いたけど、“ヨーロッパ三部作”の延長線上にあるコンセプトではあったものの、その虚構性が却って鼻についたりして、のめり込むまでには至らなかった。1989年と2006年の、サディスティック・ミカ・バンドの再結成アルバムは、よく聴いたけど。

ミュージシャンとして素晴らしい人だったけど、「プロデュースする時、この曲にホーンを入れたい、と言うから、何故だ?と聞くと、カッコいいから、と答える。そんな感覚じゃダメなんだ。ただカッコいいから、ではなく、必然性が感じられなければならない」という発言や、ミカ・バンドの再々結成時の「(キーボードの今井裕が参加してない事を聞かれて)彼とは、ミカ・バンドを解散してからほとんど会ってないし、付き合いもない。だから、呼ぶ必要はないと思った」という発言など、人間的にはちょっと...と思わせる部分もあった。確かに、こっちには関係ないんだけど。でも、“ヨーロッパ三部作”復刻の際、「全く手を加えていない」と言いつつ、実は佐藤奈々子のボーカルをカットしたりなど、相当手を入れてたりもした。なんだかなぁ...

とにもかくにも、またしても、日本の音楽界は偉大な才能を失った。誰よりも先鋭的であったはずの加藤和彦をして、「音楽でやるべきことがなくなった」と言わしめたのは、現在の音楽界の状況とリンクしているのだろうか。彼の感覚が追いつかないほどに、日本のロック界は成熟しているのか。彼は一体、何を思い命を絶ったのか。

今夜は、この曲を聴いて、故人を偲びたい。

ルムバ・アメリカン/加藤和彦

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