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公費を使って文化支援をする困難

2010-02-08 09:07:50 | 読書ノート
  『超大国アメリカの文化力』の補足。

  米国の公共図書館の多くはその運営資金の一部を寄付金で賄っている、という話は僕の分野ではよく知られた事実なのだが、そのロジックについてはまともに解説できたことが無かった。日本人だからわかり難いのかと思いきや、フランス人にもそうだったようで、やはり米国の文化生産のシステムは特殊である。そのあたりを、マルテル著の登場でようやく「理解できた」という感覚を持てた。

  米国では、多文化主義を標榜するがゆえに、政府が公費を使って特定の文化を支援することを嫌う。公的助成があったとしても、その資金が芸術団体の活動資金の中心になってしまわないように、ようは団体が公費に依存しないように、助成金と同程度の額を民間から集めてくるよう団体に求める(マッチング・ファンド)。価値判断が求められる、政府の直接の支援はこのようにして抑えられている。一方で、文化活動への寄付は税制面で控除され、大金持ちによる支援を促す。寄付の思想自体はピューリタニズムにも支えられている。

  図書館の世界では、1990年代、公共図書館が購入した性的表現を含む著作や同性愛者による著作を、キリスト教保守派が採りあげて問題視するということがあった。その背景も『超大国アメリカの文化力』を読めばわかる。メイプルソープが撮ったヌード写真の展覧会が、連邦政府の助成を受けていたことがわかり、保守系の連邦議員が騒ぎ立てたらしい。これは確かに微妙な問題である。個々の作品を享受する者はごく一部にすぎない。そうした作品に公費を使うことを正当化するのはけっこう難しい。
  
  マルテルは、明確には述べていないが、文章の節々から芸術の公的支援──もっと細かく言えば「審美的」な基準に基づいた文化支援──に寛大な立場であることがわかる。そこはヨーロッパ人なのだろう。一方、日本も米国に近い価値相対主義な世界だろうと思うのだが、日本の文化支援システムはどうなっているのだろうか?
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