ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

西井ノ口(東神吉町)の写真集(39)  長谷川家という大屋があった(1) 

2015-10-02 07:12:35 | 西井ノ口写真集

 

        長谷川家という大屋があった(1)

 江戸~明治時代にかけて長谷川家と言う大家がありました。その長谷川家の主人・長谷川亀次郎について紹介しておきます。彼の略歴です。

      長谷川亀次郎略歴

 天保9年(1838)   西井ノ口村に生まれる。
     ?年       高砂へ進出。 
 安永6年(1859)  名字帯刀を許される。
 文政元年(1861)  大判27枚を献上 大庄屋並びに五人扶持になる。
   <江戸幕府崩壊>
 明治2年(1869)   県に調達金・木綿代金を多く納める。 
 明治3年(1870)   軍事費を献金。高砂米場の預かり方・取締役に任ぜられる。
                  蒸気船安洋丸をつくり、大坂~高砂を航海する。
 明治5年(1872)   高砂南本町に物産会社をつくる。
                  姫路と三日月町で鉱石の精錬会社を設立。

  明治6年(1873)   高砂・飾磨・船場の姫路藩の御米取扱方に任ぜられる。

                    印南郡に西井ノ口村に学校を新築。福崎町で石灰製造を行う。
  明治12年(1879)   申義堂を西井ノ口に移築する。

  明治22年(1889)   死亡、戒名は釈浄脩(78)、以下略

  長谷川亀次郎は、江戸時代の終わりごろから明治にかけて、大活躍した人です。(no2968)
   *写真:解体前の長谷川本家(昭和53年9月20日撮影) 

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