長谷川家という大屋があった(1)
江戸~明治時代にかけて長谷川家と言う大家がありました。その長谷川家の主人・長谷川亀次郎について紹介しておきます。彼の略歴です。
長谷川亀次郎略歴
天保9年(1838) 西井ノ口村に生まれる。
?年 高砂へ進出。
安永6年(1859) 名字帯刀を許される。
文政元年(1861) 大判27枚を献上 大庄屋並びに五人扶持になる。
<江戸幕府崩壊>
明治2年(1869) 県に調達金・木綿代金を多く納める。
明治3年(1870) 軍事費を献金。高砂米場の預かり方・取締役に任ぜられる。
蒸気船安洋丸をつくり、大坂~高砂を航海する。
明治5年(1872) 高砂南本町に物産会社をつくる。
姫路と三日月町で鉱石の精錬会社を設立。
明治6年(1873) 高砂・飾磨・船場の姫路藩の御米取扱方に任ぜられる。
印南郡に西井ノ口村に学校を新築。福崎町で石灰製造を行う。
明治12年(1879) 申義堂を西井ノ口に移築する。
明治22年(1889) 死亡、戒名は釈浄脩(78)、以下略
長谷川亀次郎は、江戸時代の終わりごろから明治にかけて、大活躍した人です。(no2968)
*写真:解体前の長谷川本家(昭和53年9月20日撮影)