ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新ひろかずのブログ(21) 加古川大改造(7)・現在の国道2号線は、昭和2年にはじまる

2021-01-20 08:14:09 | 新ひろかずのブログ

 『(旧)加古川市誌(第一巻)』(加古川市発行)のp344~5を文体を変えて一部を紹介しましょう。

   

 国道は、明治6年8月、山陽道を一等国道としました。そして、明治18年1月6日、道幅を4間以上と決め、「国道4号」としました。

 この時、加古川を通る国道は今の寺家町商店街(旧・西国街道)です。

 明治40年ごろから国道(旧西国街道)は牛馬車、人力車、自転車の往来が増え道路やごみの飛散がはげしくなり、商店の営業に差し支えるようになり、大正4

・5年になり南部に道を作る計画が持ち上がり、大正7年に開通をみました。

   現在の国道2号線は、昭和2年にはじまる

 政府は大正8年に新しい道路法を実施し、翌年東京~加古川・明石~鹿児島の道路を国道2号線としました。

 国道2号線は、決められましたが、この時の国道は旧西国街道(寺家町商店街)で、加古川地方では、昭和2年3月28日まで旧国道(旧西国街道)と新しい国道はともに併用でした。

 が、この年の4月6日、旧国道(寺家町・加古川町商店街の道)は、町道本町線に編入され、新しくできた旧西国街道の南の道(現在の国道2号線)を国道2号線としました。

 ですから、現在の国道2号線は、昭和2年誕生ということになります。

 新しい国道2号線と歩調を合わせて進められていた加古川大橋(写真)は、一足先の大正13年に完成し、以後新国道の両側は南本町となり、町の様子は一変しました。

 *写真:建設中の加古川大橋(大正12年頃)(『加古川・高砂の100年』郷土出版社より)

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