『(旧)加古川市誌(第一巻)』(加古川市発行)のp344~5を文体を変えて一部を紹介しましょう。
国道は、明治6年8月、山陽道を一等国道としました。そして、明治18年1月6日、道幅を4間以上と決め、「国道4号」としました。
この時、加古川を通る国道は今の寺家町商店街(旧・西国街道)です。
明治40年ごろから国道(旧西国街道)は牛馬車、人力車、自転車の往来が増え道路やごみの飛散がはげしくなり、商店の営業に差し支えるようになり、大正4
・5年になり南部に道を作る計画が持ち上がり、大正7年に開通をみました。
現在の国道2号線は、昭和2年にはじまる
政府は大正8年に新しい道路法を実施し、翌年東京~加古川・明石~鹿児島の道路を国道2号線としました。
国道2号線は、決められましたが、この時の国道は旧西国街道(寺家町商店街)で、加古川地方では、昭和2年3月28日まで旧国道(旧西国街道)と新しい国道はともに併用でした。
が、この年の4月6日、旧国道(寺家町・加古川町商店街の道)は、町道本町線に編入され、新しくできた旧西国街道の南の道(現在の国道2号線)を国道2号線としました。
ですから、現在の国道2号線は、昭和2年誕生ということになります。
新しい国道2号線と歩調を合わせて進められていた加古川大橋(写真)は、一足先の大正13年に完成し、以後新国道の両側は南本町となり、町の様子は一変しました。
*写真:建設中の加古川大橋(大正12年頃)(『加古川・高砂の100年』郷土出版社より)