熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

男はつらいよ・・・浪花の恋の寅次郎

2006年08月20日 | 映画
   昨夜、BS2で「男はつらいよ」の第27作「浪花の恋の寅次郎」が放映されたので見た。
   私の故郷は、厳密に言えば阪神間だが大阪も同じ故郷、関西を離れて40年近く経って仕舞ったが、今回の映画の舞台が大阪で、懐かしい大阪の芸人が沢山登場していて、この映画が醸し出す大阪どっぷりの雰囲気に飲み込まれて見ていた。

   当時見学程度に出かけて行っただけであまり馴染みはなかったが、映画の舞台は、南の繁華街から一寸天王寺よりに入った通天閣の真下の新世界である。
   じゃんじゃん横丁など、大阪芸人が生まれ育ったところだが、この映画に登場する上方芸人は当時トップクラスでもあり、雁之助のがしんたれぶりと大村崑の中小企業の主任の実直さは秀逸である。

   寅さんが長逗留して浪花の拠点とするのは、うらぶれた旅館「新世界ホテル」で、主人が遊び人風のさえない芦屋雁之助で、寝ず番の笑福亭松鶴と雑用を取り仕切る初音礼子の両親が、大阪の下町のにおいをプンプンさせていて正に浪花そのものである。
   マドンナで芸者ふみ(松坂慶子)の同僚が、かしまし娘の下二人の照江と花江で、お座敷風景や江戸弁の寅さんとの掛け合いが実に愉快で、寅さんとの再会が石切神社で、ふみとのデートが、生駒山の宝山寺であるなど有名な神社仏閣ではなくて極めて気軽で手短な場所なのが面白い。

   寅さんが一緒にふみの弟を訪ねて行くのが港区の波除で弁天埠頭に近い安治川べりの運送会社で、当時のあのあたりの工場倉庫地帯の様子が良く現れていて、大村崑の運送主任と同僚運転手達の様子が小さなアパートの一室の佇まいと共に凝縮されていて心憎いほどまでにリアルである。
   倍賞千恵子の「下町の太陽」の舞台の大阪版だが、同じ仕事でも、レイバーとは何か、ワークとは何かを考えさせてくれる、そんな舞台でもある。
   亡くなった弟の彼女として登場し、後に「工場のゆかりちゃん」として出てくるマキノ佐代子の初々しさが暗い雰囲気を救っている。

   マドンナの松坂慶子の美しさは兎も角も、その芸の素晴らしさに舌を巻いたのもこの時で、酒に酔った時のあの目など本当に酔っている女でないと出せない表情で、このような入魂に近い松阪慶子の演技が、一寸した瀬戸内の離島の墓地での寅さんとの出会いや港での分かれ、寅さんとのデートでの絵馬の場面、等々きりがないが何故あれだけ豊かな表情と表現が出来るのか、感じ入って見ていた。

   5歳で分かれた弟を探し当てたと思ったら最近急死していた。それを知った夜、憔悴し切ってお座敷を途中で切り上げて、酔いつぶれて寅の木賃宿に雪崩れ込んできた。
   暑い夏の夜、窓辺に座って、通天閣のネオンが見えるうらぶれたドヤ街の夜景を眺めていたふみが
「ワカレルコトハツライケド・・・シカタガナインダ・・・」と歌い出し、急に顔を伏せて
「ウチ泣きたい。 寅さん、泣いてもエエ?」と言って、寅の膝にすがり付いてうつ伏せに顔をうずめて咽び泣く。狼狽する寅が切ない。
   泣き寝入ったふみを残して部屋を出た寅は、帳場で冷酒を煽る。

   翌朝、ふみは、まだ皆が寝静まっている早朝静かに宿を出て動物園の立て看板のある交差点でタクシーを拾って帰って行く。
   スーパーか何かのチラシの裏に綺麗な字で書かれた置手紙が残っている。
   「この部屋で私が泊まるのが迷惑だったら、言ってくれたらタクシーで帰ったのに。
これから、どう生きて行くか一人で考えて見ます。
寅さんお幸せに。さようなら。 ふみ」
   胸を抉られた思いの寅は、意を決して東京へ帰って行く。

   あの船宿で泊まった時も、石田あゆみが足音を忍ばせて2階の寝室にそっと入って来た時も、寅はたぬき寝入りを決め込んでいた。
   「寅ちゃんとなら結婚しても良い。」と八千草薫に言われても、はぐらかせて仕舞う寅である。

   しかし、寅が、一切何の余裕もなく、一途に思い詰めて心底惚れこんだのは、このふみだけであろう。他の恋には余裕と甘えがあったが、今回だけは違う。
   恋心を燃やして下宿までして長逗留しようとまで心に決めていた寅。
   薄倖で健気に生き、唯一の心の支えであった弟の死を知って打ちのめされたふみが、最後の拠り所として自分を訪ねて来て藁に縋ろうとしている。
   激しい思いと恋焦がれはあっても、そして、気持ちだけはあっても何も出来ない自分を知っている寅は、苦しい思いに打ちのめされて去って行く。

   地下鉄の入り口まで送ってきた雁之助に、
   「そんなに格好ばかり付けてても、おなごはんはものにならへんでェ。
    一寸ぐらい格好悪うても、あほやなあと思われても、とことんつきまとうて地獄の底まで追いかけて行くくらいの根性がないとあきまへん。
    この道はなア。」と諭される。
    しかし、寅は、
   「男と言うものはなあ、引き際が肝心よ。」と見栄を張る以外にはなかった。

   山本監督などは、コメントで東京と大阪の恋の違いだと言っていたが、近松門左衛門や井原西鶴には、確かにそのような大阪男が描かれているが、これは、大阪だ東京だと言う次元の話ではない。  
   寅は、本当に恋をした。ふみが結婚すると知って打ちのめされて立ち上がれなかった。落雷の中で真っ暗がりの部屋でしゃがみこんで動けない寅の姿が総てを物語っている。
   激しい、そして、悲しい浪花の恋の物語である。
   近松や西鶴が見え隠れしている。

   私は、渥美清に一度はシェイクスピア戯曲を演じてもらいたかったと何時も思っている。
   
   
   

   
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