流転の王妃・愛新覚羅 浩(あいしんかくら ひろ)と2人の娘、慧生(えいせい)と福永嫮生(こせい)氏

2015-02-07 21:25:25 | ドラマ/映画/ドキュメンタリー

 ja.wikipedia.org(出典)

 溥傑(ふけつ)と浩

 なんかアクセスがくるなと思ったら、ドラマを再放送してるんですね。

 浩さんというのは、侯爵嵯峨実勝と尚子夫人の第一子として東京で生まれた。1914年3月16日のことである。

 浩は女子学習院を卒業した。

 そして、当時千葉の日本の陸軍士官か学校を卒業した満州国最後の皇帝、映画『ラスト・エンペラー』で知られる溥儀(ふぎ)の弟・溥傑(ふけつ)と関東軍の主導で縁談が勧められた。


 この時代はまず、こういう立場にある女性は結婚は自由にならず、勝手に決められる。

 浩の場合も年齢的に釣り合うことで溥傑(ふけつ)との婚姻が決まった。




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 基本的に日本の場合、

 皇室典範は、皇族女子の配偶者を日本の皇族、王公族、または特に認許された華族の男子に限定

 されているため、本来なら、皇族を欲しかった満州国だが、やはりこの典範に反することができなかったために、昭和天皇と父親が母系のまたいとこになる侯爵家の長女・浩が選ばれた。

 

 家系図です。


 riodebonodori.blogspot.com(出典)

 こちらが母系のもののようです。

 

 こういう場合、いやいやだろうが、結び付けられたら、仲良くしていくしかない。


 彼女も結婚の話が出た時、当時としては珍しい「子」がつかない名前だったので、新聞記者が、確認を取るためにわざわざ「浩子さま」と言って、確証を取ったと言われるほどだ。


 1988年長女・慧生(えいせい)誕生…のちに天城山心中と呼ばれる事件で生命を落とす。
 1040年次女・嫮生(こせい)誕生…福永家に嫁ぎ子ども5人に恵まれる。

 そして、妻、母である浩は夫・溥傑(ふけつ)とはずっと離れ離れの生活を余儀なくされる。



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 満州国からまだ幼い嫮生(こせい)さんと帰国する。



 1957年12月学習院大学在学中に同級生の大久保武道とピストル自殺されたと言われるが、真偽は不明


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 武道の父が浮気をし、そういう父親の血が流れていることに悲観していたり、彼自身が性格的に厭世感が強かったため、道連れにされたと嵯峨家は主張している。


 愛新覚羅 嫮生(あいしんかくら こせい)さん


 manchu.library.nenu.edu.cn(出典)

 
 妹の嫮生さんは1968年に、母の妹・泰子(香淳皇后の女官)の嫁ぎ先であり、嵯峨家と親交の深い福永家の次男と結婚し、兵庫県神戸市にて生活 

 つまり、泰子さんの夫の甥のようです。そして5人の子の母となる。


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 2012,3年頃のものと思われる。

 ドラマ「流転の王妃」で浩を演じた女優の常盤貴子とは


 matome.naver.jp(出典)

 嫮生さんの次男・行良さんが上甲子園中学時代に同級生でクラスメートだったらしい。

 縁ですね~。



 浩さんが夫とやっと会えた時、長女は既に故人になっていたため、守り切れなかったことをまず再会の喜びより先に「申し訳ありませんでした」と謝らなければならないところが…ひどすぎますね。


 ※中国では結婚後も姓が変わらないとのことで結婚前の「嵯峨浩」でもいいそうです。

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