美しき哉、日本語

2009-02-06 11:37:47 | エッセイ風
 先日、外国人に道を聞かれました。アジアからの旅行者だったんですが、英語が通じたんですね。

 私は勿論、喋れません。ただ彼女達がどこへ行きたいかは判ったので一緒にいた方に通訳していただきました。「彼女はこう言ってるよ」無茶苦茶ブロークンじゃないか。

 ああ言うの格好いいですね。
 でも語学やる気ありませんけど。

 ある意味日本語大好きです。

 ある意味ですけど。

 音の感覚だとスペイン語が1番好きです。
 だからスペイン好きなの?と聞かれるのですが、私が好きなのはアルゼンチンです。あそこは公用語がスペイン語なんです。
 アルゼンチンに憧れスペイン語に入ると言うのも不思議な感覚ですが、しょうがないのです、公用語ですから。

 一時本気でやる気でしたが熱が冷めればそれまでです。

 日本語好きです。
 でも苦労しますけどね。知ってておかしくないから変な間違いできないでしょ。
 だから逆に苦労します。

 なんたって、日本語ってかなりややこしいでしょう。
 主語、動詞の組み立てじゃないから。話してると、どこが結論だってまどろこしさはあるしね。敬語、謙譲語、話し言葉、書き言葉・・・流行り言葉なんかも入り混じるとなんじゃろなって感じらだから。

 そこがこの言葉独特の情緒と言い切ればできないこともないですけど。

 でも行きたい国ナンバー1はフランスかギリシャですけどね。

 統一性なし。
 クリスマスも正月も、最近ではハロウィンまで加わって、ありとあらゆる文化のいいとこ取りをしようとする日本。
 
 それが日本語を操る日本人らしさなのかもしれない。

get my iove!

2009-02-01 13:11:42 | エッセイ風
 一昨日の晩なのかな。土曜日の朝ね。いやに耳にこの曲が流れていた。
 歌としてはMaxなんだけど、印象としてはつか先生の芝居に出て来る曲。

 なんでだろうなぁ。
 単に耳鳴りがしてただけかもしれない。

 ということで夜はずっと本当にこの曲を聞いていた。

 どうしても芝居とかぶってくるという不思議さがある。
 その時の情景と共に音は記憶されるから無理もないことなのかもしれない。

 普通に劇作家コースの授業であっても音楽がかけられることがあります。
 つか芝居を観たことがある方はご存知でしょうが、『熱海殺人事件』などの背景で犯人が犯行を犯す仮定で流される思いっきり重く暗い曲です。

 泣いてしまいます。曲に気分が流されまして。

 曲とはそういうものなんでしょうね。

ワークシェアリング

2009-01-12 21:13:17 | エッセイ風
 暮れからですが、明るくないニュースが流れ続けています。
 派遣切り、内定取り消し。

 それぞれいろんな手が打たれているようですが、今、1つ上がっている案がワークシェアリング。即ち、痛み訳ってことなのかしら。

 例えば、ある市はその職員の残業代をカットすることで浮く金銭で臨時職員を雇用する予定だと言う。

 それで職を得、生活を安定させる方が出るなら、それは1つの解決案でしょう。

 確かに残業代をカットされる側からすれば、病気の親を抱えているのに、子供の教育費がかさむのに、ローンがあるのに。言うことはいろいろあるでしょう。
 でも、生活も出来ずに行き先を失うことと比べれば・・・ってことですよね。

 自棄になり、街の治安が悪化すれば、誰かがその犠牲となることだって考えられる。それが自分とは関係のない話と言い切れないのが、共同体って世の中だしね。

 情けは人の為ならずと言いますが、かけた情けはかけた相手から返らずとも必ず戻りいつか困った時に自分助けることになる。

 そう思えば、こう言う時だからこそ痛み訳をしよう。それがいつか自分に返ってくることもあるんだから。

 思ってもつらいものもありますよね。
 でもそんな中ですら希望はあると思うのです。
 誰かが感謝し、いつか大きな恩を返せれば、そう思って頑張った誰かがいつか大きな借りを返してくれるかもしれない。
 
 理想の話だけど、新しい人を助ける道具を作るとか、薬を作るとか。
 例え、恩を受けた本人がなし得なくても、それを出来る人を助けて次の人がそれをなし得れば十分に還元したことになる。
 
 その時、痛み訳で残業代をカットされた人が、それによって生命を永らえさせることもある。ダメだと思っていた親を助けることだってできるのかもしれない。わが子を亡くす悲劇から守られるかも知れない。

 その可能性も無いわけじゃない。

 多分、形は違えどそうやって社会はここまで発展してきたんじゃないかな。

 そして更に発展すれば、もしかしたら、戦うなんて無意味なことすら止めようと思う人も増えるのかもしれない。その意味のなさに馬鹿馬鹿しさが募り、誰かを思い愛することにより意味を見出す人が増えるかもしれない。

 愛は返ると信じたい。信じるところから始めなきゃしょうがないもの。

 長い目で見れば、そうして答えは返るってくる。そんな人々の善意を信じてみたい年だと思う。

 

怒り

2008-12-29 11:31:16 | エッセイ風
 怒りの感情とは何かにとり憑かれてるようなものですね。

 心身を壊すと言いますが、そうだなっと思う。
 この辺はもう自分で上手にコントロールしていくしかないんでしょうが、どうしようもなく、虜にされてしまうことが間々ある。

 何も生まないんですけどね。
 それでもそこを通り過ぎるまでなかなか大変なものです。

 そして予告もなく何かのきっかけで復活するし。
 生命力強いですね。怒りって奴は。

 前にテレビの番組で事故の後遺症で事故以後の記憶を数分間しか覚えていられない方を紹介したドキュメントを放送していました。
 その時興味深いと思ったのが、不安やショックな出来事は意外と覚えているらしいのです。記憶に定着しやすいんですね。
 逆に嬉しいとか楽しいは忘れ去ってしまう。

 怒りを代表とする負の感情とはそれだけ衝撃度が強いってことなんでしょう。それ故普通の人にとっても記憶に強く刻みつけられてしまう。

 淡い優しい喜びの感情の方が柔らかい感情である分、表面を羽のように撫でて去って行きやすい。
 普通の人にとってもそれって当てはまるんだと思う。

 衝撃の、刺激の強いものに人はより惹きつけられる。
 まさしく怒りなど、その代表ってことね。

 そう冷静に分析すれば、解決しそうなものだけど、しない所が、怒りって奴ですね。 
 分析を超えて尚、生命力逞しく復活する。増殖すらしてしまう。

 困ったもんだ。
 後は自己コントロールを、それだけです。

ザルに流されて

2008-06-23 10:57:55 | エッセイ風
 一口に進化と言っても様々な形がある。
 例えば現代文明とマヤ文明どちらが賢くてどちらが劣っているということじゃないかもしれない。

 進化が違っただけ。それで出る答えが変った。マヤ文明を生きた人には当たり前のことが現代文明を生きる人には謎になる。
 またマヤ文明を生きる人には現代文明は大いなる謎を孕むかも知れない。

 あるスーパー行ったら野菜をザル売りしてた。
 何故?
 特に安いというわけでもなく…。

 何故にザル?
 奇を照らった1つの商法だろうか。

 化粧品でも缶に入れてみたりチューブにしてみたり、形を変えたものって目新しい気がして売れたりする。中身は別に変ってなくても。

 エコ?
 あり気。あり気な気がしたら凄い賢いことをされてる気がした。
 エコなら素晴らしいことじゃない。
 
 エコを借りた目先を変える商法なら、ちょっと許せない気もするけど。
 
 どっちだろう、なんだろう、考えたらいよいよ判らなくなって。
 とりあえず目新しい物の方に惹かれていく。

 性だ、人の性である。
 
 そしてこんな結論が出る。
 ザルなら袋に入ってないわけじゃない。

 エコじゃーん。

 それでザルを持ってレジに行ってお会計したんだけど。目の前でレジの順番を待っている人のかごの中身がチラッと見えた。同じ野菜なんだけど、あっちは小売り用にビニール袋に入ってるのね。

 確かあっちの方が2円安かった気が。
 勿論、産地が違う野菜の発育具合が違う、そういう一見同じ野菜でも違いはあるかもしれない。

 だったら2円安い方が良かったのでは?
 「?」ハテナマークが乱舞するままレジに向かった。
 
 あれ?この日2度目のあれ?
 レジのお姉さんはビニール袋に入れてくれたよね。
 それだったら小売り状態と変らない。エコじゃない。単にレジでお姉さんの作業が増えてるだけ。

 今どき確かに裸のまま商品を渡すってなしなのかもしれない。

 昔は小売りしてるものの方が高級に見えた。ザルに入って店頭に並んでいるよりワンランク上の生活ができるような気がした頃もあった。まだまだ昭和の貧しい頃の話だ。
 それが時代が変わるとザルが目新しく見えてしまう。何か大きな魅力があるような気がしてまう。
 エコって今っぽい理由もあるしね。

 長い時間をかけて変わってきた価値観があっという間に変わるということはないんだろう。

 だけど、マヤ文明が今とは違う経緯を通りながらも発展したように、現代文明であってもある視点が変れば価値観はひっくり返ることもあるかもしれない。

 ひっくり返ってもなお、発展していく原動力がどこかにあるのかもしれない。

 ザルに流されてなんか訳が判らなくなってしまったけど。
 ザルは流されるものでなく、引っ掛かるものだからね。

 そうやって引っ掛かりながら新しい何かが生まれるといいな。

視線を逸らせば宝の山

2008-03-13 15:16:57 | エッセイ風
 昔はゴミって言うといらないものの代表格だったけど、今は少し違う。 
 ゴミを分別するでしょ。

 そうするとペットボトル。ダンボール、色々生まれ変わっていく道がある。
 ゴミだとあなどるなかれ、立派な資源です。

 今どきはペットボトルを再生させることの方が余程コストを使うそうです。
 普通の品物より高い資源ゴミの再生法。

 不思議なものです。再生させようと思う人たちの会社が赤字続きで潰れてるとか。

 よく企業へよせられるのクレームも宝の山と言いますね。お客様が何を望んでいるか何に怒っているかそれを調べて直すことにより、そこからより使いやすく利益の生まれるものができる。

 発想の転換です
 
 しかしそれがなかなかできるもんじゃない。

 作家にしても、それまでの淋しい、辛いだけの日々が小説のネタとして役立つ時、それは悲しみの歴史じゃなくて宝の山になる。

 こちらは血の涙が流れる宝の山ですがね
 
 けれど、人のすることですから、自分の心の中から出て来るものの方が、書く側にも切実な問題を孕み、読む側にとっても、「だよね」と何かが響くということはある・・・と言います。

 難しい・・・です。
 
 でも、みんな逞しいよ。
 逞しくいかないとっ

 

同じ白い花

2008-03-12 17:44:38 | エッセイ風
 例えば、ある仕事先に行くことになって、ちょっと困った問題が発生したとします。
 責任者のような方に、相談したとします。
 「この前の話しなんだけどさ」
 と相談をした方が、後日アドバイスをしてくれた。
 けれどこの時、驚くべき事実も私に突きつけられたりする。

 私の相談にどう答えてあげていいのか悩んだので、他の人に相談したらしいのです。
 しかもその相談した相手と言うのが、私からしたら距離を置きたいと思っている人だったりして・・・。

 この時点で、私はここの人間関係相関図が良く理解できていなかった。だから責任者と言えど、実は相談する相手を最初から間違えていた。

 それは私のミスでしょう。

 しかし、相談して、それを更に他の人に、仲がいいと言う理由でバラされ、その事実まで最終的に私にぶっちゃけられるとは正直想像してなかった。
 
 何でそこまで私に言うかな・・・。
 それが正直な気持ちだった。
 
 別に、私が距離を置きたいと思っていた人が、それを聞いたからって意地悪する訳じゃないし、むしろ、そんなことで悩んでるんだって、親身になって世話をしてくれたり気を使ってくれたりするんだけど。
 
 私からすれば、その人が知ると思ってなかったから、弱味を握られてるような感じがどうしてもついて回る。

 嫌いってことじゃないの。
 
 例えば、白い花を見て
 「素朴で可愛い」って思うか
 「地味で淋しい」って思うか
 そういう感覚の違いがその人たちとの間にあっただけ。
 
 そして、知らない所で名前を出されて話されてたって思いがけなさも尾を引いてると言えば、思いっきり引いた。
 
 誰が悪いって話じゃない。
 感覚が違うだけ。
 
 今でも誰かに何か相談した時「石川さんから相談されたんだけどさ」って私からすると思いがけない人に、また知らない間にバラされているんじゃないかって不安に思う時もある。

 そう思う自分も少し悲しい・・・。
 
 でも、それもこれもひっくるめて、面白かったなって思える日も来る。
 思い出となったから美しくなったのか。

 でも私にもそういう感覚の違う人たちと仲良くしたい気持ちがなかった訳じゃない。だって元々は親切から出た話だった筈。
 違う感覚の持ち主って魅力的だったりするでしょう。

 でも1度掛け違えたボタンは戻すのが大変って言うか。そのきっかけの見つけ方が判らない。

 もう1歩心を開いていたなら、きっと私の物の見方も広がっていた。
 面白い世界が待っていたかもしれない。
 
 違うからこそ面白い。そう思って笑えたら。

 その人達だってその当時、色んなことに悩んでいた。私がもう1歩踏み込んで付き合っていたら、私もその人達も、今、違う未来を生きていたかも知れない。

 ボタンの掛け間違いを私から変えていくことが出来たら。
 1歩踏み出すのは私しかいないんだよね。
 
 今なら頑張って半歩くらいは踏み出せるだろうか・・・踏み出せる私でありたい。

難民

2008-03-11 11:01:13 | エッセイ風
 「入国管理局へ行くバスはどれですか?」
 近くにバス停があるらしく、そう聞かれたことがある。
  
 それが朝の8時台で、違うバス停に並んだ挙げ句、「これ、そう?」と最後の確認するみたいに聞かれると瞬間、こっちの方が切なくなります。

 朝の8時台ってのが、結構切羽詰ってる感があるでしょ。
 入国管理局へ行く方って、まず外国人でしょ。
 で、その方達って片言以上の日本語を操ってるのよ。

 日本にある程度いるって印象がある。

 行くって言うのは用事がある。場合によっては呼ばれてる可能性がある。
 日本に住む外国人で、ある条件を満たしてない方は意外とみんな行かなきゃいけないんじゃないかな。

 私の場合、難民として日本へ来た方、ここはまず行かなければならないって言う認識がある。
 
 難民と言うのは、天災やら戦争で、いたくても自分の国で生活することが出来なくなった人が仕方なく選ぶ道。
 
 たまに数百人を乗せた船が日本に上陸許可を求めるニュースがありますが、それも難民として受け入れて欲しいと言うもの。
 
 勿論もっと少数単位で許可を求めてくることもある。

 でも、どのケースでもやむおえず、国を出てきてる。もう生命掛けの行為の筈。帰れないから助けてくれと言っている、筈。

 でも、日本は難民はまず受け入れません。先進国としては驚異的に受け入れません。

 取り敢えずは日本に残留し、長い長い審査の時を経ても認定されないことの方が多いです。
 
 その場合は日本を出ていただくしかなくなる・・・。

 前からこの難民って言うのが、疑問だったの。
 
 だって自分の国を捨てて助けてくれって言うのはどういうことだろうと、思うのです。そうやって生じる事情、それに見舞われるとはどんなことだろうと思うのです。
 
 私には想像できない人生を抱えているのだろうと思うのです。

 日本って元々島国で単一民族だったからそういうことに疎いのかなと思うのです。

 あたふたと自分が向かう入国管理局へのバスを探す人の後ろ姿を私は見ることができない。

あぶりえんがわ

2008-03-10 22:21:15 | エッセイ風
 あぶりえんがわが好きです  

 そこの回転寿司はとても混んでいます。夕食時だとまず、幾重かに並んでます。
 
 この前、稽古の都合で午後4時過ぎ少し奇妙な時間に行きました。ま、これくらいならすいてるだろうって読みもあった。
 でも、ほぼ満席。
 何でだ?
 
 ちょうどランチタイムとディナータイムの間だと魚の荒汁がサービスで出ます。
 私が行った時間は上手く外れてたらしくて、出なかった

 あぶりえんがわはお口の中でとろけます
 そのとろけ具合が絶妙

 しかしこの日は回ってない。あぶりえんがわがない 別に注文すればいいけど、ちょっと待ってみてもいいかなって、違うものを食べながら待ってた。

 1皿だけ回ってきたの。
 
 あ、きた。回転寿司のベルトコンベアーの上をあぶりえんがわがそっと私に近づいてきます。
 
 誰も取らないで、1皿しかないから、取らないで取らないで。
 
 思っていたのに!
 
 何故か私の手前、30センチくらいの所でベルトコンベアーの中にいる職人さんがひょいと、あぶりえんがわを取って、職人さん陣地に入れてしまったのです
 
 何故 何故職人さんが取るの 
 
 

 私のあぶりえんがわ。待って待ってした私のあぶりえんがわ!!!

 別に「あぶりえんがわください」って言えば良いのかもしれないけど。

 なんか念力で呼び寄せたかったのさ。 

 まあ、そんなこと言って1人心の中で騒いでいる内に新しいできたてのあぶりえんがわ群が無事押し寄せてきたんだけどさっ。
 
 でも不思議なんだよね、何故あの瞬間、あぶりえんがわが私の目の前でひょいと取り上げられたのか?

 別にその後、新しいあぶりえんがわ群の中にすまして入って回りだしたしさ。

 あぶりえんがわさえいただければ、私は別に構わないさ

只今、逆走中

2008-03-05 11:00:00 | エッセイ風
 劇団から帰る時、りんかい線か埼京線を使います。
 りんかい線に乗れると新宿から先に連れて行ってくれるのですが、埼京線の場合が問題です。

 埼京線だと、北赤羽ー新宿まで行って、ここで勝手に埼京線として新宿から埼玉方面に折り返すのね。

 でも仮にも新宿が終点なら、ちょっとぼぉ~としてても、いかにも終点だよぉ~って時間が空くとかアナウンスがあるのかと思っていたら、そうじゃないんだね。普通に駅に到着して、何分か止まって、普通に折り返すんだ

 で、ふと気がついた時はですね、山の手線に乗り換えたかった私が、何故かまた北赤羽に向かって走り出す車中の人となっていました。
 「えっ、何でこの電車は逆走してんの?」
 
 と思った時っても向かっているのは埼玉方面です。 
 降りなきゃ。
 
 じゃ、次の駅で降りようと思ったら、何じゃこりゃというくらい込んできたんだな。
 
 周りの人にすいません、すいません言ってももうどうにもならないんだな。乗ってくる方に人の多さに押されまくって降りれないのよ。
 
 結局降りきれぬまま無情にもドアが閉まったんだけど。
 私の周りの人は知ってるんだよね、「あ、この人、降りれなかった」って言うの。
 なんとなく、え、この人降りれなかった・・・って周囲のざわめくような目線が私に突き刺さってるんですけど・・・
 
 けど、動きたくても、動けないっ。凄まじい混雑なんだよ。
 
 でも、みんな知らない。本当は、新宿で降り損ねて、次もまた降り損ねて・・・。実はそんな状態だとはみんな知らない。

 知られたくないだろうっ。
 
 も、別に、後2、3駅乗ってて、降りても、別に構わないのさー
 
 ここまでくるとね。

 そんな開き直りの時間は、誰にでもあるわな