正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。車に4人が乗車し、高知市内を8時30分頃出発しました。
車中で話に花が咲いているうちに、一時間ちょっとで奈半利町の米ケ岡自然体験学校に到着でした。
米ケ岡自然体験学校では、ちょうど恒例のイベントが企画されて、70人余の参加者が下から歩いて来るとのこと・・・現地では「なはり浦の会」事務局長の西尾さんたち10人くらいが、獅子鍋?・もちつきなどの準備をされていました。
米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。
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米ヶ岡生活体験学校 に関する記事
米ケ岡自然体験学校では、ちょうど恒例のイベントが企画されて、70人余の参加者が下から歩いて来るとのこと・・・現地では「なはり浦の会」事務局長の西尾さんたち10人くらいが、獅子鍋?・もちつきなどの準備をされていました。
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奈半利町:野根山街道
野根山街道は奈半利町から東洋町野根までの約40kmを尾根づたいにつなぐ山道です。
未開の奈半利に文化の光を灯したのは、野根山街道の開発があげられます。この街道は、国司、流人の移動、調庸物搬出の道として開発され、約千二百七十年前の昔にはすでに利用されていました。幕末の激動には、中岡慎太郎をはじめ志士達の脱藩の道、二十三士動乱の道でもありました。
長い歴史の中で、この街道にまつわる事象は数多く生まれていますが、それぞれの時代に歴史の要路として、重要な役割を果たしてきた街道です。街道には旅人の道標となる塚が高札場(横町)を起点に、一里塚まで残されており、藩主の休み場として、朝休みから茶屋の段まで五ヶ所あります。
岩佐関所跡には、番士の屋敷跡や墓所などもあり街道には多くの史跡や多くの民話も残っています。歴史と伝説に富んだ街道で、今もなお、当時の面影をそのままとどめた全国的にも珍しい歴史の街道です。
現在は四国の道としてハイカー達の道として復活し、シーズンにはにぎわいをみせています。
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米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。
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奈半利自然保護研究会:野根山街道
野根山街道は、奈半利町から野根山連山を尾根伝いに東洋町野根に至る延長35km余りです。
養老2年(718年)以後の官道です。官人達の往来の道であり、調庸物搬出の道であり、もちろん庶民の生活道でもありました。
街道の両側に、当時そのままの姿で残された一里塚~五里塚や、旅人が一夜をしのいだという宿屋杉、参勤交代の昔をしのぶ朝休み場、お茶屋場や装束峠の敷石、岩佐関所跡、屋敷跡の石垣や墓地等、数々の史跡が残されています。
また、土御門上皇が名付けられたという岩佐の清水、旧藩林や天然林等、自然に富んだ街道です。
なお、幕末には中岡慎太郎が脱藩の道とし、清岡道之助以下二十三士が獄中の武市瑞山を救おうと武装屯着したのもこの野根山でした。
近年、自然遊歩道として人々に親しまれ、また、平成8年11月1日には文化庁の「歴史の道百選」に選ばれました。
昔ながらの風情が楽しめるこの神秘な街道を一度散策してみませんか。
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奈半利自然保護研究会:白石神社(しらいしじんじゃ)
およそ300年前、北川村野友の庄屋白石伝左衛門が土地の百姓の二、三男対策として、水田開墾を志し願い出たが、許されず仕方なく無許可のまま山を焼き開墾を始めたため、取り調べを受けるはめとなった。しかし、彼の誠意に藩庁も動き、後年、年貢を納めることを条件として許可が下り、現在の米が岡の水田が開かれたと伝えられている。参勤交代の要路として栄えた米が岡の人達は、宝永5年(1628年)に死亡した彼を米が岡開拓の恩人として白石神社に祭っている。
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HN:サカチャン
野根山街道・・・白石神社の登山口
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