福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Q,真言宗でいう「阿字本不生」とは?・・その8

2014-10-09 | Q&A
問、天台宗に一念三千の法門を談ずれども真言の本不生と同じかるべしや。

答、似たることは似たれども全同にはあらず。その故は天台には真如無相の空理を一心となずけてこの一心芥尒(じ)にも起こるときは三千の諸法を具すと立てるなり。真言宗には空理を本源とするにはあらず、地水火風空識(識とは心なり)の六大を本体として万法皆此の六大を体とす、六大の処に挙げて立てるなり。この故に一微塵までも万法を具して本有常恒なり。復次に天台には唯一心に諸法を具するは、さのみにして分明に事に歴て修行することなし。真言には一字に無量の義を具、一印に無辺の徳をあらわし、一心の中に諸尊を観想す、又わずかに両手の十指を以て無量無辺の密印を結顕し、一の舌を動かして恒沙の真言を唱ふるに其の印、其の真言に一一にまた各々無辺の徳用を備えたり。是豈真言行相顧みて慥慥爾たるにあらずや。復次に余宗には心は虚にして色もなく形もなしと立、真言宗には自心は白色にして円形なりという。金剛頂経に「我見自心形如月輪」と説く是なり。又雑色雑形なりと云うことあり、(この二は相伝の秘口説あり)これらは諸宗超過したる法門なり。能々是を味わうべし、なお本不生の義無量無辺にして劫を歴ても尽くし難し、面に臨んで決すべし。
元禄三年庚午(こうご)七月一四日夜草草而記
傳密乗沙門浄厳
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