福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

業を自覚し続けることが大切

2020-06-25 | 法話
「吉凶はあざなえる縄の如し」といいます。
原典は『漢書』賈誼伝の「それ禍と福、何ぞ糾える纆に異ならん。」らしいのですが、最近自分の人生を振りかえって、人生の有為転変の原因は自分の「業」の自覚の程度に因るのではないか、と思うようになりました。「存亡禍福は皆己に在り」(人間の生死や幸不幸はすべて自分自身に因がある。『説苑』敬慎)という言葉もありますが、これなども表面的に行動を慎めばよいという程度の意味ではなく、いかに自分自身や家系の業を忘れないで日々自覚して業の浄化に努めるかでその後の人生が変わってくるという意味かもしれません。
自身の場合でも高校までは生母の死去などで業の深さを自覚し朝夕寺のご本尊様や境内のお地蔵様を拝んでいました。其のあと、お陰で難関大学に受かりました。そうすると上京して有頂天になってしまい、シュトルムウントドランクの生活を送ってしまいました。そうすると後に継母や生家の寺の問題がおこり長い苦しい時が巡ってきました。そのあと自分や家の業を自覚して修行したあとは穏やかな日々となりました。
こうして見ていると業のない家はありません。業を自覚することは暗い気持ちにさせますが、しかたありません。この各自の業を忘れないで自覚し続け、日々隠徳を積み、神仏を心より拝み業をすこしでも浄化し続けることが吉から凶への落差を少なくし、凶を吉に転換する秘訣ではないかと最近つくつ゛く思っています。
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