福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Nさんの「不邪淫戒は人口減少のもとであり不自然な戒律ではないか」との質問のお答えします。

2012-01-18 | Q&A
先日Nさんから「不邪淫戒は人口減少のもとであり不自然な戒律ではないか」との質問がありました。若いときはなかなかこの戒については語る自信が出来ないものです。しかし六十を過ぎやっと少し自分の言葉で語れるような気がしてきました。

お答えします。
1、 結論は、「男女は法性の現れた尊い姿である。この基本の考え方に立てばおのずと男女の道は正しくなり不邪淫戒も守れ、子孫も繁栄する」ということです。慈雲尊者の「十善法語」の不邪淫戒のところに「此の法性の天地となりきたる。天に天象あって、この日月あり、此の星辰あり。・・・地に地理分かれて山川あり、河海あり。土に肥瘠あり。國に華夷あり。此の中人物に種々差別のある。・・・法性が男女となりきたり、此の男子あって天の徳を全くし、此の女子あって地の徳を全くする。陰陽此に配して万物生じる・・・」というくだりで端的に説かれています。
2、 同時に「十善法語」には「男女の区別ばかりに捉われるのは愚か者である」ともあります。(「二十二根の中、身根の小分に男女二根を分け示す。その趣は世間妄想の者の知るべき所ではない」。)
  二十二根とは人間を形作る二十二の要素のことです。つまり、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)三根(男、女、命)五受根(喜、苦、樂、憂、捨)五善根(信、勤、念、定、慧)三無漏根(未知当知、己知、具知)です。男女の区別などと言うのはこの二十二の要素の一つにしかすぎないということです。そうはいっても淫欲に悩まされるときは観音経に「若有衆生。多於淫欲。常念恭敬。観世音菩薩。便得離欲。 」とあるところを詠むといいでしょう。 参照

3、そしてこの不邪淫戒を守るものには福があり、破るものには禍があるともいいます。(「古今におし通じて、其の国に禍あり、福ある。多くは閨門の邪正に由る。・・此の道に慎みあるものは天の福を享ける。此の道の乱るるものは其の身に災害集まる。・・・」)大智度論には邪婬有十罪として、「一者常爲所婬夫主欲危害之。二者夫婦不穆常共鬪諍。三者諸不善法日日増長。於諸善法日日損減。四者不守 護身妻子孤寡。五者財産日耗。六者有諸惡。 事常爲人所疑。七者親屬知識所不愛喜。 八者種怨家業因縁。九者身壞命終死入地獄。十者若出爲女人多人共夫。若爲男子婦不貞潔。如是等種種因縁不作。」とあります。

不邪淫戒おそるべしです。
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