英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

将棋世界10月号②

2008-10-11 23:04:28 | 将棋
 【全国高等学校将棋選手権、女子団体戦準決勝の三将戦で、8五の角を6八に成ってしまうというハプニングが起こった。しかし、相手も気づかず投了。回りから指摘され頭を抱える。投了優先の規定により、勝敗は投了した方の負け。】
 という出来事が起こったとのこと。

 最近、大会に出ていないので、現状はよく分からないが、一般的には「投了優先」が適応されているのではないだろうか?
 しかし、この「投了優先」という規定は、本当に適切なのだろうか?
 ドーピングの場合は、過去にさかのぼって記録抹消されるが、普通の反則とは次元が異なる。
 通常の場合、格闘競技やボールゲームが終了時が境界線になることが多い気がする。しかし、記録を争う競技の場合は、競技終了後に、コース侵害やバトンパスゾーンオーバーなどが確認されて失格になるのが普通である。
 また、ボールゲームでも「中東の笛」のハンドボールで大会そのものが無効になったり、メジャーリーグでもやり直し試合が行われたことがあったと記憶している。

 他の競技はさて置き、将棋の場合はどうなのだろう。
 プロ将棋の場合、記録係はつくが審判はいない。(タイトル戦でも、審判ではなく立会人がつく。立会人は審判の役みたいなものだが、判定と言うより裁量である)
 審判ではなく立会人であるので、対局の責任は対局者が負うことになる。つまり、相手の反則を見逃して負けになるのは、対局者の責任なのである。まあ、もちろん、プロだから反則を見逃すことはありえないので、実際問題、審判の有無は関係ない。(しかし、秒読みの時間切れという問題は存在する。これを記録係にゆだねるのは気の毒だ)
 アマチュア大会の場合、もしかしたら「審判(長)」という肩書きの人は存在するかもしれない。しかし、一局、一局に審判が付く事は多分ない。なので、対局は対局者の責任で行われているのではないだろうか。
 だから、投了後に反則が判明しても、後の祭りというのは妥当なように思える。
 しかし、反則と言うのは将棋に無い手を指したということなのだから、その時点で将棋が成立しなくなるのではないだろうか?私は「投了優先」の規定に、ずっと違和感を持ち続けている。しかし、これは、投了と将棋のルールをどちらを優先するかという問題で、どちらが正しいということはないのかもしれない。

 けれども、「投了優先」を、悪意を持って拡大解釈すると、「相手が気づかなければ、反則をしても良い。反則に気づかない方が悪い」ということになる。まあ、発覚すれば即負けだから、かなりリスクは大きい。でも、絶体絶命で逆転の見込みが無い場合、最後の手段として反則を犯すなんて選択する選手がいないとは言い切れない。特に泥仕合で時間切迫だと勝負手?(反則)が成功する可能性は高くなる。

 上記はモラルの問題だが、反則に関連した実践上のトラブルが起こる可能性がある。
 審判がいなくて、「投了優先」なのだから、観戦者や仲間が反則を指摘することが出来ない(助言になってしまう)。故意でなくとも、「あっ」と声を立ててしまう可能性はかなりある。この場合、どうなるのだろう。たいてい、反則をしたのだからと、負けを認めると思うが、必勝の方が反則を犯してしまい、周りの反応で対局相手が気づいてしまった場合、「投了優先」の規定を盾にして「助言だ」とごねた場合はどうなるのか?
 また、大会運営者(役員・係員)が、反則を目にした場合、これを指摘してはいけないのだろうか?

 こういった実践面や将棋の本質を考えると、「優先順位の問題」と先述したものの、ぶつぶつ文句を言いたくなるのである。
コメント (4)
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