キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

ヴァルファルモサ滞在記1月29日バルセロナ徘徊

2007年03月05日 | Weblog
1月29日(月)バルセロナ市内を徘徊
この日一日フリーにしていただいて、バルセロナ市内を一人徘徊いたしました。今回の旅は総てヴァルファルモサ持ちの招待旅行、そのため言われるままに畑を観、セラーを訪れ、ワインを試飲してまいりました。しかしヴァルファルモサを理解するためには、その拠り所になっているカタランの気質風土文化に少しでも多く触れる必要があることは論を待ちません。その町の生活を垣間見るのに一番効果的だと私が信じる所に拠れば、市場を観ることです。そして美術館歴史館なんかがあれば趣味をも満足させながら理解を深めるという一石二鳥を狙うことができます。まあ色々理由付けは出来るもので、理由が無いと動けないというのは現代人の悪い所なのかもしれません。

海際にたつホテルを出て街を目指して歩きます。歩くのは得意です、街まで40分との事で海岸線を歩く事にいたしました。ホテルの前のビーチは当然地中海、冬とはいえぽかぽか陽気の好天気で海の色は鮮やかなマリンブルー、穏やかな波です。砂浜では暖かさに誘われてお年寄りが一物をぶら下げてぶらぶらと歩いたり泳いだりしております。若い女性でもいれば眼福になると見渡してみると、一人うつぶせになり一糸纏わぬお姉さんが読書に夢中です。更に歩くと堤防があり、先端まで行って海中を覗くと潮通しが良く大きめの魚がスクールを作って泳いでいます。日本から釣り道具を持ってきたらかなり有望な釣果を得られそうな気が致し後悔しました。

海岸線を離れて街へ入り込むと動物園があり、獣と糞尿の臭いの混じりあった独特のにおいを発しております。塀の中に白い可憐な花が咲いています。写真に収めます。その反対側には大学らしきものがあり学生が盛んに出入りしております。路面電車がありのんきに走っています。更に街へ切り込むようにして歩くと公園にぶつかり、その入り口に卓球台が備え付けてあります。どうも幾つかの公園や広場で卓球台を見かけました。人気のスポーツなのかもしれません。公園の池の鳥はかもめ、海が近いせいでしょう。暫し鳥を眺めたり人を眺めて過し、いよいよ旧市街の中心へ歩いてゆきます。

今日の徘徊の目的の一つのピカソ美術館を訪れてみると月曜日で休館、パリで最初にルーブルを訪れたときやはり休館だったことを思い出し苦笑いをしていますと、後から観光客がやって来て案内板を眺めがっかりした顔を見せ、それでも直ぐに立ち去りがたく暫し休館日の案内板を眺めてから立ち去ってゆきます。私も落胆の気分を引きずりながら旧市街の路地を進んでゆきます。路地は魅力的です。足元を見ると辻の角々に石が置かれています。馬車などから家の角を守るための石です。写真に収めます。建物の隙間を見上げると洗濯物が万国旗のように干されています。冷たい石で出来た空間に人間の営みの暖かさが感じられます。写真に収めます。

バルセロナ初日に案内されて感銘を受けたアントニオ・ガウディ設計のバトリョ家を目指して歩きます。サグラダファミリアよりこの家のほうが私にとっては吸引力があり自然に足が向いてゆきます。日常性からの逸脱四角四面の日本人の脳を破壊する創造性。仕事というものはこうでなければやる必要も無いんだと感じさせられる。今まで自分がやってきた仕事に対しての根本的な内省と方法の根本的な見直しが求められる、どうしてカタランからはこのような人物が忽然と現れるのだろうか、ワインにだって既成概念を打ち砕く創造性が宿っているのだろうか、天才、飛躍、破壊。写真に収める。

昼の時間になっている。街を歩いて最初に見つけた中華料理店に入ることは、一人で異国を徘徊する時のルールとしているので、それに従い目に付いた中華料理店に入る。湯麺をオーダーする。海老、貝、烏賊、豚、鳥、人参、白菜のようなもの、葱が具に入っている。麺はうどんの如く太い、美味。但し裏中華街に慣れた横浜の旅人にとっては高すぎる。

市場に向かって太陽の方向だけを頼りに歩いてゆくとまごうかたなく市場に着く、晴れている日はありがたい。ガウディーのタイルのモザイク模様はこの果物屋がヒントになっているんじゃないかと思わせる、圧倒的な原色で飾られた果物屋、客が見えなくて不便じゃないかと思うくらいハモンセラーのを軒先に吊るした肉屋、スペイン鱸、スペイン平目はやはりここでも高級魚の魚屋、現在の日本のスーパーマーケットの魚屋に望む事は出来ない品数の多さ、でもかつての古き良き時代の魚屋と比べると落ちる、理想の魚屋はもうこの世に無い頭の中だけに存在するだけか。果物屋と肉屋だけカメラに収める。

漁具博物館に向かう、ここも月曜休館。気を取り直して広場に出る、コロンブスが大分高い台に立って海の向うを指差している。オリンピックの旗手になると手を地面と並行に保ち続けることの大変さを感じるらしいが、旗が無いだけ救われてる。しかし終わりが無いのは大変だと同情をする。新大陸発見も最近では彼がたどり着いた500年前からヴァイキングが普通にお出かけしていた事がはっきりし、何のために疲れた手を海に向けているのか意味を見つけるのに苦労していることだろう。


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