生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

神様の弁明を聴きたいが死ぬまで無理なようだ!

2009年12月28日 | 第8章:心をのびやかにする方法
神様にお会いした事がないので、どんな弁明をなさるのか人間は知りません。しかし人生の体験を積むうちに、案外、こんな弁明をなさるのでは、と推察するようになります。海外で飛行機事故にあったり、南米で政治の暴動に巻き込まれ軍事政権が誕生する場面に遭遇したり、アフリカで難民の大移動に巻き込まれ恐ろしい目に遭遇し私自身が生命の危険にさらされたりしましたが、何とか命拾いをしました。何故、私が助かり隣の人が死んだのか、私より遥かに善人の友が死に反省だらけの私を何故神様は助けたのか、無数の死骸を眺めながら神様は何故このような運命に人々を押しやっているのだろう、愛そのものである神様が何故このような残酷な運命を防いでくださらないのか、あなたは酷い神様だ、と私は神様を非難して生きてきました。神様は私に弁明をなさらずいつも私の祈りに対して沈黙を守っています。それでも私は信仰を捨てることなく神様に文句を言いながら今でも私は生かされています。神様の弁明、私の質問への答えは、どうも私が死んでからでないと聞けないようです。<信仰は自分からは獲得出来ない神様からの恩寵、プレゼント>だと言われていますが、信仰を捨てない私は捨てないようにその恩寵の中で生かされているのだろうか?:<弁明:289-5>:

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