歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「都はるみ」が好きなんです

2007年01月19日 | その他
「都はるみ」が好きです。

いつ頃からなのか、あまりハッキリはしません。いつの間にか好きになっていました。曲としては、「北の宿」あたりから少しずつ気になっていたのかな。

 ※年代を確認する為に調べていたら、曲名は「北の宿」ではなくて、「北の宿から」なんですね。「から」いらないと思います。



当時、二十代ですから、「都はるみ」が「好き」何て、「誰にも」云えませんでした。演歌が好き何て云ったら、きっと周囲から、

『都はるみ? へぇー。演歌ねぇー』と、「冷たい視線」を向けられる「雰囲気」があったのです。

私としては、「美空ひばり」よりも「都はるみ」です。
歌に込める、言葉に込める「情感」、人を歌の中に「引き込み」「魅せる」・・・・・・。凄いですね「はるみ」ちゃん。唄う姿、表情が素敵です。綺麗です。美人です。

しかし、今でも「演歌」は「低級」、「下品」って「イメージ」で見られますよね。「ジャンル」による「ランク分け」は、意味のないことなのにね。

でも、わたし、他のことでも「低級」とか「下品」とか、「意味のないもの」とか「価値のないもの」とか、世間で「そんな評価」をうける、「そんなのもの」が好きなんです。

どのジャンルにも「いいもの」、「よくないもの」、「すきなもの」、「きらいなもの」があります。

演歌が好きと云うよりも、「都はるみ」の「唄う歌」が好きなのです。演歌と呼ばれる歌も嫌いではありません。歌は「ジャンル」ではないです。誰が「どんな歌」を唄うかでしょうね。

でも、しかしですね。「残念な事」にと云うか、「悲しい事」にと云うか、新しい「曲」を受け入れることが段々とできなくなってきました。

「昔の歌は良かった」何て歳になってしまいました。「都はるみ」にしても、「小樽運河」や「千年の古都」までですね。

まぁ。それに「千年の古都」以降に「売れた」曲がないという事情も、影響していますが、「演歌」が売れなくなったのでしょう。

「小樽運河」や「千年の古都」は90年の発売ですから、世間で唄われたのは、「バブル景気」最後の時期であり、崩壊の始まりの時期でもありますね。
何かが「符号」するような・・・・・・そんな気がします。

『歌は世に連れ、世は歌に連れ』 何て言葉がありますが、「演歌」は「連れ」なくなってしまった?

「世」に連れた、「詩」や「曲」を書く人が「いない」のか? それとも、「世」に連れた「人」は、「演歌」を書かないのか?

演歌は人間の、弱いところ、カッコ悪いところ、恥ずかしいところを、「突いて」きますね。

ひとの思い、憎しみ、妬み、恨み、怒り、悲しみ、演歌は「慰めの歌」「諦めの歌」ですね。その分野を受け持ってください。

今晩も外は「しばれ」ます。お湯割り飲んで寝よ。 



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