歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“蓮光寺のボース” と “中村屋のボース”

2009年03月18日 | 東京の風景
昨日の続きです。

コンビニから公園に戻ります。途中、カレーのイイ香りに足を止め、振り返ったり・・・・・・、でも、しかし、もう弁当を購入し、公園で食べることは決定しているのです。

多少の未練を残しつつ、数分で公園に到着。


門から入ってすぐのベンチに腰掛けました。この日は、陽当たりが良い場所は長く居るとちょっと暑く、日陰は長く居るとちょっと寒くなるといった気温でした。

座ったベンチは日陰でしたが、こもれびが背中をポカポカと暖め、絶好のベンチでした。しかし、残念なことに、私の眼の前には“男の裸像”の後ろ姿が・・・・・・、珍しいです。ここは、やはり、裸婦像でしょう。

男の尻を鑑賞しつつ、コロッケ・唐揚げ・白身魚のフライ・竹輪の天ぷらを頂いたのでした。


空を眺め、ケツを眺めての公園ランチは、それなりに美味しかったです。久ぶりの豪華な海苔弁でした。野菜ジュースを飲み、暫く休んでランチタイムを終えました。

食後は来た時とは異なるコースで公園を半周し、入ったときとは別の裏門から外に出ました。帰り道も、来たときとは異なる、環七寄りの路地を歩きます。


歩きながら“何か昼飯が物足りないなァ”と、考えていたら、配偶者が“なんか、面白そうな銅像があるよ”と云って、右手の奥に視線を向けました。

わたしよりも視力が良いのです。一瞬立ち止まり、銅像の存在を確認して、真っ直ぐに銅像に向かいました。

そこはお寺の境内です。仏様とか、お坊さんとか、その手の銅像ではありません。外国の方のようです。


軍服のような出で立ちです。


下に“スバス・チャンドラ・ボース像”との銘板。


そうか、そうか、こんな処に。

“彼はインド独立運動家で、第二次世界大戦当時に日本に亡命し、その時、新宿中村屋にインド式のカレーを紹介した、あのボースだょ”

と、配偶者に解説したのですが、あまり興味を示しませんでした。

多少、記憶に不安があったので、翌日調べてみたら、大間違いだったのです。ボースは二人居たのでした。知りませんでした。

チャンドラと、ボースと、インド独立運動家と、中村屋と、カレーと、くっついて、何処かで、いつの間にか、ゴチャゴチャの一塊りになっていたようです。

中村屋の“カレーのボース”は“ラス・ビハリ・ボース”で、“スバス・チャンドラ・ボース”とは、まったくの別人だったのです。

同時代に、同じような名前で、同じインド人の、二人の独立運動家が、日本に来ていたのです。勉強になりました。

二人には血縁関係はないそうです。何故に蓮光寺にお墓が?と思ったら、二人のボースには親交があり、カレー屋のボースの側近が、蓮光寺の近くに住んでいた関係で、チャンドラさんが葬られたそうです。

チャンドラ・ボースの死については、いろいろあり長くなるので、興味のある方は調べてみて下さい。

インドでは“スバス・チャンドラ・ボース”は英雄で、インドの国会議事堂脇には、銅像が立っているそうです。ネール首相や、ガンジー首相など来日の際にお参りに来たそうです。

横には、訪れた人が記帳するノートが置かれ、開いて見たらほとんどすべて英文で綴られていました。インドの人は日本に来ると、かなりの人がココに来るみたいです。

日本人よりも、インド人に有名な“日蓮宗蓮光寺”だったのです。私が一人でウロキョロ歩いていたら、見落とすところでした。二人で歩いてよかったァ。


蓮光寺は、こぢんまりとした、イイお寺です。


牡丹があったりして、こんな境内です。


それにしても、銅像の下から覗くエアコンの屋外機・・・・・・相当に良くないと思います。インド独立の英雄です、これを見たら“印度人もビックリ!”だと思います。


屋外機は別の場所に移動しましょう。インドとの外交関係に悪い影響を及ぼす可能性があります。中国を牽制する意味においても、今後、インドとの外交関係は重要になってきます。

まぁ、兎に角、もう少し、高円寺界隈を散策します。


それでは、また明日。


コメント
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