電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

21世紀は2001年9月11日のテロ事件にはじまった――橋本努さん

2008-02-20 | 04-歴史・文化・社会
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[21世紀と文明――資本主義の倫理的課題]北海道大学准教授・橋本努
  [1] 「衝突」回避へ
  [2] 誤算の背景
  [3] 新保守主義の基盤
  [4] ネオリベラリズム
  [5] 民主化を促す取引
  [6] 関税で統治改善
  [7] 設計が重要に
  [8] トービン税


「資本主義の倫理的課題」[1] 「衝突」回避へ
【「やさしい経済学」08.02.19日経新聞(朝刊)】

21世紀は2001年9月11日のテロ事件にはじまったといえるかもしれない。ハイジャック機によるニューヨークの世界貿易センタービルの破壊、そしてワシントンの国防総省の破壊という、あの劇的な自爆テロ攻撃はいったいなんだったのか。改めて考え直してみたい。

事件以前の先進諸国は、おおむねポストモダンの空気に包まれていたといえる。もはや歴史の次なる段階はないとの理解から、人々は将来よりも現在を重んじ、豊かな消費社会を謳歌(おうか)していた。ところがその一方で、途上国経済はグローバル化の波にのまれ、メキシコやアジア諸国などでは金融危機が起きている。グローバル経済の光と影のなかで、起きたのが9・11事件であったのではないか。

事件後の論調は、およそ次の四つに類別することができるだろう。(1)テロリストたちの行為は全面的に誤っており、米国は憎まれる理由がないとする米政府の見解(2)テロ行為の背後にある理由は全面的に正しいかもしれないとする反米左翼の見解(3)ブッシュの代わりに「人権」や「福祉」を掲げる民主党候補のアル・ゴアが大統領に選ばれていたら、テロ事件は起きなかっただろうとみなす市民派の見解、最後に、(4)米国は軍備縮小とイスラム移民の受け入れによって、平和的な文明の融合を企てるべきだとする自由主義の見解である。

諸説入り乱れるなか、事件後に米国が採った政策は、(1)の考え方に基づき、アフガニスタンやイラクを民主化することだった。ブッシュ政権によると、米国はあまりに優秀すぎて嫉妬(しっと)され、テロ攻撃を受けたのだという。テロ事件とは悪い子がよい子を襲撃する卑怯(ひきょう)な行為であって、これに対処するためには、勧善懲悪によってイスラム諸国を民主化すべきだというのが米政府の方針だった。

この方針はしかし現在様々な困難に直面している。市場経済に代替しうる体制などありえないが、「文明の衝突」を避けるために私たちが経済面で貢献できることは何か。本連載では資本主義をベースとしながらも、その中心軸を倫理的に鍛えていく方法について考えてみたい。

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橋本努(はしもと・つとむ)
67年生まれ。東京大学学術博士。専門は経済思想
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