電脳筆写『 心超臨界 』

人生には三つの重要なことがある
一に親切、二に親切、そして三に親切である
( ヘンリー・ジェイムズ )

今後は質において、とりわけ科学的成果を期すという志が試されている――田中直毅さん

2008-01-25 | 04-歴史・文化・社会
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[21世紀と文明――多元化する世界と日本]経済評論家・田中直毅
  [1] 国家とは公人とは
  [2] 一国モデルの幻想
  [3] 主権国家を超えて
  [4] 自己統治と日本
  [5] 自己統治の世界化
  [6] 原子力と日本
  [7] 新興国と世界秩序
  [8] 新たな挑戦と日本


[8] 新たな挑戦と日本
【「やさしい経済学」08.01.24日経新聞(朝刊)】

2008年以降の世界経済をめぐっては二つの見方が強調点を変えて登場しそうだ。ひとつは米国とドルの衰退説であり、もうひとつは、勃興(ぼっこう)著しい中国やインド、そして中東産油国など他の資源国のさらなる影響力拡大というものだ(もちろん、前者と後者の一体化した提示もあろう)。しかし、文明的にはまったく別の、すなわち主権国家間の覇権の変遷や新興国の台頭というモデルを超えたところでの、多元的な新しい命題づくりにも立ち会わざるをえないだろう。

ほんの一例だが、降雨量の少ないアジア大陸では地球温暖化による水資源の枯渇が心配される。ヒマラヤ山系からの水に中国、東南アジア諸国、インドのいずれもが依存していることからすれば、古典的な水紛争という状況さえ懸念される。仮に紛争が現実のものとなって進行した場合、その危機が世界に与える脅威は、世界の総人口の半ばを超える地域にあって経済成長の中核的担い手を巻き込むものであるがゆえに、およそ尋常なものでなくなる。

従来は米国が英国から引き継ぐ形で20世紀に確立した経済的覇権の行方に絡めて世界秩序を展望してきた。しかし、前述の水紛争などは、エスカレートすればだれにも止められなくなり、経済覇権、覇権国家の意味さえどこかに吹き飛んでしまいかねない。しかも、こうした紛争のリスクは、何もこの地域の水問題に限らない。核問題を含め世界中にくすぶる。

問われているのは、工業化に代表される人為の体系としての文明史と、地球環境保全という新たな文明史命題との対立のなかで、その調和に向けた人類の英知である。ポイントの一つは核エネルギーの平和利用を含めた低炭素社会に向けての技術的革新であり、それを背後で支える科学的取り組みであろう。これを視野に入れたとき、上流から下流に至るまでの統合的な生産技術の練磨という日本の蓄積に、新しい角度から光が当てられることになろう。

かつては日本の量的な成長に焦点が寄せられた。今後は質において、とりわけ科学的成果を期すという志が試されていると考えるべきである。文化はともかく、文明への貢献は重荷だというのがこれまでの日本人の心情ではなかったか。多元化する世界を眼前にして、方向を明示した日本の着実な取り組みが開始されねばならない。

=おわり

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