電脳筆写『 心超臨界 』

良い話し手になるゆいつの法則がある
それは聞くことを身につけることである
( クリストファー・モーレー )

情報が触れて感覚が生まれたところで、「自我」が割り込んでくる――アルボムッレ・スマナサーラ

2024-04-19 | 03-自己・信念・努力
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情報が触れて感覚が生まれたところで、ただ単にどこからともなく「自我」「私」が割り込んでくるのです。その「私」は現実ではありません。錯覚なのです。感覚が生まれると突然――見ただけで、聞いただけで、味わっただけで、嗅いだだけで、からだで感じただけで、考えただけで、「私」が割り込んできます。割り込んでくる「私」は妄想概念です。幻覚です。


◆情報が触れて感覚が生まれたところで、「自我」が割り込んでくる

『怒らないこと2』
( アルボムッレ・スマナサーラ、サンガ (2010/7/29)、p181 )

《 自我が生まれるプロセスを学ぶ 》

次に、自我そのものが錯覚であって「こんな感じで生まれるものだ」というシステムを学んでみます。

たとえばどこかが痛いとき、「痛い」と思いますね。手足やからだが痛くなって「ああ、私が痛い」と感じる。そのときに観察するのです。〈本当は「私が痛い」ではなく、はじめは痛い場所に、苦しみの感覚が湧き起こってきて、そこに「私は痛い」というふうに、「私」が割り込んでくるんだ〉ときちんと観察して、知ってみるのです。

《 痛い腰は「私」ではない 》

腰が痛い場合、その痛い場所には「私」はないでしょう? ただ、腰のその部分が痛いだけです。人のはなしを聞いて腹が立つ場合も同じです。本当に起こっているのは、耳で音を感じていることだけ。それを脳で解釈して「私」が怒っているとするのです。しかし、その怒っている「私」はあとから割り込んだのです。「なんであなたは私にこんなことを言うのか」という自我は、かならずあとから割り込むのです。脳が勝手にそう認識するだけなのです。

足が痛い場合、「足に痛みがある」という事実を脳が解釈して「私の足が痛い」ということにしてしまいます。しかし、本当は違います。正しくは「足に痛みがある」なのですが、その誤解については、皆あまり気にしません。

《 あとから割り込んでくる「私」》

情報が触れて感覚が生まれたところで、ただ単にどこからともなく「自我」「私」が割り込んでくるのです。その「私」は現実ではありません。錯覚なのです。

感覚が生まれると突然――見ただけで、聞いただけで、味わっただけで、嗅いだだけで、からだで感じただけで、考えただけで、「私」が割り込んできます。割り込んでくる「私」は妄想概念です。幻覚です。
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