電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

「建設同意―干潟再生―ハマグリ養殖」をワンセットにした構想を具体化させる――秋田清音さん

2009-10-19 | 03-自己・信念・努力
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「人間発見」
赤須賀漁業協同組合組合長・秋田清音(あきたすずね)さん

 甦る海、ハマグリ復活 (1)
 甦る海、ハマグリ復活 (2)
 甦る海、ハマグリ復活 (3)
 甦る海、ハマグリ復活 (4)
 甦る海、ハマグリ復活 (5)


甦る海、ハマグリ復活 (4)
【「人間発見」09.10.08日経新聞(夕刊)】

干潟や河口堰で漁場に暗雲、反対運動延々と
  人口干潟構想に意見二分、最後は「今やらねば」
    難航した「建設同意」以降、補償金返還も覚悟

◆1960年代後半からの木曽岬干潟の干拓や長良
川河口堰(ぜき)の建設問題。いくつもの開発事業に
赤須賀は翻弄(ほんろう)され続けてきた。

木曽岬の広大な干潟は、ここから湾全体に様々な生き物が広がっていく“伊勢湾のゆりかご”ともいうべき場所。これは伊勢湾全体の問題でした。干潟や堰の建設、海の汚染など、どれにも私たちは早くから反対の意思を表明し続けてきました。反対の中心地が赤須賀だったといってもいい。

「治水・利水」を掲げて持ち上がったのが、長良川河口堰の建設計画でした。流域全漁協が反対に立ち上がりました。私たちはハマグリに続いてシジミの主漁場も失う恐れがあった。73年、住民も含め原告団2万6千人の長良川河口堰差し止め訴訟を起しました。

反対運動はこれから20年以上、大規模になり、複雑な経緯をたどるのですが、私たちも大変なエネルギーを注ぎました。この間に私は役員になり、慣れない漁業補償などの勉強をしながら交渉に臨みました。反対の最後まで残ったのですが、最終的には「矢尽き、刀折れ」という形になり、88年、「流域住民の生命の安全、治水のため」という一点で同意しました。

◆反対運動と並行してハマグリの育苗研究も進んでいた。
「建設同意―干潟再生―ハマグリ養殖」がワンセットに
なった大胆な構想を具体化させる。

漁協の研究会では先進地の人を招き、各地に見学にも行った。その一つに渥美半島(愛知県)の人口干潟があり、「干潟は造成、復活できる」ということを知っていました。この時期、ハマグリと悪戦苦闘していましたが、干潟を復活させ、そこでハマグリを育てようとの夢が膨らんでいきました。

しかし、反対運動と補償交渉の中で、干潟づくりを条件にすることには組合でも意見が分かれた。干潟造成を要求すれば、当然、補償金は少なくなる。しかし、高齢化が進み後継者も少なくなっている状況で、「少しでも多くの補償を」という空気もありました。単に世代的なものだけなく、考え方は幾つにも割れました。

「3代さかのぼれば、皆が親せき」といった土地柄です。身動きがとれない。お金で手を打てば、赤須賀の漁業はなくなる、というような場面もあった。なんとも説明はできませんが、ひと言でいえば、「それで先祖に申し開きができるか」という殺し文句のようなことで決着がついたのです。

成否がわからない「干潟とハマグリ」構想です。でも、結局は「そうか、今やらなどうにもならんわな」ということになった。こんな結論が出る土壌が、赤須賀に残っていたということでしょう。私自身は、干潟ができるのなら、人生をかけてハマグリ養殖をやらなくてはと思いました。


◆ところが干潟づくりが難航した。「補償金返還」も覚悟で
交渉。2つの干潟が完成したのは93年、94年だった。

「干潟ができて、初めて交渉の終わり」という思いだったのに、「同意」以降、行政などの動きは遅々として進まなかった。

当時、第2次ともいえる反対運動が活発になっていました。こんな中で、他地域の運動、市民団体などとも連携、陳情に行き大臣にも直訴しました。そして、「補償金返還」もブチ上げた。もう補償金を返すもよし、これを機に干潟建設が進めば、という居直った思いでした。私たちなりに、なかなかしたたかに動いたんです。

92年に国の窓口の責任者が代わった。この人とけんかをしながらも、酒も飲みとことん話し合った。話が決まり、河口堰のしゅんせつの土砂をポンプで送り込み、2カ月ほどで干潟は出来上がった。

でも人口干潟は自然の干潟とは違う。よい砂を選んでも、砂の角がとれ細かくなり、稚貝などが生育できるには10年かかる。既にハマグリ育苗施設はできていた。「早く干潟を」と焦った理由です。

木曽岬干拓地は結局、農地利用されることなく、野鳥の楽園になっている。河口堰を造ったが、予想した水需要はなかった。いまハマグリはハマグリだけが育っているのではなく、豊かな生態系の中で生育しています。もう少し早く、国全体で環境保全、生態系保護といった合意ができていれば、という思いはあります。

(聞き手は編集委員・山形健介)

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