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「人間発見」
赤須賀漁業協同組合組合長・秋田清音(あきたすずね)さん
甦る海、ハマグリ復活 (1)
甦る海、ハマグリ復活 (2)
甦る海、ハマグリ復活 (3)
甦る海、ハマグリ復活 (4)
甦る海、ハマグリ復活 (5)
甦る海、ハマグリ復活 (5)
【「人間発見」09.10.09日経新聞(夕刊)】
近年は高級食材、料亭などでしか味わえず残念
林業や市民とも連携、漁業も情報発信
漁師に戻り、自分で獲った貝を食べたい
◆90年代以降、ハマグリは高級食材に。
桑名名物、ハマグリのしぐれ煮も原料は他産地に頼る。
小さいころ、毎日のようにハマグリが山盛りの吸い物を食べました。春から初夏のころが一番おいしい。桑名のハマグリが、高級料亭などでしか食べられないというのは残念です。少しでも安くして、気軽に多くの人に食べていただきたい。そのためにも、水揚げをいまの3倍ほどに増やしたい。
「ブランド化」などと言いますが、まずは私たちの思いなどが消費者に伝わり、「それなら少し高くても買おう」となって、ブランドが成立するのでしょう。
干潟やハマグリなどの理解者を増やさなければなりません。中でも、子供たちには期待しています。市内の小学校にはシジミを配り、子供たちを干潟に連れて行き、一緒に稚貝放流もしています。
◆自然相手の漁業は不安定。
漁協運営も気が抜けない。
いま漁場の状態はよく、漁協の経営も順調のようにみえます。でも、アサリ漁は不安定だし、シジミの漁場は狭まっている。かつて盛んだったノリをやる人は、もう2人だけです。最近は貝の密漁も頭の痛い大きな問題です。
この夏、大水でアサリが大量に斃死(へいし)しました。低酸素水域などの発生は心配だし、台風はもちろん、川の水の流量など、自然の変化はいつも気になります。
ここでは出漁日などを決め、漁獲を制限、水揚げは全量、漁協を通じて出荷しています。年間の事業高は10億円近く。なんとか収支のバランスはとれていますが、決算は毎年、綱渡りです。
うれしいことに、ここ数年で10人ほど若い人が戻ってきた。兄弟で戻っているのや、ジイさんと一緒に漁に出ているのもいます。こんな若い世代に伝えたいこともたくさんあります。高齢化が進んでいますが、元気なバアさんたちも少なくない。人の力を生かせるかどうかです。
心配ごとは尽きませんが、昔から漁師には楽観的な一面もある。「この世で起きたことは、この世で片がつく」「まあ、なんとか生きてきましたでね」と。そうでも思わなくては、やってこられなかったのでしょう。
◆漁業者の役割は大きく、課題も多い。
新しい漁師、漁業の姿を追い求める。
漁師の仕事の内容やスタイル、役割も変わらなくてはいけない。やるべきことはたくさんある。例えば貝ひとつだって、地域漁業再生のきっかけになる。私たちはハマグリの成果をオープンにしているし、他県に母貝も送っている。ハマグリだけでなく、タイラギや赤貝の種苗育成も面白い課題。貝による海水浄化などは、これから実に大事なテーマ。「できる、できやん」ではなく、挑戦してみる。その過程に、間違いなく得られるものがたくさんあるはずです。
漁業だけは残そう、生き残ろうではなく、基本は「漁業が営める環境ありき」でしょう。お金にならんものがあって、初めてお金になるものが存在できるのです。
これまでと違い、漁業者だけでは解決できないことが増えている。農業や林業との連携も必要です。10年ほど前から岐阜県の山に行き、下草刈りや植林のお手伝いをし、山の子供を海に招いています。一般の人、非営利組織(NPO)などとの協働も欠かせません。国の仕事でいえば、水産庁だけでなく国土交通省や環境省も一体とならなくてはいけない時代です。
ようやく干潟や藻場を大切にするようなことが社会通念となってきました。こんな中で、観察、調査、整備などに、漁師たちが本来持っている機能を生かす仕事が生まれるのではないでしょうか。海や川の変化を一番知っているのは私たちですから。
漁師も日本の漁業も、依存体質が残り、情報発信も下手でした。自ら動き、漁業者がちゃんと情報を伝えることが必要です。
95年から組合長ですが、もう引き時。漁師に戻りたいと思っています。ハマグリ復活に取り組んできましたが。自分で獲ったハマグリを食べたいものです。
(聞き手は編集委員・山形健介)
【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】
「人間発見」
赤須賀漁業協同組合組合長・秋田清音(あきたすずね)さん
甦る海、ハマグリ復活 (1)
甦る海、ハマグリ復活 (2)
甦る海、ハマグリ復活 (3)
甦る海、ハマグリ復活 (4)
甦る海、ハマグリ復活 (5)
甦る海、ハマグリ復活 (5)
【「人間発見」09.10.09日経新聞(夕刊)】
近年は高級食材、料亭などでしか味わえず残念
林業や市民とも連携、漁業も情報発信
漁師に戻り、自分で獲った貝を食べたい
◆90年代以降、ハマグリは高級食材に。
桑名名物、ハマグリのしぐれ煮も原料は他産地に頼る。
小さいころ、毎日のようにハマグリが山盛りの吸い物を食べました。春から初夏のころが一番おいしい。桑名のハマグリが、高級料亭などでしか食べられないというのは残念です。少しでも安くして、気軽に多くの人に食べていただきたい。そのためにも、水揚げをいまの3倍ほどに増やしたい。
「ブランド化」などと言いますが、まずは私たちの思いなどが消費者に伝わり、「それなら少し高くても買おう」となって、ブランドが成立するのでしょう。
干潟やハマグリなどの理解者を増やさなければなりません。中でも、子供たちには期待しています。市内の小学校にはシジミを配り、子供たちを干潟に連れて行き、一緒に稚貝放流もしています。
◆自然相手の漁業は不安定。
漁協運営も気が抜けない。
いま漁場の状態はよく、漁協の経営も順調のようにみえます。でも、アサリ漁は不安定だし、シジミの漁場は狭まっている。かつて盛んだったノリをやる人は、もう2人だけです。最近は貝の密漁も頭の痛い大きな問題です。
この夏、大水でアサリが大量に斃死(へいし)しました。低酸素水域などの発生は心配だし、台風はもちろん、川の水の流量など、自然の変化はいつも気になります。
ここでは出漁日などを決め、漁獲を制限、水揚げは全量、漁協を通じて出荷しています。年間の事業高は10億円近く。なんとか収支のバランスはとれていますが、決算は毎年、綱渡りです。
うれしいことに、ここ数年で10人ほど若い人が戻ってきた。兄弟で戻っているのや、ジイさんと一緒に漁に出ているのもいます。こんな若い世代に伝えたいこともたくさんあります。高齢化が進んでいますが、元気なバアさんたちも少なくない。人の力を生かせるかどうかです。
心配ごとは尽きませんが、昔から漁師には楽観的な一面もある。「この世で起きたことは、この世で片がつく」「まあ、なんとか生きてきましたでね」と。そうでも思わなくては、やってこられなかったのでしょう。
◆漁業者の役割は大きく、課題も多い。
新しい漁師、漁業の姿を追い求める。
漁師の仕事の内容やスタイル、役割も変わらなくてはいけない。やるべきことはたくさんある。例えば貝ひとつだって、地域漁業再生のきっかけになる。私たちはハマグリの成果をオープンにしているし、他県に母貝も送っている。ハマグリだけでなく、タイラギや赤貝の種苗育成も面白い課題。貝による海水浄化などは、これから実に大事なテーマ。「できる、できやん」ではなく、挑戦してみる。その過程に、間違いなく得られるものがたくさんあるはずです。
漁業だけは残そう、生き残ろうではなく、基本は「漁業が営める環境ありき」でしょう。お金にならんものがあって、初めてお金になるものが存在できるのです。
これまでと違い、漁業者だけでは解決できないことが増えている。農業や林業との連携も必要です。10年ほど前から岐阜県の山に行き、下草刈りや植林のお手伝いをし、山の子供を海に招いています。一般の人、非営利組織(NPO)などとの協働も欠かせません。国の仕事でいえば、水産庁だけでなく国土交通省や環境省も一体とならなくてはいけない時代です。
ようやく干潟や藻場を大切にするようなことが社会通念となってきました。こんな中で、観察、調査、整備などに、漁師たちが本来持っている機能を生かす仕事が生まれるのではないでしょうか。海や川の変化を一番知っているのは私たちですから。
漁師も日本の漁業も、依存体質が残り、情報発信も下手でした。自ら動き、漁業者がちゃんと情報を伝えることが必要です。
95年から組合長ですが、もう引き時。漁師に戻りたいと思っています。ハマグリ復活に取り組んできましたが。自分で獲ったハマグリを食べたいものです。
(聞き手は編集委員・山形健介)
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