電脳筆写『 心超臨界 』

行動は人を作りもし壊しもする
人は自らの行為が生み出したものなのだ
( ヴィクトル・ユーゴー )

自分たちでやってみようと、77年から人口種苗生産に取り組み始めました――秋田清音さん

2009-10-14 | 03-自己・信念・努力
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「人間発見」
赤須賀漁業協同組合組合長・秋田清音(あきたすずね)さん

 甦る海、ハマグリ復活 (1)
 甦る海、ハマグリ復活 (2)
 甦る海、ハマグリ復活 (3)
 甦る海、ハマグリ復活 (4)
 甦る海、ハマグリ復活 (5)


甦る海、ハマグリ復活 (3)
【「人間発見」09.10.07日経新聞(夕刊)】

最大の漁場、木曽岬干潟の干拓で水揚げ急減
  温度、雑菌、エサ… 養殖はすべてが試行錯誤
    稚貝の飼育は子育てと同じ、技術より心

◆伊勢湾台風の前後から漁業環境は急速に悪化した。
コンビナートが稼動、地番沈下、大規模な埋め立て、
河川改修などが相次いだ。

高度成長時代に入って、まず工業・生活用水の需要が急増、地下水を大量にくみ上げ、地盤沈下が進みました。加えて湾の埋め立てや工場からの廃水。川の水量は減り、よい砂が流れない。遠浅の海と干潟の質は低下。湾岸漁業への影響は大きく、赤須賀では魚を獲(と)る漁業が一気に衰えます。

でも、ここは壊滅的な打撃には至りませんでした。ノリ養殖が元気で、1970年ごろの最盛時には、大手ノリ業者相手の入札金額が2億円を超えたことがあります。皆が札束を手に興奮しました。

ハマグリも全国の水揚げの半分近くを占めるほど頑張っていました。しかし、66年から私たちの最大の漁場で、木曽川に沿った400㌶ほどの木曽岬干潟の干拓が始まります。干拓前の駆け込みで獲った70年代前半の年3千㌧がピーク。これから一気に落ち込み、80年代からは100㌧以下です。

◆ハマグリの漁獲急減から人口種苗生産、放流への挑戦が
始まる。試行錯誤、苦難の連続だった。

もちろん、それ以前から皆に不安はあり、危機感も強まっていました。私が夢で、「ハマグリがおらんようにしてあの世に来たら、けり出すぞ」というジイさんたちの声を聞いたのが74年でした。

ハマグリ養殖研究の先進地を訪ね、県内のカキの研究所にも相談に行きました。ハマグリを持ち込み、幼生からなんとか稚貝まで成長することがわかりました。自分たちでやってみようと、77年に研究会を立ち上げ、人口種苗生産に取り組み始めました。

すべてが試行錯誤でした。ハマグリの初期の成長過程を思えば、「受精――砂地に沈着――ふ化・幼生に――浮遊――殻ができて貝の形に――着底」ということになります。これが半年ほどで3~5㍉になり、放流するのです。

わからないことばかりでした。先生方の資料も読みましたが、書いてある通りにいかないのが生き物です。漁の合間に、夜昼となく10分、15分刻みで顕微鏡をのぞく日々が続きました。

次第に温度、雑菌、空気補給、エサ――といった問題が明らかになりました。中でも温度は重要で、例えば、受精には温度の上下による刺激が必要なんです。干潟は潮の干満で自然にこの条件をつくっています。稚貝も温度が3度違うと死に、少しでも死ぬと雑菌が繁殖、全滅です。海水の塩分にも敏感、エサも難しく、様々な植物性プランクトンを試しました。

そこそこ稚貝まで育っても量ができない。「やめた方がいい」との忠告もあったし、「漁師には無理や」と言われたこともあります。産卵から稚貝が育ち始めるのは夏の時期。目が離せず、夏休みに子供と遊ぶ間もありません。女房にはぼやかれっぱなし、離婚の危機もあった。82、83年ころが最も苦しい時でした。

◆様々な失敗を乗り越え、研究は少しずつ前進する。
90年代前半には種苗生産、放流、生育の形が整ってきた。

失敗の話には事欠きません。エサづくりの失敗で、稚貝が放流サイズに育たない。水温低下で死なせたことも。放流の時期、場所選びも苦労しました。

海水ろ過、雑菌が付かない工夫なども進み、実用化への種苗生産施設が完成した90年ころから、明かりが見え始めたようです。この間、一緒に研究してくれる熱心な協力者も現れました。93年には約400万個の稚貝を放流、なんとか育ち始めました。でもこの後も、何度か失敗はありました。

稚貝の飼育は子育てと同じ。機嫌のよい日も悪い日もある。毎日顕微鏡で見ていると、ハマグリの思いがわかってきます。窪田空穂という人の歌に、「大海の 底に沈みて 静かにも 耳澄ましゐる 貝のあるべし」というがあります。若い人には、「技術より心」と言います。

それでもこの間、私たちは運に恵まれていました。ハマグリは苦しかったが、80年代はシジミ漁が好調。85~95年ころはアサリ漁が安定していた。これでなんとか乗り切りました。

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