救援連絡センター発行「救援」紙、2面の連載コラムより
嗚呼 ハニイ蜜 モヒカン 山本夜羽音 まとめて追悼
天皇裕仁が死ぬ前、下血下血の頃に「秋の嵐」という集団があった。長い名前は、反天皇制全国個人共闘。六十年以上続いた昭和が終わる前に、うちに嫌がらせ家宅捜索が来たのもこの頃なんだよ。
原宿の歩行者天国とかで活動してた若者たち、逮捕も多かった。そのなかで黙秘できなかった次第を、きちんと報告書にした青年がいた。えらいな。
なぜか。黙秘はだいじだよ。でも黙秘と素直に表せば良いのに完黙とか、更にはカンモクヒテンコーとか飾り立てて唱えるひとたちに違和感あるんだ。宗教団体みたいな左翼のひとたちって、気持ち悪い。
念仏を唱えるんじゃなくて、自分で考えようとした彼に好感を持った。自動車事故で突然死。もうずいぶんと昔なので記憶が朧ろなのだが。ハニイ蜜。
ホコテン歩行者天国スピーカーズコーナーで香具師あがりの口上が得意だった、モヒカン。銭湯的労働者組合だっけ、ふざけた団体を名乗るとこが好き。救援連絡センター事務局員も少しだけやってたけど、評判が悪かったかな。
モヒカン、四月一日エイプリルフールの日に、警視庁蹶起!? 桜田門に行く。「一番偉い奴は誰だ」と言って警官を殴って逮捕。弱虫の自分を強くするためなんだって。ほんとうにやるところが、笑える。その彼も病死。
二十年ほど前かな。ガサ子ちゃん倶楽部の平井克彦が、世界的歌手の八木啓代をQ事務所に連れて行ったことがある(注一)。そして「救援ノート」を見るなり購入したのは、表紙絵の山本夜羽音の力。画期的だったよなあ。この春に、コロナ罹患後に病死。
本紙前号に、シャコ兄が素敵な追悼文を書いている。でもねえ、名前が間違ってるの。困ったもんだ。
誰れも気が付かなかったのかしら。誰ーれも彼の漫画なんて読まないんだろうか(注二)。しくしく。
画料の代わりに救援紙を送るのも嘘。途中から来なくなったと嘆いてたぞ。伝言したけど、どうなったのかな。これもはるか昔だ。
最後に明るい話題。その救援ノート表紙モデル、元日本赤軍の重信房子が満期出所の予定(註三)。
癌サバイバーでもある彼女。この五月、嬉しいな。
★註一「喝采がお待ちかね ラテン的悦楽世界へのご招待」八木啓代 光文社文庫
★註二 「マルクスガール・オルタネイティヴ」 山本夜羽音 情況出版
★註三「革命の季節 パレスチナの戦場から」重信房子 幻冬舎
補足 前田朗東京造形大学名誉教授から、コメント頂戴した。感謝かんげき雨あられ
ーーーーーー CMLメーリングリストからの転載
蜜ファンの千恵子さん
90年頃の奇妙な熱気でしたね。
ヒロヒトの下血騒ぎ、大嘗祭攻撃、バブル崩壊、湾岸戦争、カンボジアPKO、就職氷河期、失われた10年(30年)の始まり。
原宿被拘禁者「奪取」事件や神宮球場建造物「侵入」事件など、
秋の嵐の行くところ、春も夏も嵐。
私が「救援」に連載するようになった95年、バイク事故で彼は逝ってしまいました。
ーーーーーー 以上 転載ーーーー
千恵子註
引用リンクを貼るので調べてみたら、なんと「奪取」事件は森川弁護士デビュー。
某「侵入」事件は天覧!?試合反対なのだけど、秋の嵐より後かも。