ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

古道連協、入江めぐりの下見&西隣区S小学校火曜ダンス教室H29年10月①

2017-10-03 23:37:20 | 日記
 昨日の雨は殆んど一日中降られた形だったが、今日はなんとか曇りのち晴れという感じになって来たので今日の下見歩きは何とか雨に降られずにすむかなと期待する。
 下見歩きは集合場所がいつも行く北方面のスーパーから西方面に行けば30分ほどで到着するので午前中に家事を済ませて少し早い目に自宅を出てそのスーパーで弁当でも買って集合場所の電停駅舎で食べることにした。

 自宅を11時30分に出発し歩いてスーパーに到着する。

 いつもだったら食料品を買って両手に買い物袋をぶら下げてまた自宅に戻ることになるが、今日は寿司パックだけを買って集合場所に向かう。

 私が到着したときは、その駅舎の前に3人の女性と1人の女性が駅舎の中にいたがちょうど電車が到着したので駅舎の中や周りには誰もいなくなったので1人駅舎で寿司パックを広げて食べることになった。

 この駅舎は路面電車が開通したころにできたので100年ほど経っているが最近駅舎もきれいに塗り替えられている。

 食べて缶コーヒーを飲んで間もなくした頃今日参加する女性スタッフがやって来て隣に座り、今日の予定コースの内容などについて話し合う。しばらくしてS事務局長もやって来たが、集合時刻の午後1時直前に女性スタッフ2名もやって来たので早速出発することになった。

 まずは西方面に向かい縄文海進により出来た崖の坂を下っていく。下がりきったところが古代は海であったところが近代には川により流されてきた土砂が堆積し陸地となり街道が出来た。そこからまた別の坂を上ることになるが、一部上場の大きな企業の創始者のお屋敷の横を通る坂道でその創業者の通称名の付く坂となっている。

 坂を登って南下していくと当区にある前方後円墳のところに出る。本番ではこの古墳に上がるが今日は下見と言うことでそのままスルーして回り込んでから西へ行くとやはりここにも縄文海進涯になっている。

 古代の海岸に沿って南下していくと神社の西側へと続くが、その神社の直ぐ傍まで海が来ていた訳だが、神社を廻り込んで東へ入江が入り込んでいた地形を感じながら南下し、今は広い道路となっているが南へ横断し、南北朝時代の一時期に南朝の首都となっていた拠点となる行宮のところに辿り着く。

 ここには当時大きな館があった訳だが、もちろん当時から高台となる場所に建っていたことを示している。

 その前の通りを西へとると高台から西へ下っているのがよく分かる。

 さらに西へ行くと路面電車の踏切があり、そこを渡って江戸時代のメイン道路であった殿様の参勤交代で通った道に出る。

 そこからしばらく南下したところに明治時代に郡の役所があった場所、古代から歌にも詠まれた白砂青松の海浜の地であった往時の面影は今は無い。

 ここが最後のポイントとなり少し離れたところにある民鉄の駅がゴールとなる。

 駅は2階になるが1階には色んな店がある中でパン屋さんがこの民鉄と提携しているようだが、パンだけじゃなくドリンクも合わせて出している店に入りスタッフ全員でコーヒーを飲みながら今日の反省会をした後解散したが、そこから電車に乗って帰る人もあるが、私はそこから自宅まで約30分かけて自宅に戻る。

 小一時間ほど自宅でくつろいだ後、夕刻となり火曜ダンス教室に行く準備をする。

 いつもの時間通りに自宅を出たが、すっかりにも暮れて風もそこそこ吹いていたこともあり、長袖のシャツを着ていたものの少し肌寒さを感じるぐらいである。

 ふと前の席を見ると見たことがある髪型の女性がいたが、先生のペアを組んでいるN先生であることが分かった。

 バスを降りて一緒にS小学校のダンスレッスンを行なっている多目的教室に入る。

 その頃に来ていたメンバー数人だったが、時間の経過と共に少しづつメンバーがやって来た。

 やがて先生も現れ、その内7時になったので早速準備体操から始まる。

 今日は今月22日に行なわれるダンス3クラブ合同のパーティの出しもののフォーメーションであるマンボを前半のみならず、後半も行なうということである。

 前週にペアを組む相手がクジで決めたので最後までそのぺア同士で組んで行なったが、このクラスは入門コースなので未だ充分しっかり出来ない人もあるので何度も繰り返して行なうことになった。

 私と組んだ女性も中々上手く覚えられない感じなので、常に次のステップを誘導する必要がある。

 少しづつサマになって来たが、他のペアも余り変わらないので音楽に合わせて何度も踊る。