今日は午後までは晴たり曇ったりの天気が持ったが夕方から雨が降り出した。
今日も夕方から行なわれるダンスレッスン以外には特に外出の予定はないからいつものように自宅での作業を行なうこととなる。
と言っても毎度のことながらメールとカレンダーのチェックから始まることとなる。
今日は3月3日のおひな様で女の子の節句ということになるが、こういった行事は大切にしたいものである。
3月3日に行なうようになったのも平安時代の宮中での行事から始まったとのことであるが、昔は当然のことながら子供の死亡率が高く無事に成人になるまで生き延びることができたのは身体が丈夫で流行病にも触れることなく運よく生き延びられたいわば神様から選ばれた子供が成長できるとの思いが神への祈願と、感謝の現れが連綿と受け継がれてきたものであろう。
事実、昨今でこそ医学の発達により急速に寿命も延びてきたが、私たちが子供時代を過ごして来た少し前の戦前はモチロン、戦後しばらくの間は今ではほとんど耳にしなくなった結核や盲腸でさえ命を落としていた訳で、場合によっては風邪をこじらせて亡くなった人も少なからずあったものである。
ということは人間の長い歴史の中ではつい最近になってやっとかなり多くの病気やケガも克服できるようになってきたということになる。
それがどうだ、今ニュースを賑わせている群馬大学病院でのことだが、最新の手術として脚光を浴びてきた腹腔手術(腹部に小さな穴を開けて手術器具を差し込みモニターを見ながら行なう手術)を行なって数多くの死亡者を出した40歳代の医師が大きな問題となり、また病院の組織的な怠慢を問われている。
しかもその医師は学会で手術時間も短く経過も良好で有効であるなどと発表しているというから驚きである。
どういう神経をしているんだといいたい。
とんでもない医者のオゴリである、というか人間性を疑いたくなるが、その医師が手術した患者が相次いで死亡している事実があったことは当然、周囲のスタッフも分かっていた筈で、そのことに何とも感じていなかったのかということである。
とにかく時代がどのように変わろうとも、命を粗末にするということはあってはならないことで昨今の軽薄で人命を粗末に扱うニュースが多くなってきていることに危機感を感じるのは私一人ではないはずだ。
最近は結婚する数も少なくなり、それにも増して出生率も低くなっているから益々人口が減りこの状態が続けば20年後、30年後にはかなり人口減少に拍車がかかり、1人の高齢者を2人とか1.5人の働き盛りの人が支えなければならなくなるという現実がある。
そうなると今でも中々老人センターが不足して入寮できないのに、高齢者は益々誰にも見守って貰えずに、放っておかれるようになることは目に見えてくる。
先行きお寒い状態で寂しいばかりである。
とまあ、この問題は、このぐらいにして夕方になり、いつもだったらバス停に行くのだが、今日は1度自宅から歩いてみようと思い立った。
テレビニュースでは夕方から雨が降るということだったが、玄関を出たところ雨は降っていない。
がしかし、歩いて行く途中でもし雨に降られたことを考えると、折り畳み傘ではちょっと不安だったので出かけて少し歩いたが、すぐに戻って普通の傘を持ち出し、傘を折りたたんだ状態のまま片手に持って歩き出した。
しばらくしたら少し雨が降って来だしたが大したことはなく間を置いてポツリポツリと降り出した。
そしてまた、しばらく歩いたところで弱くずっと降り出して道路も濡れだした。今日の往きの道筋はいつもレッスンを終えて歩いて還ってくるコースではなく西方面のスーパーへ行く時に利用する道筋である。
西方面のスーパーに近づいた辺りから普通の降り方に替わりレッスン場となっている小学校へ近づいたところでかなり強く降りだした。
慌てて小学校の建物と建物の間にある軒に入ると、2,3人のメンバーも同様に慌てて入って来たようである。
それでもまだ少しだけ濡れただけで済んだが、ザーッとドシャ降りだからその後にやって来る人たちは走り込んでくる有様である。
部屋に入ると丁度今準備を始めたばかりで椅子などを取り出し壁際に並べていってるので私も加わって一緒に準備を始めた。
準備を終えた後、女性たちは発表会本番さながらにオレンジとブルーの上着(といったって薄地のプルダウン型のもの)と下は黒のスカートに着替えてのレッスンとなる。
火曜ダンス教室では他では殆んどやっていないマンボとジルバを発表することになっているが、10組のペアを組んでっ前列と後列がそれぞれ5組で踊ることになっている。
しかし男性は先生を含めて7人だけなので男役の女性3人が入り、女性同士のペアが3組となる。
ということで今日は前半、後半共に昨日の月曜ダンス教室同様何度も入場から退場までの通しでレッスンする。
帰りも雨は降っていたが降り方はドシャ降りではなかったものの自宅に帰る着くまでずっと降っている中を歩いて帰って来た。