まわりで起こっていること

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為朝は三保の半島に葬られている

2018年02月21日 | Weblog

なんか、民俗学者のエッセイのような表題でしょ。

って、気負いすぎかも、だけどね。

昨日だったか、アップしたんだけど、源為朝。

義経さんのおじさんになるらしい。

この間の東海道ウォーキング、その朝に、同行の御仁から知らされた。

最初は、梶原景時のお墓が、という話が、結果、源為朝だった、ってやつだけど。

それはともかく、為朝、という語感が、残っていて。

たしかに、どこかで、聞いたよな、ってわけだ。

谷川健一さんの著作の中だろう、とあたりはつけておいたんだけど。

なので、夕べ、帰宅後、本棚を調べ始め、もともと見かけたのは、違う本だったんだろうけど。

「地名逍遥」という分厚いやつに、為朝渡来の伝承地、との副題で。

琉球に、つまり、沖縄だね、為朝伝説が残されているらしい。

琉球で、大里按司の妹を娶って、一子、尊敦(そんとん)をもうけて、彼が舜天となり。

王統を開いた、早い話が、為朝の末裔、というか、息子が王様になった。

なんて話だ。

事の真偽はともかく、わが三保半島でも、子供をもうけて、なんて話もあるようだ。

伊豆大島に流される途中、三保半島に漂着し、土地の白縫姫の婿となり、その末裔が。

現在も庭先に祀っている、という事なのかな。

ここが現在の、SNSブーム、ネットブームの社会を下敷きに考えたら、なんともカントも、わけわからない。

なんて話に見えるけど、1000年も前の話だ、IDなんてのは、取りようがなかった時代。

写真もないし、血液鑑定、DNA艦艇もなかった時代だ。

名乗ったもん勝ち、言いふらしたもん勝ち、ってなもんだね。

今だって、メディアをはじめ、広報部隊のやらんとしていることでもある。

書いたもん勝ち、というの。

伊豆諸島の青ヶ島にも、そんな伝説が残ってもいるようで。

どうやら、豪勇の士、源為朝、さらに、源血筋だ。

珍重されたんだろうな。

今だって、俺は、誰それと親戚、とか、ポン友だよ、なんてセリフ、ありがちだもんね。

その実、親戚といっても、遠ーいうすーい親戚、なんてのやら、ヤクザのなんとか組の親分。

俺がよく知ってるから大丈夫、みたいな。

なので、そこかしこで伝説となっているのは、なんの不思議もないんだよね。

にしても、その名前が、1000年経った今にして、語り継がれていることが、面白い。

谷川さんの本を写メしたので、さっそく、くだんの御仁に送ってやろうと思っているんだ。

すると、たぶん、きっと、点と点が結ばれるかもしれないしね。

ところで、三保半島は、源兵衛さんというお宅だそうで、そんな苗字、あるのかね。

聞いたこともあるような、こちらの記憶では。

落語の「宿屋の仇討ち」だ。

ゲンベエさんは、色男、と囃し立てられる御仁、どこぞで大金をせしめ、そのとき人妻も一緒に。

斬り捨て、なんてことを、宿屋の一室で大騒ぎで話していたら、隣の客人が、実は、仇討ちのために。

諸国を経巡っている侍さん、その者、手打ちにしてくれる、ってな話の展開。

もちろん、ゲンベエさんの話は、豪勇、豪胆を見せつけるための作り話だったんだけどね。

話がずれたな。

そんなわけで、わが駿河の地に眠る、小さいけれど大きなお話です。

コメント
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