なんか、民俗学者のエッセイのような表題でしょ。
って、気負いすぎかも、だけどね。
昨日だったか、アップしたんだけど、源為朝。
義経さんのおじさんになるらしい。
この間の東海道ウォーキング、その朝に、同行の御仁から知らされた。
最初は、梶原景時のお墓が、という話が、結果、源為朝だった、ってやつだけど。
それはともかく、為朝、という語感が、残っていて。
たしかに、どこかで、聞いたよな、ってわけだ。
谷川健一さんの著作の中だろう、とあたりはつけておいたんだけど。
なので、夕べ、帰宅後、本棚を調べ始め、もともと見かけたのは、違う本だったんだろうけど。
「地名逍遥」という分厚いやつに、為朝渡来の伝承地、との副題で。
琉球に、つまり、沖縄だね、為朝伝説が残されているらしい。
琉球で、大里按司の妹を娶って、一子、尊敦(そんとん)をもうけて、彼が舜天となり。
王統を開いた、早い話が、為朝の末裔、というか、息子が王様になった。
なんて話だ。
事の真偽はともかく、わが三保半島でも、子供をもうけて、なんて話もあるようだ。
伊豆大島に流される途中、三保半島に漂着し、土地の白縫姫の婿となり、その末裔が。
現在も庭先に祀っている、という事なのかな。
ここが現在の、SNSブーム、ネットブームの社会を下敷きに考えたら、なんともカントも、わけわからない。
なんて話に見えるけど、1000年も前の話だ、IDなんてのは、取りようがなかった時代。
写真もないし、血液鑑定、DNA艦艇もなかった時代だ。
名乗ったもん勝ち、言いふらしたもん勝ち、ってなもんだね。
今だって、メディアをはじめ、広報部隊のやらんとしていることでもある。
書いたもん勝ち、というの。
伊豆諸島の青ヶ島にも、そんな伝説が残ってもいるようで。
どうやら、豪勇の士、源為朝、さらに、源血筋だ。
珍重されたんだろうな。
今だって、俺は、誰それと親戚、とか、ポン友だよ、なんてセリフ、ありがちだもんね。
その実、親戚といっても、遠ーいうすーい親戚、なんてのやら、ヤクザのなんとか組の親分。
俺がよく知ってるから大丈夫、みたいな。
なので、そこかしこで伝説となっているのは、なんの不思議もないんだよね。
にしても、その名前が、1000年経った今にして、語り継がれていることが、面白い。
谷川さんの本を写メしたので、さっそく、くだんの御仁に送ってやろうと思っているんだ。
すると、たぶん、きっと、点と点が結ばれるかもしれないしね。
ところで、三保半島は、源兵衛さんというお宅だそうで、そんな苗字、あるのかね。
聞いたこともあるような、こちらの記憶では。
落語の「宿屋の仇討ち」だ。
ゲンベエさんは、色男、と囃し立てられる御仁、どこぞで大金をせしめ、そのとき人妻も一緒に。
斬り捨て、なんてことを、宿屋の一室で大騒ぎで話していたら、隣の客人が、実は、仇討ちのために。
諸国を経巡っている侍さん、その者、手打ちにしてくれる、ってな話の展開。
もちろん、ゲンベエさんの話は、豪勇、豪胆を見せつけるための作り話だったんだけどね。
話がずれたな。
そんなわけで、わが駿河の地に眠る、小さいけれど大きなお話です。