今朝の表題は、少々気取ってるかね。
ふと、おもしろうて、と言う語が、浮かんできて。
それに続く、やがて悲しき、までは、出てきたんだけど、残りは。
グーグルおじさんにお訊きした。
ら、表題で、鵜舟だったんだね、対象は。
木曽川と長良川と、二度ほど、鵜飼の船には、乗ったことがあるんだけど。
そこはそれ、業界人たちとの、お酒を間にした時間だったので、芭蕉の。
この境地のことなど、微塵も感じないまま、船を後にしたな。
グーグルの解説によると、鵜舟、と言う謡曲が下敷きになっているらしい。
殺生をした科で、この世にいられなくなった御仁が、夜だけは、かな、楽しめる。
ので、鵜舟で、鵜飼を楽しんだ後、夜も更け、朝に向かう頃には、あの世へ帰らなければならない。
なんて言う、謡曲だそうだけど、そこへかけて、芭蕉は、ってわけだ。
芭蕉の頃の夜は、今と比べて、相当の暗さだっただろうし、鵜飼の灯が消える頃には、なんとか提灯ぶら下げて。
夜道を踏みしめながら、長良川の袂くらいの、あきんど宿かなんかに、帰る。
そんな絵柄だね。
そこに、宿ではなく、あの世へ帰る、と言う謡曲を被せ、と言うのが、この句のようだ。
ウイキ的には、芭蕉の最高傑作、なんて言う、コメントもあったけどね。
昨夜、いとこがやってきて、話すには。
不如意のおじの見舞いに行った時、俺を連れて帰ってくれ。
と言われた、と。
そこまでは、いつもの口癖、あんた、なんできた、車?歩き?から始まって、その後に続く言葉。
なんだけど、その時には、俺は、ここであの世に行きたくない、せめて、自宅から。
と言うことだったそうで。
その話が、耳に残っていて、今朝の表題に、結果、繋がった。
謡曲では、このような謡いがあるらしい。
『鵜舟にともす篝火の消えて闇こそ悲しけれ』
おじの境地、それを聴くいとことの間での、ドラマのようなセリフだね。
そういえば、おじは、よく、面白おかしく、と言うフレーズを使っていたな。
それにしても、芭蕉さん、いろんなところ、旅し、瞬間瞬間の哀切を残してくれているんだな。
『五月雨の 降り残してや 光堂』
なんて、中尊寺金色堂を詠んだ句もあったね、今、グーグルおじさんに確認したんだけど。
今日は、芭蕉デーにでもするか。