まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

思いもよらない、棚からぼたもち

2017年03月02日 | Weblog

夕べは、お米がなかったので、東海軒の鯛飯を買っといたから。

というので。

母親が、表題の言葉を繰り返し。

満面の笑みを浮かべ、ガツガツというほどに食べていたのが印象的で。

それこそ、イベントの記憶機能を持った感情というやつ、全開の場面だった。

それに畳み掛けるように、カレンダーの5日、を指し示し、ハンドル操作の真似をした。

つまり、おじおば会と銘打ち、どこかへ出かけるよ、というサインを送ったわけだ。

ここでも、感情を刺激し、喜怒哀楽のうちの、喜、の部分だね。

もっとも、せっかく、感情の四態があるんだから、時には、哀しい、哀切の、哀、でもいいし。

怒、でもいいんだよね。

どのみち、原初からのエネルギーの、一つの姿としての感情、それが表面のフィルターを通すと。

ある時は、喜、ある時は、怒、ある時は、哀、ある時は、楽、ということなんだろうな、という解釈なんで。

まるで、多羅尾伴内みたいな。

それが、命の、生きてる証拠でもあり。

なんて、男性性を全開にしたリクツなんてのは、どうでもいいんだけどね。

でないと、女性活躍社会に出遅れちまう、って次第で。

社会、なんてもの、どう見ても、左脳優位な、って勝手に解釈してますが、男性性由来のものに見えるからね。

ガシャっと、バシャっと、一気呵成とでもいうか、右脳的に、捉えるというのが、女性性由来かね。

もっとも、女性が、女性の時代が、次なる労働力として女性と高齢者が、なんて騒々しいけど。

うかうかしてると、男性性丸出しの女性、ってのが、いかにも有用な、有為な、有能な、あと何、とにかく。

社会への強制的な順応、なんて、まるで強制収容所へ送られる捕虜、みたいな加減にもなっちゃいそうだけど。

世の女性陣も、甘い言葉にはご用心を、ってわけだ。

 そうだ、昨日の続きだけど、深山で修行する、まるで役行者みたいな方が、わがハイヤーセルフ。

だそうで。

であれば、現代風な修験者になろう、と、上記、母親との夕餉の後、独り、思っていた。

ノートに書き込んだ。

現代といえば、何か。

って、わかりやすいのが、お金かな。

お金に絡まる、様々な、それこそ、喜怒哀楽ね、そこへ身を沈める。

まるで、苦界へ身を沈める、身を売られた女郎、みたいな感じだけど。

そこを掘る。

その掘り方を通して、生命の真髄に至る、とでも書けるか。

それも、ありだな。

って、とうの昔から、そんなことを強いられてきてもいて、そのことを受け止めてなかっただけかも。

なんて気にもなるな。

スルー、ってやつね、あるいは、ダチョウが敵に追いかけられ、もうだめだ、と観念したときに。

頭を砂に突っ込む姿、かな。

超格差がある、1%の人たちが何十%だかの富を独占してる、とかなんとか、そんなタグが踊るけれど。

だから、お金は、とか、通貨ってやつは、まったく、悪魔のようなもので、人間の情欲を掻き立て。

とんでもないことだ、それにもかかわらず、私は清廉潔白に生きてますよ、みたいなところへ落とし込むんでなく、ってわけだ。

昔風の仙人修行、卒業、ってとこだな。

ドラゴンボールの亀仙人だっけ、地上の妖艶な、か、若々しいか、ビキニかなんかの女性に魅入られ、雲の上から。

落ちちゃったでしょ、たしか。

そのくらいの、ホントの意味での生真面目さがね、倫理道徳に汚されない、うわべの真面目さでなく、ってことも含め。

真髄を求める、いや、求めない、って、加島祥三さんは、おっしゃっていたか。

いずれにせよ、現代風の修行にチャレンジ、って絵姿。

求めよ、さらば与えられん、とイエスはおっしゃったけど、あれ、実は、とてもとても深くて。

字義通り、文字通り、自分の幼少期から周囲に教えられたままに解釈しちゃうと、真逆なポジションに行っちゃう。

ってこと、知ってましたか?

求めよ、そう、わかる、しかし、求めるのをやめたとき、諦めたとき、明らめたとき、訪れる。

井上陽水が歌ってたよね、探すのをやめたとき見つかることはよくある話で、って。

あれだね。

つまり、こじつけっぽいけど、思いもよらない、棚からぼたもち、ってわけだ。

なんだか、教訓話みたいになっちゃったけど、さて、今日に出かけるとしますか。

 

コメント
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