今朝の表題は、なかなか、複雑で。
説明が必要なんだけど。
話は、沖縄の、さらに南、台湾に近い島での、小さな、小さな物語。
by 谷川健一さん、なんだけどね、ずっと前に、このブログでもご紹介したけれど。
その小さな島で、恋人の彼女が、沖縄なのか、大阪なのか、働きに出ている。
島に残った男は、ギターを弾いたりしながら、恋人からの便りを待っている。
便りは、都はるみの歌みたいに、連絡船でつくのか、南洋航路を行く貨物船がついでに、届けるのか、なんだけど。
台風や大波の立つ時には、その島には寄れず、素通りしてしまう。
ので、その船影に向かい、叫ぶ言葉が、うんね、だ、と。
小高い丘にでも登り、うんね、つまり、船だね、に呼びかけるわけだ。
哀切極まりない、なんというのか、ココロの奥底からの叫び。
言葉にすれば、会いたい、会えない、というような。
一方、わがおじの入院している病院を訪ねた。
鼻から胃に管を入れて、栄養補給をしているんだけど、喉の筋肉が衰え、嚥下、つまり、唾を飲み込めないので。
胃へ直接、食物と言えるか、を入れているわけだ。
唾を飲み込めるようになれば、管も外れ、車椅子に乗り、外へ出れるかも、というのがあって。
これ、勝手な僕の解釈ですが。
両手でハンドルの真似をして、行こうよ、と。
つまり、おじが楽しみにしていた、おじおば会、それへの参加がかなう、そのために。
なんとか、気力、をそこへフォーカスして、とね。
その夕方、いとこからのメールに、個室を出て、ナースステーションの近くへベッドを移されていた。
平身低頭、看護婦さんに頭を下げ、元の個室へ戻してもらった、というんだね。
大声を出し、情緒不安定のなせる技、という見立て。
僕は瞬間、うんね、を思い出したんだ。
彼のココロは、おじおば会で助手席に座り、景色を見ながら、後部席の三姉妹の、たわいない会話に耳傾け。
というシチュエーションに、ハンドルの仕草から瞬間になっていて。
なぜそれが、わかるか、と言えば、おじは必ず、俺たちのことはいいから、僕の妻の名を上げ、よくしてやってくれよ。
どこかへ連れてってやってくれよ、というフレーズが、その席からは続くんだよね。
その仕草の僕に投げかけられたのも、同じフレーズ。
彼のココロの奥の方では、次元が変換され、その場所に座っていた。
と気がつくと、その情景が、わけわからない一室に早変わりし、どこへ行ったんだ、あの助手席は。
くらいの叫び声を、院内では、情緒不安定、みたいな判断のもと、上記のような結果を招来したわけだ。
長くなったけど、そういうわけで、沖縄の南、小さな島で、起こっていたココロは。
駿河の地、山の上にある病院内でも起こっていた。
こんな話は、最近、くどく書いてるかも、の、one more cup of coffee、にも通じ。
そこかしこで、日常的に起こっているデキゴトでもあるね。
そうだ、昨日も、会合と会合の、ほんの短い時間に、ブックオフへ入り、啄木の「一握の砂」と宮沢賢治詩集を。
105円也で買ってしまった僕のココロもあったんだった。
ココロは、まさに、コロコロとどこにでもころがっているわけだ。