まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

師走初めての日曜日

2016年12月04日 | Weblog

昔、もう一つの土曜日、なんて曲、ハマショーだったか、あったね。

いきなりだけど。

明日は、妻の誕生日だ。

早産だったのか、今は亡きお父上が、自転車で、産婆さんを呼びに行ったんだったか、お母さんを乗せて行ったんだったか。

小さく生まれた妻は、一晩、アンカの上に乗せられて、かろうじて命をつなぎとめ、なんて話を、お酒を飲みながら聞いたことがある。

妻の上の三人兄弟は、お父上とは、そんなにたくさん、話をしたことがなかったようで、よそ者たる。

娘の婿殿、当方は、立ち位置が違っているというだけで、よく、お正月には、お酒をいただきながら。

お父上の話に興じていたものだ。

金沢の大学の教授と、漆の一件で、交歓があったようで、年賀状を見ながら、漆塗りのウンチクもたくさんお聞きし。

のちに知ることになる、木曽平沢での漆祭りでも、毎年6月にあるんだけど、その話は生き生きと存在してもいて。

あるいは、蒔絵、前田家の、利家から数えて三代目の方が、田舎侍の、武で日ノ本を制覇した家康への。

ある種複雑な、メンタリティーを、漆に金を施したね、蒔絵で、表していた、なんてことにもつながり。

人は死しても、to be continued、なのです。

そのお父上、死期近くの枕元に、親鸞さんだったか、法然さんだったか、自筆になる書写が置いてあって。

先にゆくものは後のものへ何かを示し、だったか、そんな意味のことをね。

なんてことも連想される、妻の誕生日、というフレーズだ。

せっかくだから、と今、検索して見たんだけど、法然さんの「教行信証」の一節のようだ。

こんなの。

前(さき)に生れんものは後(のち)を導き、後(のち)に生れんひとは前(さき)を訪(とぶら)へ

ということを思い出させてくれるんだよね。

連綿と、途切れなく、存在していないようで存在している、この摩訶不思議な次元の旅、とでも言いましょうか。

なんて気分になる、法然の言葉だ。

今朝は、浄土真宗にまでたどり着いた。

そうだ、今日は、カーテン工房へ、広島だったか、遠来の客人がいらっしゃるそうで。

取引先の方で、新米の社長へのご挨拶に、というウタイの。

なので、身仕舞を整え、と言いつつ、ソフトジーンズとでもいうのか、伸縮性のあるブルージーンズに身を固め。

登場、と相成る次第。

華やかなりし、とでも形容できただろう、アメリカの戦前から戦後へかけての時代、ブルージーンズは。

ジェームズディーンのような、時代への反逆者、みたいな立ち位置でもあったんだろうけど。

そんなジーンズで、というわけだ。

人によれば隔世の感、とでも形容するかも、だけど、今や、IT村の村民は、エスタブリッシュ村の住人でもあるにもかかわらず。

アンチ・エスタブリッシュメントの装いで、ってのが、デフォ、だよね。

さてさて、本日の日曜日を、どんな具合に料理するとしますか。

 

コメント
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