昔、もう一つの土曜日、なんて曲、ハマショーだったか、あったね。
いきなりだけど。
明日は、妻の誕生日だ。
早産だったのか、今は亡きお父上が、自転車で、産婆さんを呼びに行ったんだったか、お母さんを乗せて行ったんだったか。
小さく生まれた妻は、一晩、アンカの上に乗せられて、かろうじて命をつなぎとめ、なんて話を、お酒を飲みながら聞いたことがある。
妻の上の三人兄弟は、お父上とは、そんなにたくさん、話をしたことがなかったようで、よそ者たる。
娘の婿殿、当方は、立ち位置が違っているというだけで、よく、お正月には、お酒をいただきながら。
お父上の話に興じていたものだ。
金沢の大学の教授と、漆の一件で、交歓があったようで、年賀状を見ながら、漆塗りのウンチクもたくさんお聞きし。
のちに知ることになる、木曽平沢での漆祭りでも、毎年6月にあるんだけど、その話は生き生きと存在してもいて。
あるいは、蒔絵、前田家の、利家から数えて三代目の方が、田舎侍の、武で日ノ本を制覇した家康への。
ある種複雑な、メンタリティーを、漆に金を施したね、蒔絵で、表していた、なんてことにもつながり。
人は死しても、to be continued、なのです。
そのお父上、死期近くの枕元に、親鸞さんだったか、法然さんだったか、自筆になる書写が置いてあって。
先にゆくものは後のものへ何かを示し、だったか、そんな意味のことをね。
なんてことも連想される、妻の誕生日、というフレーズだ。
せっかくだから、と今、検索して見たんだけど、法然さんの「教行信証」の一節のようだ。
こんなの。
前(さき)に生れんものは後(のち)を導き、後(のち)に生れんひとは前(さき)を訪(とぶら)へ
ということを思い出させてくれるんだよね。
連綿と、途切れなく、存在していないようで存在している、この摩訶不思議な次元の旅、とでも言いましょうか。
なんて気分になる、法然の言葉だ。
今朝は、浄土真宗にまでたどり着いた。
そうだ、今日は、カーテン工房へ、広島だったか、遠来の客人がいらっしゃるそうで。
取引先の方で、新米の社長へのご挨拶に、というウタイの。
なので、身仕舞を整え、と言いつつ、ソフトジーンズとでもいうのか、伸縮性のあるブルージーンズに身を固め。
登場、と相成る次第。
華やかなりし、とでも形容できただろう、アメリカの戦前から戦後へかけての時代、ブルージーンズは。
ジェームズディーンのような、時代への反逆者、みたいな立ち位置でもあったんだろうけど。
そんなジーンズで、というわけだ。
人によれば隔世の感、とでも形容するかも、だけど、今や、IT村の村民は、エスタブリッシュ村の住人でもあるにもかかわらず。
アンチ・エスタブリッシュメントの装いで、ってのが、デフォ、だよね。
さてさて、本日の日曜日を、どんな具合に料理するとしますか。