(2022年06月26日[日])
琉球新報のこらむ【<金口木舌>戦争のためにペンを取らない。もう二度と、絶対に】(https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1537729.html)。
《▼戦後77年を「戦前X年」にしてはならない。慰霊の日に、沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない。もう二度と、絶対に。》
琉球新報の【<社説>慰霊の日 「前夜」を拒絶する日に】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1537645.html)によると、《沖縄戦から77年。ロシアによるウクライナ侵攻後、初めて迎える慰霊の日である。政府は米国との軍事一体化を強化し、自衛隊を南西諸島に重点配備して沖縄の軍事拠点化が進む。政治家は台湾有事を持ち出し緊張が高まる。現状は外交努力が失われ力の論理が席巻したかつての日本と重なる。沖縄戦の前年に日本軍(第32軍)が配備され、島が急速に要塞(ようさい)化された。その結果「ありったけの地獄を一つにまとめた」(米軍戦史)戦闘によって4人に1人の県民が犠牲になった。沖縄戦の教訓は「命どぅ宝」という非戦の思想であり、人間の安全保障の実現である。慰霊の日のきょう、かつての戦争「前夜」の状況を繰り返さないことを誓いたい》。
『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》』
『●《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」
…反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言》を躊躇わず』
『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》』
『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン』
『●《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった
大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》』
『●「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化する」、政府の政策に
逆らえば…衆院テロ対策特別委員会委員は国会参考人の発言を打ち切り…』
『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…』
「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
戦争の記憶をどのように継承していくのか。
《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
なったそうです」
『●大矢英代さん《沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回の
アメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》!』
『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り
返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》』
自公お維コミに投票する限り、沖縄イジメは止まらない。戦争のリスクは下がらない。むしろ、《火事場ドロボー》どもに唆され、軍事費倍増、壊憲、むしろ戦争のリスクは上がる。半田滋さん《南西諸島の戦場化…住民が巻き込まれるリスクは避けられません…これを避けるには「戦争をしない」という選択しか》ない。
まずは投票に行くこと。#わたしも投票します、それしかない。
『●「戦争のためにカメラを回しません。戦争のために
ペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」』
《かつての戦争「前夜」の状況を繰り返さないことを誓いたい》、《沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない。もう二度と、絶対に。》
元《琉球朝日放送(QAB)の記者・大矢英代さんのスピーチの一部…
あらゆる戦争につながる原稿は1本たりとも書かないことを約束します。
戦争のためにカメラを回しません。
戦争のためにペンを持ちません。
戦争のために輪転機を回しません。》
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【https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1537729.html】
<金口木舌>戦争のためにペンを取らない。もう二度と、絶対に
2022年6月23日 05:00
金口木舌 慰霊の日 戦後77年
いつか来た道を、再びたどってしまっていないか。ウクライナ侵攻を伝えるロシアメディアの大半は、政府の「大義名分」を拡散する。政府系テレビ局のニュース番組に乱入し反戦を訴えた女性は「ロシア人はゾンビ化している」と思考停止状態に警鐘を鳴らす
▼一方国内では、国是としてきた専守防衛の範囲を超えるような「防衛力強化」の議論が勢いを増す。力の論理の延長線上に、本当に人命と個人の尊厳が守られる平和があるのだろうか
▼戦時中、新聞やラジオは大本営発表を垂れ流し、戦場の実相を隠すことに加担した。偽りの戦果に国民を熱狂させた帰結が、沖縄を捨て石とし、住民を惨禍に巻き込んだ沖縄戦だ
▼「戦争の最初の犠牲者は真実である」という有名な言葉がある。真実が葬られることを黙して見過ごせば、次の犠牲者は自由と尊厳、そして人命だ。沖縄戦の記憶はそれを物語っている
▼戦後77年を「戦前X年」にしてはならない。慰霊の日に、沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない。もう二度と、絶対に。
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[※ 「こんな人たち」 報道特集(2017年7月8日)↑]
(2022年04月04日[月])
琉球新報の【<社説>陸自、反戦デモ敵視 文民統制 逸脱許されない】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1494580.html)。
リテラの記事【ロシアと同じ! 防衛省陸幕が安倍政権時代、「反戦デモ」「報道」をテロと同列視して「戦い」の対象とする勉強会資料を作成】(https://lite-ra.com/2022/04/post-6179.html)。
《思想統制、言論弾圧につながる危険な兆候だ。…反戦の声を上げる市民に敵意を向けた自衛隊の暴走を見過ごすわけにはいかない》。
《2020年2月、防衛省陸上幕僚監部が記者を対象に勉強会をおこない、その際に配布した「陸上自衛隊の今後の取組み」という資料において、「予想される新たな戦いの様相」「グレーゾーンの事態」として、「テロ等」「サイバー攻撃」「不法行動」「特殊部隊等による破壊活動等」などと並んで、「反戦デモ」と記載していた、というのだ。言っておくが、「グレーゾーン事態」は平時と有事の間にあることを指し、安保法制を発動させる事態のひとつとなっている。そんな「グレーゾーン事態」だの「予想される新たな戦い」だのという物騒なもののひとつとして、テロやサイバー攻撃、特殊部隊による破壊活動と並列して、「反戦デモ」を挙げていたのである。つまり、戦争に反対し平和を願う市民によるデモを、政府は国家の主権を脅かす行為として敵対勢力扱いしていたのだ。しかも、注目すべきは、この資料が配布されたのが2020年2月、つまり安倍政権下だったことだ》。
『●違憲な土地規制法 ――― 密告社会、《軍隊に監視される社会でいい
のか?》、《戦争に市民を協力させるという構造》を許していいのか?』
(リテラ)《「陸上自衛隊の今後の取組み」という資料において、「予想される新たな戦いの様相」「グレーゾーンの事態」として、「テロ等」「サイバー攻撃」「不法行動」「特殊部隊等による破壊活動等」などと並んで、「反戦デモ」と記載》《戦争に反対し平和を願う市民によるデモを、政府は国家の主権を脅かす行為として敵対勢力扱いしていた》…ねぇ。(琉球新報)《戦争に反対する市民の行動を国家の主権を脅かす挑戦と位置付け、敵視していたのだ》。戦争したい、戦争に行かせたいという本音、政府や自衛隊に逆らうものは許さないという本音がポロリでしょうか。ウクライナへのロシアの侵略で世界中の多くの市民が暗い気分になっている所で、一方で、アベ様政権下でのニッポンではこの有様だったわけです。
昔、「市民活動も取り締まりの対象となる」なんて言っていた与党自民党の首脳が居ましたね。「数十万人単位のテロリスト」のいる「そんな国の与党の首脳」が特定秘密隠蔽法の本質について本音をポロリでした。
『●「恥」の三重塗り: 高市早苗氏・稲田朋美氏の
「ネオナチ」写真問題・「在特会」機関紙執筆問題』
「それにさらに輪をかけて、「「ヘイト」規制 国会デモにも広げる愚……
政権批判は耳が痛くても、民の声に耳を傾けることこそ政治家の
仕事ではないのか」? その発言者・高市早苗氏は当然として、
座長・平沢勝栄氏や各委員はこんな発議に異議を唱えないのであれば
高市氏同様の「愚」「恥」」
『●「数十万人単位のテロリスト」のいる
「そんな国の与党の首脳」が隠蔽法の本音をポロリ』
《国民の「知る権利」を侵害する恐れがある特定秘密保護法案をめぐり、
自民党の石破茂幹事長がブログで、市民団体らのデモ活動をテロ
とみなした。憲法が定める「表現の自由」に基づく
市民の政治への訴えを犯罪と同一視する言葉が政権中枢から出たことで、
法案が成立すれば国民の権利が抑圧されるとの懸念は現実味を増した》
『●もはやニッポンに「民主主義の看板を掲げる資格はない」
…アベ様は「盲目的に服従しない者には弾圧で…」』
《記者向け勉強会で配布》《テロと並べて「反戦デモ」や「報道」についても、武力攻撃に至らない手段で自らの主張を相手に強要する「グレーゾーン」事態に当たると明記していた》そうだが、記者も随分と舐められたものですね。《安倍政権が「反戦デモ」「報道」をテロ扱いするという言論弾圧体質を記者相手に公然と見せつけ、それを記者がスルーする──》、ああぁ…。
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【https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1494580.html】
<社説>陸自、反戦デモ敵視 文民統制 逸脱許されない
2022年4月1日 05:00
思想統制、言論弾圧につながる危険な兆候だ。
陸上自衛隊が2020年に作成した資料で、「予想される新たな戦いの様相」として、テロやサイバー攻撃と共に「反戦デモ」を例示していたことが分かった。戦争に反対する市民の行動を国家の主権を脅かす挑戦と位置付け、敵視していたのだ。
主権者として行動する国民を自衛隊が戦う相手として名指しするなど、文民統制(シビリアンコントロール)を明らかに逸脱している。政府は実力組織を統制する立場として、文書が作成された経緯の検証と公表など毅然(きぜん)とした対処をとるべきだ。
資料は陸上幕僚監部が作成し、記者向け勉強会で配布された。陸上自衛隊の今後の取り組みの中で、テロと並べて「反戦デモ」や「報道」についても、武力攻撃に至らない手段で自らの主張を相手に強要する「グレーゾーン」事態に当たると明記していた。記者から不適切だとの指摘を受けて回収し、「暴徒化したデモ」と修正したという。
デモ行進は憲法21条で保障された表現の自由であり、反戦平和の主張を危険視することは憲法19条の思想・良心の自由を侵害する。抑制されることがあってはならない大切な権利だ。「新たな戦いの様相」の中に反戦デモを位置付けた認識を、根本からたださなければならない。
自衛隊の国民監視を巡っては07年に、陸自のイラク派遣に批判的な市民を監視した内部文書の存在が明らかになった。派遣反対の集会やデモ、ビラ配布などを行った団体・個人の動きを詳細に記録。県内でも沖縄弁護士会や沖縄平和運動センターなどが監視対象となっていた。
この文書を作成していた陸自の情報保全隊は、宮古島市と与那国町への陸自配備に伴って両島でも発足している。今年9月には米軍や自衛隊基地の周辺で住民の調査を可能とする「土地利用規制法」が施行される。戦前の治安維持法下をほうふつとさせる監視体制が一層強まる。
文民統制を果たすはずの政府にも深刻な懸念がある。13年の特定秘密保護法案を巡る議論で、当時自民党幹事長だった石破茂氏は市民団体のデモを「テロ行為」になぞらえた。特定秘密の報道にも「わが国の安全が極めて危機にひんするのであれば何らかの方向で抑制されることになる」と述べ、報道機関への処罰を示唆する発言をしていた。
個人の権利より国家を優先する自民党の志向は、国民に監視の矛先を向ける自衛隊の活動と重なる。
沖縄戦の体験や過重な基地負担、台湾有事をにらんだ自衛隊の南西シフトなどを抱える沖縄では、県民の生命や安全な暮らしを守る上で、反戦デモは政治に主権者の意思を示す大切な手段となる。
反戦の声を上げる市民に敵意を向けた自衛隊の暴走を見過ごすわけにはいかない。
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【https://lite-ra.com/2022/04/post-6179.html】
ロシアと同じ! 防衛省陸幕が安倍政権時代、「反戦デモ」「報道」をテロと同列視して「戦い」の対象とする勉強会資料を作成
2022.04.01 07:50
(首相官邸HPより)
ロシアのウクライナ侵略で、ロシア国内における反戦デモなど言論に対する取り締まりが連日報道されているが、そんななか、日本政府がとんでもない資料を作成していたことが判明した。
2020年2月、防衛省陸上幕僚監部が記者を対象に勉強会をおこない、その際に配布した「陸上自衛隊の今後の取組み」という資料において、「予想される新たな戦いの様相」「グレーゾーンの事態」として、「テロ等」「サイバー攻撃」「不法行動」「特殊部隊等による破壊活動等」などと並んで、「反戦デモ」と記載していた、というのだ。
言っておくが、「グレーゾーン事態」は平時と有事の間にあることを指し、安保法制を発動させる事態のひとつとなっている。そんな「グレーゾーン事態」だの「予想される新たな戦い」だのという物騒なもののひとつとして、テロやサイバー攻撃、特殊部隊による破壊活動と並列して、「反戦デモ」を挙げていたのである。
つまり、戦争に反対し平和を願う市民によるデモを、政府は国家の主権を脅かす行為として敵対勢力扱いしていたのだ。
しかも、注目すべきは、この資料が配布されたのが2020年2月、つまり安倍政権下だったことだ。
安倍政権下では、政権を批判するデモやヤジを取り締まる言論弾圧がどんどん強化されていった。実際、先日も、2019年の参院選において札幌市で演説中の安倍晋三首相に「安倍やめろ」「増税反対」とヤジを飛ばした市民2人が北海道警の警察官に排除された件で、北海道地裁は道警が表現の自由を侵害したとしてその違法性を認め、道に対して計88万円の支払いを命じる判決を出たばかりだが、警察庁幹部は「当時、安倍首相の周囲がヤジを気にしているとの話があり、排除となったようです」と市民排除にいたった裏側について語っている(「AERA.dot」3月28日付)。
また、安保法制や森友公文書改ざんなど安倍政権の問題が噴出すると、国会前や首相官邸前では市民による大規模な抗議デモがおこなわれてきたが、そのたびに警察の過剰警備や公安の監視が問題になってきた。
ほかにも、ラジオDJのピーター・バラカン氏が告発したように、「No .9」「NO WAR」「LOVE & PEACE」とプリントされたTシャツを着ていただけで警官に止められたり、「No.9(憲法九条)」と書かれた小さなタグや缶バッジをつけた市民が国会本館や議員会館に入ろうとすると警備員らに制止される例が続出。平和を訴える集会が「政治的」とみなされ、自治体が会場使用を認めないような事態も進行していった。
■防衛省資料で「反戦デモ」「報道」を「新たな戦い」の対象扱いしていたのにメディアは…
つまり、当時は、安倍政権が政権批判を封じ込める言論弾圧を繰り広げ、憲法に保障されている「思想・良心の自由」や「集会・結社の自由」の侵害が加速していたのだが、まさか、防衛省・自衛隊が「反戦デモ」を「新たな戦い」として研究していたとは……。
これはようするに、安倍政権は現在のロシア政府のように、市民による反戦デモをテロ扱いにし、反戦を訴える市民を武力で鎮圧できるような状況をつくり出すことを目指していた、というわけだ。
今回、発覚した防衛省資料は、いかに安倍政権が危険かつ恐ろしいものだったか、あらためて痛感させられるものだが、しかし、問題はこれだけではない。
というのも、この防衛省資料では、「予想される新たな戦いの様相」「グレーゾーンの事態」のなかに、「反戦デモ」のみならず「報道」も挙げられているからだ。
言わずもがな、ロシアでは反戦を訴える市民だけではなく、プーチン政権に批判的なメディも取り締まり対象にされ、ウクライナ侵略を正当化する報道しか許されていない。また、プーチン大統領は「偽情報」を流した記者を最高15年の禁錮刑を科す法律に署名したばかりだ。
他方、防衛省は「事実に反する事柄を意図的に報道する行為」を「予想される新たな戦いの様相」「グレーゾーンの事態」として挙げている。この事実を考えれば、政府はプロパガンダしか許されない状況をつくり上げようとしているとしか考えられないだろう。
だが、今回の問題で浮き彫りになったのは、メディア側の姿勢の深刻さだ。
というのも、前述したように問題の資料は2020年2月4日におこなわれた記者勉強会で配布されたものだったというのに、当時、これを取り上げたメディアは皆無。日本共産党の穀田恵二・衆院議員が資料を入手し、3月30日の衆院外務委員会で追及したことによってはじめて表沙汰となったのだ。
■防衛省は「反戦デモ」をテロと同列扱いした資料を保存期間中に廃棄する隠蔽行為
外務委員会での鬼木誠・防衛副大臣の答弁によると、「反戦デモ」の記述については「参加者(記者)から『用語が不適切ではないか』との指摘を受け、資料を回収し、誤解を招かないよう『暴徒化したデモ』と修正した」とし、翌日、修正後の資料を再度記者に配布したという。だが、防衛省が指摘を受けて文言を修正したことも、当時報道は一切なされていない。
いや、そればかりか、「反戦デモ」については指摘を受けて修正がなされているが、「報道」にかんしては修正されていない。つまり、「報道」が「予想される新たな戦いの様相」「グレーゾーンの事態」としてやり玉に挙げられたというのに、記者たちは抗議や指摘をすることもなく、挙げ句、「反戦デモ」「報道」がテロと同等の扱いにされていることを報じようともしなかったのだ。
いまのロシアを見ればよくわかるが、反戦デモを取り締まり、報道を抑圧してプロパガンダを垂れ流すといった言論弾圧は、国を「戦争ができる状態」にしてしまう。明らかに、それと同じ姿勢を示した政府を黙認し、報じようともしないというのは、報道機関・記者としての責務を放棄したに等しい。
その上、防衛省は資料を記者から回収した翌日、保存期間は1年であったにもかかわらず、これを廃棄。つまり、情報公開請求がなされても開示できないよう、隠蔽工作までおこなっていた。この問題も、穀田議員の追及ではじめて明らかになったものだ。
安倍政権が「反戦デモ」「報道」をテロ扱いするという言論弾圧体質を記者相手に公然と見せつけ、それを記者がスルーする──。だが、安倍首相が退陣したからといって、こうして安倍元首相が残した民主主義の軽視・破壊という戦争の萌芽は、政府にも社会にも根を下ろしたままであり、メディアの腑抜けぶりも相変わらずだ。「ロシア化」を目指すために安倍政権が目指した言論弾圧体質の批判、そして脱却のために一掃することが、いまこそ必要だ。
(編集部)
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[※ 『トランクの中の日本』(聞き書き/ジェニファー・オルドリッチ 写真/ジョー・オダネル 訳/平岡豊子)(https://www.shogakukan.co.jp/books/09563013)↑]
大門雅子さんによる、沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は…】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/502550)。
《▼「ネガにも心にも焼き付いた悪夢を、生きていくために忘れてしまいたかった」。写真集「トランクの中の日本」で明かしている。きのこ雲の下で何が起きたのか。過去を直視し史実を伝えるのが使命だと開封を決意したのは44年後》。
『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…』
『●「記憶をつなぐ」、「伝え続けるには、多くの記憶が力となる」、
「ただ『忘れない』ということが大切」』
『●《「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》』
《写真は長崎に原爆が投下された1945年、米軍の
従軍カメラマンだった故ジョー・オダネル氏が撮影。…写真に
写った少年が原爆で亡くなった弟を背負って火葬場で順番を
待つ姿…「焼き場に立つ少年」の写真が物語る深い意味を、
誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》
「「ジョー・オダネルさんの写真集『トランクの中の日本』
(小学館)は手元にあります。写真「焼き場に立つ少年」はとても
印象に残るものの一つ」。その《「焼き場に立つ少年」の写真が
物語る深い意味を、誰よりも考える必要があるのは安倍首相自身だ》、
《このタイミングでローマ法王が反戦、反核のメッセージを向けた
相手は、誰がどう考えても、対北朝鮮でイケイケドンドンに
なっているトランプ大統領と安倍首相だろう》。…《原爆投下後の
長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真を印刷したカードを
作り、「これが戦争の結末」》…アベ様や与党自公、癒党キトお維の
支持者の皆さんにそれが伝わるのかどうか…。」
『●(ジョー・オダネルさん)「焼き場に立つ少年」は《鼻には
詰め物…出血しやすい状態…なんらかの形で被爆した可能性》』
「《写真を詳しく見てみると、鼻には詰め物をしています。
このことからも、出血しやすい状態にあったとうかがえます。
少年は、一定量の放射線を浴びたことで、骨髄が傷つき、体中が
出血しやすくなっていた可能性があるといいます。少年がなんらかの
形で被爆した可能性が浮かび上がってきました》。
少年も《被爆》…考えもしませんでした」
『●「焼き場に立つ少年」と「戦争がもたらすもの」…「核兵器の
ない世界を実現することは可能であり必要不可欠だと確信」』
《きのこ雲の下で何が起きたのか。…非道な戦争は至る所で何人もの「少年」を生みだした》。「焼き場に立つ少年」は《なんらかの形で被爆した可能性》。
「トランクの中の日本」のジョー・オダネルさんは《原爆正当化論が根強い米国で非難に耐えながら反戦を訴えた》…かたや、ニッポンは《被爆国の責務から目を背け…》。核兵器禁止条約に署名しないどころか、《橋渡し》さへ一切しない。ローマ教皇に対して《核廃絶》など口にできる訳もない。おまけに、アベ様は核兵器保有論者だ。アベ様ときたら、《憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね》…こんな人がニッポン国の首相。この国はあまりに恥ずかし過ぎる。《被爆国の責務》を全く認識できていない。
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【https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/502550】
[大弦小弦]米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は…
2019年11月26日 09:30
米軍のカメラマンだった故ジョー・オダネル氏は1945年9月から7カ月間、被爆地の長崎や広島をはじめ終戦直後の日本各地を回った。だが帰国後、300枚の写真のネガをトランクに納めて封印した
▼「ネガにも心にも焼き付いた悪夢を、生きていくために忘れてしまいたかった」。写真集「トランクの中の日本」で明かしている。きのこ雲の下で何が起きたのか。過去を直視し史実を伝えるのが使命だと開封を決意したのは44年後
▼原爆や戦争の惨状を伝える写真展を米国内外で開いた。その中の1枚が「焼き場に立つ少年」。眠っているかのような死に顔の弟をおぶって直立不動で火葬の順番を待つ。泣くこともできない。非道な戦争は至る所で何人もの「少年」を生みだした
▼ローマ教皇は長崎での演説で写真のパネルを置き、核廃絶を訴えた。自国第一主義がもたらす相互不信の潮流を危惧し、核の脅威に対して団結を呼び掛ける率直な言葉に共感を覚えた
▼翻って唯一の戦争被爆国日本。米国の「核の傘」に依存し、国連で採択された核兵器禁止条約に参加しない。被爆国の責務から目を背けている
▼オダネル氏は原爆正当化論が根強い米国で非難に耐えながら反戦を訴えた。「写真を見る方がいる限り、平和のメッセージを送り続ける」。少年の姿をいま一度心に刻む。(大門雅子)
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[※ 『NNNドキュメント’17/記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]
リテラにる、敗戦の日に関連したテレビ番組についての記事【綾瀬はるかが戦時下の性犯罪をレポート! 兵士たちによる性暴力、国が中絶手術を強制…現在も続く性被害女性への偏見】(http://lite-ra.com/2018/08/post-4193.html)。
《TBSの『NEWS23』では、放送時間を拡大して、今年も特別企画「綾瀬はるか「戦争」を聞く」を放送。今年のテーマは、「戦争と性犯罪」》。
《記憶の澱》…暗澹とした気持ちになる。【記憶の澱/NNNドキュメント’17】でも取り上げられていた、被害者性について。加害者性を否定し、さらには、被害者性についても《暴言を浴びせ…「自己責任」と言い放つ》残酷さ…さらには、《なぜ、このような中絶手術がおこなわれたのか。じつはここに国による方針があった》…唖然とするしかない。
『●「日本の恥と呼ぶべき存在」』
『●「竹やりで…」「特攻艇・震洋」「人間機雷・伏龍」…
「最も戦争に接近した八月」に「愚かな戦争に学ぶ」』
『●加害者性と被害者性の両面…
米兵に《「ゴーホーム」と言ったが、「ご両親が待ってるよ」と付け加えた》』
《息子は元米兵。4回のイラク戦争派遣の合間に、名護市辺野古の
キャンプ・シュワブに駐留した。そのゲート前で、米国在住の
長島志津子さん(67)は1カ月間、戦争の愚かさを訴え続けた。
「政治家にだまされないで」。息子の後遺症という被害者性と、
歓迎されないまま沖縄に駐留した加害者性と》
『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」』
「【記憶の澱/NNNドキュメント’17】…。
《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。
性暴力、捕虜の殺害、民間人の殺害、性の接待―。
心の奥底にまるで「澱」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、
その両方が存在しました。日本人女性が性暴力を受ける現場を
目の当たりにした人にも、大陸を侵攻した元日本兵にも、
性の接待をせざるを得なかった満洲開拓団の人々にも。
戦争がもたらすものとは―。人々の記憶から、反戦を訴えます》」
『●高畑勲監督「「人を殺したくない」という気持ちこそ」…
日本の「侵略戦争」と「加害責任」を問うテーマは…』
『●【NNNドキュメント/南京事件Ⅱ ―歴史修正を検証せよ―】…
「消し去られた事実の重み…現代に警鐘」』
『●【南京事件Ⅱ―歴史修正を検証せよ】…
「「公文書」がいかに重要な意味を持つかを、社会に毅然と示した」』
《日本が戦時性暴力の加害者であることを真摯に受け止めることもなく、被害を訴える女性たちに「金目的だ」などと暴言を浴びせ、一方で性暴力を受けた女性たちに「自己責任」と言い放つ。これは、女性に対する性暴力が「女性の人権」の問題であるという認識がないことの証左だ》。《女性の尊厳を踏みにじる言葉と地続きのものであると同時に、いまなお日本に蔓延している女性の権利に対する意識のなさを浮き彫りにしている。実際、性被害を訴える女性に対し、この国では副総理までもが「…」などと性犯罪を正当化する意見がごく当然の見方であるかのように次々と飛び出すという状況がつづいている》。
社会が病んでいるニッポン。アベ様の政治は腐敗し、警察・検察も機能せず、司法も独立性を失って政治判断を乱発して、司法判断を放棄。アベ様に手なずけられ、頼みのジャーナリズムも堕落し、マスコミに《権力の監視》《権力のチェック機能》《番犬(ウォッチ・ドッグ)ジャーナリズム》などあるいは《調査報道》など望むべくもない。
『●「森友、加計、準強姦事件の3つ…諸悪の根源である
“主犯”は目の前にいるのだ」=アベ様御夫妻』
『●人治主義国家ニッポンの人事考査: 証拠隠滅で国税庁長官、
犯罪揉消しで警察庁組織犯罪対策部長…』
『●アベ様に犯罪をもみ消してもらえる「報道」者、
かたや、「卑劣な報復=身辺調査」を噂される新聞記者…』
『●ニッポンの司法は完全に破壊…事件の密室性だけでなく、
捜査も検察審査会も「Black Box」』
『●ニッポンのマスコミも完全に破壊…鬼畜なアベ様広報官犯罪、
司法の「Black Box」に踏み込めず』
『●『総理』著者・山口敬之氏…犯罪もみ消しを忖度してもらえるほどの、
「ただの番記者」どころか腹心の友』
『●TBS「ドラマ部門が勇気ある行動を
ということなのかもしれない」…その「放送された意義」』
『●日本のマスコミは準強姦事件についてなぜ騒がないのか?…
「日本の国会やメディアは…関心がないようだ」』
『●「膿」で出来上がった政権、政党に絆創膏を貼っても
「使い捨て…汚くなったらゴミ箱」(室井佑月さん)』
『●斎藤貴男さん「家柄だけのボンボン爺さんのチョイ悪ぶりっ子ほど
みっともないものはない。恥を知ろう…」』
『●「膿」で出来上がった政権、政党…
ウルトラ差別主義者=麻生太郎財務相の「責任」は有耶無耶に?』
『●「謝罪会見の場に、被害女性を散々おとしめた麻生氏の
姿はなかった」…ウルトラ差別者の責任は有耶無耶?』
『●青木理さん「特定のメディア組織に属してはいても、
記者が本来奉仕すべきは、広い意味での読者や視聴者」』
『●アベ様は「「愛国者」ではなく「愛僕者」…
彼が「国難」と言う時は「僕難」…愛僕者に付ける薬」無し』
《財務次官のセクハラ問題で、女性記者が次官との会話を録音した
データを週刊新潮に渡したことについて、自民党の衆院議員が
「ある意味犯罪」だと失言したり、「#Me Too」のボードを掲げて
抗議した野党の女性議員に対して、別の自民党議員が
「セクハラとは縁遠い方々」とツイッターに書き込んだり。口を開けば、
下劣さを露呈するばかりなのに、彼らはそうなることにさえ気が付かない。
知性のなさは目を覆いたくなるほどです。政権が崩れる時というのは、
こうしてあらゆる形で愚劣ぶりがほとばしり出てしまうのでしょう》
『●「3本の矢」「女性活躍」「1億総活躍」「働き方改革」
「人づくり革命」…そんなものを有難がってる…』
《「女性活躍」は、財務省の福田淳一前事務次官のセクハラに対して、
麻生副総理は「(女性記者に)はめられた」とセカンドレイプのごとき
発言を繰り返し、安倍首相本人は口をつぐんだままだ》
『●花角英世新潟県新知事…「柳瀬氏同様、安倍政権下で
出世してきた元官僚」…女性差別発言隠蔽は体質の体現』
「リテラの記事【横田一「ニッポン抑圧と腐敗の現場」38/新潟県知事選
“女性差別発言”問題で花角候補を直撃! 隣にいたのに
「よく覚えていない」と“柳瀬元首相秘書官”状態】…
《「セクハラ被害者の訴えより加害者と疑われた部下を守る
(麻生)財務大臣。『女性知事は必要ない』と与党候補を支援する
演説で公言した商工会長。『男性の育児は子どもに迷惑』と明言したり、
『3人産んだほうがいい』と公言する自民党議員たち。
もう、たくさんだ。変えましょう、社会を」》」
『●ヘイトさへも隠蔽、自民党はヘイト政治屋だらけ…
自民党壊憲草案「基本的人権の制限」に向けて着実に』
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【http://lite-ra.com/2018/08/post-4193.html】
綾瀬はるかが戦時下の性犯罪をレポート! 兵士たちによる性暴力、国が中絶手術を強制…現在も続く性被害女性への偏見
2018.08.16
(TBS公式HPより)
昨日は73回目の終戦の日を迎えたが、民放キー局では終戦の特番はひとつも放送されることはなかった。そんななか、TBSの『NEWS23』では、放送時間を拡大して、今年も特別企画「綾瀬はるか「戦争」を聞く」を放送。今年のテーマは、「戦争と性犯罪」だ。
今回、綾瀬が話を聞いたのは、10歳のときに敗戦を満州で迎えたという鈴木政子さん(83歳)。敗戦後、満州に侵攻したソ連兵によって収容所に連行されたが、そこではソ連兵たちによる女性たちへの性暴力が待っていた。政子さんの母・ツ子(つね)さんは、手記にこう書き綴っているという。
〈夜ひるなしに女を連れに来る。若い者、年寄りに関係はない〉
〈「お母さんお母さん」と泣き叫ぶ。「助けて、助けて」と呼べど叫べど
誰も手出しができない〉
〈まるで犬・猫どころか、石ころ同然である〉
そして、10歳の政子さんも、そうした現場を目の当たりにしている。「『嫌だ』と言った、子ども2人いるお母さんが目の前でね、犯されたの。それをみんなが見てるんです」(政子さん)。ソ連兵は女性を何人か連れ出しては「5人くらいで輪姦」し、女性たちは「1回に5〜6人相手」にさせられた。病気や出血多量で多くの人がそこで亡くなったという。
この証言に綾瀬も衝撃を受けたのか、「鈴木さんの目の前でですか?」「子どもたちの前で?」と繰り返すように尋ね、悲痛な表情を浮かべたが、こうして性暴力を受けた女性たちには、さらなる悲劇が待っていた。
政子さんには満州で知り合った「ゆう子さん」という17歳の少女がいた。姉妹のように仲良くなったが、このゆう子さんもまたソ連兵の強姦被害に遭っていた。そして、政子さんの家族とともに命からがら収容所を抜け出し、引き揚げ船で帰国の途に着いたときに、ゆう子さんは妊娠7カ月となっていた。
同じように妊娠していた女性のなかには、引き揚げ船から海へ身を投げる者もいた。だが、ゆう子さんは生きることを選び、船は博多港に着いた。しかし、ゆう子さんは福岡県筑紫郡二日市町にあった「二日市保養所」に連れて行かれる。この「二日市保養所」では、当時の日本では違法だった中絶手術が強制的におこなわれていたのだ。
現在の母体保護法でも、中絶手術ができるのは妊娠22週未満まで。妊娠7カ月での中絶手術は母体のリスクがあまりにも高すぎる上、麻酔薬がなく、女性たちは麻酔なしで痛みに耐えなければならなかった。さらに、当時の手術にかかわった医師や看護師の証言によると、妊娠後期の場合、中絶ではなく出産をして、出てきた赤子の首を絞めたり、頭にメスを刺すなどして絶命させていたのだという。
なぜ、このような中絶手術がおこなわれたのか。じつはここに国による方針があった。
当時、堕胎にかかわった岩崎正・九州大学産婦人科教室元医局長は、「日経メディカル」1987年8月10日号に「国が命じた妊娠中絶」と題した手記を寄稿。そこには、敗戦直後に産婦人科の助教授が厚生省に緊急召集され、こう指示を受けたと書かれている。
〈異民族の血に汚された児の出産のみならず家庭の崩壊を考えると、
これら女性たちの入国に際しては、これを厳しくチェックして、
水際でくい止める必要がある〉
〈極秘裏に中絶すべし〉
『NEWS23』では、二日市保養所で500人とも言われる女性たちが中絶手術を受けたと伝えたが、この岩崎氏の手記によると、国立福岡療養所と国立佐賀療養所でおこなわれた中絶手術も〈1000件を下らない〉という。
このように「外地」で性暴力を受けて妊娠した女性たちは、当時「不正妊娠」と呼ばれ、記録されている。強姦に遭った被害者であるにもかかわらず、女性たちは“正しくない妊娠をした者”として扱われ、意思とは関係なく国の指示によって中絶をさせられたのである。
■女性たちをソ連兵に差し出し性接待をさせた日本人男性
さらに番組では、政子さんの証言のほかに、岐阜県旧黒川村から満州に渡った「黒川開拓団」で起こった問題も紹介された。それは、敗戦後にソ連兵や現地の人びとから襲撃を受けるようになった際、「開拓団の男たち」はソ連兵に治安を守ってもらうことと引き換えに、女性を差し出して「性接待」をおこなわせていた、というものだ。このとき、男たちは女にこう言っては性暴力を正当化した。「減るもんやないし」「ロシアの人と付き合えて良かったやないか」。
満州での性暴力、そして“身内”のはずの男たちに人身御供として差し出され、強姦の被害に遭わされた女性たち。戦時下において、女性たちはこうして性の暴力に晒されてきたのだ。
無論、それは日本人女性だけの話ではない。『NEWS23』では、星浩キャスターが「今回、非常につらい経験を語ってくれた女性の方々を、私はその勇気に敬意を表したい」とした上で、「一方で日本はアジア・太平洋で多大な被害を与えたという加害者でもある」「我々の責任は加害者ということの歴史に目を向けること」と言及したが、日本は戦時性暴力の加害者でもあるからだ。
言わずもがな、戦時中、日本軍兵士は戦地で強姦を繰り返し、さらには朝鮮人、台湾人、中国人、フィリピン人、インドネシア人など、多くの国の女性たちを人身売買や脅迫、甘言を囁いて騙すなどして「慰安所」に入れた。しかも、こうした「性奴隷制度」と呼ぶべき慰安所の設置には軍が関与しているのである。
だが、こうした問題に対し、日本はいまだに「戦争中だから仕方がなかった」だの「あれは戦時中の売春婦だ」だの「強制連行ではない」だのと混ぜ返しつづけている。これは、治安のために強姦させられた黒川開拓団の女性に男性が吐き捨てた「減るもんやないし」という女性の尊厳を踏みにじる言葉と地続きのものであると同時に、いまなお日本に蔓延している女性の権利に対する意識のなさを浮き彫りにしている。実際、性被害を訴える女性に対し、この国では副総理までもが「はめられた」と言い出したり、「酒を一緒に飲んだら合意も同然」「服装が悪い」「本当は悪い気はしなかったのではないか」などと性犯罪を正当化する意見がごく当然の見方であるかのように次々と飛び出すという状況がつづいている。
日本が戦時性暴力の加害者であることを真摯に受け止めることもなく、被害を訴える女性たちに「金目的だ」などと暴言を浴びせ、一方で性暴力を受けた女性たちに「自己責任」と言い放つ。これは、女性に対する性暴力が「女性の人権」の問題であるという認識がないことの証左だ。
戦地で日本兵が追い込まれた過酷な状況や本土空襲の苛烈さといったテーマと比べると、日本の女性たちが受けた性被害にかんする報道は少ない。そして、多くの被害女性たちに沈黙を強いてきたのは、この国の性暴力に対する偏見や、被害者に「恥」の意識を擦り込ませる社会からの視線だ。これを現在にもつづく問題として捉えると同時に、日本軍「慰安婦」問題を筆頭に、あらゆる性暴力を「女性の人権」の問題として考える。日本に求められているのは、そうした姿勢であるはずだ。
(編集部)
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[※ 『NNNドキュメント’17/記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]
【記憶の澱/NNNドキュメント’17】(http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-73.html)。
《先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。…心の奥底にまるで「澱」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、その両方が存在しました》。
『●「竹やりで…」「特攻艇・震洋」「人間機雷・伏龍」…
「最も戦争に接近した八月」に「愚かな戦争に学ぶ」』
『●加害者性と被害者性の両面…
米兵に《「ゴーホーム」と言ったが、「ご両親が待ってるよ」と付け加えた》』
《息子は元米兵。4回のイラク戦争派遣の合間に、名護市辺野古の
キャンプ・シュワブに駐留した。そのゲート前で、米国在住の
長島志津子さん(67)は1カ月間、戦争の愚かさを訴え続けた。
「政治家にだまされないで」。息子の後遺症という被害者性と、
歓迎されないまま沖縄に駐留した加害者性と》
「強姦…、強姦…、強姦…、姦淫…」「殺さなくてもいい中国人を殺した…」「自分の子どもが、もしあんな殺され方をしたら、と思うと…」「22~23歳、25歳までの若い者が、戦車に対して急造の爆弾で飛び込む…これが沖縄戦の戦い」。
そんな人殺しに、子や孫を行かせたいという親の気持ちを理解できない。戦争などという最悪な愚かな行為を肯定する政治屋の気が知れない。《戦争がもたらすもの》に何の想像も働かせない人達。
『●自公お維キト支持者、「どうして、危険を回避してくれるような
リーダーがほしいとならないのだろうか?」』
リテラの記事【明石家さんまが「戦争のために税金を納めてるんじゃない!」「武器に金使うなら税金収めない」と国税局に抗議】(http://lite-ra.com/2017/12/post-3636.html)によると、《戦争に予算を使う政府に憤り、税務署に文句を言いに行ったことがあるというエピソードを語った。「一度、俺は税務署に文句言いに行ったことあるから。湾岸戦争のときにね、日本が何億って、アメリカに武器をつくる代金として渡したことがあるんですけど、そのときは税務署行って、『俺はね、人殺しのアシストしたくて働いてるんじゃない』と。『こんなもんに金使うんだったら、俺は納めません』って言うて。ほんなら、コーヒー出してくれはって、『それはうちじゃなくて、違うところに言ってください』って。で、コーヒーいただいて、『お疲れさーん』言うて帰ってきた。それは、もっと上のほうに、法律をつくる人に言わなあかんから」》。
証拠隠蔽・虚偽答弁で昇格された佐川宣寿国税庁長官殿に聞かせてやりたいよ、全く。
偽ウヨクや偽極右がいくら否定しても拭えぬ「加害者性」と、ロシア兵にによる《性の接待》による「被害者性」…。樹木希林さんの重いナレーションは…「私たち一人一人が被害者となり、加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も続いています…」。
《戦争がもたらすものとは―。人々の記憶から、反戦を訴えます》。《記憶の澱》な歴史を正視せず、何の教訓も得ず、「加害者性」に対する反省も無く、《反戦を訴え》ることもしない…。
『●『本田靖春/「戦後」を追い続けたジャーナリスト』読了』
「斎藤貴男さんの、少し悲壮感漂うエッセイ「囚われだらけの時代に」。
『カルト資本主義』。『誘拐』や『不当逮捕』、『疵』。立松和博。
斎藤さんや本田さんがなぜ文春にという疑問?が・・・、《文春の論調も
体質も、しかし明確な保守であり、どうしても相容れない一線があるのを、
本田さんは知っていた。鈴木明氏の「『南京大虐殺』のまぼろし」が
一九七三年の大宅壮一ノンフィクション賞さえ受賞するに及んで、
彼は文春を離れていく》」
『●「こりゃ違憲!」『週刊金曜日』
(2012年11月23日、921号)についてのつぶやき』
『●原発推進: 国民が見えているとは思えない政権』
《また、行政改革相に就いた稲田朋美氏は「南京大虐殺」を否定し、
東京裁判を「不法無効な裁判」と批判してきた。河野談話や
村山談話の見直しは「戦後レジームからの脱却」を
唱える安倍氏の持論だ》
『●「日本の恥と呼ぶべき存在」』
『●「平和なアジアという井戸を掘る意思があるのかどうか、疑わしい」』
《河村たかし市長は、友好都市である南京市の共産党幹部が
訪問した際に「南京大虐殺は無かったのではないか」と発言した。
その問題意識について、市長は記者会見で「子孫のため(歴史認識を)
真実へと正すのは六十三歳のじいさま(市長)の社会的、政治的使命だ
と思っとります」と述べた。…
二〇〇六年の安倍晋三・胡錦濤首脳会談の合意を受けて
スタートした日中歴史共同研究委員会は二年前、南京事件について
「虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致した」
との報告を公表した。一方、犠牲者数は、中国側の「三十余万人」、
日本側の「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がある」
と両論を併記し》
『●『自然と人間』(2013年12月号、Vol.210)についてのつぶやき』
『●ジャーナリズムの矜持無きこんな「公共」放送なんて要らない!』
《…と語ったのは、作家の百田尚樹氏だ。南京大虐殺については
「そんなことはなかった」と否定もした。しかも、東京都知事選の
立候補者の応援演説の場だった》
『●一国の首相が歴史修正主義者なんて恥ずかしいし、
羞恥心の無さと自覚の無さという救いの無さ』
「《1937年の日本軍による南京大虐殺がなかったといまだに主張》
という記事に対して反論したそうです。ここの部分については
歴史修正主義者ではないのかもしれません。世界に向けて
発せられたその点のみは良かった」
『●首相からして歴史修正主義者な国の文科大臣の「食言」』
『●日本社会は歪んでる: ネオナチやヘイトスピーチ集団に
「信奉」される議員が取り巻くアベ様』
《第2次安倍内閣の命取りになりかねないのが女性大臣や党幹部と
極右活動家とのつながりだ。高市早苗総務相と稲田朋美政調会長が
「国家社会主義日本労働者党」の代表者・山田一成氏と撮った
ツーショット写真が海外メディアに報じられてしまった。
山田氏はヒトラーを崇拝する活動家。「民族浄化を推進しなければ
ならない」「在日朝鮮人殲滅」など、ナチそっくりのスローガンを掲げ、
HPにカギ十字によく似たマークを掲げている。ユダヤ人への
ホロコーストを「日本の南京大虐殺とまったく同じで、戦勝国がつくったデマ」
と否定している。まさに日本版「ネオナチ」だ。一体、どんな人物なのか》
『●『朝日』の「誤報」よりも、
誰が国際社会の印象を落としているでしょうか?』
『●「吉田調書と原発」 『週刊金曜日』
(2014年10月10日、1011号)についてのつぶやき』
『●「「慰安婦」問題と言論弾圧」 『週刊金曜日』
(2014年11月14日、1016号)について』
『●「業界の失いつつある信頼」の回復への第一歩:
NNNドキュメント’15『南京事件 兵士たちの遺言』』
『●『超・反知性主義入門』の小田嶋隆さんインタビュー、
「そういう政権を選んだ国民にも危険な兆候」』
《ユネスコの記憶遺産に南京大虐殺が登録された時、菅官房長官は
分担金を減らすことを示唆しました。驚天動地の発言で、昔だったら
クビが飛んでいると思う。虐殺した数についての議論はあってしかるべき
だが、虐殺の事実そのものを否定したり、分担金を減らしてユネスコに
圧力をかけるのは別次元の話でしょう。しかし、菅官房長官がああ言うのは、
国民の方に『ユネスコはケシカラン』という応援の声があるのを感じたから
だと思う。ああいう発言ができちゃう空気が、すでに存在しているんですよ》
『●アレらの「ウヨク雑誌」「ウヨク広報機関」と比較にならぬほど、
この真っ当な「左翼雑誌」=『通販生活』』
『●ウヨクが「揶揄」した《赤い宮様》の死…、
血で「赤」く汚れた歴史修正主義者は、いま、何を思う?』
「『LITERA 本と雑誌の知を再発見』…の宮島みつや氏の記事
【逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍の南京での行為を
「虐殺以外の何物でもない」と】」
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【http://www.ntv.co.jp/document/backnumber/archive/post-73.html】
NNNドキュメント’17
2017年12月3日(日) 25:05【拡大枠】
記憶の澱
先の大戦の記憶を、今だからこそ「語り、残したい」という人々がいます。性暴力、捕虜の殺害、民間人の殺害、性の接待―。心の奥底にまるで「澱」のようにこびりついた記憶には「被害」と「加害」、その両方が存在しました。日本人女性が性暴力を受ける現場を目の当たりにした人にも、大陸を侵攻した元日本兵にも、性の接待をせざるを得なかった満洲開拓団の人々にも。戦争がもたらすものとは―。人々の記憶から、反戦を訴えます。
語り/樹木希林 制作/山口放送 放送枠/55分
再放送
BS・CSの再放送なし
※10/8放送の「放射能とトモダチ作戦」を再放送します。
12月10日(日)11:00~ BS日テレ
12月10日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
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[三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]
東京新聞の桐山桂一さんのコラム【【私説・論説室から】沖縄は「捨て石」か】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017080202000162.html)と、
マガジン9の記事【風塵だより 鈴木耕/沖縄熱風篇:大田さんへ、花を捧げに……】(http://maga9.jp/fujin170802/)。
《「沖縄が『捨て石』なのは今も同じ」と嘆く大田 さんに当時、最も恐ろしく感じることは何かと尋ねてみたら、こんな答えだった。「新聞の論調が戦前と同じように、権力に迎合する風潮が強まっていることですね」 (桐山桂一)》。
《26日の「大田昌秀元沖縄県知事県民葬」に参列したいと思ったからだ…安倍首相…は「沖縄の基地負担軽減について、政府として引き続き全力を尽くします」などと読み上げたが…。ぼくの隣席の男性は「どの口が言う」と不愉快そうにつぶやいていたし、安倍氏が読み終えたころ、会場から女性が…》。
『●大田昌秀さん「軍隊は人を守らない」と、
従軍記者ボールドウィン氏「沖縄戦は、戦争の醜さの極致だ」』
『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…』
「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
前に、「平和の礎はあらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」
『●「戦争の愚かさを身に染みて知っているはず…
9条の「戦争放棄」「戦力不保持」の理念はその教訓の結晶」』
『●「戦争屋のアベ様」やアノ木原稔氏のココロには
響かない女性の訴え…「基地を造ったら沖縄が戦場になる」』
『●島袋文子さん「基地を置くから戦争が起こる。
戦争をしたいなら、血の泥水を飲んでからにしてほしい」』
「敗戦後」も戦争は続き、《唯一の地上戦があった沖縄はいわば「捨て石」同然だった》。《捨て石》状態も《新聞の論調》も今も変わらず。基地負担も、高江・辺野古をはじめとした沖縄破壊も、日米地位協定も、差別発言も、ヘイト番組も…「本土」の感覚は何も変わっていない。
《戦争屋のアベ様》から、《沖縄の基地負担軽減について、政府として引き続き全力を尽くします》という弔辞…まさに《どの口が言う》だ。《安倍氏が読み終えたころ、会場から女性が「大田先生の遺言は基地を造らせてはダメ、沖縄がまた戦場になってしまう。基地はやめてください、お願いします」と声を上げた》が、当然、アベ様やあの木原稔氏のココロに響くことは無い。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017080202000162.html】
【私説・論説室から】
沖縄は「捨て石」か
2017年8月2日
七月二十六日に沖縄県民葬が営まれた元県知事の故大田昌秀さんに二度、インタビューしたことがある。
一度目は一九九五年の米兵による少女暴行事件のときだ。二度目は戦後六十年の二〇〇五年で、戦中の記憶を語ってもらった。そこで教えてもらった歴史がある。
一九四五年八月十五日。つまり終戦の日。平和が戻った日であると思い込んでいたが、沖縄師範学校の学生で「鉄血勤皇師範隊」に組み入れられていた大田さんらには平和など訪れては来なかったそうだ。
その日、米軍の軍艦から花火が打ち上げられるのを見ただけである。「終戦」どころか、米軍の掃討戦は十月すぎまで続いたという。宮古島や奄美諸島にいた陸海軍の将官が確かに、米軍の司令官との間で九月七日に降伏文書に署名している。
それでも戦闘があったというのだ。大田さんも至近弾を受けた。南部の摩文仁の丘から出たのは十月二十三日である。唯一の地上戦があった沖縄はいわば「捨て石」同然だった。占領下から現在も米軍基地は残る。
「沖縄が『捨て石』なのは今も同じ」と嘆く大田さんに当時、最も恐ろしく感じることは何かと尋ねてみたら、こんな答えだった。
「新聞の論調が戦前と同じように、権力に迎合する風潮が強まっていることですね」 (桐山桂一)
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【http://maga9.jp/fujin170802/】
風塵だより 鈴木耕
沖縄熱風篇:大田さんへ、花を捧げに……
By 鈴木耕 2017年8月2日
7月23日~27日、ぼくは沖縄へ行ってきた。26日の「大田昌秀元沖縄県知事県民葬」に参列したいと思ったからだ。
前にこのコラムの番外篇で書いたように、ぼくは大田さんにはずいぶんお世話になった。新書『沖縄、基地なき島への道標』(集英社新書=これはいま読んでもとても示唆に富んだ名著だと思う)の編集担当としてからだから、もう18年ほどのおつき合いになる。大田さんの事務所を訪れ、さまざまなお話を伺うことが、ぼくの沖縄行の目的のひとつだった。その大田さんはもういない。せめて献花だけはしてきたい。それが今回の旅の主目的だった。
レンタカーが「大渋滞」
23日、那覇空港へは午後2時ごろ到着。だが、困った。なんと、レンタカー営業所が凄まじい混雑。待合室に、ぼくがざっと数えただけで200名近くの人が待っている。これじゃあ、いつぼくの番が回ってくるか? 恐れていた通り、やっと車を借りられたのは、ほぼ2時間後だった。
その夜は、沖縄タイムス政経部長・宮城栄作さんとお会いする約束をしていた。宮城さんは、美しい奥さまとご一緒に現れた。そして、地元の人しか知らないようなちょっとディープな“沖縄風中華料理店”へ連れて行ってもらった。初日から、出だしはラッキー。でも、レンタカーの話をすると、宮城さんも「あれは沖縄でも問題になってるんです。せっかくの休暇が、最初の1日がほとんど使えなくなってしまうんですからねえ。観光にも打撃ですよ」と、現地ジャーナリストらしい感想。
それはそれとして、美味しい一夜。奥さまが、また酒豪。「東京生まれなのだけれど、たった数カ月ですっかり沖縄に同化しちゃいました」と笑う。楽しい夜でした…。
大田さんの足跡をたどって…
24日、朝早くから起き出したぼくは、まず、大田さんの足跡を訪ねることにした。
最初に、大田さんが開設した「沖縄国際平和研究所」へ。ここは何度も訪れている。しかしこの日は、間近に迫った「県民葬」のことで、スタッフのみなさんも忙しそうだったのでお邪魔するのは遠慮して、研究所の前でしばらく感慨にふけってから退去。
車は南下、本島最南端の摩文仁の丘へ。ここには、大田さんが心血を注いだ「平和の礎(いしじ)」がある。沖縄戦で死んだ人たちは、軍人、民間人の区別も、国籍の違いも、老若男女の別なく、すべてひとりの人間として同等に扱う、という世界でも例をみない慰霊の碑。それは延々と沖縄の夏空の下に続いていた。ぼくは、一つひとつの碑に頭を垂れながら歩いた。
ふと気がつくと、なんと「秋田県」の碑もあった。ぼくの故郷。遥か南の彼方まで連れてこられて若い命を失った同郷人が、こんなにもたくさんいたんだ…と思うと、突然、目の奥が熱くなった。
誰がきみを殺したのか、きみは誰のために死んだのか。
今のぼくよりは絶対に若かったはずの青年たちが、ここに祀られている。名もなき兵士が、ここでようやく名を回復してもらったのだ。
ぼくは戦争を憎む。戦争を起こした者や、これから起こそうとする者を憎む。
(摩文仁の丘からの眺め)
(公園にある平和祈念堂)
(「平和の礎」の秋田県人たち…)
戦争の過去と基地問題の現在
戦跡を辿ろうと思った。
引き返して、嘉数高台公園へ向かった。ここも何度か来た場所だ。激戦地。それを示す弾痕が、今も生々しく残っているし、日本兵が立て籠って絶望的な抵抗をしたとされるトーチカも、真夏の陽射しの下で焼け焦げたような姿をさらしている。
この丘の上に展望台がある。それを上れば、あの普天間飛行場が一望のもとだ。政治家どもが沖縄へ来ると、必ずと言っていいほどここを訪れ「ほんとうに市街地のど真ん中、危険な基地ですねえ。何とか早く移転させなければ」などと、いい加減な感想を記者団に述べる、お決まりの場所だ。そんな感想が実現したためしは、ない。
汗が目に入るほどの暑さ。公園のすぐ下に沖縄そば店があった。そばよりも、涼しさを求めてその店へ。汗が引いた体に、沖縄そばが美味だった。
それからまた走る。
次は、過去から現実へ。昨年、女性が暴行されて殺され、そして遺棄された現場へ。国道58号線を北上し、ゴルフ場へ曲がる交差点をうるま市石川のほうへ右折して間もなく。そこは、「えっ、こんな場所?」と驚くほど、2車線のりっぱな道路のすぐ脇だ。ぼくは買っておいた花を供えた。今もたくさんの花が供えられていて、小さな献花台もあった。数十万人もが死んだ戦争のあとの米軍基地問題は、現実としてここになお存在している…。
(日本兵が立て籠ったトーチカ。せみしぐれが降っていた)
(嘉数高台公園から普天間基地を見下ろす)
辺野古の浜で見たものは…
25日。この日は、辺野古の浜で、大規模な「海上座り込み集会」があると聞いていた。「海上座り込み」って面白い言い方だが、多数のカヌーを出して、海上で基地反対を訴えるというものだ。そういえば、三上智恵監督に『海にすわる~辺野古600日間の闘い~』というドキュメンタリー作品があったことを思い出す。
辺野古までは、那覇から1時間半ほどかかる。高速の沖縄道を宜野座で降りて329号線を北上。沖縄工業高専の架橋の下をくぐれば、間もなくキャンプシュワブのゲート前。まずそこへ。数十名の人たちが、酷暑の中、テントに座っていたが、聞いてみると多くの人たちは辺野古の浜辺へ降りて行っているとのこと。ぼくも浜辺へ。
でも、残念ながら「今日の行動は午前中で終了しました。実は、午後も続ける予定でしたが、海上に落雷注意報が発令されたので、中止せざるを得なくなりました」と、カヌーのそばの女性が教えてくれた。
浜場に、黒い連凧が舞っていた。頑丈なフェンスの向こう側を、若い米兵が2名、しきりにこちらを伺いなら行ったり来たりしている。そうとう気にしているようだ。
午後1時から、浜での集会が始まった。次第に人が増え、最終的には250名ほどか。午前中に「海上座り込み」に参加したカヌーは71隻、抗議船は8隻で、計150名ほどが参加したという報告。
(たくさんのカヌーが並んでいた)
(辺野古の浜辺のフェンスには、たくさんのアピールが…)
集会で、沖縄タイムスの阿部岳記者や、元自衛官で反戦活動をしている井筒高雄さんなどに会った。上空をドローンが飛んでいた。
実はこの日、現場で山城博治さんにお会いできるかと思っていたのだが、ホテルを出がけに山城さんから「事情があって、この日は集会には参加できなくなりました。お会いしたかったのですが、すみません。また東京でお会いしましょう」と、とても丁寧な電話。この誠実さが人を引き付ける魅力のひとつなんだなあ。
帰りがけ、浜辺のテントに立ち寄り、ささやかなカンパを出したら、きれいな絵ハガキをお礼に…って。
(浜辺での集会)
(黒い連凧が上がって)
その後、時間があったので、ぼくはもっと北上。そこからまだ数十キロもある東村高江へ向かった。例の、米軍ヘリパッドが強行工事されたところだ。メインゲート前まで来たけれど、誰もいなかった。時間も時間だし、仕方ない。ここでぼくはようやくUターン。
この夜は、三上智恵さん(最近作『標的の島 風かたか』は傑作です!)と食事する約束をしていたのだ。遅れちゃいけない。
場所は、北谷(ちゃたん)。米軍基地が返還されて、今や若者の街としてすっかり観光地に変身した地区だ。でも、ぼくは若くない。静かなところにしましょうね、というわけで、三上さんお薦めの港が見える店へ。
三上さんは、琉球新報報道局長の普久原均さんを紹介してくれた。3時間ほど、ビールとワイン(ぼくはワインは飲まないのでビールだけ)と、美味しい料理で歓談。沖縄の状況と本土の関心の温度差、沖縄のメディア状況、そして安倍政権の沖縄対策、沖縄側の反応…。いくら話しても、話は尽きなかった。
それにしても、タイムスの宮城さんといい、新報の普久原さんといい、まさに本物のジャーナリスト。本土の記者たちとは、どこが違うのだろう? ぼくは沖縄へ来るたびに、そう考え込んでしまうのだ。
大田さんの「県民葬」へ
26日は、朝から異様な雰囲気だった。ぼくは道路事情がよく把握できないから、徒歩で「県民葬」会場のコンベンションセンターに行けるよう、会場近くのホテルに宿泊していた。ハイシーズンなので、かなり値段は高かったけれど、大田さんのためだもの、と言い訳して予約したホテルだった。
朝からすごい数の私服警官(私服だが腕に「沖縄県警」の腕章をしていた)が、ホテルの中を見回っていた。最初は「県民葬に、なんでこんな警戒を?」と不思議に思ったのだが、安倍首相が参列することを思い出して、納得した。安倍首相が沖縄でどう思われているか、それを考えれば、警察としてナーバスになるのも理解できる。何が起こるか分からないというわけだ。まあ、もっとあけっぴろげに言ってしまえば、それだけ安倍首相が沖縄では嫌われている、という証拠でもある。
式は午後2時から。ぼくは徒歩で会場へ、1時前には着いた。会場周辺も、ちょっと驚くくらいの警備体制。
大田さんの長年の秘書を務めた桑高英彦さんとも、ぼくはずいぶん長いおつき合い。それもあって、ぼくは「招待者」の書状をもらっていたから、あまり待たずにすんなりと会場に入ることができた。
大きな祭壇に、大田さんの少し笑みを浮かべた遺影がさびしい。
(大田さんの優しいお顔が…)
(ぼくがいただいた「招待者への案内状」)
2時ギリギリに安倍首相が入場。そして、開会の辞の次に安倍首相が弔辞。彼は「沖縄の基地負担軽減について、政府として引き続き全力を尽くします」などと読み上げたが、会場からの拍手はまばら。ぼくの隣席の男性は「どの口が言う」と不愉快そうにつぶやいていたし、安倍氏が読み終えたころ、会場から女性が「大田先生の遺言は基地を造らせてはダメ、沖縄がまた戦場になってしまう。基地はやめてください、お願いします」と声を上げたが、首相はもちろん、そちらを見ようともせずに足早に壇上から降りた。
逆に、大田さんの友人代表としての比嘉幹郎さんが「大田さんの遺志を尊重し、今後とも県民に対するいかなる差別や犠牲への強要にも反対する」と述べたときには、安倍氏への拍手の数倍の共感の拍手が巻き起こった。それが沖縄の意志であろうと、ぼくは聞きながら思っていた……。
安倍首相は、列席者の弔辞が済むと、そそくさと式場を後にした。そのすぐ後に「大田さんを偲ぶVTR」がスクリーンに流された。それは、大田さんがいかに政権と闘い、いかに米軍基地に反対し、いかに平和を希求し、いかに反戦を訴え、いかに県民を愛したか、を克明に辿るものだった。
「これを安倍さんに観てほしかったなあ」と、隣席の男性がしみじみと呟いていたが、ぼくも同感だった。あれを観て、安倍首相がどんな反応をするか、それを知りたかったよ…。
(翌日の沖縄タイムス)
旅の終わりに…
27日、ぼくは帰りの便を、那覇空港で待っていた。
たった5日間の旅だったけれど、たくさんの人に会い、たくさんの場所を巡り、たくさんの美味を堪能した旅だった。
念願だった大田さんへの「サヨナラ」も言えたし、ちょっとしたセンチメンタル・ジャーニーの終わり。
帰りがけ、携帯電話が鳴った。大田さんのご子息・憲さんからだった。憲さんは残念ながら病床にあり、県民葬への列席はかなわなかった。それでもぼくに、参列のお礼を言いたいと、電話をくれたのだ。
大田さんのお墓は、生まれ故郷の久米島にあるという。病が癒えたら憲さんはそこへ参りに行く、と言っていた。ぼくは、沖縄ではたくさんの島々を訪れているが、まだ久米島へは行ったことがない。
次のぼくの沖縄行は、久米島に決めた。花を持って、大田さんの墓前に供えてくる、という目標もできたのだし……。
鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)など。マガジン9では「風塵だより」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。
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[※ 三上智恵監督『標的の島 風かたか』公式ページ(http://hyotekinoshima.com)より↑]
沖縄タイムスの【社説[新聞週間に]権力忖度せぬ姿勢貫く】(http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/92153)。
『●言いすぎを謝罪・撤回した石嶺香織宮古島市議…
もはや「見せしめ」、「卑劣」なイジメ、あざとい「狙い」』
「言いすぎを謝罪・撤回した石嶺香織宮古島市議に対して、
もはや《見せしめ》、《卑劣》なイジメ、あざとい「狙い」を
秘めていると詮索したくなる仕打ち。
この「仕打ち」の背景として、自衛隊配備やミサイル基地配備による
「住民分断」があり、さらにそれは、…。三上智恵監督の
『標的の島 風かたか』によると…」
「もう一点、《卑劣》なイジメだと断言する理由。「ト」な大センセ・
百田尚樹氏による一連の差別発言・ヘイト発言が一切修正も
撤回もされないこと。石嶺香織宮古島市議を、はるかに超える
意識的な、確信犯な発言の連続。…センセは、自衛隊配備や
ミサイル基地配備に大賛成して下さるので批判の対象外?
「本土」マスコミは、センセをどこまで批難しただろうか。
《「米兵よりも沖縄人のレイプ犯罪率の方が高い」という中傷》は、
石嶺香織宮古島市議と比較にならぬほど酷いデマ、中傷では
ないのか? 自衛隊配備やミサイル基地配備に大賛成かどうかで、
批判するかどうかを決めているのか?」
《忖度…相手への思いやりを示す行為の一つだが、相手が権力者となると事情は異なる。忖度はおもねる姿勢につながり、権力暴走の歯止めを失わせる…問題がどこにあるかを分析し、公平で公正な視点で伝えること。国内外を問わず、社会を分断させるような動きが強まっている今こそ、新聞の役割の大きさを自覚したい》。
壊憲、沖縄破壊、教育破壊、「平成の治安維持法」…。「沖縄の「戦没 新聞人の碑」…いま、新聞人が立ち上がらずに、座していていいのか?」
『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」』
『●カラスはやっぱり「黒い」: 「アベ様のNHK」的
「政府が白というものを黒とは言えない」で良いのか?』
『●アベ様の政権の「暴走」許す、批判精神無き、「牙」無きメディア』
『●「薄っぺらで反知性的なタカ派が増殖している」
・・・・・・アベ様達からして?』
『●失われる「メディアの作法、矜持」…
「権力を監視する機能が失われ」、しかも、アベ様の「思う壺」』
「青木理さん、「権力と距離を置かなくちゃいけないなんていうのは、
かつてはごく当たり前の作法としてメディア内で共有されていた」」
権力に忖度する新聞で良いのか? 「権力を監視」しない報道者、ジャーナリストで良いのか? 「報道機関・ジャーナリストは「闘って」いるだろうか?」
訴え続けないと…。
『■城山三郎さん「戦争待望論を唱える若い文士がいると聞いて、鳥肌の立つ思いがする。平和の有難さは失ってみないとわからない」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/46cffbbda63235587e36a8f40865b28b)、「日本は先の戦争で、ほとんどすべてを失ってしまった。唯一、得られたのは、憲法九条だけだ」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/07980877a3742cbd8a23034f725a7386)』
『■福島菊次郎さん《安保関連法の成立を心配し『戦争なんて始まらないと頭のどこかで考えているだろうね。でも、もう始まるよ』と最後まで危ぐしていた》…代表作に「ピカドン ある原爆被災者の記録」「戦争がはじまる」「証言と遺言」など(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/5254d4afac7034e06e96deca02372701)』
『■反骨の報道写真家・福島菊次郎さん…『証言と遺言』の最後に赤々と押印、「闘え」「菊」と…「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯しても構わない」……すごく重い、福島さんの言葉。いま、報道機関・ジャーナリストは「闘って」いるだろうか?(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/5254d4afac7034e06e96deca02372701)』
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【http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/92153】
社説[新聞週間に]権力忖度せぬ姿勢貫く
2017年4月7日 08:53 忖度 森友学園 新聞と権力 フェイク・ニュース ポスト真実
「忖度(そんたく)」とは他人の心をおしはかること。相手への思いやりを示す行為の一つだが、相手が権力者となると事情は異なる。忖度はおもねる姿勢につながり、権力暴走の歯止めを失わせる。
近ごろ政治の場で忖度が注目を浴びている。森友学園を巡る国有地の大幅値下げ問題は、安倍晋三首相夫人への忖度が働いたと言われる。異論が多いなか断行された道徳の教科化は、愛国心を強調する安倍政権への文科省の忖度が疑われている。
南スーダンに派遣されている陸自部隊の日報について、稲田朋美防衛相が「戦闘」を「衝突」と言い換えた問題で、防衛省が日報を「破棄した」と嘘(うそ)をついたことは記憶に新しい。防衛相は関与を否定しており、それが事実ならば同省の嘘も忖度の結果であろう。政治の忖度は、国民への背信に直結している。
忖度はかつて新聞にも蔓延(まんえん)していた。
太平洋戦争時に新聞記者として国威発揚に加担した反省から、戦後は反戦を訴え続けたジャーナリストの故むのたけじさんは、戦前戦時の新聞社は自己規制に陥っていたと明かした。
負け戦を「勝った」と報じ続けた嘘は、時の政府に直接強要されたものではなかったという。「憲兵らが新聞社に来て取り締まったことはない。自分たちで縛っていた。(権力と)戦わずして負けていた」との言葉が重く響く。
春の新聞週間が6日から始まった。権力への忖度があふれる今だからこそ、権力をチェックする報道や論説の重要性が増している。
■ ■
新聞報道を取り巻く社会の情勢は、前途洋々とは言えない。報道への信頼性はいまだ高いものの、新聞離れが言われて久しい。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が発表する報道自由度ランキングで、日本は2010年11位だったのが、16年には72位に大きく下がった。
社会にはインターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)経由の真偽が定かでない情報があふれ、新聞をはじめとする既存メディアの報道を脅かす勢いだ。
一方、報道の役割を再認識させる出来事が県内でもあった。軍隊と性暴力の関係について宮古島市議が自身のフェイスブック(FB)で投稿したことを巡り、市議会の与党会派が同市議の一般質問をボイコットし、議会が2日間空転した問題だ。FB投稿がネット上で激しい批判を浴びたことに乗じ、野党の立場をとる同市議の発言権を封じようとする行為だった。
■ ■
これに対し本紙は、地方自治に詳しい専門家が与党会派のふるまいを疑問視する記事を掲載。新聞読者が意見を投稿するオピニオンコーナーにも、冷静な対応を求める意見が相次いで寄せられた。その後、市議会は急速に正常化した。
問題がどこにあるかを分析し、公平で公正な視点で伝えること。国内外を問わず、社会を分断させるような動きが強まっている今こそ、新聞の役割の大きさを自覚したい。==================================================================================
東京新聞の吉岡潤記者による記事【9条守れ「怒るべきとき」 父・城山三郎氏の遺志継ぐ大集会】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016060302000126.html)。
《「戦争で得たものは憲法九条だけだ」-。二〇〇七年に亡くなった作家城山三郎さんが、よく口にした言葉だ》。
《戦争の実態を伝えるために作家になった人》城山三郎さん。《特攻を命じた側に常に厳しい視線を向けた作家》でもある。《平和憲法こそ生き残る者の夢であり、守ることが使命だ》という城山さん、きっと、いまのニッポンの姿を見て、怒り心頭だろうと思います。
何度も引用します。城山三郎さん曰く、「日本は先の戦争で、ほとんどすべてを失ってしまった。唯一、得られたのは、憲法九条だけだ」。
『●『城山三郎の昭和』読了(2/3)』
「『大義の末』を書いた城山さんの「強い反戦意識」。
「・・・・・・ 戦争待望論を唱える若い文士がいると聞いて、
鳥肌の立つ思いがする。平和の有難さは失ってみないと
わからない ・・・・・・ 失ってからでは、おそすぎるというのに」」
『●『佐高信の新・筆頭両断』読了(1/2)』
「城山さんは、「・・・言論の自由のない当時の時代や社会、
そして国が強制したのだと強調・・・「九条をね。
とんでもないことだね。だって、日本が負けて得たものは
あれしかない、『戦争をしない』ということしかないんだから」」、
「言論統制が一度始まれば、とめどなく拡大・・・『美化』と
いう形での情報汚染」」
『●「袴田事件の次は狭山事件だ」
『週刊金曜日』(2014年5月23日、992号)』
「【佐高信の新・政経外科第2回/追悼 渡辺淳一様】、
「城山三郎さん・・・「・・・を語る時、勲章拒否と
現行憲法擁護の二点だけは外してほしくない・・・
『戦争で得たものは憲法だけ』と口癖のように・・・
まさに城山さんの遺言というべきでしょう」」。
(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/38fef8e43cb96129b5209ba4f5be0214)」
『●「人道なんてなかった」頃の「戦争できる国」の現実』
「靖国神社にある遊就館の片隅に奇妙な像がある。
潜水服姿で頭には大きなかぶと。両手で長い棒を持ち、
身構えている。先端に付けられているのは機雷である
▼・・・本土決戦を水際で食い止める「人間機雷」の存在は
ほとんど知られていないのだから▼・・・竹ざおの先の機雷を
突き上げて自爆する。「伏龍」と名付けられた
水際特攻隊である▼・・・潜水具には構造的な欠陥があり、
多くの若者が訓練中の事故で命を失った▼当時の
戦争指導者の愚劣さが凝縮されている人間機雷を
考えたのは、参謀として真珠湾攻撃の作戦を
立案した人物だ。・・・▼戦争が長引けば伏龍の要員に
なるはずだった人物に城山三郎さんがいる。
特攻を命じた側に常に厳しい視線を向けた作家の原点
だろう。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。
城山さんの言葉が重く響く。」
『●城山三郎さんと反戦』
「▼城山さんは「日本は先の戦争で、ほとんどすべてを失ってしまった。
唯一、得られたのは、憲法九条だけだ」と語っていた。戦争体験と憲法が
強く結びついた世代は減っている。憲法への思い入れの少ない若い世代に
城山さんの言葉はどう伝わるのだろうか▼あの戦争で新聞は「旗」を振り、
国民を熱狂させ国を破滅に導いた」
『●城山三郎さん「戦争で得たものは憲法だけ」
「平和の有難さは失ってみないとわからない」』
『●子供や弱者を守れない国:
我国では14年連続で自殺者が3万人を越えて・・・』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016060302000126.html】
9条守れ「怒るべきとき」 父・城山三郎氏の遺志継ぐ大集会
2016年6月3日 朝刊
(井上紀子さんは「9」がつく日にJR茅ケ崎駅前に立ち
反戦を訴えている=神奈川県茅ケ崎市で)
「戦争で得たものは憲法九条だけだ」-。二〇〇七年に亡くなった作家城山三郎さんが、よく口にした言葉だ。その城山さんが暮らした神奈川県茅ケ崎市で四日、「9条かながわ大集会2016in湘南ちがさき」が開かれる。実行委員長を務めるのは、城山さんの次女で「九条の会・ちがさき」の井上紀子さん(57)。「怒るべきときに怒らなければいけない、と父は言っていた。今、声を上げなければ」と語る。 (吉岡潤)
井上さんに言わせれば、「父は戦争の実態を伝えるために作家になった人」。十七歳で志願して海軍特別幹部練習生となり、十八歳の誕生日を迎える三日前に終戦を迎えた。経済小説の書き手として名をはせる一方、戦争を題材にした作品を残した。
ただ、井上さんが父の口から戦争の話を聞くようになったのは晩年だ。「つらすぎて口にできなかったんですね」
〇一年、城山さんは当時の小泉純一郎首相に会い、個人情報保護法案に異を唱えた。井上さんが当時を振り返る。「焦燥感に包まれていた。表現や報道の自由が奪われれば、戦争に突入していったあの時代と同じになる、大変なことになると」
〇六年六月、城山さんは「九条の会・ちがさき」の依頼に応え、メッセージを寄せた。戦争が長引いていたら相模湾で水中特攻「伏龍(ふくりゅう)」隊員として命果てていたはずだ-と。伏龍は、爆雷の付いた棒を持って海底に潜み敵船を突き上げて自爆する部隊だ。そして「平和憲法こそ生き残る者の夢であり、守ることが使命だ」とつづった。同年十一月には、市内の催しに参加した九条の会のテントにも足を運んだ。
「市民の活動を心強く思って共感していた」と井上さん。翌年三月に城山さんが亡くなると、「父の遺志を継ぎたい」と会に加わった。
昨年九月、強行採決を経て安全保障関連法が成立した。「何をやっているのかと父に怒られそうな気がする。諦めてはいけない」。四日の集会を「今の政治をおかしいと感じ、それを選挙の投票行動につなげる契機にしたい」と話す。
◇
「9条かながわ大集会」は茅ケ崎市民文化会館などで開催。午前9時半から憲法や自衛隊、教科書、原発などをテーマにした分科会。午後1時からの全体会ではルポライターの鎌田慧さん、東京大大学院教授の小森陽一さんが講演。参加費1000円。問い合わせは、実行委の後藤仁敏(まさとし)さん=電090(####)####=へ。
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gendai.netの記事【「つくる会」系教科書強要安倍政権が沖縄竹富町に直接圧力】(http://gendai.net/articles/view/news/147966)、
CMLに出ていた記事【[CML 029724] お知らせ=山田洋次監督の「遺族」が2/20放映されます】(http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-February/029726.html)、
そして東京新聞の記事【戦後教育はマインドコントロール 首相、衆院委で発言】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014022102000112.html)。
「山田洋次監督はベルリンで安倍首相に危機感を表明・・・・・・「現代の日本では、戦争を知っている世代と知らない世代に大きなギャップがあり、総理大臣をはじめ日本の指導者たちは戦後に生まれています。残酷な、ひどい、悲劇的な戦争を2度としてはいけないという教訓をしっかり学んで生きているのだろうか? それが今の世代が抱えている問題ではないかと僕ら旧世代は心配でなりません」」。安倍自公政権は、要は「戦争ができる国」にしたくてしょうがなく、子ども達を戦場に送り込み、「搾取会社」の「歯車」として酷使する気が満々だ。ならば、首相自ら、その親族自ら率先して行ってこそ、だ。
『●自公議員・翼賛野党議員に投票した彼・彼女たちに「罪の意識はまったくない」』
『●安倍首相殿、「先進国」の「首都」で凍死、
そして、この寒空の路上に生活困窮者を叩き出したそうです』
『●「平和憲法」が泣いている』
『●「人道なんてなかった」頃の「戦争できる国」の現実』
『●政治家の耳には市民の反対の声は届かず: 特定秘密隠蔽法案が衆院通過』
『●教育再生: 喜んで戦場に行ける子供たち、
「搾取会社」で喜んで働く「歯車」となる学生を育てたいらしい』
何度も引用させて頂いたが、「戦争絶滅受合法案」を再び。
『●戦争、環境破壊の最たるもの』
「二十世紀の初めごろ、デンマークの陸軍大将が、こんな法律があれば、
戦争をなくせると考えて起草した法案がある。題して
「戦争絶滅受合(うけあい)法案」▼戦争の開始から十時間以内に、
敵の砲火が飛ぶ最前線に一兵卒を送り込む。順序はまず国家元首、
次にその親族の男性、三番目は総理、国務大臣、各省の次官、
そして国会議員(戦争に反対した議員を除く)、戦争に反対しなかった
宗教界の指導者…▼妻や娘は従軍看護師として招集し、最前線の
野戦病院で働く。権力を持つ者から犠牲になるなら、自らは
安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう」
「戦後教育はマインドコントロール」だそうだ。アホである。終始、反戦を訴え続けた城山三郎さん。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。
『●城山三郎さんと反戦』
「育鵬社といえば、先の都知事選で田母神俊雄氏を全面支援した「新しい歴史教科書をつくる会」系。社長はフジテレビの元幹部だ。こんな教科書は使いたくないという竹富町教委の気持ちがわかるが、文科省は県教委を通じ、「なんとかしろ」と圧力をかけてきた。しかし、県教委が動かないので業を煮やし、今月中にも直接、竹富町に「是正要求」する方針を固めたのだ。国が市町村の教育行政に直接、圧力をかけるなんて前代未聞」・・・・・・こいうのは、教育「再生」ではなく教育「破壊」。
『●どちらの国に生まれた子どもが幸せだろうか?』
最後に、「教育改革に関し「教育基本法は(第二次大戦後の)占領時代につくられたが、衆参両院で自民党単独で過半数をとっていた時代も手を触れなかった。そうしたマインドコントロールから抜け出す必要がある」と意欲」・・・・・・だそうだ。「「ボンクラ」「嘘つき」」につける薬なし。
『●首相は産経や読売以外も読んでるのね!?:
「首相はくず」とは言っていないけれど・・・』
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【http://gendai.net/articles/view/news/147966】
「つくる会」系教科書強要 安倍政権が沖縄竹富町に直接圧力
2014年2月14日 掲載
フジサンケイグループ育鵬社の教科書「新しいみんなの公民」の採択をめぐる文科省と沖縄・竹富町の“攻防”が見過ごせなくなってきた。
育鵬社といえば、先の都知事選で田母神俊雄氏を全面支援した「新しい歴史教科書をつくる会」系。社長はフジテレビの元幹部だ。
こんな教科書は使いたくないという竹富町教委の気持ちがわかるが、文科省は県教委を通じ、「なんとかしろ」と圧力をかけてきた。しかし、県教委が動かないので業を煮やし、今月中にも直接、竹富町に「是正要求」する方針を固めたのだ。国が市町村の教育行政に直接、圧力をかけるなんて前代未聞だ。
問題の教科書を見ると、たとえば「平和主義」のところでは見開き2ページのうち約3分の2のスペースを割いて自衛隊の存在意義を説いている。「なぜ日本の憲法は一度も改正されていないのでしょう」にも2ページを割いている。
「そもそも竹富町と、石垣、与那国両市町で構成される八重山地区の
教科書採択地区協議会は、保守色の強い育鵬社版の採用に
積極的ではなかった。ところが、10年の石垣市長選で自公推薦の
新人が勝ったものだから、11年の夏に育鵬社版を採択するように答申した。
石垣市と与那国町は従いましたが、竹富町は『答申に法的拘束力はない』と
突っぱねた。地方教育行政法では、各市町村教委に教科書の採択権限が
あると定めているが、教科書無償措置法は地区内の教科書統一を定めている。
これをタテに文科省は無償教科書をストップすると、竹富町は篤志家の
寄付で東京書籍版を購入した。そんな中で、町への是正要求に
なったのです」(竹富町教委担当者)
琉球新報の社会部長、松永勝利氏は「つべこべ言うな、とばかりに国が町に是正要求するのは地方自治の教育行政の独立性をないがしろにするもの」と怒っていたが、本当だ。安倍政権の“教育介入”はあまりに露骨だ。================================================================================
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【http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-February/029726.html】
[CML 029724] お知らせ=山田洋次監督の「遺族」が2/20放映されます
・・・・・・
2014年 2月 18日 (火) 02:52:21 JST
CMLの皆様
ベルリン映画祭で映画「小さいおうち」(山田洋次監督)で黒木華さんが女優賞
(銀熊賞)を受賞しました。
この山田洋次監督の幻の特攻ドラマ「遺族」が2月20日午前9時からNHK BSプ
レミアで放映されます、95分間です。
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2014-02-20&ch=10&eid=9223&f=2344
番組説明「終戦間近、鹿児島県知覧の飛行場から飛び立った特攻隊員と残された
遺族の実話をもとにした物語。ドラマ本編の前や途中に若者や自衛隊員、そして
遺族のインタビューが入る斬新な構成である。戦後16年の当時、まだ“美談”と
して語られていた「特攻隊員の死」とは何か問いかける。映画監督山田洋次さん
のテレビ初脚本作品」
なお山田洋次監督はベルリンで安倍首相に危機感を表明しています。まったく同
感です。
【シネマトゥディ「山田洋次監督がベルリンで危機感を表明「総理大臣をはじめ
日本の指導者たちは…」(2014年2月15日)】
http://www.cinematoday.jp/page/N0060581?
「現代の日本では、戦争を知っている世代と知らない世代に大きなギャップがあ
り、総理大臣をはじめ日本の指導者たちは戦後に生まれています。残酷な、ひど
い、悲劇的な戦争を2度としてはいけないという教訓をしっかり学んで生きてい
るのだろうか?それが今の世代が抱えている問題ではないかと僕ら旧世代は心配
でなりません」
以上
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014022102000112.html】
戦後教育はマインドコントロール 首相、衆院委で発言
2014年2月21日 朝刊
安倍晋三首相は二十日の衆院予算委員会で、教育改革に関し「教育基本法は(第二次大戦後の)占領時代につくられたが、衆参両院で自民党単独で過半数をとっていた時代も手を触れなかった。そうしたマインドコントロールから抜け出す必要がある」と意欲を示した。
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安倍晋三首相は二十日の衆院予算委員会で、戦後に長く教育基本法を見直さなかったことを「マインドコントロール」と表現し、教育改革に意欲を示した。
首相は第一次安倍内閣で掲げていた「戦後レジーム(体制)からの脱却」とのうたい文句について「あえて使っていないが、捨てたわけではなく、変わらない」と強調。「憲法や教育制度を私たちの手で変えていくことこそが、戦後体制からの脱却になる」と力説した。
憲法については「(戦後の)占領時代につくられ、時代に合わない仕組みもある。不磨の大典ではない」と述べた。政府・自民党は今国会で、自治体の教育委員会のあり方を見直す関連法改正を目指している。
一方、首相は自衛隊の海外での武器使用基準見直しでは「相当、抑制的になっている。法改正していくことになる」と、緩和のための自衛隊法改正を目指す考えを示した。
国連平和維持活動(PKO)など海外での自衛隊の武器使用基準は現在、正当防衛と緊急避難に限定されている。首相は海外での邦人救出や、PKO活動時に他国軍の救助ができないと説明し「本当に認められないのか」と訴えた。
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東京新聞の二つの記事、【人道なんてなかった 沖縄戦を経験 伊禮進順さん(87)】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081602000116.html)とコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013081702000119.html)。
いまも差別され続ける沖縄。
『●子供にもSLAPPする国: 三上智恵監督・映画『標的の村 ~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』』
『●SLAPPと原発、沖縄』
「戦争できる国」の頃の沖縄では、こんなことが起こっていた。いま、この国は再び「戦争できる国」へまっしぐら。それが「誇り」だなんて、一体脳味噌の中身はどうなっているのか?
『●「不安と闘いながら世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを僕は何よりも誇りに思う」』
是非、 「戦争絶滅受合法案」の成立が望まれる。
『●戦争、環境破壊の最たるもの』
「二十世紀の初めごろ、デンマークの陸軍大将が、こんな法律があれば、
戦争をなくせると考えて起草した法案がある。題して
「戦争絶滅受合(うけあい)法案」▼戦争の開始から十時間以内に、
敵の砲火が飛ぶ最前線に一兵卒を送り込む。順序はまず国家元首、
次にその親族の男性、三番目は総理、国務大臣、各省の次官、
そして国会議員(戦争に反対した議員を除く)、戦争に反対しなかった
宗教界の指導者…▼妻や娘は従軍看護師として招集し、最前線の
野戦病院で働く。権力を持つ者から犠牲になるなら、自らは
安全地帯にいてナショナリズムをあおる政治家は姿を消すだろう」
終始、反戦を訴え続けた城山三郎さん。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。
『●城山三郎さんと反戦』
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013081602000116.html】
人道なんてなかった 沖縄戦を経験 伊禮進順さん(87)
2013年8月16日 朝刊
六十八年前に米軍が上陸した沖縄県嘉手納(かでな)町の海辺に、若者たちの声が響く。日米の多くの兵士や住民の命を奪った沖縄戦の影はない。にぎやかな笑い声を背に、砂浜を立ち去ろうとした時、ごう音をとどろかせ、米軍機が真っ青な空を切り裂いた。
一九四五(昭和二十)年五月十日ごろ、一等兵だった伊禮進順(いれいしんじゅん)さん(87)=糸満市=の所属する小隊は、西原町と与那原(よなばる)町の境界にある運玉森(うんたまむい)の丘に陣をはり、約二十メートルの距離で米軍と向かい合っていた。
「陣地の死守が使命で、後退など考えもしなかった」。次々と手りゅう弾が投げ込まれ、近くで負傷兵がのたうち回る。着弾から爆発まで数秒。ひたすら、手りゅう弾を投げ返した。気づくと五十人の小隊は二人になっていた。
伊禮さんは那覇市立商業学校(現県立那覇商業高)を卒業後、建設会社に就職。四四年十月に十九歳で徴兵された。半年後に沖縄本島に上陸した米軍は日本軍最後の防衛拠点だった運玉森を制圧し、首里(現那覇市)へと侵攻した。
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味方である日本人同士でも、強者が弱者を切り捨てた。「毎日が死と隣り合わせ。人道なんてなかった」
四五年六月半ば、日本軍の拠点があった与座(現糸満市)の洞窟(壕(ごう))に上官の声が響いた。「負傷兵は戦闘の邪魔だ。ここから出て行け」。米軍は近くに迫っている。「死ねということか」。戦闘で足を負傷し、歩けなかった伊禮さんは、その夜、はって壕を出た。
米軍の照明弾が一帯を照らし、銃弾が飛び交う。一晩かけたどり着いた野戦病院の壕では、死んだ兵士にウジが群がっていた。飲料水は岩にたまった雨水だけ。水面もウジが覆っている。「味やにおいの記憶はない。飲まないと死んでしまう。生きるためには何でもできた」
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やがて、この壕も米軍に見つかる。足のけがも癒えていた伊禮さんは女性や少年ら住民四人を含む九人で、南の壕を目指した。山中で身を隠していたとき、この四人の住民が米軍車両に驚き、離れた場所から駆け寄ってきた。「この連中といては、いつか米軍に見つかり、殺される」。伊禮さんら五人の兵は住民を見捨てることにした。軍刀で脅し「ついてきたらたたき切る」と怒鳴った。自分を見捨てた上官と同じことをしていた。四人は何も言わなかった。
四人のその後は知らない。伊禮さんは九月十四日、米軍に投降した。「『おまえは人間じゃない』と言われるかもしれないが、仕方なかった。人間って、こんなもんです。自分が助かるためには、恥も何もなかった」。安易な同感など寄せ付けないとでも言うような厳しい口調に、私はしばらく次の言葉を出せなかった。
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戦後、県職員となった伊禮さんは五人の子に恵まれた。七月半ば、戦時中に身を隠した壕を一緒に訪れた。足がすくんだ。「鼻を突くような死臭がよみがえってくる」と話す伊禮さんの額には汗が浮かぶ。沖縄の空気は開放的で明るいが、集落の片隅に残る壕や米軍機は、島の過去を私に突きつける。
「沖縄は戦争でも、基地問題でも犠牲を強いられている。六十八年間、何も変わってない」。七月の参院選で改憲を掲げる自民党が圧勝した。「戦争ができる国になってしまうかどうかは、あなたたちにかかってるんですよ」。憲法九条を後世に引き継ぐ使命を託されたと思った。
<沖縄戦> 米軍は3月26日に慶良間諸島、4月1日に沖縄本島西海岸に上陸し、日本軍との間で、住民を巻き込んだ地上戦を繰り広げた。日本軍は本土決戦を遅らせるための持久作戦をとったが、6月下旬には壊滅状態となり組織的な戦闘は終結。住民の集団自決などの悲劇も生まれた。沖縄戦の正式な降伏文書が交わされたのは9月7日。米兵を含む戦没者数は20万人以上に上り、うち沖縄県民は半数の約10万人だった(県推計)。
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【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013081702000119.html】
【コラム】
筆洗
2013年8月17日
靖国神社にある遊就館の片隅に奇妙な像がある。潜水服姿で頭には大きなかぶと。両手で長い棒を持ち、身構えている。先端に付けられているのは機雷である▼八月十五日の遊就館は見学者であふれていたが、この像をあまり気に留める人はいない。それはそうだろう。本土決戦を水際で食い止める「人間機雷」の存在はほとんど知られていないのだから▼敗戦直前に横須賀や呉などで部隊が編成され、三千人近くの若者が潜水訓練を受けた。上陸する米軍の舟艇を水中で待ち構え、竹ざおの先の機雷を突き上げて自爆する。「伏龍」と名付けられた水際特攻隊である▼空を飛ぶ夢を失った予科練の少年兵たちは、ひたすら死に向かう訓練に明け暮れた。本土決戦が回避されたために実戦には至らなかったが、潜水具には構造的な欠陥があり、多くの若者が訓練中の事故で命を失った▼当時の戦争指導者の愚劣さが凝縮されている人間機雷を考えたのは、参謀として真珠湾攻撃の作戦を立案した人物だ。自らを犠牲にして祖国を守ろうとした少年たちの命をここまで軽く扱うのか。以前、取材した時に心底、怒りがわいた▼戦争が長引けば伏龍の要員になるはずだった人物に城山三郎さんがいる。特攻を命じた側に常に厳しい視線を向けた作家の原点だろう。「日本が戦争で得たのは憲法だけだ」。城山さんの言葉が重く響く。
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