おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

贅沢になる

2017-06-18 12:01:15 | 日記

 知人と若い頃に聞いていた音楽の話になった時、最近はYouTubeで古い映像もアップされていたりするので、時々懐かしい音楽を聴くことがあると喋った。それに対してその人は「でも、音質が悪いでしょ」と返答したが、僕にはなぜかそこに物凄く違和感を感じた。

 僕らが中学、高校といった時に夢中になった洋楽(古い言い回し)は、ほとんどの場合ラジオが情報源だった。ロック雑誌も出始めたが、そんなものをいくら眺めても音楽は聞けない。レコード屋に行っても置いてあるのはヒット曲ばかりで、新しい物を探すとなるとラジオで情報を得るか、輸入盤屋で探すかしかなかった。

 今みたいにスマホやタブレットでデジタル音源をダウンロードするわけではなく、手持ちの音の悪い雑音ばかりのラジオに耳を傾け、カセットテープに録音してはテープが伸びるほど聴いていた。音質云々を言い始めたのは、その後のオーディオブームがやって来てからで、それは金銭的に余裕のある人たちの楽しみ方だった。

 当時、音が悪かろうが雑音が多かろうが、必死に耳を傾け全神経を集中して聴いていた音楽の聴き方と、高級な音響機器で高音質な音楽を優雅に聴くのと、どちらが高級な音楽の聴き方だろうか。

 僕らは自分で意識する以上に、何にでも慣れやすい生き物だ。雑音の中から好きな音楽をより分けて聴いていた耳は、いつしか音質の良し悪しにこだわる。ただ写真を撮るという喜びも、すぐに画質の良し悪しへと変化する。小学校に上がる前には、この世で一番うまい食い物だと信じていた卵焼きと魚肉ソーセージは、今では僕を興奮させてはくれない。

 そういう変化を、世の中では進歩とか進化と呼ぶ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする