おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

素質

2017-04-07 11:34:15 | 福島

 もし僕が雪国に生まれていれば、スキーにのめり込んでいたかもしれないが、あいにく近くにスキーができる場所はなかったし、泊まりがけでスキーに出かけるほどお金に余裕もなかったので、スキーに興味を持つことはなかった。福島に来て、日帰りでスキーに行けるので、二度ほど出かけてはみたが、お金はかかるし人は多いし、リフトでは行列に並ばなければならないしで、本気で楽しめるところまでは行かなかった。

 僕がスキーをやらないのは単純にそれだけの話で、自分に素質があるだのないだの、そういうことは考えたことはない。

 なぜこんなことを書くのかというと、絵を見たり書を見たりして多くの人から「私もやってみたいと思うんだけど、素質がない」と聞かされるからだ。

 で、よくよく考えたら、一体素質ってなんだろうと思う。子供が絵を描くとき、「自分に素質があるかないか」を判断して絵を描き始める子供は皆無だろう。素質なんてものは、なくったって、絵を描く楽しみには何ひとつ影響しないことくらいは子供だって知っている。

 となると、大人が口にする「素質」という言葉は、その裏に「他人に褒められる作品」とか「売れるくらい価値のある作品」が作れるということがあるのだろう。例えば、野球の素質とは、すなわち甲子園に行くとかプロになるとか、評価されることを意味しているようなものだ。

 が、考えてみれば、そもそも僕らが何かをやりたいと思う時、他人はまるっきり関係ない話だ。自分だけで何かに熱中するとき、素質なんてものはあってもなくても大して意味をなさない。

 「私には素質がない」という言葉は、結局のところ自分がやらないことの都合のいい言い訳に過ぎないのだろう。「素質」という言葉は、他人と比べてみて初めて意味をなす言葉に過ぎないのだから。

コメント
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