信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

東北人魂

2011年03月20日 00時33分35秒 | Weblog
先週自分の誕生日が震災日となった記事を書くが、その後1週間宮城や岩手の被害状況のニュースにおののき、頭は空白になるが日常の勤務はこなさねばならずミスを出さないよう必死だった。
生まれ故郷の福島は原発で連日報道され、親戚や友人は避難生活を送っている。

懐かしい福島なまりで話す相馬近辺の住民の人々の言葉に涙が出る。
この1週間涙腺が緩みっぱなしになっている。
今まで長いこと故郷から離れ都会での生活を続け、こうして信州で聞きなれた福島の
町や村の名前が流れるとするりと頭の中は古い思い出に戻っていく。

震災後のあらゆる方面からの支援も報道を見て知るが、この1週間で想像以上にスピーデイに被災者に届いている場所もある。
感謝、感謝と手を合わせたくなる。
ただじっと、ニュースを見ていれば早く早く救援をと気が急くが、
原発でも被災地でも相当数の関係者が全国から集まり不眠不休で
対応しているのを知り、その画面を見ては泣いた。
自衛隊も東京消防庁も東電も、日立の電力回復に当る1,000人の社員も何と頼もしいことではないか。
被災者は最悪の生活を本当に我慢強く耐え忍んでいるし、むしろ感謝の言葉を
東北なまりで言っているのを聞くと感無量になってしまう。

金曜日に健康診断に来た受診者さんと面談した際偶然、宮城の岩沼出身と聞き、お互い東北出身ですねと急速に距離が縮まった。
更にその方がムスメのJICAの駒ヶ根校の語学の先生の奥さんであることがわかり
世の中狭いですね~と泣き笑い。
東北出身は皆気持ちは一緒です、故郷が被災したけど、応援しましょうと別れた。

人生、故郷の日々より東京と神奈川での生活の方が長くなってしまった。
独身時代は福島出身であることを若さゆえ隠し、嫁ぎ先では田舎者と度々非難されて来た。
苦労を抱えて生きて来たがその長い日々を精神的におかしくならずに頑張れたのも
東北育ちで長い冬を過ごすことで我慢強い気質に育ったからであったと思える。
東北人は言葉も重く、目立つことはないが我慢強く実直な気質に雪国は人間を育ててくれる。
こうして全く縁がない地域でも仕事で60才を過ぎてもお役に立てる自分が
田舎者と馬鹿にされた昔を越える事が出来ている。

東京生まれの東京育ちの子供達には半分東北人の気質の母親のDNAを受け継いで欲しいと願っている。


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2 コメント

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Unknown (あちこ)
2011-03-20 02:27:56
わたしもこの1週間、テレビを見ては号泣、でした。おかげでずっと目が腫れぼったく...。おまけに運転中にぼ~っとしてしまったり、危険です。

インタビューなどで東北の人の言葉を聞くと、いいな~温かいな~と思います。こんなにいい人たちが早く普通の生活に戻れますように、と心から応援しています。
ありがとう (カモミール(名前変更))
2011-03-20 17:06:01
今日も福島の幼友達とつながり話が出来ました。
浜通りと中通りは原発と津波の違いが大きいけれど、被災者の受け入れで皆心が一つだと言っていました。
福島便で話してしまったけれど、大変な時なのに気持ちが暖かくなりました。
遠いドイツからご心配と応援有難うね。

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