信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

色彩感覚を試す

2018年02月08日 12時53分38秒 | Weblog
編み物を始めたが、気持ちは逸ってもどうも一日中編み物に向かっているには罪悪感に駆られてしまう。
誰のための人生か、これまで長らく働き続けて来てさぼりの生活は誰にもとがめられるいわれはないとか
思っても性格は変わらず...

結局夜、食後の寝る前に心を開放し編み物を広げている。
昨日、グラデーションの毛糸の余りで、ひざ掛けを編もうと数枚、編んでみた。
編み方はグラニースクエアーといいインスタで同じ趣味や販売している作品の画像を
見ているとその色の使い方でこんなに違うんだと感心する。

冬の寒い外での仕事が出来ない時期に編み物は最適だ。
昨日編んだ数枚のピースが気に入らず、結局ほどいて編み直し。
手持ちの毛糸との組み合わせ次第で全く印象が変わるから面白いのである。

色彩感覚は生まれつきのものでどうにもならないが、組み合わせ方で
大幅に変わるからまた次々やる気になるのかもしれない。

野菜作りやバラ作りはどれだけ手をかけるかで出来高が違うが、この編み物とは
夏冬違うから違った趣味にのめり込むからバランスが取れて良いのかもしれない。

さてさて、帽子はなかなかはかどらないがモチーフはかぎ針1本ですぐに一枚編めるが
何枚編んで繋げるのか、ひざ掛けは毛糸が足りるかな?

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昔の記憶を取り戻すのは難解

2018年02月07日 11時31分18秒 | Weblog
今年に入って、編み物を再開した。
約40年近く前は子供たちにミシンで洋服を作り、冬は毛糸でセーターや手袋、靴下を編む。
その当時は専業主婦が通常で、自分も働きたいと言ったら同居の姑に私のムスコはあなたが働くほど困っていませんとぴしゃりと言われた。

身の回りは手作りが当たり前、料理や洋裁が出来る嫁を自慢した。
子供の洋服は既製品は少なく、高かったし手作りして着せるのがうれしかった。
嫁入り道具に母親もミシンを持たせてくれた。

そういえば高校を卒業すると習い事として和裁や洋裁を学ぶ同級生が多かった。
高卒後都会へ出て看護学校、保健婦、助産婦と続けて医療の世界で学んだので生活の中に
まったく手芸は縁がなかった。

結婚してから子育てをするうちに手作りの楽しさを知り、当時の書店は編み物や洋裁の本の販売は
極小で自分なりに1冊の買い求めた本を読んでは覚えていったものだ。

いずれ将来繊維の改革など来るとは知りもせずセーターを編むと模様編みの面白さに
興味は膨らみ、アラン模様や娘には模様編みを入れたセーターを着せるのが唯一の楽しみだった。

それから時間は流れ、今や衣類の素材の変化はめざましく、冬の衣類は激変だ。
重たい毛糸のセーターやカーデイガンなどは暖房のお蔭で周りから姿を消した。

NHKのベニシアさんの番組を長らく視聴しているが、東北大震災の後、気仙沼市で編み物教室を始めた
マルチナさんの毛糸の腹巻帽子を知った。
ネットで調べ毛糸を取り寄せ、寒さしのぎの帽子を編んだのが4年前だ。
以来、気が付けばかぎ針も編み針も時代のせいか面白くて編みたくなるものばかり。


昨年は手芸店で帽子にはまり5,6枚あみ友人やムスメ、孫にまで編んで配った。

最近、インスタグラムの投稿に編み物の作品の画像に繋がり始め、再開した。
作者の画像を眺めているだけで感嘆し、時間が過ぎて行く。
先日ムスメとマゴの帽子を編み終わり、次にこれから寒さの中での庭仕事をしなければならない
自分のためのアラン風の頑丈な帽子を編もうと思った。

ひざ掛けやコースターもいいな。

昔編んでいたから記憶は取り戻せると思ったのが甘かった。
編み図の記号を見ても脳と手が一致しないのだ。

編み方の記号も考えている時間が長く、分かった!と思っても翌日にはうろ覚えがわかる。
ああ歳を取ることってこういうことだったのね。
老眼、理解力と記憶力の減少、まさに認知症の要素を背負い始めている。

しかし買った方が手軽だが、悔しさと根性と脳を老いさせたくない思いとごっちゃになりながら
今日も模様編みに励んでいる。

わかったことはあの30代で覚えた編み物は編むスピードが面白さもあったが編み方が早かった。
一冬で最高、5枚のセーターを編み上げたが
今や小さな帽子をひねくり返しながら一向に一日数段しか編めないのろのろを痛感している。
若いということは何をやってもスピードが違うのである。

   


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冬の一日は短く過ぎて行く

2018年02月02日 14時34分45秒 | Weblog
年齢を重ねていくと、これまで積み重なった日々が一日の生活時間のネジの回り方を早くして行くように感じる。
あれっもうこんな時間?
日が短いためもあるがそうかといって夜が長いとも思えない。

子どものころ空を見上げて流れる雲をゆっくり眺めていたあの昭和20年代、ノスタルジイか。
かくして、自由な時間を手に入れた今、やたら、先が見えてきた。

友人と話すが、あっちが痛い、こっちが痛いとか言わなくて済んでいるけど、69歳の時と70歳になった途端
今まで考えもしなかったいつまで生きられるのかという問題が目の前にちらついて来る。
たった1歳の違いなのに、最近70代の訃報が多くなったためかもしれない。

田舎に引っ込んで悠々と好きなことをしてのんびりして羨ましいと言われても、いやいやどうして
そのようなことは決してありません。
毎日が、1か月が、1年が過ぎるのが早すぎ、都会で暮らしていた頃は勿論忙しく働いていたが
老いて行く実感がなかったし、先を考える脳みそもなかったし、その年になってみなければわからないってことだ。

限界集落に移住し、自然は豊かだが、どう時間を使うかによっては虚しさを感じるかもしれない。
幸いSNSで情報を手に入れる便利社会であるから、歳を取っても新しい知識は山のように手に入れられる。

生きてきた知識や経験はその時は良かったが今更参考になる時代ではなくなった。
若者から知りえる生活情報が面白く、先が短くなってきたからこそ貪欲にならねばならないと思う。

インスタグラムから色々な分野に入り込み、生活の中に取り込んでいくとさらに忙しく、趣味も増えるし
生活の仕方も変化が訪れる。

編み物、刺繍、レース編み、収納、掃除方法や用品、園芸や野菜作りは勿論、図書館通いも始まり
さらに生活の時間は細切れだ。

育児、家事、勤務に追われていた若かったあの頃は楽しむより苦痛が大半で子供の受験もその間にウエイトを占め
懸命にこなして定年がやって来た。

人生ホントに短いと言えるようになった。
頼りは健康だけ。

春先から庭で過ごす時間が多くなるが、今年からあれこれ1年の目標を決めずにやりたいことをやりたい放題で
毎日を送って行こうと思う。

昨夜の雪を掻きながら雪だるまを作った。
中学生以来だ。

マスクをつけただるまはインフルエンザに来てほしくない願いを込めた


大竹まこと風のちょい悪オヤジは、宅配便と郵便配達ウケ狙い

  
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70歳の学習 その3

2018年01月20日 13時11分48秒 | Weblog
ずっと開くことがごくわずかになっていたパソコン。
便利にスマホをPC代わりに使い一日何度もバッテリ―充電する始末だった。

ところが自分の骨密度の検査の結果を一覧表化したのに火が付き、勢いで今年度の確定申告を
やっつけた。
国は貧乏人から税金を取りすぎていると目が覚めた。
還付金がこんなに・・・・、

続いて1年半前に亡くなった愛犬と、残ったもう1頭の病気が発見されて以来の治療費の一覧表を作ってみた。
動物は健康保険がないから病気になれば実費がかかり、家族同様だからとムスメやムスコにも年金生活者になった
母親の支払金の折半になった。

幸いに診療明細書をずっと保管していたのでこの4,5年分目からの分をそれぞれの犬ごとに
入力してみた。

1年半前に突然12歳で亡くなった犬は短い期間だが、かかった費用は別に表から見えたのは、舌の腫瘍疑いで
半分切除、その後ヘルニア手術、回復した後悪性黒色腫で2回手術、続く抗がん剤点滴、と何と痛い治療を
受けてきたのかと涙が出る。

亡くなった2週間後もう1頭の腹部のがんが見つかり、この1年半抗がん剤の服薬治療を続けてきた。
動物の抗がん剤の効果はもって3か月と言われたが奇跡だった。

しかし抗がん剤は人間も同様だが食欲がなくなる。
まったく、ドッグフードを食べなくなった。
昨年の夏いよいよ、と覚悟したが、主治医から経管栄養を勧められ手術でチューブを埋め込んだ。
流動食を朝夕注入しているが、3か月たった今、体調の回復はめざましかった。

この治療費も一覧表化した。
費用を折半しているムスメやムスコにも納得する表が出来て、たまったら請求している母親も
安堵した。
犬を飼い、10数年一緒に暮らし、苦労続きの辛い年月をどれだけ癒してもらったか
最近はダメだと思った犬と散歩していると笑顔の犬が一生懸命歩いているのを見ると
命の大切さをしみじみ感じることだ。
子犬時代の愛くるしさしかなかった時代は病気になるとは考えもしなかったが、老いて病気になった姿には
飼い主も学ぶことばかりだ。

子供たちと、このかかった費用はそれぞれ3人で超高級犬が1頭ずつ買えるねと笑ったが、
お金に換えることが出来ないのがあるものだ。



昨日の中央アルプス、空木岳 2864m
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70歳の学習 その2

2018年01月20日 12時35分20秒 | Weblog
ムスメの出産の面倒を見る役割が年末を挟み約2か月近くあり、夢中で久々の仕事をこなした。

思えば4年前に原村から伊那に家を建てて引っ越し、荷物を整理する間もなく1か月後にマゴが生まれた。
親子は出産後は1か月間家に預かった。
その時の感覚があったので、同じ寒い季節だが何とかなると軽く考えていた。
しかし4年後の今回は病気で介護中の犬がおり、ムスメの家に毎日通って保育園の
マゴやムコの面倒を見なければならない。

11月中旬からこの1月中旬になると出産のために費やした生活のリズムは元に戻ってきたが
70歳の頭の中は呆けていたようだ。
さて、忙し過ぎた毎日が犬との静かな毎日に、ねじを巻きなおすのだが何だか変なのだ。
忙しさに慣れるとこのゆっくりとした自分だけの生活リズムに罪悪感を感じるのだ。
長いこと働き続け、やっと手に入れた自由な時間なのに、女の人は何をしても罪悪感を感じる
動物だという記事を読んだことがあるがまさにその通りかもしれない。

1月15日に3か月ぶりに骨粗鬆症の検査のための通院をする。
主治医からは骨密度のレントゲン検査の結果、まあいいですね、
横ばいですがこのまま服薬を続けましょうと言われ、良かった!と嬉しかった。

1年に1度の検査は悪くなって骨折しないかとそれだけが心配だ。
女優じゃないから今後の残された人生、骨の強さだけが頼りだ。

薬と検査データーをコピーしてもらい帰宅した。

今回は股関節と腰椎との数値を比べたらこの10年間の治療の推移で初めて股関節の数値が
昨年より悪くなり腰椎の骨密度が上昇している。

よし、一覧表にしようと思い立ち、エクセルで腰椎と股関節の骨密度、骨塩量、骨面積をそれぞれ
10年間の数値を記入し一覧評価した。
ついでにその年のエピソードも入れてみた。

よしよし、一覧表化したら一杯色々見えてきた。
4年前に退職してウオーキングを取り入れたがその為骨密度は上昇したが、体重が減ったため
骨塩量や骨面積が下降した。
しかも1昨年から飼い犬が病気になり、特に昨年はそのため散歩の回数も歩数も減った。
それが骨密度に顕著に現れた。

病院で医者に大丈夫と言われて喜んでみても病院から出た瞬間は忘れている始末だ。
生活習慣は自分の体を作りもするし壊しもする。
今年犬の散歩は、それはそれと割り切り、自分の骨のために新たな習慣を作っていこうと
一覧表を作っての決心をした。
3日坊主にならないといいね。

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70歳の学習 その1

2018年01月20日 11時49分50秒 | Weblog
1月中旬になり、少し寒さが緩み、自分の生活リズムが戻って来た。
昨年の11月22日、近くに住むムスメが第二子がを出産。
第一子は4歳になるから保育園に通っており、出産が近づいてきた頃から予行演習として
送り迎えを引き受けた。
予定日の4日前にいきなり陣痛が来た。
本当に陣痛かと疑いながら産院に電話し、せかされて入院し、分娩室に寝かされ20分後
出産した。
助産師から20代のお産ねと褒められたが、家族全員大わらわだった。

以後、頭の中に描いていた出産前後の家事代行のシナリオはあっけなく崩れ去り、それからの
毎日はもう思い出されないくらいになってしまった。
朝早く出かけ、夜寝るばかりになって家に戻る。
輝くマゴとの記念写真は、4年前に比べおばあさんは萎びれてヒトには見せたくない代物になった。

まあ、一日中保育園、産院、ムスメの家と自宅の往復、を車を駆使してその間家族の食事作り
マゴの風呂など第一子出産とは大幅に日課は異なりこれだけはやってみなければわからなかった。
文字通り家の中でも走り回っていた。

勤務していた時に社員の焦燥性うつ病の面倒をみていたが、毎日そのことを思い出し
アセアセする気持ちがよくわかった。

同じころ友人が東京で出産するムスメの手伝いに行くと聞き、お互い頑張ろうと励ました。
年賀状の代わりにその友人から手紙が来て、出産手伝いしたのに体を壊し一旦静岡の自宅に戻り
立て直しをした。
恒例の年賀状は書く気力もなく全部無駄にして今後これを機会に出さないことにしたという。
あなたは大丈夫だった?と聞かれたが自分も途中でいきなり気管支炎を起こして病院のお世話になったが
まあ、顔のやつれと生活リズムが激変したくらいで何とか今になったと報告した。

比較的若い時に出産の後の面倒を見るのは、体力的にはこなせるが、親子関係や住んでいる家の距離で
諸々異なり、想像しているのと大幅に違う。
何とか前期新生児を過ぎて、1か月検診を過ぎるころには子どももムスメの健康状態も回復して笑顔が出て
その頃を境におばあさんはクビになり、自宅での元の生活に入って行く。

友人には、子供の面倒をみて役に立ったことを感謝しなくてはならないのねと言われ、はあとうなずいた。
歴史は繰り返されるが、ムスメは子供二人は男の子だから遠い将来出産の面倒を見る
役が回ってくることはないかもしれない。
40年も前の自分の出産のときは、年子のために実家へ帰り兄嫁にすべて面倒をかけた。

もう遅いがこの年になっても頭が上がらない人がいるのは兄嫁であり、
あの世へ行っても感謝し続けることばかりである。


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汗をかきまくる毎日が続く

2017年12月17日 18時06分37秒 | Weblog
11月の投稿がすっぽり抜けてしまっていた。
今日は12月の中旬であるから怠け者になってしまったかのように見える。

10月の最後の記事は愛犬の手術後の体調だった。
食事が取れずに栄養失調で余命をハラハラしながら見守る日々から経管栄養に切り替え
もう2か月が経ってしまった。

先週、抗がん剤の処方と、がんの転移と抗がん剤の効果の確認と胃に繋がっているチューブの絆創膏のまき直しで
通院した。

抗がん剤治療を開始し約1年9か月になるが定期的に腹部エコー検査と、肺のレントゲン検査、血液検査などから
転移や副作用などを推測する。
先日、抗がん剤の効能書きをもらいこの薬の有効率が23.5%と低い生存に意気消沈したが、
1年以上も生き延びるのは奇跡的と主治医からいつも言われる。
しかも抗がん剤特有の副作用の食欲不振で命を長らえないことから、10月に勧められた胃婁による経管栄養
の手術を行い、もう2か月が経った。

朝夕、注射器で溶いた粉末のパウダーを流し込む。
目に見えて毛艶が良くなった。元気よく散歩に出かけ、吠え声もやかましいほどだ。

経管栄養に切り替える前の体重は4.4キロまで減少したが高カロリー総合栄養のお蔭で体重が5.4キロに戻って来た。
13歳を過ぎたダックスは高齢犬と言われるが、若い時の太りすぎの7キロは流石に戻れず主治医から上々と
誉められた。

血液検査でも落ち込んでいた栄養価も上昇した。
人間でのある程度経験してきたがんの治療の医学的な治療の進化は、動物に関しては全く無知だった。
おろおろしながら体調が悪くなるのを手を下すすべもなく大きなストレスを抱えてきたが、主治医の判断で
この年末を明るい気持ちで送ることが出来た。

片や、近所に住むムスメの第二子が11月22日に誕生した。
4年前の出産も実家で預かり面倒を見たので今回も同じようにと思ったが、まったく考えは甘かった。
出産し入院したムスメの留守宅でマゴと婿の面倒を見なければならない。

朝早く出かけ、べんとう作りと朝食を食べさせ、保育園の送り迎え、日中は夕の食事の支度、産院の往復、
午後マゴを保育園から引き取り、
夕食を食べさせ19時前に寝てしまうため風呂に入れもう毎日家の中を走り回っていた。
日中自分の家に帰り犬の経管栄養を済ませ、お尻に火が付いたとは
この事だと70歳になった老女はあくせくの毎日だった。

4年前の第一子の面倒を見た時と内容の忙しさは全然違っているではないか。
まあ、もう間もなく出産後1か月になる。
親としての大役は済ませて、また年明けから病気の犬と静かな毎日に戻れるかな?

自分の年齢も考えなさいと周囲からは口を酸っぱく注意されている。





一寸仲良く並んでみた。
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安堵・安堵

2017年10月29日 13時15分34秒 | Weblog
昨日はみるきぃの術後2週間目の通院日であった。
何故か、動物病院の通院日は雨降り的中100%。

病院の周囲は散歩に適している場所なので待ち時間が長いので散歩をして時間稼ぎしたと思っても
待合室から出られず、ひたすら順番待ちだ。

動物病院へ通院始めて毎回感心するのは、最近は患蓄は猫と犬の数が逆転したのと
飼い主は超込み合いでも黙ってひたすら文句も言わずじっと待ち続けることだ。
人間の病院はこうはいかない。
怒っていつまで待たせるのだとか、あとどのくらい待つのかと看護師や事務に怒鳴る場面も良く見られる。
動物病院の待合室は険悪さがない。

2週間ごとにこの1年半は通院しているが四季を通じての動物病院周囲の景色は
雨のために望めない。

2週間前に胃婁のチューブを入れる手術と、同時にしっぽに出来た腫瘍の摘出術を受けた。
良性らしいから細胞診は行わず、抜糸する。

人間の胃婁のチューブは1年くらいで再手術をして交換するが動物の場合はお腹の中で癒着し
手術自体が難しいから入れっぱなし。
その間、自力で食べられるようになり抜き取るか、あるいは途中で旅立ってしまうかという。

高栄養の流動食をチューブから注入する技も慣れてきた。
術後は相当痛かったのであろうと麻酔の影響もあったので体重はすぐには増えなかった。
1週間くらいして4.4kまで減っていたのが5kになった。

同時に気が付いたのが毛艶が良くなってきたこと。
朝夕2回、パウダーを溶いて流動食を作り100㏄流す。

その中にはたんぱく質40%以上、脂質、炭水化物、繊維分、カルシウム、無機質、
その他通常ドッグフードでは不可能な
栄養素が入っている。

1年半前から開始した抗がん剤服用の副作用でこの半年くらいは食欲不振で食べたいモノが無く
ドッグフードからは長いことおさらばし、
夏はキュウリやスイカやトマト、サツマイモなどほんの少し気が向けば食べた。
水分は取れるが栄養失調だろう。
体重が減るのは当たり前。

飼い主の気持ちはどんどんすさみ、死を現実として向かい合わねばならないかとばかり考える。
散歩だけが命の犬と毎日歩きいつも、この時間は今年いっぱいかと考える。

おっかなびっくり受けた胃婁の治療はこの2週間で犬は勿論、飼い主のどれだけ心の負担を軽くしてくれたことか。
人間の場合、家族が余命を宣告された場合、出来るだけ生きて欲しいと願い、
治療をする場合と自然に天に召されるのを待つのと全部その家族に選択肢がある。
長く一緒に暮らしてきた動物も飼い主は後悔ばかりを引きずって思い出しながら暮らしていく
のを選ぶかは非常に難しい選択だ。
世の中、何らかの理由で捨てられた沢山の保護犬がいるのだから。


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りんごの仕事

2017年10月25日 17時21分52秒 | Weblog
犬の治療で元気を取り戻しつつあるが、7月に一緒にブドウの袋かけをした友人から
秋になったらリンゴの仕事をしないかと誘われた。
都会で長らく医療の仕事を続け定年後信州へ移住してから、地域の特性か、花、野菜作りのバイトに声が
かかった。
経験がないが、異業種の経験をする機会は全くないので引き受けてきた。
そして伊那に最終の移住をしてからキャベツやトマト、稲の種もみの苗床作り、トルコ桔梗の定植
ブドウの袋かけと声をかけられる。
なるほど、不定期な季節作業は若いものは定職を求めるから無理で人手不足だ。
元気そうな老人に声がかかる。

限界集落に住んでみると様々な厄介な問題に直面して都会で暮らしていたら、知ることはできないであろう。
野菜や花卉、果実など地方ならでの特産物も自然災害には手も出ない。

今年は夏暑い最中、1週間かかり袋かけしたブドウが先日の台風でわずか数時間で落下した。
オーナー夫婦は泣きながら掃除していた。
同時にリンゴ農家も大被害で収穫時期にその年の収入をかっさらわれた。

僅かな立地での違いで被害の翌日からリンゴ農家からのバイトが始まる。
こちらはリンゴ農家の2代目、父親が病死し、母親は長年の労働で腰痛で仕事が出来なくなり一人息子が
後を継いでいるが母親の通院をし、手広いリンゴ園と梨園の作業が不可能で経験のない自分に仕事が回って来た。

何しろ、限界集落、人手がない。
老人は自分の田畑を守る力もなく、子供たちは家を出てサラリーマン生活だ。

全く経験がないが、まずはリンゴ園に行き作業を説明され一日働いた。
これからの季節は品種はふじ。

パリパリとした触感で甘酸っぱく冬の間長持ちする。
知らなかったが、リンゴのヘタの周りは葉っぱが茂り、それを摘み取りお日様が万遍なく当たり
赤くなるように葉の摘み取り作業があるのだ。出荷まではまだまだある。
たった1日しかリンゴに向き合っていないが、枝への実のつき方は全部違い、若木か老木によっても差があり
葉っぱをむしり取りながら、なるほどね、知らなかった…
ということばかり。
高い枝は脚立に登り作業をするが少々怖い。

地方へ移住して、都会で便利にスーパーできれいな商品を選んで買い物していた自分が知らなかった陰の世界に
入って手伝い、逆にお金を払ってでもいいから勉強させてもらっているという経験が続いている。

食べ物に感謝する気持ちはこの年になってもらった。




りんごのなりくちは葉っぱが茂っている


出荷するにはきれいに摘み取り日に当てて赤くする




高い脚立に初めは足が震えた
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難関突破

2017年10月25日 16時26分58秒 | Weblog
10歳以上になった飼い犬の病気は予想していないから、この1年半がんの宣告を受けて治療に入った
愛犬みるきいとの暮らしは過酷だ。

丁度1年半前にもう1頭の年子のロゼが具合が悪いので動物病院へ運び、その夕方には亡くなってしまった。
痛恨はその2週間後に運命というか、発見に及んだ残された1頭のがんに思いは繋がり何が何でもと治療を始めた。

動物のがんの治療の効果は後程聞くと3か月くらいで命を失う様だ。
1日おきに抗がん剤を飲ませ、定期的に転移の検査をして、人間と同じく抗がん剤の副作用の
食欲不振を気にかけハラハラしながら1年が経った。
まあまあ効いて居るかなと思っていたが、今年に入って食事をしなくなった。

痩せてきた。7キロ近くあった体重は4.4キロまで減った。
飼い主も一緒に食欲不振だがそうは言っていられない。
泊りの旅行は不可能になり、近くの娘にも預けられなくなった。

13歳7か月まで何とか毎日口に入るものを選び、ドキドキしながら願うように食べさせたがいよいよ限界。
主治医に相談したところ、抗がん剤が効いているので栄養を確保する方法があり、胃婁を勧められた。

えっ、胃婁?
思わず亡くなった母親の胃婁の治療を思い出し、それまでして痛い思いもさせたくないと抵抗した。
医師曰く、飼っている動物が死期迫ると飼い主は家でゆっくり死なせて上げたい、治療はかわいそうだと断る。
しかしいよいよ危なくなると、見ているのが辛くなり、センセイ何でもいいから生かして下さいと
泣きついて駆け込んで来る。
もうその時は手立てもなく、まだ出来る治療があるときにすべきなのですが、皆さんの考えはそれぞれですから
選択してくださいと言われた。

約1週間痩せていく姿を見てもう我慢の限界で胃婁の手術日を決めた。
10月13日、1泊で全身麻酔でみるきいの胃にはチューブが入った。
翌日、から丸2日間寝たりで動かない犬の姿に慌てた。

術後1日目から高カロリーの流動食をチューブから1日2回、抗生剤と一緒に流し込む。
元医療職で扱いは怖くないはずなのに、身近なものには弱い。
手術前に考えた胃婁の姿は、帰宅して毎日一緒にいると心配し過ぎたようだった。

1か月に1回チューブは取り換えるが、体重が回復し、体力も取り戻せばチューブは
抜けると言われたのが人間と違う点だ。
今術後12日目。
体重が増えてきた。
死んだように思った動かない姿は元気が出てチューブを付けて散歩もするし、やかましく吠えるし
普通の生活に戻って来た。
有り難い。
もうすぐ13歳8か月、せめて突然亡くなった兄弟犬の2年分は多く生きて欲しいと家族とともに願う日々となった。
動物を飼うとかわいい思い出は富士山の山の頂上くらいまで積み上がるが、病気になると悲しみは同じくらいの
高さに及ぶものだ。


わき腹から胃に入ったチューブ<


チューブは3方活栓で注入が便利


高カロリーのパウダーを溶いて注射器で注入する
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9月になって

2017年09月06日 13時45分05秒 | Weblog
サマータイムの言葉の響きとははるかに遠い、短い夏が過ぎたように思える。
特に信州はお盆のころからススキの穂が出て秋の虫の声が聞こえ、稲穂が頭を下げ始める。
しかも日没が毎日1分ずつ早くなり、中央アルプスに沈んでいく場所が移っていくことにあぁもう夏は
終わったのねと寂しさを重ねていくことになる。

6月から7月の日中の暑さに負けまいと庭の草取りに励み、毎年そのあとやって来る抵抗力を失い
熱を出すといったパターンに今年はやられなかったとお盆が過ぎた。

今日で手足口病を患ってから4週間が経った。
まったく長かった。
口内炎が出始めて自然に治るどころか風邪の症状も合併し、口内の潰瘍はひどくなる一方、痛さのあまりに
2週間目には受診したが、対症療法しかなく、どうする術もなくうつむきっぱなしのその後だった。

インターネットでは成人が罹患すると酷くなると書いてありまさにその通り。
どんぴしゃり。
首から上の顔面の病気は痛さが日常生活の正気を失い、一日がひどく長く感じる。

長野県ではこの夏のお盆前後で手足口病が子供たちにこれまでに無い感染であったようで
子供や老人がかかると酷くなるという様々な感染症を経験して自分のこの夏の働き方を
反省させられるこの1か月であった。
7月に抱えた課題の心不全の精密検査は先延ばしになってしまった。

バカは治らない。
また来年も歳を考えず、庭を見たら草花や野菜たちを侵略していく雑草を根こそぎ引っこ抜く
毎日になりかねないな。
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迷っている

2017年08月28日 16時03分39秒 | Weblog
信州へ移住して10年が過ぎた。
最終の住まいが伊那だが、それも25年10月末に引っ越す。。
地理も覚え、気候や周囲の住民とも馴染み4年目に入る。

今年3月には70歳となり、70歳という感覚が我がことと思えずマゴも保育園に入園し
自由な時間を手に入れた。
園芸作業に大半使えると喜んだが、庭の手入れの70パーセントは草取りという現実。

細々とした外出の用事も田舎暮らしとは思えぬ忙しさでどんどん時間は過ぎ去っていく。
同時に毎日絶えず気になっていたのが長らく続けてきたこのブログの記事の更新だった。

そして7月初め、毎年恒例の人間ドック受診を済ませた。
周囲から若いわねぇ、歳には見えないと常にお世辞を言われ自分でのその気になり
確かに毎年の健康診断での指摘は僅かなものだった。

今回もこれまでより体調も問題なく元気な70代を送るのだ、と楽観視していた。
過去に何度も胃カメラの後も要精密検査になっていたが問題ないと解放された。

午後から全体の結果説明を受け、調子に乗っていた自分に見返りが来た。
7年前にふざけ半分にオプション検査で心臓は強いはずと受けた心不全の血液検査で落とし穴に落ちた。
数値が高めに出て毎年経過検査を受ける羽目になった。
何が原因かわからないが勤務していたのですぐに1年など経ち、有り難いことにやや高めに落ち着く。
そして3年前退職する際はもう心穏やかに伊那に永住して暮らすのだから心臓に悪いリスクはないはずと
中断した。

今年、ドックを受ける際、何だか気になり3年前受けた心不全の検査を蘇らせた。
結果説明で検査結果は他には問題なく、ヤッタァと思ったが、ただ一つだけ2か月後に精密検査を勧められた。
心不全の検査で正常に近くなりつつあった数値がこの3年のブランクで3倍の異常値に上がっていた。
自分でも思いたる理由はなく、結構真剣に受け止めた。
息切れとかあったらすぐに受診してくださいねと言われながら、約1か月間意気消沈した。
健康寿命や平均寿命やもう頭の中を通りすぎ、ああ私はあと5年もこのままいけば生きられないのだ。
と病人の気分になった。

最近有名人の訃報もやたらに多く自分もその中に入るのかと。
折からインスタグラムを始め、少しずつ友人が増えコメントの返りからなんだか面白いぞと
思い、毎日の生活に彩が加わった。ブログに取って代わった。

ブログは原村に引っ越し海外生活になったムスメ、ムスコ、メイとの交信に役に立つかなと始めたもので
時代は変わり通信機器は便利になり、LINEで同時に数人とのメールもやり取りできる。

自分の考えや生活の様子を子供たちに知らせたいと始めたものだが今や書店がどんどん減っていく時代。
長々と書いたものを自分の死後、こどもは読み返すかと考えたらそれはないよと思う。
終活が当たり前になって来て断捨離していかに残すものを淘汰するかの時代だ。

などなど意外と死ぬことを真剣に考え始める材料がやってきたら、ブログもこのまま書き続けるか
10年目の節目で終了するか
精密検査を受け終わるまで自分の頭の中のブログ会議は続くのである。




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今年の出来栄え

2017年07月15日 12時56分37秒 | Weblog
先月、梅漬けをしてから1か月が経ち来週は土用の日がやって来る。
土用干しをしなければならない。

今回は南高梅を買い求め、さし酢漬けと赤い減塩梅漬け(ポリ袋で出来るという)を漬けた。
信州へ越して始めた梅漬けは梅の入手先により作り方も出来栄えもまちまちで、いまいち
私の得意はこれ!ということが出来ないが一応若い者たちに任され、年長者としての役割は果たしている。

さし酢漬けは毎年漬けているが、梅の熟し具合と梅の種類によって出来上がりに違いが生じる。
スーパーで出始めに買い求めた南高梅は完熟であったはずが、3本の瓶につけたのが微妙に違いがある。


そして今回初めてNHKのEテレで6月に梅仕事の料理番組でさし酢漬けと簡単、ポリ袋で作る減塩梅干し
を見てやる気が出た。

従来のさし酢漬けは氷砂糖300g,粗塩100g、酢800cc、完熟梅1キロであったが今回はザラメ砂糖に
番組では変わった。

赤い減塩梅漬けは完熟度が違いすっかり完熟した梅とカリカリ梅とでは出来上がりが異なるが
2種類作った。

さて冷蔵庫保存の赤梅干しも今日ポリ袋を開けて中を見た。
本来、重石をしてカビが生えないよう何度も注意して面倒を見るが8%の塩ときび砂糖でカビが生えない
重石もいらないポリ袋に入れたまま出来上がる梅漬けである。



さし酢漬けはふっくらとして土用干ししたらシワクチャの梅になる



赤い減塩梅干しもふっくらとしてカビも生えずおいしそう。

そして昨日ご近所の農家からきれいな中くらいの梅がどうぞと届いた。
断るわけにはいかない。
3.5Kgもあり梅酒にしようか梅ジュースにしようかと迷っているうちに早くも黄色くなってきた。
もはやこれも梅干し行きか。







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ポピー残酷物語

2017年06月22日 21時51分34秒 | Weblog
昨日庭の景色が暑くるしいと記事に書いたら決心がついた。
一日中雨が降り1か月ぶりに雨は十分草花や作物に水気を注ぎ、朝起きたら空気が変わっていた。

気温が上がる前に仕事を済ませたい。
気持ちも変わることなく7時からひたすら作業だ。

真っ赤っかの庭に出てまずは裏手の畑に生えているポピーを抜き始める。
畑の方は野菜が一面占めているのでそのあいた通路などにひしめいている。
まずは1時間で引っこ抜いたポピーは山になり、次は一輪車で堆肥のある場所に往復を何度か。

休憩を取りたいが、こういった仕事は勢いが大事。
顔に汗が流れて来て目に入り痛い。

さあ、難関の庭の方だ。
こちらはホント、群生しており引っこ抜くと2株ほどで両手に抱えても一杯になる。
考えている暇はない。
片っ端から心の中できれいに真っ赤に咲き誇っている花にごめんねと謝りながら
抜いては山に積んでいく。

かくして最後は暑くて倒れそうになりながら3時間で終了。
真っ赤っかの庭はピンクのつるバラだけになり、色物はごくごく減ってしまった。
風通しも良くなり、すっきりしたのは間違いない。

本当は満開の花を引っこ抜き捨てるなど罰当たりでたたられそうだが、なぜか落ち着いた色の庭になって
自分の気持ちも落ち着いた。

来年は配色や配置をしっかり考え、群生しそうな草花の苗は早いうちに淘汰しよう。
気持ちとしては淡い色合いの配色の庭を作りたいが、どうしたものか。

雨上がりの気温30度の中汗で全身ずぶぬれ状態で力仕事をやり遂げ1時に家に入った。
老女、こんな危険な作業は来年はやめておこう。
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恒例の梅漬け

2017年06月21日 17時05分08秒 | Weblog
毎年、体力の衰えを感じ今年から梅干をつけるのはやめようと、心の中で思う。
そのいい例が野沢菜漬けである。

昨年の冬も食べる量が少ないから買った方がいいと決心したのに
抱えるほどの野沢菜を2軒の農家から頂いた。

今や夏だがほんのわずかしか食べず無駄にすることは違いなく、砂糖や塩は勿論だが寒い日に
洗って漬け込んだ体力を思い直す。

しかし、梅干しは別である。
尊敬し続ける佐藤初女さんや つばたひでこさんを想うと、お二人とも80歳や90歳でも梅干しを大量につけて
おりそれを考えると自分はまだひよっこで、弱音を吐けない。

いつもご近所から大量の青梅を頂き、慌てて梅干しにしていたが今年は奮発して完熟南高梅を買いこんだ。
ムスメやメイの分も私の自慢できる役目と引き受けた。

香りのよい完熟した梅はまるで宝石で愛おしく作業が進む。
今回は各々2キロずつ、信州の誇る横山タカ子先生のレシピを踏襲。

さしす漬け


完熟梅  1キロ
砂糖、ザラメ300g あら塩 100g 酢カップ4

 30分から1時間水に浸けあく抜きし、水分をきれいに拭き取る。
 容器に材料を全部入れて2週間以上置く。
 土用干しを3日3晩行いさし酢に浸し容器に保存する。

青梅の時は外側の皮が硬かったが今年の出来はいかばかりか?

数年前まで原村に住んでいた際、お盆が終わるころ夜大家さんがいきなり10k以上のもいだ青梅を
コンテナに入れ、玄関先に置いて行く。
といったことが続き、諏訪に勤務していたのでその10Kを一晩水に浸けその翌夕、なりくちをしこしこと一晩かかり
楊枝で取り
塩漬けし、さらに赤しそを買ってよくもんで混ぜ大量に出来た梅酢の保存に困った。
しかもお盆過ぎだから土用干しはとっくに終わっている。
今思うと有り難いことだが、体力が落ちてくると10キロはないぜと思う。

さし酢漬けはおいしいしマイルドで作業が軽く、これだけはやめられない夏に向かう前の手仕事である。



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