「1984年」というジョージ・オーウェルの小説がある。1949年に執筆された当時、まだ生々しいヒットラーのナチス独裁の経験、そして現在進行中のスターリンの恐怖政治などを踏まえ、全体主義国家の恐ろしさを描いたものである。舞台である仮想の国「オセアニア国」では、ビッグ・ブラザーという本当に存在するのかどうかさえわからない指導者が、つねに目を光らせ、人々の思想を統制している。
思想統制のために、言語が . . . 本文を読む
バグボ大統領を当選者とする憲法院の決定(12月3日)を、国連(UNOCI)のチョイ特別代表は、即座に認証できないと声明した。そして、その一方で、ウワタラ候補を当選者であるとする選挙管理委員会の選挙結果のほうが、正しいとした。それを受けて、直ちにニューヨークでは、潘基文国連事務総長が、ウワタラ大統領の選出を祝するという声明を出した(12月3日)。
これで、国連は怪しからん、という怒りの声が出てきた . . . 本文を読む
米国の「AP通信」社の記者から、取材を受けた。今回の選挙では、日本大使がずいぶん目だっていた、何か背景があるのか、と聞くから、日本は平和構築に責任を果たす国であり、コートジボワールでの民主主義と平和の回復を願う立場から、積極的に働くのは当然である、とまあそう答える。そして、日本が行った選挙協力について、具体的に例を挙げて宣伝した。それで、これからどうなるのでしょうか、という話題に移る。
(記者) . . . 本文を読む
なぜロシアなのか。理由や背景はよく分からないけれど、とにかくロシアが邪魔をし始めた。舞台はニューヨーク。国連の安全保障理事会での、外交交渉の話である。
12月3日、憲法院がバグボ当選を選挙結果として宣言し、それに引き続いて、ここのチョイ国連(UNOCI)代表が、その憲法院の選挙結果は「認証」できないと述べるとともに、ウワタラ候補の当選という選挙管理委員会の選挙結果のほうが正しい、と判断した。
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コートジボワールでのこの騒動が、日本でも報じられるようになった。そこではおおむね、選挙管理委員会の発表で当選したウワタラ大統領と、憲法院の開票結果無効によって当選したバグボ大統領と、「2人の大統領が並ぶ異常事態」という内容を報じている。そして、国連や国際社会が、ウワタラ大統領の側を支持しているという、というところも報じている。
しかし、この報道だけでは、何が問題なのか今一つ分らない。一体全体に奇 . . . 本文を読む
天皇誕生日の祝賀会を、12月3日に予定して準備をすすめていたのに、その時期に、大統領選挙の結果発表をめぐって、緊張が高まってしまった。夜間外出禁止令が出されたので、私は祝賀会の開催を諦めざるをえなくなった。私は涙をのんで中止を決めた。中止を決めながら、その残念な気持ちと、コートジボワールの人々への期待への気持ちを、きちんと伝えておこうと思った。まあ、転んでもただでは起きないぞ、という気持ちがある。 . . . 本文を読む
一つの国家に、二人の大統領がいる。それぞれの大統領が、自分が本物だ、相手は偽物だと言っている。日本史にも南北朝時代というのがあった、あれと同じである。どちらの大統領を本物と認めるか、それぞれの国の判断になる。これまで、その態度を明らかにした国は、米国、フランス、そして欧州連合(EU)である。もちろん、ウワタラ大統領が本物。そして、バグボ大統領は偽物、という立場である。
オバマ大統領は、12月3日 . . . 本文を読む
バグボ大統領の就任宣誓式が終わって以降の静けさが、翌日(12月5日)も続いている。国営テレビ放送では、ニュースの時間に、かなり抑えた調子でバグボ大統領の就任を伝えるだけ。それ以外の時間には、映画とか教養番組を流している。おそらくバグボ大統領の側では、もう大統領として就任してしまったのだから、これ以上騒ぎ立てることもない。むしろ、人々の心から選挙の記憶を流し去ろうとしているのだ。
このまま、1週間 . . . 本文を読む
昨日(12月3日)の深夜零時に、突如テレビ画面に「国家儀典局」という文字が出た。その文字だけを背景に、告知が読み上げられた。
「憲法院は、12月4日正午より、大統領府においてバグボ大統領の宣誓式を行います。」
いよいよ来た。そして、以下の人々に出席を求めると並べる中に、「外交団の代表」と入った。つまり、大使たちに出席が求められた。でも大丈夫。私が宣誓式に出席しないということは、本省とも相談して、了 . . . 本文を読む
昨日(12月3日)は、天皇誕生日の祝賀会の日である。いや、祝賀会の日であった。もちろん、このような緊張の中で、開催できるわけはない。涙をのんで、中止した。中止に至る経緯と、私の思い悩みについては、また別の機会に書くことにしよう。ただ、これから書く昨日の動きの叙述は、そういう予定の日であったということを、踏まえている。
一昨日(12月2日)の夕刻に、バカヨコ選挙管理委員長が、避難先のホテルで、「ウ . . . 本文を読む