蛇口屋

リフォーム業界のあれこれ

肌で感じる世迷い考

2009-12-13 11:01:25 | Weblog
もしかしたら、今の不景気って、本当は不景気じゃあ無いのかも知れない、なんて、ふと考えていた、試験も終わってちょっと思考が暇していた今日の蛇口屋です。

多分、今、この世界の目の前には、巨大なクレパスが広がっていて、そこへ押し出された人は、ただただ、落下の恐怖に怯えているような形で、その視点は大きな流れによって支配されて、ひたすら恐怖の対象である谷底へ向けられているって感じですかね。

その流れからはみ出ると、別に急いで、クレパスを渡らなくても、良いんじゃあないかなあ、って言う流れと違う考えが出てきて、その中から更に、もしかしたら、このクレパスの谷底は元々用意されていた物で、いっそ中に落ちて見るのも、これから先に進むための手段の一つではないんだろうか? 
この果てなく底に有るものが、悪い物だって誰が決めたんだろう? 段差はあるけど、多分、下は地面だ。地表に近い分、暖かいかも知れないし、もしかしたら温泉くらいは沸いているかもしれない。探せば降りやすい場所もあるかも知れない。

でも、人の波を先導する人達は、ただ「大変だ、大変だ」って言い続けて、人の波よりもだいぶ高い位置にいて、そこから動こうとはせずに、人の波の方向を錯綜させながら指揮棒を振り、情報を流している。

なんか変だなあ、って思ってよくよく考えて見ると、この指揮棒を持っている人って、人の流れを見ていないくて、その先にあるクレパスさえも見ていない。同じ高さの人同士がたまに良くも通らない声を掛け合っているくらいで、しきりに自分の足下を見ている。なるほど、よく見ると、その高い台は、同じ人で出来ているじゃあないか。
多分、この人の流れの不景気なんて言葉で言われるこの混乱した人の流れは、多分、あの、高い位置にいる人達が、その高い位置に居続けるための混乱なのかもしれない。

このまま進み続ければ、この人の流れは、あの谷底に落ちてゆくだろう。その歩みに、空気が汚れるから、紫外線が恐いから、水があふれて来るからと、抑止を掛けようとしても、時間の流れが止めることが出来なくて、この集団には基本的に停止や後退はあり得ない。

高い位置にいる人の屋台骨はぐらついている。

何とかして止めたい。
だから下に向かって大きな声で「人の為に!」なんて言葉を張り上げる。
そんな言葉に人の間に間に波が流れて、その度にシーツに皺が出来るように歪になってゆく。
結局はしわ寄せは弱いところに来て、端にいる人達がはじき飛ばされて、未だ正体不明なクレパスの中に落ちてゆく。

今の不景気を生み出しているのは、そんな仕組みかも知れない。

もしかしたら、人って、システムは必要とするけど、リーダーって言うモノはもういらないのかも知れない。

なんてな事をガラにもなく考えていた日曜日な蛇口屋でした。