大雑把な日常

日常のあれこれ。

管理のできない何かのはなし

2015-09-10 | 日記
NHKのニュース見ながら体操してます。
嫌なことが溢れているな。この世の中は。

たとえば男女の交際のもつれ系。

どこかで歯車が狂ったりするんだろうな。わたしはニュースを他人のことのようにいつも思えない。
イタコのようにそのひとの状況や心情を想像してみる。
共感できるところどこかないか、探してしまう。
だれでも犯罪者になる可能性があると思ってる。

家庭内暴力の事件をそのとき結婚してたので旦那さんと見ていて、
幸せそうな夫婦に見えたという周りの人の証言が放送されていて

他人には分からないなにかボタンの掛け違いのようなことがあってこういう事態になることもあるんだ
わたしたちにもそういうことがあるかもしれないね

と言ったら、旦那だったひとは泣いた。
自分が信用されていない、悲しいと。

今思えば
わたしと彼との決定的な違いが分かった出来事だった。

彼には分からないのだ。
人間には自分では管理できないほどの感情や欲望や
理屈では説明できないドス黒い何かが
あるかもしれないということを。

自分自身も信用してない。わたしは。
「自分はこういう人だ」と思うことさえ無駄だと思っている。
自分は常に自分の理解を超える。
それはずっと小さいときからそう思っていて、だからコントロールを失うのがずっと怖かった。
たとえば「エロ」に関しても、何かの扉が開いてしまったら戻れないんじゃないかと思って、避けていた。
それから妊娠だ。
あんなに自己を失う出来事はない。
体中や思考までもすべてが新しい生命のために機能し、日々刻々と変わっていく。怖くて堪らなかった。
ただきっとあれ以上はないだろうと調子に乗っているので、大体のことはあまり怖くなくなった。

人は全然違うことを平気で言う。
本人も気付いていないが、まったく逆のことを信念を持って言ったりする。
なぜなら本当の理屈などないからだ。

彼も離婚した当時、「絶対に再婚はしない」と頼みもしないのに宣言したが、
あっさり2度目の結婚した。
彼のあのときの言葉はウソではないと思ってる。でも信用は全くしてなかった。
結婚して、「ほらね」と思ったけど正直がっかりしたのも覚えている。

わたしはいつまでも誰も信用しないのだろうか。
最近ニュースを見ていて、そんなことを思ってました。
コメント
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