大雑把な日常

日常のあれこれ。

そのキャラクターは貴方を愛しているだろうか

2015-09-03 | 日記
今日は仕事がホントに暇でね。
元気のあるときは「何かお手伝いすることありますかー?」とか聞いたりさ、
普段しない掃除したりさ
するんだけど、
体がだるかったんで
妄想してた。

机の上に
ゆるきゃら、くまもんのティッシュが置いてあった。

こういうものは可愛いと言われてナンボ。

子ども
ひいては大人の心に訴えかけるデザインであるべきなのだ。
ここで語っているのはデザインとしてのキャラクターであって、
3次元のパフォーマンスは抜きとする。

つまりキャラものってのは
媚びに媚びまくってる。

そういうものだ。

だからこそあっち(キャラ)はこっち(消費者)のこと好きなはず
って
こっちのわたしたちは思いがちだけど
本当にそうであろうか。

たとえば幼児期の最強キャラクター
アンパンマンは
一度でも子どもが好きと言っただろうか。
いやなんとなく
子どものために戦ってくれるし
ちゃんと歯磨きしてるか
好き嫌いしないで十分にごはんを食べているか
気にかけてくれるから
好きでいてくれるのではないか?
と思うんだけど、
わたしたちのことが好きだって口にしてるのを聞いたことはあるかな?
わたしは記憶にない。
もしかして全部仕事だから仕方なくやってるかもしれない。
なにしろ
アンパンマンの通常業務はパトロール。
バイキンマンと戦う一連の活躍はビジネスだ。
勇気と愛「だけ」が友達だし
実は孤独なヒーローなのかもしれない。

ドラえもんは
果たして私たちのことが好きだろうか。
ドラえもんは自分が国民的キャラであるという認識が薄い。
自分がアイドルということを分かっていない。
なぜならのび太の家族と友達と未来の世界の行き来だけで
生活が成立しているからだ。
ドラえもんはあれだけの能力があるのに
アニメの世界ではちっとも注目されない。
ある意味、無視されている。
だから気付きようがないよね。
「うふふ、ぼくドラえもんです」
という自己紹介からも分かるように
「自分なんてものが」っていう謙遜、そして照れが最初のはにかみからもうかがえる。
ドラえもんはこちらの愛を知らないで生きている。
完全なる片思いだ。

そう。
キャラクターがこちらに媚びているように見えるからって
けっしてわたしたちのことを愛しているとは言えないのだ。

そんなことをね、
仕事中ずっと妄想していた。

今日はドラえもんの誕生日だってよ。



コメント
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