ミヤンマーの国軍によるクーデターは、軍が国民に発砲、多数の死者を産む最悪の状況に陥っています。
国軍がそこまで追い込まれたのは何が原因なのか。
ミン・アウン・フライン国軍総司令官は、対中慎重姿勢派で、ミャンマーを「アジア最後の経済フロンティア」に押し上げたテイセイン氏と同じ指向ではないのか。
軍やスーチーさんを、中国に獲りこまれるのを防がねばならないが。
ミャンマー国軍の対応を巡り、国際社会の対応は二分化されている。米国と欧州は制裁を加えることで、国軍の行動変容を促そうとしている。
他方で中国とロシアは、そうした米欧流のやり方を批判。圧力一辺倒だと国軍の態度がさらに硬化し、反発もまた大きくなる。その結果、ミャンマーは本格的な内戦に突入しかねないというのがそのロジック。
軍政から民政への改革を推進した、脱中国依存を志したテイン・セイン政権によってもたらされた、「アジア最後の経済フロンティア」のミヤンマー。近年のミャンマーブームを受けて、わが国のみならずアジアを中心に世界中の企業がミャンマーに進出したのでした。
そうした各国の民間の企業に対して、欧州は「投資家」としての立場から圧力をかけ、ミャンマー事業からの撤退を促そうとしていると土田氏。
自らも米欧から制裁を受ける中国とロシアは、圧力に対する反発への配慮を重視。ミャンマー情勢は大国間の「代理戦争」的な意味合いを持ち始めていると言えなくもないと。
ミャンマー国軍もまた、反発への配慮を見せる中国とロシアとの関係を重視する動きがある。
と同時にミャンマー国軍には、中国への過度な依存を回避する目的からもロシアに接近する意図がある。ミン・アウン・フライン国軍総司令官兼国家行政評議会議長の対中姿勢が慎重なことはよく知られた事実だと土田氏。
現実的に、ロシアに中国のような拡張志向はない。しかし同時に、ロシアは必ずしも国軍を全面的に支持しているわけでもない。国軍への軍需品の提供はあくまでニーズに応じたものだし、国境を接していない分、ドライな態度に終始するとも。
既にミャンマー国軍による市民の制圧は虐殺の様相を呈している。一義的に責められるべきは当然ながら国軍であるが、その国軍に対して圧力の一辺倒に終始し、反発への配慮を実質的に欠いていた米欧の責任は軽くないと土田氏。
ミャンマー国軍は殻に閉じこもってしまった。
日本でも国軍に関して厳しい態度をとるべきだと主張する声があるが、一方で竹を割ったようにいかない事情があることも理解すべきだと土田氏。
国軍を世界的に孤立させることは、むしろミャンマーでの内戦を激化させる恐れが大きい。国軍がクーデターを起こした背景を理解したうえで、即効性はないことは承知の上で粘り強く対話を試み続けることしか国際社会に残された道はないと。
ミャンマー国軍の態度を硬化させたのは、ミャンマーの情勢を理解しているとは必ずしも言えない米欧による外交姿勢だったことに今一度留意すべきだろうとも。
クーデターのきっかけは、2020年11月8日に執行されたミャンマー連邦議会の総選挙で、与党・国民民主連盟(NLD)が前回・2015年の選挙を上回る396議席を獲得し、改選議席476議席のうち8割以上を占める結果となったことで、軍の議席確保に危機が産まれたからと言われていますね。
インドネシアやタイなど東南アジア周辺国は、国民の政治的自由を制限して経済成長を優先する「開発独裁」を経て民主化に進んだ。しかし、軍政下で「開発なき独裁」が長かったミャンマーは、成長と民主化を同時に追求する難しい道を選択し成功した。
テインセイン氏が軍政の首相として出席した国際会議で自国の停滞を痛感し、改革を決意。その大統領を同じ国軍出身の有能な閣僚が支えた。
旧軍政での序列が上で、大統領との確執もささやかれたシュエ・マン下院議長が、スー・チー氏と融和路線を敷いたことも大きかった。清廉なテイン・セイン氏は国民の大きな信頼を集めた。
そうして成し遂げられた、「最後のフロンティア」と世界から企業が投資・進出した発展。
しかし、理屈抜きのスー・チー氏人気はそれを軽くしのいだ。15年11月の総選挙でのUSDPの惨敗は、テイン・セイン氏の改革の功績とはあまりにも不釣り合いにみえたと、日経・アジア総局長の高橋氏。
国軍とNLDの不協和音の中で起きた今回のクーデターを、政策研究大学院大学の工藤教授は「かつてスー・チー氏を弾圧した主流派の意思決定メカニズムが復活してしまった」と分析。
テイン・セイン政権の5年間は望外の成功を収めすぎた。次のスー・チー政権の5年間は、経済運営や国内和平での成果で、前の政権には及ばなかった。そんな国軍の自負と、2度続けて惨敗した選挙結果の乖離が、政変の呼び水となったように見えると高橋氏。
「スー・チー女史=民主化を進める正義の味方」、「軍=独裁に固執する悪の存在」という単純な図式には与しない。もちろん、今回軍が起こしたクーデター劇を正当化するものではないが、アウン・サン・スー・チーという政治家の力不足が、根本的な原因としてあったのではないかと説くのは、中国事情に詳しい近藤大介氏。
政変ミャンマー、記者が見たスー・チーの虚像と素顔 東アジア「深層取材ノート」(第73回)(1/4) | JBpress(Japan Business Press)
ビルマと日本は歴史的にも繋がりのある国。日本が果たせる役割は大きいはず。軍にしても、スーチーさんにしても、中国に獲りこまれることは防ぎたいものですね。
# 冒頭の画像は、中国が開催した「一帯一路」の国際会議で習近平夫妻と映っているアウンサン・スーチー氏
この花の名前は、 ベロニカ・オックフォードブルー
↓よろしかったら、お願いします。
国軍がそこまで追い込まれたのは何が原因なのか。
ミン・アウン・フライン国軍総司令官は、対中慎重姿勢派で、ミャンマーを「アジア最後の経済フロンティア」に押し上げたテイセイン氏と同じ指向ではないのか。
軍やスーチーさんを、中国に獲りこまれるのを防がねばならないが。
炎上するミャンマー情勢に油を注ぐ米欧制裁外交の愚 制裁を巡り分かれる圧力重視の「米欧」と反発配慮の「中露」 | JBpress(Japan Business Press) 2021.4.14(水) 土田 陽介:三菱UFJリサーチ&コンサルティング・副主任研究員
2月1日未明、ミャンマーで軍事クーデターが発生した。国軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問、ウィン・ミン大統領以下100余名を拘束した後、国軍出身のミン・スエ氏が暫定大統領に就任し、1年間の非常事態を宣言した。以降、ミャンマー情勢は混とんとしており、クーデターに抗議する市民を国軍が武力で制圧する異常な状況に陥っている。
このミャンマー国軍の対応を巡り、国際社会の対応は二分化されている。米国と欧州は制裁を加えることで、国軍の行動変容を促そうとしている。3月22日に米国と欧州連合(EU)はそれぞれ国軍の関係者に対する渡航制限と資産凍結を発表、4月に入りフランスのルドリアン外相が追加制裁を示唆するなど圧力を重視している。
他方で中国とロシアは、そうした米欧流のやり方を批判する。制裁という圧力に対しては、当然ながら反発が生じる。圧力一辺倒だと国軍の態度がさらに硬化し、反発もまた大きくなる。その結果、ミャンマーは本格的な内戦に突入しかねないというのがそのロジックだ。つまるところ、中露は国軍の反発に対して配慮を見せているということになる。
中国はミャンマー経済の最大のスポンサーであり、ロシアも国軍に武器を供給している。そのため、中国とロシアは米欧による制裁に反対している側面がある。ただ、国内に常に紛争の火種を抱え、その対応に苦慮してきた中国とロシアの場合、圧力だけでは事態がより複雑になるという経験を幾度も重ねてきたという事実もある。
ミャンマー問題で企業に圧力をかける欧州のやり方
近年のミャンマーブームを受けて、わが国のみならずアジアを中心に世界中の企業がミャンマーに進出した。そうした各国の民間の企業に対して、欧州は「投資家」としての立場から圧力をかけ、ミャンマー事業からの撤退を促そうとしている。いわゆる政府系基金(ソブリンウェルスファンド)が「物言う株主」として、政治的な動きを強めているわけだ。
わが国の場合、典型的な事例としてキリンホールディングスへの圧力がある。3月2日、世界最大級の政府系基金であるノルウェー中銀資産運用局(NBIM)が同HDの株について、保有から外す可能性がある監視対象に指定すると発表した。同HDがミャンマー国軍傘下の複合企業体(MEHL)と合弁事業を展開したことを問題視したのである。
キリンホールディングスはNBIMによる発表の前の2月5日時点で、既にMEHLとの合弁を解消すると表明している。そのためNBIMによる発表が合併の解消の直接的な圧力になったとは考えられない。とはいえ同HDのみならず、米欧社会による要請を受けて「政治色」を強める機関投資家の意向を無視できないという企業は数多く存在する。
同様にMEHLとの合弁企業を展開する韓国の鉄鋼大手ポスコも、オランダの政府系基金APGから合弁事業を見直すように圧力を受けている。フランスの国営企業であるフランス電力(EDF)も同国政府の意向を汲んで水力発電用ダム(シェエリ第三ダム)建設事業を一時中止、EDFは事業を再開する条件として「基本的人権の尊重」を挙げている。
自らも米欧から制裁を受ける中国とロシアは、圧力に対する反発への配慮を重視する。経済的な利権を確保する観点もさることながら、バイデン政権成立以降、米欧で強まった「人権外交」スタンスに対する不満も強く反映されている。そうした意味で、ミャンマー情勢は大国間の「代理戦争」的な意味合いを持ち始めていると言えなくもない。
ミャンマー国軍もまた、反発への配慮を見せる中国とロシアとの関係を重視する動きがある。同時にミャンマー国軍には、中国への過度な依存を回避する目的からもロシアに接近する意図がある。2月のクーデターの張本人といわれるミン・アウン・フライン国軍総司令官兼国家行政評議会議長の対中姿勢が慎重なことはよく知られた事実だ。
虐殺の様相を呈している国軍による弾圧
ロシアは中国と異なり、ミャンマーと国境を接していない。いわゆる「一帯一路」のような拡張的な野心を見せるわけでもない。国連の常任理事国でもあるし、旧共産圏や中東諸国を中心に政治的な影響力を持っている。国軍としては、中国の存在を最大限利用しようしつつ、過度な依存を回避するためのヘッジをロシアとの関係でかけようとしている。
現実的に、ロシアに中国のような拡張志向はない。制裁による反発に対する配慮は、確かに米欧の「人権外交」に対するけん制の意味合いも強いはずだ。しかし同時に、ロシアは必ずしも国軍を全面的に支持しているわけでもない。国軍への軍需品の提供はあくまでニーズに応じたものだし、国境を接していない分、ドライな態度に終始できる。
既にミャンマー国軍による市民の制圧は虐殺の様相を呈している。少数民族の武装勢力が国民側に合流、反国軍で組織化を進めれば、本格的な内戦に突入しそうなムードである。一義的に責められるべきは当然ながら国軍であるが、その国軍に対して圧力の一辺倒に終始し、反発への配慮を実質的に欠いていた米欧の責任は軽くないだろう。
国軍は中国とロシアに接近しているが、両者が国軍の守護者になるかは不透明だ。特にロシアの場合、繰り返しとなるが国境を接していない分、ある意味ではいつでもミャンマーを見捨てることができる。米欧と対立する中国にもまた、是々非々で米欧との妥協を成立させる用意がある。優先順位が低いと判断されれば、中国の庇護も失われる。
ミャンマー国軍は殻に閉じこもってしまった。日本は国軍とアクセスできる数少ない国の一つだが、その日本が米欧側についたと国軍が判断すれば、これまで築き上げてきた信頼関係が一気に崩壊する。日本でも国軍に関して厳しい態度をとるべきだと主張する声があるが、一方で竹を割ったようにいかない事情があることも理解すべきだ。
ミャンマー国軍の態度を硬化させたもの
事はそう容易ではない。国軍を追い詰めれば必ず内戦となり、多くの人命が失われる。国軍を世界的に孤立させることは、むしろミャンマーでの内戦を激化させる恐れが大きい。国軍がクーデターを起こした背景を理解したうえで、即効性はないことは承知の上で粘り強く対話を試み続けることしか国際社会に残された道はないといえよう。
なおEUのボレル外交安全保障上級代表(外相)は4月11日、中国とロシアがミャンマーのクーデターに対する国際社会の取り組みを阻害しているとブログで批判した。しかしながら、その実、ミャンマー国軍の態度を硬化させたのは、ミャンマーの情勢を理解しているとは必ずしも言えない米欧による外交姿勢だったことに今一度留意すべきだろう。
2月1日未明、ミャンマーで軍事クーデターが発生した。国軍がアウン・サン・スー・チー国家顧問、ウィン・ミン大統領以下100余名を拘束した後、国軍出身のミン・スエ氏が暫定大統領に就任し、1年間の非常事態を宣言した。以降、ミャンマー情勢は混とんとしており、クーデターに抗議する市民を国軍が武力で制圧する異常な状況に陥っている。
このミャンマー国軍の対応を巡り、国際社会の対応は二分化されている。米国と欧州は制裁を加えることで、国軍の行動変容を促そうとしている。3月22日に米国と欧州連合(EU)はそれぞれ国軍の関係者に対する渡航制限と資産凍結を発表、4月に入りフランスのルドリアン外相が追加制裁を示唆するなど圧力を重視している。
他方で中国とロシアは、そうした米欧流のやり方を批判する。制裁という圧力に対しては、当然ながら反発が生じる。圧力一辺倒だと国軍の態度がさらに硬化し、反発もまた大きくなる。その結果、ミャンマーは本格的な内戦に突入しかねないというのがそのロジックだ。つまるところ、中露は国軍の反発に対して配慮を見せているということになる。
中国はミャンマー経済の最大のスポンサーであり、ロシアも国軍に武器を供給している。そのため、中国とロシアは米欧による制裁に反対している側面がある。ただ、国内に常に紛争の火種を抱え、その対応に苦慮してきた中国とロシアの場合、圧力だけでは事態がより複雑になるという経験を幾度も重ねてきたという事実もある。
ミャンマー問題で企業に圧力をかける欧州のやり方
近年のミャンマーブームを受けて、わが国のみならずアジアを中心に世界中の企業がミャンマーに進出した。そうした各国の民間の企業に対して、欧州は「投資家」としての立場から圧力をかけ、ミャンマー事業からの撤退を促そうとしている。いわゆる政府系基金(ソブリンウェルスファンド)が「物言う株主」として、政治的な動きを強めているわけだ。
わが国の場合、典型的な事例としてキリンホールディングスへの圧力がある。3月2日、世界最大級の政府系基金であるノルウェー中銀資産運用局(NBIM)が同HDの株について、保有から外す可能性がある監視対象に指定すると発表した。同HDがミャンマー国軍傘下の複合企業体(MEHL)と合弁事業を展開したことを問題視したのである。
キリンホールディングスはNBIMによる発表の前の2月5日時点で、既にMEHLとの合弁を解消すると表明している。そのためNBIMによる発表が合併の解消の直接的な圧力になったとは考えられない。とはいえ同HDのみならず、米欧社会による要請を受けて「政治色」を強める機関投資家の意向を無視できないという企業は数多く存在する。
同様にMEHLとの合弁企業を展開する韓国の鉄鋼大手ポスコも、オランダの政府系基金APGから合弁事業を見直すように圧力を受けている。フランスの国営企業であるフランス電力(EDF)も同国政府の意向を汲んで水力発電用ダム(シェエリ第三ダム)建設事業を一時中止、EDFは事業を再開する条件として「基本的人権の尊重」を挙げている。
自らも米欧から制裁を受ける中国とロシアは、圧力に対する反発への配慮を重視する。経済的な利権を確保する観点もさることながら、バイデン政権成立以降、米欧で強まった「人権外交」スタンスに対する不満も強く反映されている。そうした意味で、ミャンマー情勢は大国間の「代理戦争」的な意味合いを持ち始めていると言えなくもない。
ミャンマー国軍もまた、反発への配慮を見せる中国とロシアとの関係を重視する動きがある。同時にミャンマー国軍には、中国への過度な依存を回避する目的からもロシアに接近する意図がある。2月のクーデターの張本人といわれるミン・アウン・フライン国軍総司令官兼国家行政評議会議長の対中姿勢が慎重なことはよく知られた事実だ。
虐殺の様相を呈している国軍による弾圧
ロシアは中国と異なり、ミャンマーと国境を接していない。いわゆる「一帯一路」のような拡張的な野心を見せるわけでもない。国連の常任理事国でもあるし、旧共産圏や中東諸国を中心に政治的な影響力を持っている。国軍としては、中国の存在を最大限利用しようしつつ、過度な依存を回避するためのヘッジをロシアとの関係でかけようとしている。
現実的に、ロシアに中国のような拡張志向はない。制裁による反発に対する配慮は、確かに米欧の「人権外交」に対するけん制の意味合いも強いはずだ。しかし同時に、ロシアは必ずしも国軍を全面的に支持しているわけでもない。国軍への軍需品の提供はあくまでニーズに応じたものだし、国境を接していない分、ドライな態度に終始できる。
既にミャンマー国軍による市民の制圧は虐殺の様相を呈している。少数民族の武装勢力が国民側に合流、反国軍で組織化を進めれば、本格的な内戦に突入しそうなムードである。一義的に責められるべきは当然ながら国軍であるが、その国軍に対して圧力の一辺倒に終始し、反発への配慮を実質的に欠いていた米欧の責任は軽くないだろう。
国軍は中国とロシアに接近しているが、両者が国軍の守護者になるかは不透明だ。特にロシアの場合、繰り返しとなるが国境を接していない分、ある意味ではいつでもミャンマーを見捨てることができる。米欧と対立する中国にもまた、是々非々で米欧との妥協を成立させる用意がある。優先順位が低いと判断されれば、中国の庇護も失われる。
ミャンマー国軍は殻に閉じこもってしまった。日本は国軍とアクセスできる数少ない国の一つだが、その日本が米欧側についたと国軍が判断すれば、これまで築き上げてきた信頼関係が一気に崩壊する。日本でも国軍に関して厳しい態度をとるべきだと主張する声があるが、一方で竹を割ったようにいかない事情があることも理解すべきだ。
ミャンマー国軍の態度を硬化させたもの
事はそう容易ではない。国軍を追い詰めれば必ず内戦となり、多くの人命が失われる。国軍を世界的に孤立させることは、むしろミャンマーでの内戦を激化させる恐れが大きい。国軍がクーデターを起こした背景を理解したうえで、即効性はないことは承知の上で粘り強く対話を試み続けることしか国際社会に残された道はないといえよう。
なおEUのボレル外交安全保障上級代表(外相)は4月11日、中国とロシアがミャンマーのクーデターに対する国際社会の取り組みを阻害しているとブログで批判した。しかしながら、その実、ミャンマー国軍の態度を硬化させたのは、ミャンマーの情勢を理解しているとは必ずしも言えない米欧による外交姿勢だったことに今一度留意すべきだろう。
ミャンマー国軍の対応を巡り、国際社会の対応は二分化されている。米国と欧州は制裁を加えることで、国軍の行動変容を促そうとしている。
他方で中国とロシアは、そうした米欧流のやり方を批判。圧力一辺倒だと国軍の態度がさらに硬化し、反発もまた大きくなる。その結果、ミャンマーは本格的な内戦に突入しかねないというのがそのロジック。
軍政から民政への改革を推進した、脱中国依存を志したテイン・セイン政権によってもたらされた、「アジア最後の経済フロンティア」のミヤンマー。近年のミャンマーブームを受けて、わが国のみならずアジアを中心に世界中の企業がミャンマーに進出したのでした。
そうした各国の民間の企業に対して、欧州は「投資家」としての立場から圧力をかけ、ミャンマー事業からの撤退を促そうとしていると土田氏。
自らも米欧から制裁を受ける中国とロシアは、圧力に対する反発への配慮を重視。ミャンマー情勢は大国間の「代理戦争」的な意味合いを持ち始めていると言えなくもないと。
ミャンマー国軍もまた、反発への配慮を見せる中国とロシアとの関係を重視する動きがある。
と同時にミャンマー国軍には、中国への過度な依存を回避する目的からもロシアに接近する意図がある。ミン・アウン・フライン国軍総司令官兼国家行政評議会議長の対中姿勢が慎重なことはよく知られた事実だと土田氏。
現実的に、ロシアに中国のような拡張志向はない。しかし同時に、ロシアは必ずしも国軍を全面的に支持しているわけでもない。国軍への軍需品の提供はあくまでニーズに応じたものだし、国境を接していない分、ドライな態度に終始するとも。
既にミャンマー国軍による市民の制圧は虐殺の様相を呈している。一義的に責められるべきは当然ながら国軍であるが、その国軍に対して圧力の一辺倒に終始し、反発への配慮を実質的に欠いていた米欧の責任は軽くないと土田氏。
ミャンマー国軍は殻に閉じこもってしまった。
日本でも国軍に関して厳しい態度をとるべきだと主張する声があるが、一方で竹を割ったようにいかない事情があることも理解すべきだと土田氏。
国軍を世界的に孤立させることは、むしろミャンマーでの内戦を激化させる恐れが大きい。国軍がクーデターを起こした背景を理解したうえで、即効性はないことは承知の上で粘り強く対話を試み続けることしか国際社会に残された道はないと。
ミャンマー国軍の態度を硬化させたのは、ミャンマーの情勢を理解しているとは必ずしも言えない米欧による外交姿勢だったことに今一度留意すべきだろうとも。
クーデターのきっかけは、2020年11月8日に執行されたミャンマー連邦議会の総選挙で、与党・国民民主連盟(NLD)が前回・2015年の選挙を上回る396議席を獲得し、改選議席476議席のうち8割以上を占める結果となったことで、軍の議席確保に危機が産まれたからと言われていますね。
インドネシアやタイなど東南アジア周辺国は、国民の政治的自由を制限して経済成長を優先する「開発独裁」を経て民主化に進んだ。しかし、軍政下で「開発なき独裁」が長かったミャンマーは、成長と民主化を同時に追求する難しい道を選択し成功した。
テインセイン氏が軍政の首相として出席した国際会議で自国の停滞を痛感し、改革を決意。その大統領を同じ国軍出身の有能な閣僚が支えた。
旧軍政での序列が上で、大統領との確執もささやかれたシュエ・マン下院議長が、スー・チー氏と融和路線を敷いたことも大きかった。清廉なテイン・セイン氏は国民の大きな信頼を集めた。
そうして成し遂げられた、「最後のフロンティア」と世界から企業が投資・進出した発展。
しかし、理屈抜きのスー・チー氏人気はそれを軽くしのいだ。15年11月の総選挙でのUSDPの惨敗は、テイン・セイン氏の改革の功績とはあまりにも不釣り合いにみえたと、日経・アジア総局長の高橋氏。
テイン・セイン政権の功罪: 日本経済新聞 2021年2月24日
軍事クーデターから3週間が過ぎ、ミャンマーは混迷が一段と深まっている。抗議デモの拡大に業を煮やした治安当局の銃撃により、市民側に死者も出始めた。
政変1週間後の8日にテレビ演説したミン・アウン・フライン総司令官は「(今の統治は)過去の軍事政権とは異なる」と語った。その後の武力行使をみれば説得力を欠くが、国民に想起させたいのは、2011年から5年間のテイン・セイン政権ではなかったか。
文民政権への過渡期を担った同政権は、軍人主導にもかかわらず高く評価され、ミャンマーを「アジア最後の経済フロンティア」に押し上げた。振り返れば、熱狂に似たあの5年間こそが、今回の政変の遠因になった。
10年11月、自宅軟禁中のアウン・サン・スー・チー氏と国民民主連盟(NLD)を排除した総選挙で軍政の受け皿の連邦団結発展党(USDP)が圧勝し、翌11年3月に発足したのがテイン・セイン政権だ。大統領は軍政首相からの横滑り。「軍服を背広に着替えただけ」と酷評された。
ところが予想を裏切って改革を断行する。多数の政治犯を釈放し、国軍と敵対する少数民族武装勢力との停戦協議も精力的に推し進めた。特に国民を驚かせたのがスー・チー氏への歩み寄りだ。彼女を大統領公邸に招き、国政参画を促した。
民主化改革で米欧から制裁緩和を引き出し、それを成長に結びつける経済改革にも取り組んだ。不透明な多重為替相場を一本化し、変動幅を一定範囲内とする「管理変動相場制」を導入。外資誘致のため、日本の協力を得てヤンゴン近郊のティラワに同国初の近代的な工業団地を整備した。
インドネシアやタイなど東南アジア周辺国は、国民の政治的自由を制限して経済成長を優先する「開発独裁」を経て民主化に進んだ。軍政下で「開発なき独裁」が長かったミャンマーは、成長と民主化を同時に追求する難しい道を選択した。
急進的な改革はなぜ可能だったか。政策研究大学院大学の工藤年博教授は「国軍内の意思決定メカニズムの変化」を要因に挙げる。
少数民族との内戦が続く同国で国軍の主流派は野戦将校。国境地域の管区司令官を経験したテイン・セイン氏も例外ではない。だが軍政の首相として出席した国際会議で自国の停滞を痛感し、改革を決意したとされる。
その大統領を同じ国軍出身の有能な閣僚が支えた。旧軍政での序列が上で、大統領との確執もささやかれたシュエ・マン下院議長が、スー・チー氏と融和路線を敷いたことも大きかった。清廉なテイン・セイン氏は国民の大きな信頼を集めた。
だが理屈抜きのスー・チー氏人気はそれを軽くしのいだ。15年11月の総選挙でのUSDPの惨敗は、テイン・セイン氏の改革の功績とはあまりにも不釣り合いにみえた。
代償は大きかった。引退したテイン・セイン氏だけでなく、USDP内の改革派も落選して一斉に姿を消し、国軍内でスー・チー氏の防波堤となる存在はいなくなった。
国軍とNLDの不協和音の中で起きた今回のクーデターを、工藤氏は「かつてスー・チー氏を弾圧した主流派の意思決定メカニズムが復活してしまった」と分析する。
テイン・セイン政権の5年間は望外の成功を収めすぎた。次のスー・チー政権の5年間は、経済運営や国内和平での成果で、前の政権には及ばなかった。そんな国軍の自負と、2度続けて惨敗した選挙結果の乖離(かいり)が、政変の呼び水となったように見える。
ただし国軍の不人気はかつての圧政に起因し、クーデターに一分の理もないことも論をまたない。国民の抗議を暴力による恐怖でしか抑え込む手立てがない総司令官に、事態収拾の方策は見えているのだろうか。
(アジア総局長 高橋徹)
軍事クーデターから3週間が過ぎ、ミャンマーは混迷が一段と深まっている。抗議デモの拡大に業を煮やした治安当局の銃撃により、市民側に死者も出始めた。
政変1週間後の8日にテレビ演説したミン・アウン・フライン総司令官は「(今の統治は)過去の軍事政権とは異なる」と語った。その後の武力行使をみれば説得力を欠くが、国民に想起させたいのは、2011年から5年間のテイン・セイン政権ではなかったか。
文民政権への過渡期を担った同政権は、軍人主導にもかかわらず高く評価され、ミャンマーを「アジア最後の経済フロンティア」に押し上げた。振り返れば、熱狂に似たあの5年間こそが、今回の政変の遠因になった。
10年11月、自宅軟禁中のアウン・サン・スー・チー氏と国民民主連盟(NLD)を排除した総選挙で軍政の受け皿の連邦団結発展党(USDP)が圧勝し、翌11年3月に発足したのがテイン・セイン政権だ。大統領は軍政首相からの横滑り。「軍服を背広に着替えただけ」と酷評された。
ところが予想を裏切って改革を断行する。多数の政治犯を釈放し、国軍と敵対する少数民族武装勢力との停戦協議も精力的に推し進めた。特に国民を驚かせたのがスー・チー氏への歩み寄りだ。彼女を大統領公邸に招き、国政参画を促した。
民主化改革で米欧から制裁緩和を引き出し、それを成長に結びつける経済改革にも取り組んだ。不透明な多重為替相場を一本化し、変動幅を一定範囲内とする「管理変動相場制」を導入。外資誘致のため、日本の協力を得てヤンゴン近郊のティラワに同国初の近代的な工業団地を整備した。
インドネシアやタイなど東南アジア周辺国は、国民の政治的自由を制限して経済成長を優先する「開発独裁」を経て民主化に進んだ。軍政下で「開発なき独裁」が長かったミャンマーは、成長と民主化を同時に追求する難しい道を選択した。
急進的な改革はなぜ可能だったか。政策研究大学院大学の工藤年博教授は「国軍内の意思決定メカニズムの変化」を要因に挙げる。
少数民族との内戦が続く同国で国軍の主流派は野戦将校。国境地域の管区司令官を経験したテイン・セイン氏も例外ではない。だが軍政の首相として出席した国際会議で自国の停滞を痛感し、改革を決意したとされる。
その大統領を同じ国軍出身の有能な閣僚が支えた。旧軍政での序列が上で、大統領との確執もささやかれたシュエ・マン下院議長が、スー・チー氏と融和路線を敷いたことも大きかった。清廉なテイン・セイン氏は国民の大きな信頼を集めた。
だが理屈抜きのスー・チー氏人気はそれを軽くしのいだ。15年11月の総選挙でのUSDPの惨敗は、テイン・セイン氏の改革の功績とはあまりにも不釣り合いにみえた。
代償は大きかった。引退したテイン・セイン氏だけでなく、USDP内の改革派も落選して一斉に姿を消し、国軍内でスー・チー氏の防波堤となる存在はいなくなった。
国軍とNLDの不協和音の中で起きた今回のクーデターを、工藤氏は「かつてスー・チー氏を弾圧した主流派の意思決定メカニズムが復活してしまった」と分析する。
テイン・セイン政権の5年間は望外の成功を収めすぎた。次のスー・チー政権の5年間は、経済運営や国内和平での成果で、前の政権には及ばなかった。そんな国軍の自負と、2度続けて惨敗した選挙結果の乖離(かいり)が、政変の呼び水となったように見える。
ただし国軍の不人気はかつての圧政に起因し、クーデターに一分の理もないことも論をまたない。国民の抗議を暴力による恐怖でしか抑え込む手立てがない総司令官に、事態収拾の方策は見えているのだろうか。
(アジア総局長 高橋徹)
国軍とNLDの不協和音の中で起きた今回のクーデターを、政策研究大学院大学の工藤教授は「かつてスー・チー氏を弾圧した主流派の意思決定メカニズムが復活してしまった」と分析。
テイン・セイン政権の5年間は望外の成功を収めすぎた。次のスー・チー政権の5年間は、経済運営や国内和平での成果で、前の政権には及ばなかった。そんな国軍の自負と、2度続けて惨敗した選挙結果の乖離が、政変の呼び水となったように見えると高橋氏。
「スー・チー女史=民主化を進める正義の味方」、「軍=独裁に固執する悪の存在」という単純な図式には与しない。もちろん、今回軍が起こしたクーデター劇を正当化するものではないが、アウン・サン・スー・チーという政治家の力不足が、根本的な原因としてあったのではないかと説くのは、中国事情に詳しい近藤大介氏。
政変ミャンマー、記者が見たスー・チーの虚像と素顔 東アジア「深層取材ノート」(第73回)(1/4) | JBpress(Japan Business Press)
ビルマと日本は歴史的にも繋がりのある国。日本が果たせる役割は大きいはず。軍にしても、スーチーさんにしても、中国に獲りこまれることは防ぎたいものですね。
# 冒頭の画像は、中国が開催した「一帯一路」の国際会議で習近平夫妻と映っているアウンサン・スーチー氏
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