
新元号にメディアは上を下への大騒ぎ。それに煽られて、日本中が大騒ぎ。
平和な証ですね。
新元号「令和」の出典は日本最古の歌集「万葉集」ということが、大きな注目点。某テレ朝のワイドショー番組のパヨクコメンテータが、中国の古典から選ぶ伝統を覆したと安倍批判。
打倒安倍政権が社是と揶揄される朝日新聞系列局の社員と、韓国駐在経験だけが売りの輩なので毎度の何でも安倍批判にこじつける論法ですが。
ところが、「万葉集」の文は、中国の後漢時代の文人張衡(ちょうこう、78年~139年)の詩「帰田賦」の「仲春令月、時和気清(仲春の令月、時は和し気は清む)」を踏まえていると指摘されています。
文化にしろ、科学技術にしろ国境を越えて伝わるもので、日本は外来の文化や科学技術を取り入れ、日本流に咀嚼して身に着け発展させ、国力を向上させてきました。
万葉集の文が、中国の影響を受けていても、当時の先端文化を取り入れ、日本の歌集の「万葉集」の序文に飲み込んだからといって、「万葉集」が日本の古典ではないと言うことにはなりません。
むしろ、貴族も民も、更には海外までも併せのんだ、グローバルな古典と、誇りに思います。
令和の由来は初の「日本古典」 でもその一文、実は漢籍の影響が...?ロバート・キャンベルさんも言及 : J-CASTニュース
大陸の漢字を輸入し、それを変形して仮名をつくった古代の日本。
その日本の力は、明治維新や戦後の急速な経済成長にも生かされてきました。
漢籍ではなく日本の古典から引いたのは歴史的だが、文化のクロスオーバーを象徴する典拠とみることもできようとは、言い得て妙。
アジアと日本の文化の流れを大きな目で見つめる契機にすればいい。外国人が増え、グローバル化が進む越境の時代にふさわしい「令和」かもしれないとは、全く同意します。
初の国書からの引用となる令和については、中国でも大きく報道されているのだそうですね。
「環球網」は「新元号『令和』、中国の痕跡は消し去れない」と題する記事を掲載、「万葉集と中国の古典との間には切っても切れない関係がある」と報じたのだそうです。ただ、記事のコメントには、「漢字は中国のものなのだから、わざわざ『痕跡』などと言う必要はない。漢字を捨てた韓国と比べればいい」との声もあり、過度に反日的な書き込みは少なかったのだそうです。
ニュースアプリ「今日頭条」には、「認めなければならないのは日本が古い文化を残していること。これについては敬服させられる。発展した国であることの表れだ」とも。
元号は既に中国からは消えてしまった文化の一つ。中国の人には、古典を引き、過去の文化を継承しながら時代を区切る元号に、ある種の憧れがあるのかもしれないと。
国共内戦で勝利した共産党の一党独裁が続く中国。鄧小平が毛沢東の独裁政治の弊害再発防止のために構築した集団指導体制を覆し、永世独裁者に君臨した習近平の中国。
独裁政治の元での国民の方々が築く文化は、どの様になっていくのでしょう。
発祥の国が捨て去った元号。
日本でも元号と西暦を併用することについては様々な意見があります。
テレビなどの煽りに乗せられたのか、日本人の心に沁みついているからなのか、改元フィーバーは盛り上がりました。
メディアは、元号の他候補や考案者の公表はしないという政府方針ににもかかわらず、嗅ぎ出して大々的に報道。知らぬが花の謙虚さ、知性の欠片もない。そのくせ、報道しない自由を駆使して、肝心なことは偏向報道。
いつか中国、韓国のような、品格のない国に陥らないか、心配にもなります。
令和の時代が、平和で、日本文化が発展し、国民が幸せになれる時代となることを祈ります。
# 冒頭の画像は、新元号発表をした菅官房長官

白山吹の果実
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平和な証ですね。
新元号「令和」の出典は日本最古の歌集「万葉集」ということが、大きな注目点。某テレ朝のワイドショー番組のパヨクコメンテータが、中国の古典から選ぶ伝統を覆したと安倍批判。
打倒安倍政権が社是と揶揄される朝日新聞系列局の社員と、韓国駐在経験だけが売りの輩なので毎度の何でも安倍批判にこじつける論法ですが。
ところが、「万葉集」の文は、中国の後漢時代の文人張衡(ちょうこう、78年~139年)の詩「帰田賦」の「仲春令月、時和気清(仲春の令月、時は和し気は清む)」を踏まえていると指摘されています。
文化にしろ、科学技術にしろ国境を越えて伝わるもので、日本は外来の文化や科学技術を取り入れ、日本流に咀嚼して身に着け発展させ、国力を向上させてきました。
万葉集の文が、中国の影響を受けていても、当時の先端文化を取り入れ、日本の歌集の「万葉集」の序文に飲み込んだからといって、「万葉集」が日本の古典ではないと言うことにはなりません。
むしろ、貴族も民も、更には海外までも併せのんだ、グローバルな古典と、誇りに思います。
令和の由来は初の「日本古典」 でもその一文、実は漢籍の影響が...?ロバート・キャンベルさんも言及 : J-CASTニュース
文化は越境する。文字もボーダーを越える。米国で生まれ、日本語の小説を書き続けるリービ英雄さんはしばしばこう語っている。 :日本経済新聞 2019/4/2付
文化は越境する。文字もボーダーを越える。米国で生まれ、日本語の小説を書き続けるリービ英雄さんはしばしばこう語っている。大陸の漢字を輸入し、それを変形して仮名をつくった古代の日本のことだ。自身も母国で万葉集の研究を重ね、やがて越境文学を開いた。
▼文化の受容と創造のプロセスを知ろうとするとき、万葉集は格好の素材であるに違いない。「熟(にき)田津尓(たつに) 船乗(ふなのり)世武登(せむと)……」。やまとことばの音に漢字を当てた万葉仮名を駆使しつつ、漢文そのままの文章も見える。いにしえのこの国が旺盛に外国文化を採り入れ、わが物としてかみ砕くのに苦心した足跡が読み取れるのだ。
▼全国の目を首相官邸に引きつけ、菅官房長官が披露した新元号の2文字は「令和」だった。万葉集巻五、梅花の歌の項の序文が出典だという。表記は漢文で、読み下せば「初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)ぎ」。漢籍ではなく日本の古典から引いたのは歴史的だが、文化のクロスオーバーを象徴する典拠とみることもできよう。
▼そんな万葉集である。初めて国書から元号が生まれたとことほぐだけでなく、アジアと日本の文化の流れを大きな目で見つめる契機にすればいい。「令月」だってもとは漢籍にあり、梅の花を愛でる習わしもまた、海を越えてやって来た。外国人が増え、グローバル化が進む越境の時代にふさわしい「令和」かもしれない。
文化は越境する。文字もボーダーを越える。米国で生まれ、日本語の小説を書き続けるリービ英雄さんはしばしばこう語っている。大陸の漢字を輸入し、それを変形して仮名をつくった古代の日本のことだ。自身も母国で万葉集の研究を重ね、やがて越境文学を開いた。
▼文化の受容と創造のプロセスを知ろうとするとき、万葉集は格好の素材であるに違いない。「熟(にき)田津尓(たつに) 船乗(ふなのり)世武登(せむと)……」。やまとことばの音に漢字を当てた万葉仮名を駆使しつつ、漢文そのままの文章も見える。いにしえのこの国が旺盛に外国文化を採り入れ、わが物としてかみ砕くのに苦心した足跡が読み取れるのだ。
▼全国の目を首相官邸に引きつけ、菅官房長官が披露した新元号の2文字は「令和」だった。万葉集巻五、梅花の歌の項の序文が出典だという。表記は漢文で、読み下せば「初春の令月にして気淑(よ)く風和(やわら)ぎ」。漢籍ではなく日本の古典から引いたのは歴史的だが、文化のクロスオーバーを象徴する典拠とみることもできよう。
▼そんな万葉集である。初めて国書から元号が生まれたとことほぐだけでなく、アジアと日本の文化の流れを大きな目で見つめる契機にすればいい。「令月」だってもとは漢籍にあり、梅の花を愛でる習わしもまた、海を越えてやって来た。外国人が増え、グローバル化が進む越境の時代にふさわしい「令和」かもしれない。
大陸の漢字を輸入し、それを変形して仮名をつくった古代の日本。
その日本の力は、明治維新や戦後の急速な経済成長にも生かされてきました。
漢籍ではなく日本の古典から引いたのは歴史的だが、文化のクロスオーバーを象徴する典拠とみることもできようとは、言い得て妙。
アジアと日本の文化の流れを大きな目で見つめる契機にすればいい。外国人が増え、グローバル化が進む越境の時代にふさわしい「令和」かもしれないとは、全く同意します。
初の国書からの引用となる令和については、中国でも大きく報道されているのだそうですね。
国書から初引用の新元号「令和」に中国はどう反応?:日経ビジネス電子版 神田 啓晴 他 1名 2019年4月2日
4月1日、平成に代わる新元号が「令和」に決まった。出典は「万葉集」で、巻五、梅花の歌三十二首の序文にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用された。日本の古典(国書)からの採用は確認できる限り初めてのことだ。
国書から初めて引用されたことが話題になる一方、ツイッターなどでは新元号の発表直後から、出典となった部分が中国・後漢の学者、張衡が記した「帰田賦」にある「於是仲春令月時和気清」を踏まえているとの書き込みが相次いだ。また、出典となった序文は中国・東晋時代の書家、王羲之の代表作「蘭亭序」にならったともいわれる。
出典が明らかになっているこれまでの元号は、すべて中国の古典(漢籍)から引用されてきた。そのため、初の国書からの引用となる令和については、中国でも大きく報道されている。では、中国の人々は新元号をどのように見ているのか。
中国共産党系のメディア「環球網」は「新元号『令和』、中国の痕跡は消し去れない」と題する記事を掲載、「万葉集と中国の古典との間には切っても切れない関係がある」と報じた。この記事のコメント欄には「やはり中国の影響はまぬがれない」との書き込みがある一方で、「漢字は中国のものなのだから、わざわざ『痕跡』などと言う必要はない。漢字を捨てた韓国と比べればいい」との声もあった。
日本のネットの書き込みと同様、出典となった万葉集が「帰田賦」など中国の古典を踏まえているとの書き込みも多かった。ただ「元々は中国の古典」といった発言が多いとはいえ、過度に反日的な書き込みは少なかった。
以下のようなコメントもあった。
・「日本人は書道がうまい」
・「ようこそ令和!日本のこういうネーミングは耳に心地いいね」
・「『永和』じゃなくてよかった。永和だと『豆乳』時代になってしまう」
最後のコメントには注釈が必要だろう。中国には「永和豆乳」という有名な飲食チェーンがある。それを受けてのジョークだ。
ニュースアプリ「今日頭条」にはこんなコメントもあった。「認めなければならないのは日本が古い文化を残していること。これについては敬服させられる。発展した国であることの表れだ」
中国人が京都などを旅行すると、古い中国の文化が残っていることに感動するという。元号も既に中国からは消えてしまった文化の一つだ。日本でも元号と西暦を併用することについては様々な意見がある。だが中国の人には、古典を引き、過去の文化を継承しながら時代を区切る元号に、ある種の憧れがあるのかもしれない。
4月1日、平成に代わる新元号が「令和」に決まった。出典は「万葉集」で、巻五、梅花の歌三十二首の序文にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」から引用された。日本の古典(国書)からの採用は確認できる限り初めてのことだ。
国書から初めて引用されたことが話題になる一方、ツイッターなどでは新元号の発表直後から、出典となった部分が中国・後漢の学者、張衡が記した「帰田賦」にある「於是仲春令月時和気清」を踏まえているとの書き込みが相次いだ。また、出典となった序文は中国・東晋時代の書家、王羲之の代表作「蘭亭序」にならったともいわれる。
出典が明らかになっているこれまでの元号は、すべて中国の古典(漢籍)から引用されてきた。そのため、初の国書からの引用となる令和については、中国でも大きく報道されている。では、中国の人々は新元号をどのように見ているのか。
中国共産党系のメディア「環球網」は「新元号『令和』、中国の痕跡は消し去れない」と題する記事を掲載、「万葉集と中国の古典との間には切っても切れない関係がある」と報じた。この記事のコメント欄には「やはり中国の影響はまぬがれない」との書き込みがある一方で、「漢字は中国のものなのだから、わざわざ『痕跡』などと言う必要はない。漢字を捨てた韓国と比べればいい」との声もあった。
日本のネットの書き込みと同様、出典となった万葉集が「帰田賦」など中国の古典を踏まえているとの書き込みも多かった。ただ「元々は中国の古典」といった発言が多いとはいえ、過度に反日的な書き込みは少なかった。
以下のようなコメントもあった。
・「日本人は書道がうまい」
・「ようこそ令和!日本のこういうネーミングは耳に心地いいね」
・「『永和』じゃなくてよかった。永和だと『豆乳』時代になってしまう」
最後のコメントには注釈が必要だろう。中国には「永和豆乳」という有名な飲食チェーンがある。それを受けてのジョークだ。
ニュースアプリ「今日頭条」にはこんなコメントもあった。「認めなければならないのは日本が古い文化を残していること。これについては敬服させられる。発展した国であることの表れだ」
中国人が京都などを旅行すると、古い中国の文化が残っていることに感動するという。元号も既に中国からは消えてしまった文化の一つだ。日本でも元号と西暦を併用することについては様々な意見がある。だが中国の人には、古典を引き、過去の文化を継承しながら時代を区切る元号に、ある種の憧れがあるのかもしれない。
「環球網」は「新元号『令和』、中国の痕跡は消し去れない」と題する記事を掲載、「万葉集と中国の古典との間には切っても切れない関係がある」と報じたのだそうです。ただ、記事のコメントには、「漢字は中国のものなのだから、わざわざ『痕跡』などと言う必要はない。漢字を捨てた韓国と比べればいい」との声もあり、過度に反日的な書き込みは少なかったのだそうです。
ニュースアプリ「今日頭条」には、「認めなければならないのは日本が古い文化を残していること。これについては敬服させられる。発展した国であることの表れだ」とも。
元号は既に中国からは消えてしまった文化の一つ。中国の人には、古典を引き、過去の文化を継承しながら時代を区切る元号に、ある種の憧れがあるのかもしれないと。
国共内戦で勝利した共産党の一党独裁が続く中国。鄧小平が毛沢東の独裁政治の弊害再発防止のために構築した集団指導体制を覆し、永世独裁者に君臨した習近平の中国。
独裁政治の元での国民の方々が築く文化は、どの様になっていくのでしょう。
発祥の国が捨て去った元号。
日本でも元号と西暦を併用することについては様々な意見があります。
テレビなどの煽りに乗せられたのか、日本人の心に沁みついているからなのか、改元フィーバーは盛り上がりました。
メディアは、元号の他候補や考案者の公表はしないという政府方針ににもかかわらず、嗅ぎ出して大々的に報道。知らぬが花の謙虚さ、知性の欠片もない。そのくせ、報道しない自由を駆使して、肝心なことは偏向報道。
いつか中国、韓国のような、品格のない国に陥らないか、心配にもなります。
令和の時代が、平和で、日本文化が発展し、国民が幸せになれる時代となることを祈ります。
# 冒頭の画像は、新元号発表をした菅官房長官

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