峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私たちは とんでもない過ちを犯している

2006年06月24日 | 学校教育
子育て、妻任せの家庭が8割超…家庭動向調査で判明 (読売新聞) - goo ニュース
私たちは、もっと話し合うことが必要です。語り合うことが必要です。手間隙【てまひま】をかけ、語り合う場をつくる必要があります。金儲【かねもう】けなどに現【うつつ】を抜かしている暇などないのです。そのことで、たとえば立場が異なっていようと互いをよく理解しあうことができるようになり、つまらない誤解をしなくてすむようになり、暴力を振るわなくてすむようになるはずです。

村上ファンドの村上容疑者が逮捕直前の記者会見で「金儲けは悪いことですか?」と記者に問いかけたとき、居合わせた記者はだれもそれに答えることができませんでした。彼のあの問いかけに窮【きゅう】するところに私たちの社会の混迷がみてとれます。
私たちは、だれもがどこかで村上容疑者的な在り方を肯定しています。そして、それを村上容疑者もよく承知しているのです。「みなさんが私を嫌いになったのは、むちゃくちゃ儲けたからでしょう」という言葉にそれが表れています。検察も私たちも、そう思っているのです。つまり「出る杭【くい】は打たれる」くらいにしか捉【とら】えていないのです。したがって、村上容疑者は悪いことをしたという思いなど微塵【みじん】も無いはずです。それは「聞いちゃったと言われれば聞いちゃった」「違法かどうかは解釈の問題」という言葉によく表れています。ホリエモンも同様でした。

ホリエモンも村上容疑者も、私立の有名中高一貫校から東大というコースをたどっています。
国によって農業が切り捨てられ、大資本によって地方の隅々までの商店が立ち行かなくなってしまいました。家業を継ぐことができなくなった大多数の若者も、いきおいサラリーマンを目指すことになります。サラリーマンになるならば「きつい・汚い・危険な仕事はいやだ。働く時間が短くて、少しでも給料が高くて、福利厚生が十分整っている会社に入りたい」そう思うのは人情でしょう。
しかし、それが本音なのだからと多少の後ろめたさを覆【おお】い隠し、「きれいごとを言うな」と、大多数がなりふり構わず、学歴社会の頂点である東大を目指すようになってしまったところに今日のさまざまな問題の根っこが間違いなく1本あります。
「まじめ」がねじれてしまっているように、「本音」と「建前」もねじれてしまっています。「あの人は建前ばかり言う」「本音で話そう」などと使われます。これは建前を言うのは駄目で、本音を言うのがいいんだという社会通念によるものです。しかし、それは本当でしょうか。堂々と建前を述べる勇気を私は失いたくありません。

それはさておき、たしかに、いわゆるいい大学に合格するためのシステムとして中高一貫は適【かな】っています。広く知られている通り、あの東大の合格者数の上位をずらり私立の中高一貫校が占めるようになったのは20年ほど前ころからでしょうか。少なくとも、大学受験に関して、中高一貫のシステムの優位性が明確になったことで、国もなりふり構わず、総合選抜・学区制を棄【す】て、私立のシステムを真似【まね】して数年前から各県の主要な地方都市に中高一貫校を作り始めました。長崎県にも2校でき、その1つが佐世保市にあります。
そのことで、佐世保市民は、かつて経験することのなかった中学受験戦争の洗礼【せんれい】を受けることになりました。大久保小学校の事件にこの受験戦争の影は落ちていなかったのでしょうか。大変気になるところです。

家事も育児も妻に押し付け、地域での役割も果たすことができないほどの今の私たち夫・父親の働き方は問われなければなりません。なぜなら、自分だけの幸福、自分の家族だけの幸福、自分の会社の従業員だけの幸福などというのはありえないことなのですから。
産まれてきた人間の成長を間近で興味深く見守ることが出来ない。あるいは、かけがえのない人の成長に添【そ】うことが出来ない。あるいは、支えを必要とする人の要求に応えられない。それらを打ち棄【す】ててまでして儲【もう】けるために働かなければならないのであるとすれば、金儲けは悪いことに違いありません。

以上の文章は、6月12日に途中まで記し、ワードに保存していたものです。
タイミングを失し、そのまま日の目を見ない文章がほとんどなのですが、このたびの奈良の高1・16歳の少年による家族3人の放火殺人容疑の事件で、逮捕された少年の思いが伝えられるにつけ、上記の文章を思い出しました。
村上容疑者・ホリエモンの問題と今回の事件は直接結びつくものではありませんが、問題の根っこにあるのは同じです。キーワードは「暴力」・「不信」・「お金」です。

有名私立中高一貫校は東大と国公立大学医学部に何人合格させたかがすべてと言っても過言ではありません。入学者全員に東大合格を目指せと檄【げき】を飛ばす学校もあるほどです。
そのレールに上手く乗ったように見えた子も、乗りそこなった子も大きな罪を犯すことになってしまいました。
ホリエモンもホリエモンの父親も哀れです。奈良の16歳の少年も、少年の父親も哀れです。誰も浮かばれません。

私たちは、私たちの社会は大きな過ちを犯しています。
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2 コメント

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憂慮すべきことが続々と (ぶな太)
2006-06-25 19:39:48
いまこの国は憂慮すべきことが続々と発生していますね。

親が子を殺し、子が親を殺すことが珍しくなくなりました。市場原理主義が当たり前となり、ホリエモン、村上ファンドの出現と退場。

アメリカ流の市場原理主義の行き詰まりから、この国のかたちを見直すときがきたようです。

折りしも、ポスト小泉に誰がなるか、私たちは政治にもっと関心をもつときがきたようです。
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どうする 私たち (峰野裕二郎)
2006-06-26 00:25:17
一般的に「教育」が機能不全に陥【おちい】ってしまいました。深刻な状況にあることを憂慮【ゆうりょ】します。
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