峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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週末

2012年01月30日 | 夫婦
殊勝にも女房孝行に励んでいる。
女房どののリクエストに応え、昨日も、「ゆうじろう」へ出かけた。これで3週連続となる。
この日は、少し早めに家を出ることができたので、2時間近く温泉を楽しんだ。
温泉の後は「清旬の里」にて少し遅めの昼食をとる。女房どのが「清旬の里御膳」で、私が「焼きカレー」、それに持ち帰りにピザを2枚、ここまではすっかりお定まりとなった。

前週は食事を楽しんだ後、鬼木の棚田を訪ねた。「清旬の里」で店の人にその場所を尋ねると、ついでにと「浜陶」という陶器店に寄るよう薦められた。

市街地から山手の方へ向けて5分も走ると棚田が見えてきた。
時期はずれとはいえ、すれ違う車もなく、人っ子一人いない。ただ、ひなびた田園風景が眼前に広がっているだけだった。
狭い道を案内板に従って展望所まで登った。車を降り「棚田百選」の記念碑に刻まれた文字を何気なく目で追っていると、故「農水相・中川昭一」の名があった。大臣辞任に追い込まれる元となったあの記者会見の様子が思い出され、ある種の感慨におそわれた。

見る者を魅了する風景は人間の想像力をかきたてる。
ふぞろいの石が丁寧に積み上げられ1枚の田ができ、それが縦横に広がり、あの独特の美しい形状を持つ棚田が形作られている。大陸の地平線まで続く広大な耕地との違いはどうだろう。
土壌によって育まれる人間の精神性の差異などを思った。


棚田へ差し掛かる辺りに小さな直売所があった。帰り道、女房どのが漬物を求めたいというのでそこで車を止め、店へ入った。
店内は、ひっそりとしていた。何度か声をかけると、ようやく店番のおばさんが姿を現した。女房どのが何か漬物を置いているのか尋ねるとおばさんは、ちょっと待ってくれと言い残し店の奥に消えた。
手持無沙汰に店内に並べてある品物を見ていると、やがておばさんは壺を抱え再び現れ、女房どのに何やら壺の中身を説明しているようだった。
結局、勧められたら漬物を求め直売所を後にした。

直売所から間もなくの所に、「浜陶」 はあった。店に入るとすぐにコーヒーを勧められた。
真っ先に、2人して気に入ったのが内裏雛【だいりびな】だった。その他、それぞれが気に入った品を数点求め帰路についた。

先週のことを記しているうちに、もう正午になってしまった。

女房孝行

2012年01月18日 | 夫婦
土曜日、その日に思い立って女房どのと2人、近場の温泉に出かけることにした。
いつもは佐里温泉「登栄荘」、または伊万里温泉「白磁の湯」のどちらかなのだが、この日は、一昨年にオープンした波佐見温泉、その名も「ゆうじろう【湯治楼】」を初めて訪ねた。

我が家から車で40分ほどで目的地に到着。程よい距離だ。
お湯は「かけ流し」で、「高濃度炭酸泉」の浴槽がある。

1時間ほど温泉を楽しんだ後、「ゆうじろう」に隣接した「陶農レストラン清旬の里」で昼食をとった。
波佐見町は陶器と農業の町、そこで「陶農レストラン」なのだろう。
米は「棚田百選」にも入っている鬼木の棚田米、それをかまどで炊いているという。野菜類も、地元の旬のものを使うのにこだわっているらしい。それらが波佐見焼の器に盛り付けられ出てくる。

女房どのは店一番のお薦め「清旬の里御膳」、私はチーズと揚げ野菜がのった「焼きカレー」、それに欲張って、店先の石窯で焼くビザを頼んだ。いずれも素朴な味で美味しかった。

何もない週末くらい、いくらかでも女房どの孝行しないと罰があたる。

ただ1人の金メダリスト

2012年01月13日 | スポーツ
1964年の東京オリンピック・ボクシング金メダリスト・桜井孝雄さんが亡くなられた。
オリンピックのボクシング競技で金メダルを手にした日本人選手は、後にも先にも桜井さんの外いない。

桜井さんを直接存じ上げるものではないが、齋藤さんというある私の先輩を通して桜井さんに関してこんな思い出がある。

2003年、長崎県で全国高校総体が開催される直前、尊敬する大先輩であり、今でも何かとお引き立ていただいている齋藤さんから1本のお電話をいただいた。
ご友人の桜井さんのご子息が小浜で開かれる高校総体のボクシング競技に出場なさるそうで、その応援に桜井さんが行かれることになられた。ところが宿がとれない。そこで、長崎県在住の私に何とかならないかとのお話だった。

桜井さんは中大、齋藤さんは日大と大学は異なるが、お二人は、東京オリンピック強化策の一環として行われた1962年11月のメキシコ・ハワイ遠征、また1964年3月に行われたオーストラリア・ニュージーランド遠征をそれぞれバンタム級、フェザー級の日本代表として共にするという間柄でいらっしゃった。

日本大学ボクシング部は、昨年、創部八十周年を迎えたが、その記念誌に寄せられた齋藤さんの現役時代のお話と共に、オーストラリア・ニュージーランド遠征中に香港空港で撮影された日本代表選手団の写真が掲載されている。
みなこの年の全日本チャンピオンというそうそうたるメンバーだ。
各クラスの代表に混じり、桜井さんと齋藤さんの凛々しいお顔がある。

ちなみに、長崎ゆめ総体に千葉県代表で出場した桜井さんのご子息・大祐君は、フェザー級で1、2回戦を勝ち上がったものの残念ながら3回戦で敗退した。

不世出のボクサー、桜井孝雄選手の早い死を悼むと共に、ご冥福を祈る。

今が未来へと

2012年01月11日 | 家族
研二君の実家で年越しをした絵理子さん一家が7日土曜日に揃ってやって来た。
それに合わせ、5日から始まった授業を受けるため、いったん鹿児島に戻っていたくるみさんも同じ日に帰って来た。
同様に、大村の友人宅へ遊びに出かけていた有紀さんも、翌8日に帰って来た。
7人全員が揃うのは、天使の2歳の誕生祝をした11月始めの週末以来となる。

くるみさんが大学受験という常軌を逸した世界にさっさと見切りをつけてくれたおかげで、当り前の家族の営みを再び取り戻せた。
昨年、受験のための合宿に参加したくるみさんは、正月に帰省できなかった。

折に触れ、絵理子さんと有紀さんは、互いに連絡を取り合い、誘い合わせて帰って来る。
くるみさんも、それに合わせ片道約6時間もかかる道のりを厭わず往き来する。
くるみさんは、今でしか見られない天使の様子を見ておきたいと言う。

天使の成長が目覚ましい。何より、おしゃべりが格段に進歩した。12月の中旬に会った時とは見違えるほどだ。
この前まで、くるみさんには近づけなかったのが、一緒に遊べるほどになった。
私と2人で出かける散歩の距離もずいぶんと延びた。抱っこする私の腕が悲鳴をあげるほど重くもなった。

5人家族に研二君が加わり、 やがて天使が加わり、7人で正月を過ごすようになった。
家族の形が変化し、新たなつながりが未来へと続く。

忘れ物は何ですか

2012年01月10日 | 町内会長
6日午前10時から町の文化会館前広場で催された、新春恒例の出初め式に出席した。
出かけなければならない時刻ぎりぎりまで、冬期集中講座に出てきていた受験生をみた。

こんな時はたいてい何かしら忘れ物をしてしまう。だから、そうならないようにとバタバタしながらも持って行くものを1つ1つ口にして確認していった。

お祝い金、ケータイ、ハンカチ、財布、腕時計、手袋、マフラー、コート、年に1度だけお世話になるカイロは、女房どのが食卓の上に3個用意してくれていた。
これでよし。
慌ただしく準備を整え、待たせたタクシーに飛び乗った。

かろうじて開式に間に合った。
この日は、雪こそ降らなかったものの例年出初め式の日は冷え込む。
式が進む中、太ももに冷えを感じたその時、出初め式のためにと女房どのが揃えてくれたヒートテックのズボン下をはいてくるのを忘れたことに気付いた。

命が導く

2012年01月05日 | 父親と子
4日から女房どのと私は仕事始め。くるみさんもバイトがあるからと4日に鹿児島に戻った。
まだ、ゆっくりと非日常を楽しんでいるのは有紀さんだけ。その有紀さんがきょう22歳の誕生日を迎えた。

女房どのが用意してくれたバースデーカードに2人してそれぞれメッセージを記し、やはり女房どのが用意してくれたバースデーケーキを囲み、有紀さんの誕生日を祝った。

有紀さんは、この春に学部を卒業し、いよいよ修士課程の臨床心理学の道へ進む。それは、彼女が小学生の頃から口にしていた道だ。導かれるように有紀さんはここまできた。傍から見ていてそう思われる。

有紀さん、また1つ人生の節目を迎えることになる。
「研鑽を祈ります」、バースデーカードの最後にそう記した。