峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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命が輝くとき

2009年06月29日 | 学校教育
〔長崎県のすべての公立学校では、平成21年5月から7月の間のいずれかの1週間を「長崎っ子の心を見つめる」教育週間として、教育活動を公開し、保護者や地域のみなさんと子どもたちとの交流を行います。ぜひお近くの学校にお出かけいただき、「心豊かな長崎っ子」を育んでいただければ幸いです。〕

これは、長崎県教育委員会のHPに掲載されている「『長崎っ子の心を見つめる』教育週間」についての案内文章だ。文字図【もじづら】だけ読んでいると、どんな素晴しい教育が行われているのだろうかとワクワクするほどだ。

女房どのの勤める学校でもその「教育週間」とやらが始まった。
今夜は、担当の地区の懇談会に出席してきたらしい。帰宅は午後9時頃だった。

シャワーを浴びた後、遅くなったからと食事もとらず、すぐに持ち帰った仕事にとりかかっていたが、まもなく突っ伏した。
こちらは、ブログを記し始めたところだったが、見過ごせずマッサージを施【ほどこ】した。

近年、地域で子供を守ろうとする動きが高まっている。子供の登下校に付き添う保護者や地域の高齢者たち。危険な所をチェックし、監視の目を光らせる。
隣町では小学校の下校時間になると、広報無線でその旨の案内がなされる。
子供たちにとって、まさに受難の時代だ。

あれは、私が小学生の3,4年生の頃のことだ。1人での帰り道、途中でお腹が痛くなった。便意を催し、家までもちそうにない。そこで繁みに飛び込み用を足した。もちろんポケットティッシュなどというシャレた物などなかった時代だ。手近にあった葉っぱで拭いた。

スッキリした私は、通学路に戻り何事もなかったかのような顔をして再び家路に着いた。
図々しくなった今だからこそ、こんな話も公表できるが、3,4年生の少年にとっては命と引き換えにしてでも守らなければならない恥ずかしい事柄だった。

また、中学の3年生の頃、やはり学校からの帰り道、当時、思いを寄せていた女の子の後ろをずっとついて帰ったことがあった。淡い恋心なんて、恥ずかしさの塊みたいなものだ。

死んでしまうと思うような危険な目にも何度かあった。いずれのことも友だちならまだしも、大人になんて知られたくなかった。
あの頃、親や大人は適度に子供をほったらかしておいてくれた。そのおかげで「心豊か」に育ったかどうかは疑問だが、誇りだけは失わずに生きてこれた。

本来、子供は子供たち同士の遊びの中から社会性を身に付け、だれにも干渉されず一人きりの世界に浸ることで自己を確立させ得る。
そのことを考えるとき、むしろ親や大人の目は邪魔になる。
子供というのは、親の目の届かないところでさまざまな経験を積み重ね成長していくものなのだ。悪いことも、危険なことも彼ら自身の命が乗り越えていくものなのだ。
そして、そのときしか彼らの命がキラキラと輝くことはない。そのことを私たち大人は心に留め置きたい。

学校が良い子を演出し、子供が良い子を演技し、みんなが萎縮し、くたびれ果ててしまうような「教育週間」って、いったい何だ。

16,5-17,8
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