峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

希望を胸に

2011年12月31日 | 家族
昨日午前中の冬期集中講座をもって、今年の生業の締め括りとした。
午後、集会所へ出向き、台所と大広間と神棚に鏡餅を飾り、玄関にしめ飾りを取り付けた。
これで無事、年内のすべての仕事を終えることができた。

きょう大晦日、有紀さん、くるみさん、女房どのの家族4人で、のんびりと過ごさせていただいている。

今年も、いろいろとあった。そして、 来年もいろいろなことがあるのだろう。
喜びも悲しみも抱きしめ、心新たに、私の在り方を問うていこう。

今年1年、お付き合いいただき、ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。
新しい年が、希望に満ちた年となりますように。
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おかえり

2011年12月29日 | 家族
有紀さんとくるみさんが帰って来た。

酒がすすむ。
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無茶だよ

2011年12月28日 | 暮らし
24日、私たちの国の来年度の予算案が閣議決定された。96兆6975億円、過去最大の予算規模だそうだ。

税収の見込み額が42兆3460億円、それに対し国債の発行額は44兆2440億円。
つまり、税金で入ってくる額をはるかに上回る借金を臆面もなく国がやろうというのだ。しかも、4年連続で。
おかげで国の借金の総額は1000兆円を超える。気が遠くなるような数字だ。

一方、お金の使い道はというと、例の八ツ場ダムの工事再開や新幹線工事など、時代錯誤も甚だしい大型の公共事業に費やされる。
「コンクリートから人へ」って何のことだったんだろう。

新幹線長崎ルートが完成すれば、博多ー長崎間の所要時間は1時間20分になるという。だが、それは今走っている特急より、わずか28分速くなるに過ぎない。それに5000億円という莫大なお金をかけようというのだ。

このような公共事業をバラまきと言わず何と言おう。そんな愚かしいことのために時の政府は議会と結託して無茶苦茶な借金を重ねてきた。
そうしておいて、ここにきて借金依存は限界だから消費税の税率を上げさせてくれと言うのだ。

こんなこと駄々っ子でも言わない。
僕たちは、いったいどうなってしまったんだろう。
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2人きりのクリスマスイブ

2011年12月27日 | 夫婦
土曜日、午前中は塾の冬期集中講座。合間を縫い、2、3連絡事項があり将棋同好会の例会に顔を出す。

昼食を女房どのと2人でとる。
その後、夜に行う町内会の班長会に備えレジメを作り、すでに受け取ってきている門松カードを注文数に応じ各班ごとに仕分ける等の作業にあたる。
町内会長の仕事は種々雑多だ。時々、女房どのに、秘書が欲しいよと半分本気でぼやいたりしている。

この日はクリスマスイブ、楽しい夜を過ごそうと女房どのが段取りをつけてくれていた。
午後4時頃、隣町小佐々の金子鮮魚店まで注文していた刺身を受け取りに出かける。班長会の準備が整ったので私も一緒した。

久しぶりに海沿いの楠泊地区を訪れた。かつて佐々方面から楠泊に入る際は幾重にも曲がった坂道を通らなければならなかった。それが、近年、山を貫くトンネルがいくつかできた。道路は直線化され、ずいぶん便利になった。

最近、女房どのは、この鮮魚店の評判を聞きつけ、何か事があれば利用している。とにかく鮮度がいい。
過日、くるみさんが帰省した時、食卓にアワビの刺身が上ったことがあった。それも各々に丸ごと1個ずつという豪勢なものだった。彼女は、それを美味しい美味しいと言いながら、アワビの刺身を丸ごと1個食べるなんて生まれて始めてだと感動をあらわにした。

我が家の子供たちは中学を卒業するとみな家を出た。
そんな子供たちがたまに戻ってくるのを女房どのは、最大級のご馳走を用意して迎え入れる。結婚した絵理子さんとその家族も同様だ。「お帰り!」と迎え、精一杯のご馳走を振舞う。

鮮魚店で、我が家の分とは別に母親のために刺身を求めた。その他、絵理子さん家族に送るイリコを求めた。
先日、天使が来訪した際、彼女はここで求めたイリコをパクパク食べていた。

その後、同じく小佐々のケーキ屋さんでクリスマスケーキを受け取り、いったん我が家に戻り、荷物を降ろし、途中、地域デイサービスの材料費の支払いをしたり、神社に御札を受け取りに寄ったりしながら、母に頼まれていた年賀状の印刷物を、隣町の吉井の母の家まで刺身と共に届けに行った。

そうこうして我が家に戻って来たときには夕方の6時近くになっていた。
6時ちょうどに班長会の開催を有線放送で知らせる。集会所からいったん帰宅し、準備に抜かりがないよう確認し、会を始める7時15分前に再び集会所へと出かけた。
この夜はクリスマスイブ、それぞれの家族にとって特別な過ごし方があるはずだ。いつもより短めに1時間ほどで切り上げた。

集会所から帰宅したのが午後8時過ぎ、それから柚木【ゆず】風呂に入る。
風呂から上がると食卓にご馳走が並んでいた。
入れ替わり女房どのが風呂に入る。そして間もなく、女房どのと2人きりのクリスマスイブが始まった。
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年の瀬

2011年12月23日 | 民生児童委員
今日は、今年最後の「地域デイサービス」の日、町内会のご高齢者のみなさんに寄っていただき、食事とおしゃべりとゲームと歌で師走の午後のひとときを楽しんでいたたいた。

地域デイサービスと入れ替わり、子供会のクリスマス会の準備が始まった。
台所でお母さんたちが協力してケーキを作っている。
集会所の部屋では女の子たちがピアノを弾いたりして遊んでいる。
広場では男の子たちが走り回って遊んでいる。
ここ数年で子供たちの数が目立って増えた。

お母さん方に、子供たちが事故に遭わないよう気を配ってくださいと注意を喚起し帰ろうとすると、一緒にケーキを食べていくよう声を掛けられた。

テーブルから溢れるほどの大勢の子供たちの輪の中に加えてもらい、お母さんたちの手作りのケーキをいただいた。

一方、生業の塾の冬期集中講座を今朝9時から始めた。年末年始を除き、土日も行う。

年賀状にまだ手をつけられずにいる。気忙しさだけが募る。
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命の輝き

2011年12月22日 | 私と孫
土曜日から一昨日まで、絵理子さん、有紀さん、それに天使さんの3人が来遊していた。

天使は11月で2歳になった。こちらの言うことはだいたい理解できるようになり、伝えたいこともずいぶん言えるようになってきている。

彼女の、我が家での一番のお気に入りの遊びが滑り台だ。

その昔、女房どのの父親が、私たちの子供たちのためにプレゼントしてくれた滑り台が長く寝室に眠っていた。
それをいったん分解して教室に運び込み、再び組み立て使うのだが、それを手伝うところから天使の遊びは始まる。

今回もすぐに「すべりだい する」と言い出す。
「よし、やるか」と応えると、滑り台がどこにしまってあるかを覚えていて、まだ覚束ない足取りながら真っ先に駆け出す。

私が、しまってあるところから滑り台の各パーツを運び出すと、天使はその中の軽い物を手に持って教室まで運ぶ。

部品をすべて教室へ運び込んだところで、天使が「ミッキー!」と訴えた。

滑り台の組み立てに必要な金具類を、まとめて空き缶に入れ、しまっているのだが、その缶の蓋【ふた】にミッキーマウスが描かれてある。それが必要だと言っているのだ。
これには驚いた。

前回、天使がやって来たのは11月の3・4・5日だから滑り台で遊んだのは優に1ヶ月前のことになる。

実は前回、滑り台を組み立てる段になって、私は金具類をどこにしまったかしばらく思い出せず困っていた。

天使の記憶の方が私のそれより、よほどしっかりしているということになる。
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何処も民主主義の場所

2011年12月21日 | 将棋
土曜日、佐々町将棋同好会の忘年会をいつもの「ミラクル青葉」で行った。
例会よりも、飲み会の方がはるかに参加者が多いというのが早、伝説化している当会だ。もっとも、会長が将棋を指せず、飲兵衛ときているわけだから、いかにもな話だ。
この夜も、毎回例会に顔を出される方から、まだ一度も顔を見せていただいていない方まで、およそ20人程にお集まりいただき懇親を深めた。

それにしても、将棋を指さない人間が将棋クラブの会長を務めているなんて、全国広しと言えど他に例が無いだろう。

また、今回ご縁があり民主党副幹事長の宮島代議士にご参加いただいた。
宮島さんは予定の時間を超えて、参加者のみなさんの声に耳を傾けておられた。
私も、いろいろと意見を交換させていただいたが、あれほど親しく政権与党の代議士と話ができる機会を持てるなどとは思ってもみなかったことだ。

私の意見が彼の政治思想や政治行動に影響を与えることはないだろう。
それでも政権を担う政党の代議士と、特定の政党の党員でもない一市民が語り合うことの意義も小さくないと信じる。

その後、例のごとく選ばれし飲兵衛数人と、一雨ごとに寒さが募る師走の佐々の街を二次会、三次会、四次会と連れ立ち、梯子酒を楽しんだ。
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持つべきものは

2011年12月17日 | 民生児童委員
水曜日、町の民生児童委員協議会の忘年会に参加した。

この会、女性がおよそ半数を占める。そのほとんどの方がお酒を召し上がらない。
女性の方がおしゃべりだというが、飲兵衛の男性ほどではない。
間がもてないからというわけでもないが、この会の忘年会は途中からショータイムとなる。

そして、私にその司会をやれと声が掛かる。
いつの頃からだろう。こんなよくない慣習が定着したのは。本当は私だって歌いたいし、席についてゆっくりしたいのだが、持ち前のサービス精神がそれを断り切れない。みなさんが喜んでくれるのが嬉しい。

この日の忘年会は、隣町の「サンパーク吉井」で行われたのだったが、帰りの送迎バスで高校時代からの親友であるF君と隣り合わせに座り、何となく2人で飲みたくなり、彼を誘って「果りん」の前でバスを停めてもらい降りた。
バスのドライバーは中学の時の同級生のT君だ。
私は生まれ故郷でずっと暮らしている。

F君は私同様、民生児童委員と町内会会長を長く務めている。
今ではその関係だけでの付き合いだが、互いに気心が知れている間だけに何でも話せる。また、どういうわけか気恥ずかしい程までに彼は人前で私を評価してくれる。

高校生の頃、彼とはよくお笑いの話しで盛り上がっていた。ドンキーカルテットの小野ヤスシさんの真似なんかして。
それが今では町政の話だ。人生は面白い。

相変わらず彼が私を持ち上げてくれるものだから、すっかりいい気持ちになり久しぶりに時間を忘れて飲んだ。
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熟議

2011年12月16日 | 民生児童委員
一昨日、佐々町民生児童委員協議会の月に1度の会合に出席したが、その際、会計担当の委員から4ヶ月に1度支給される「活動費」を手渡された。
確認するため封筒をあけると、活動費の支給額が示された数字の横に「赤い羽根共同募金1.000円」とある。活動費からそれが差し引かれているのだ。私は違和感を覚えた。

間もなく会議が始まり、その件に話が及んだ。私は率直にその違和感を訴えた。
募金をするしないは、あくまでも個人の意思に基づくものだ。それを一斉に天引きするという集め方はおかしくはないか。
私の発言の後、2人の委員からやはり同様の発言が続いた。

その後の話で、10月の定例会の席上、そうする旨会計担当者から伝えてあったことが分かった。私は、その回たまたま欠席していた。

佐々町では、各種募金は、主に社会福祉協議会の依頼を受けた町内会が集める恰好となっている。
班長さんが集めにきたのを拒むのは難しい。集める方からすれば、実に上手い仕組みとなっている。
また一軒一軒、赤い羽根や封筒を配布するのが面倒だと、町内会によっては募金を予算化しているところもある。
佐々町公民館連絡協議会で2回目の研修会を行うにあたり、事前にそのことについてアンケートをとったところ、驚くことに約半数の町内会が募金を予算化していた。

ちなみに、先の町内会長会で社会福祉協議会から各町内会別に各種募金額が示された一覧表が配布された。
いかにも競わされているようで違和感を覚える。どのような意図で一覧表を配布しているのかと社会福祉協議会会長に尋ねたが、やはりその時も私の発言の後に同様の声があがった。

「めんどくさい」
時に塾生がそうこぼすことがある。
私はその都度、人間の生活が、また人間そのものがいかにめんどくさいものかを、私の日常生活を例に丁寧に話してきかせる。
面倒臭いことを抜きにして人間の暮らしは成り立たぬ。

個々人の心情より、組織の都合が優先するような社会は、やはり息苦しい。
どうすれば、人は心穏やかに生きていけるのか、丁寧に語り合いたい。
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見直す

2011年12月15日 | 町内会長
一昨日、午後2時から佐々町観光協会の「あり方検討委員会」が開かれ、出席した。
この会は、文字通り町の観光協会のあり方を改めて見直そうというもので、25名の役員の中から13名が会長の指名を受け議論を重ねている。昨日はその2回目の会合だった。

1回目は、観光協会そのものの必要性をテーマに2時間に渡り話し合いが行われた。
時代の推移と共に、町の観光協会の在り方に変化が求められているという点は各委員共通した認識だ。しかし、具体的に何をどうするかとなると様々な意見が出るものの議論を絞り込んでいけるところまでには至らなかった。
私は、現在の町の観光協会は、すでに歴史的役割を終えている。何か新規の事業を興すというようなことではなく、観光協会の果たすべき役割を考え直すことが肝要であり、そのためには一度発展的に解消してもいいのではないかと日頃からの考えを述べていた。

さて今回、資料として配布された佐々町観光協会会則に目を通し、目から鱗【うろこ】が落ちる思いがした。
その総則の第2条には「本会は、観光事業関係者および関係諸団体と連絡協調して、佐々町における史跡の顕彰と観光資源の開発を推進し、その振興をはかることを目的とする。」とある。
また、その目的を達成するために観光資源の調査、研究、開発を行ったり、観光に関する宣伝、誘致及び観光理念の普及啓発等を行うこととある。
なんのことはない観光協会本来の在り方が明記してあるではないか。花火を打ち上げ、盆踊りを行うことが観光協会の事業ではないのだ。

みなさんに会則をご覧いただき、その一部を読み上げげ、私なりにイメージした観光協会の役割、それに関することを述べた。
さて今後、議論の行方はどうなる。
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