峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

山野散策

2007年04月30日 | 町内会長
きょうは、朝から町内会のみなさんと山歩きを楽しんできました。総勢32名、若い世代が何人か参加してくれたおかげでいろいろと助かりました。

目的地の牟田原高原は新茶の若葉の緑が目にも鮮やかでした。間もなく、茶摘が始まります。


蔵開き

2007年04月29日 | 暮らし
27日、大分市の新大分球場で行われた九州高校野球決勝戦、わが町の清峰高校が宮崎の日南学園を6-4で降し、3シーズンぶり2回目の優勝を飾りました。
夏への期待が膨らみます。

きょうは地元・佐々中学校の体育大会でした。
この日を目標に、赤組の応援団長として力の限りを尽くしてきたくるみさんがその成果を発揮する日です。朝1番の入場行進から見に行かないわけには行きません。女房どのと連れ立って朝早くから出かけたのですが、そのことは明日書くことにします。きょうは、昨日のことを記すことにします。

さて、このところ、土曜も日曜も、朝も夜もなく応援の練習に没頭していたくるみさんでしたが、土曜日も翌日の体育大会に備え登校しました。
くるみさんが登校した後、女房どのと私は、女房どのが勤務している小学校のある町の酒造・潜竜酒造の蔵開きに出かけました。
昨年、初めてこの蔵開き足を運んだのですが、歴史を感じる、とても雰囲気のある会場で、混み合うこともなく、女房どのも私もご縁のある方がいらっしゃり、何より、地元の新酒をいただけるのですから、それは、余程のことでもない限り、行かないわけにはまいりません。

会場の酒蔵は、元禄元年(1688年)の創業当時の建造物で、参勤交代の際に平戸藩主が宿泊所として利用した、隣接する本陣屋敷もその当時のままと推定されています

会場に入ると先ず「利【き】き酒」コーナーがあります。「本陣」「潜竜」「佐々川」「純米」の4種類が並んでいます。早速、順番に口に含んでいきました。
4種類味わった時点で、違いがはっきりと分かります。「よ~し」と、次に4種類を口に含んでいきます。やはり、違いは分かります。しかし、それではどれとどれが同じかということになると、とたんに迷いが生じます。
結局、1つも当たりませんでした。ちなみに、昨年も全部はずしています。何十年、酒を飲んでいるのか、という話です。

利き酒コーナーを1歩進むと、酒倉の一角に真珠のコーナーがあります。そこには潜竜酒造さんのご親族で、子供さんを遠く鹿町町から私の塾へ通わせてくださった山下さんご両親がいらっしゃいます。
3月末、今年、高校を卒業した山下君がお父さんと共に、挨拶に来てくれました。4月から社会人として働いています。仕事をするようになって、両親の有難さが分かったと手紙をくれた旨、お父さんが嬉しそうに話してくださいました。

山下君のお父さんと話した後、女房どのの同僚や教え子、その保護者のみなさんと挨拶を交わしながら、手汲【く】みコーナーへ向かいました。
私の暮らすところは、なにせ、日本の、九州の、長崎県の西の果てですから、こんなに素敵な酒造の蔵開きといえど、訪れる人は限られています。それはゆたかなことであり、幸せなことです。

酒造のみなさんから日本酒のあれこれをじっくり伺いながら、生原酒の純米酒・本醸造、たる酒などを手汲【く】みでいただきます。クイクイと酒がのど元を通り過ぎていきます。
趣【おもむき】のある酒蔵で新酒をいただく、お酒を好む者にとって、こんな贅沢【ぜいたく】はありません。思わず「美味い!」ともらすと、近くにおられた年配の方が、相槌【あいづち】を打ってくださいました。しかし、「家で飲む酒が一番まずい」との彼の言葉に女房どのが「えっ、家で飲むのが一番まずいの?」とすかさず反応、私はあわてて言葉を継【つ】いだのでした

さて、そろそろお暇【いとま】しなければなりません。女房どのがお世話になっている方にと純米生原酒を5,6本求めてくれました。私はといえば、すっかりご機嫌になり、車の助手席に体を沈めていました。

帰り道、清峰高校のそばを通ると、野球部員の練習に励んでいる様子が目に飛び込んできました。
夏に輝こうぜぃ!!

力をためて

2007年04月28日 | 将棋
我らが深浦八段が竜王戦2組準決勝で小林九段を降し、本戦出場を決めました
同時に1組昇級ということになりますね 
渡辺竜王、待っていてくださいよ
期待が膨らみます。

ここまで書いたところで、買い物に出ている女房どのからメールが入りました。深浦さんがきょう、帰省されるとのこと、深浦さんのお義姉さんのお話だそうです。
深浦さんの奥様のお姉さんのお子さんを女房どのが受け持っていたご縁があります。

深浦さん、大事な勝負に勝ったばかりで、きょうは天気も好く、ご家族おそろいのご旅行で嬉しい日ですね。

そうそう、29日(日)の教育テレビの小学生名人戦に長崎県代表の佐々木大地君が登場します。思えば、くるみさんの県代表3連覇を阻【はば】んだのが大地君でした。
これからの大地君の活躍にも期待しています。

主体的に関わることで楽しくやれる

2007年04月27日 | 民生児童委員
きょうは、ご高齢者のみなさんに町内会の集会所にお集まりいただきました。
昼食をおとりいただき、カラオケで歌われたり、ゲームをなさったりと、ようやく暖かくなってきた初夏の昼下がりでしたが、いくらか楽しく過ごしていただいたでしょうか。

午前8時半から準備に入り、後片付けが終わって、集会所の玄関の戸締りをして帰路についたのは夕方の3時過ぎでした。

昨夜は、19年度第1回目の町内会の定例班長会を開きました。
最初に、各班長さんは、すでに集金済みの町内会費を会計さんに、緑の羽根募金と社会福祉協議会費を副会長さんに納入します。
その後、この会のために朝から1日がかりで作成したレジメ・その他を基に、私が進行役を務めます。
先に行われた町内会長会の報告、新年度の町内会運営方針について私から、次に、体育部・婦人部・教養部・厚生部の各部長による新年度の活動・取り組みについての話と進み、さらにその後、さまざまな案件を処理しました。
今年度も、各種行事・活動が目白押しです。町内会員個々に、いかに主体的に関わってもらえるか私の密かな挑戦です。
主体的であれば、楽しくやれます。

一昨昨夜は、介護保険制度に係る「佐々町地域包括支援センター運営協議会」の集まりに出席しました。
当局から18年度の運営状況報告と19年度の新規事業報告があり、10名の委員との間で質疑応答が交わされました。
福祉関連の協議会等での私の立場は明確です。それは、利用者のことを一義的に置くという点です。

この会議の後、やはり介護保険制度に係る新たな運営委員会の委員の委嘱【いしょく】を受けました。
いくつの委嘱を受けているか、よく分からないほどです。

先週の金曜日の夜、町全体での子供会の集まりに出かけると、受付にいた教育長に、峰野さんもいろいろやっておられますね、と声をかけられました。
この夜は、くるみさんの親として町内会の中学部の役員という役割での出席でした。
順番だからということで、町内会の子供会の役員もさせていただいています。

みなさんが、そんなに「役」を引き受けなさるのが、お嫌でしたら、私が全部、お引き受けしましょうか。
しかし、それでは、いかにも不自然ですね。自然の摂理【せつり】に反します。
自然の摂理に反することは、決してよくありません。

自然の摂理と共に在りたい

2007年04月26日 | 暮らし
放射能帯びた水漏れる 常陽、環境へ影響なし(共同通信) - goo ニュース

原子力発電所は、撤廃【てっぱい】されるべきだと思います。チェルノブイリ原子力発電所事故の例がすべてです。

1986年に起こったチェルノブイリ原子力発電所の事故による死者数は40,000人に達すると発表されましたが、最終的な死者数は公表されていないようです。

チェルノブイリ原子力発電所の周辺30キロメートルは、放射能汚染により人の住めない所になりました。
事故を起こした原子炉は、鉄とコンクリートでできた石棺(せっかん)で封じ込められているといいます。

しかし、それで終わったわけではありません。ガンなどの病気にかかる人が増えてきているという報告があります。子供たちの甲状腺ガンの発生が増加しているという報告もあります。

また、石棺の老朽化【ろうきゅうか】が進み、石棺が崩壊【ほうかい】する危険性が指摘されています。もし、石棺が崩壊すれば、中に残っている放射能が飛散し、再び汚染が広がるおそれがあります。

環境を破壊し、生命を脅かす原子力発電所の存在は、明らかに自然の摂理に反しています。
人間が自然の摂理をおろそかにして、どうして未来に幸福を求めることができるでしょう。

原子力発電所を撤廃すべきです。

かくて 拡大再生産は続く

2007年04月25日 | 学校教育
甲子園常連校の特待制度適用発覚…対象選手は対外試合禁止も(サンケイスポーツ) - goo ニュース

九州地区高校野球大会で昨日、地元の清峰高校が福岡工大城東を5-1で降し、ベスト4入りしました。
大きな舞台でも気後れせず、伸び伸びとプレーできるところが清峰野球の魅力です。今夏、再び甲子園でさわやかな風を吹かせてほしいものです。

さて、冒頭【ぼうとう】のニュースですが、プロ野球球団から金銭を受け取っていた早大元選手の出身高校で、彼が高校生の頃、入学金や授業料等が減免されるスポーツ特待生だったということが明るみに出たことに端を発し、ルールを破っていた全国の「名門」と呼ばれる高校野球部の名前が次々と挙がっています。スポーツ特待制度が学生野球憲章に抵触するというのです。

それにしても、野球部に限りスポーツ特待がダメだというのをまったく知りませんでした。私の身近では、私立高校野球部の特待は公然と語られています。

かつて、県大会で優勝するほど強かった、ある中学校の野球部の主力メンバー4人が塾に通って来ていたことがあります。中3の夏以降、彼らの間では、どこそこの高校から誰それを引っ張りに来たという話で持ち切りでした。
結局、その中の1人でエースだった子が、甲子園に何度か出場している地元の、ある私立高校に進学しました。「B特待(授業料半額免除)」と言っていました。

彼、ならびに彼の両親が、スポーツ特待が学生野球憲章に触れることを知っていたのかどうか定かではありません。しかし、高校側がそれを知らなかったとの言い訳は通らないでしょう。

今回のプロ野球・西武球団の裏金問題が露見【ろけん】するまで、全国の少なくとも野球で学校の名前を売ろうとしている高校は、平然とルールを破り、高野連もそれを見て見ぬふりをしていたのです。

〔学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事〕
これは、日本学生野球憲章中の文言【もんごん】です。

表向きには聞こえのよい言葉を並べ、見えないところで悪事を働くという、私たちの社会の至る所で見かけられる根の深い、深刻な問題です。

西武球団の裏金問題に絡んでいた専大北上高校が野球部を解散したと聞いたとき、思いきった決断をしたなと感じ入ったものでしたが、よくよく聞いてみると、一時、同好会という形にして、なるべく早い時期に再び部に昇格させるつもりだとかで、高野連もそれを評価したという話でした。まさに茶番です。
つまり、世間のほとぼりが冷めるまで辛抱しましょう、ということなのです。これでは時間がたてば、旧【もと】の木阿弥【もくあみ】です。

子供たちは、しつけだとか教育だとかといって殴られたり蹴られたりしながら、暴力が、ものごとを解決する絶対的手段であることを学び、教科の未履修問題や、今回の問題のようなことで、自らに都合のいいことは、たとえルールを破ってもいいんだということを学び、ばれなければ何をしてもいいんだということを学び、自然の摂理に反することをたくさん学び、やがて見事に、そういう大人になり、大人になった彼らは、彼ら自身が育てられたように次の世代を育てるのです。
 
そういえば、「なんとか還元水」との名セリフを吐かれた松岡農水相の光熱水費問題のその後を聞きませんが、やはり、ほとぼりが冷めるまで、ということなのでしょうね。

神の領域 その2

2007年04月24日 | 暮らし
昨日、「神」について触れたところ、奇【く】しくも、きょう、4月24日付の長崎新聞のコラム「水や空」に神の話がありました。

コラムは、佐木隆三さんの直木賞受賞作「復讐【ふくしゅう】するは我にあり」の題名は聖書の言葉を借りていて、悪に復讐しようとする人間を戒【いまし】め、復讐は神に任せよと説いた言葉であり、新約聖書の「ローマ人への手紙」にある「愛する人たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いているからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報【むく】いをする、と主は言われる』」と紹介しています。
そして、この言葉を長崎市長射殺事件に当てはめ、「復讐」を「無念を晴らす」に、「神」を「市民」に置き換えてみれば、長崎市民のなすべきことが、より明確になると論じています。

キリスト教では、そのように教えているのですね。私は、悲しいかな未だ信仰を持ちえていないので特定の「神」のイメージはないし、当然、どんな神の教えも知らない無学の徒なのですが、なにか人智【じんち】を超えて、自然界を支配しているような理法を創造している存在は感じるのです。
それが私の思う「神」なのですが、私たちの混乱は、もしかすると神への畏敬【いけい】の念を失ったことに因【よ】るものなのかもしれず、自然の摂理【せつり】をおろそかにしてきたことに因るものなのかもしれないと思うのです。

「『神』を『市民』に置き換える」など許されないことではないのでしょうか。もちろん、神によってです。

神の領域

2007年04月23日 | 暮らし
ここ数年、ずっと気になっている言葉があります。「許せない」という言葉です。
いつの頃からか、ことあるごとに為政者も、マスメディアも、そしてマイクを向けられた市民もが異口同音に「許せない」と居丈高【いたけだか】に言うようになりました。
それは時に「許さない」・「許さぬ」・「許せません」と使われ、また、ある場合には「絶対に許せない」とまで用いられます。

昨日の統一地方選で新しく長崎市長になった田上さんも「暴力は許さない」と当選後のインタビューで語り、地元紙も「許すことのできない卑劣なテロ」と社説に記しています。
私が気になるのは、文脈からして「許さない」の主語が全て一人称である点です。「私は許さない」であり「我々は許さない」なのです。
いったい、どうして、人が人を許したり、許さなかったりできるのでしょう。「許せない」という人は、どうしようというのでしょう。
許す・許さないの主体は「神」のみであるように私には思われます。

私は人々が「許せない」と言葉を発するとき、そこに暴力的なものを感じます。人間の驕【おごり】を感じます。

自由で、民主的で、人々が真に自立した社会で「許す」も「許さない」もないではないか、と私は思うのです。

喜びのタネ

2007年04月22日 | 暮らし
昨日は今季初めて、お隣の庭の草刈をしてさしあげました。ずっと気になっていたのですが、なかなか暇を見つけられずにいました。

お隣の庭は、たいそう立派で、毎年1度、お盆の頃に庭師さんが入ります。植木はそれで十分ですが、芝生は、こまめに刈らないと、すぐに傷んでしまいます。
かつては、ご主人が芝刈り機をかけておられましたが、ご高齢になられ、それがおできにならなくなりました。
そこで、おせっかいなことですが、4,5年前から我が家の庭の草刈をする際、ついでに私がしてさしあげるようになっています。

ところが、すでに我が家の芝生は消滅するほど、肝心【かんじん】の我が家の庭の草刈がままならなくなっており、お隣の芝刈りの回数も年々減少し、見事な芝庭の危機が迫っています。

昨日、夜からお天気が下り坂という予報だったので、何とかその日のうちにと思っていました。
午前中から、月に1度、ご高齢者を町内会の集会所にお招きして、楽しいひと時を過ごしていただくためのご案内で、みなさんのお宅を伺い、一段落した夕方4時頃からお隣の庭に入りました。いつも、断りなしに始めます。

思っていた以上に草丈が伸びていました。無心で刃先に神経を集中させます。草が刈られ、芝の丈【たけ】がきれいにそろっていくのを見るのは、実に気持ちのよいものです。
途中、刈り払い機のエンジン音に気づいたご主人が庭に出て来られました。思わず、まめに刈れない言い訳をしている自分に可笑しみを感じました。

後半、小雨が落ちてきましたが、こういうものは途中でなかなか止められません。もう少し、もう少しと進めるうちに、なんとか日が落ちる前に刈り終えることができました。

道具の後片付けをし、長靴を洗い、作業着を脱ぎ捨て、家に入ると、7時を回る頃でした。
風呂で汗を流し、女房どのの手料理に舌鼓【したつづみ】を打ちながら、焼酎【しょうちゅう】をロックでいただくと、なんともいえない充実感に全身が包まれました。

授業参観

2007年04月20日 | 家族
一昨昨日、くるみさんのクラスの授業参観に出かけました。
長女の絵理子さんの小学生の頃からですから、授業参観にはずいぶんと通ったものです。
ただ、次第に授業参観に行くのが疎【うと】ましく思えるようになってきました。
それでも、私が子供だった頃、母親が授業参観に来てくれるのは、やはり嬉しく、なんとなく誇らしくもあったことを思うと、自分の気持ちだけで行かないというのは子供に対して気が引けます。
また、逆に、一般的に思春期の子供の心理は微妙なもので、親が授業参観に来るのを拒みたくなる場合もあります。
そこで、今回も事前に、くるみさんに尋ねてみました。

私:「授業参観、行った方がいい?」
くるみさん:「別に、来んでいいよ(来なくていいよ)」
私:「来ん方がいいと(行かない方がいいの)?」
くるみさん:「ほんと、おもしろくなかよ(おもしろくないよ)」
※ 私がいつも、授業が面白なかもんね(面白くないからね)と言っているので気を使っているのです。
私:「行ってもいいとね(行ってもいいんだね)」
くるみさん:「ほんと、来んでいいって(来なくていい)」
私:「じゃあ、行こうかね」

という訳で、出かけた次第です。

校門をくぐると、運動場では各組の昼休みの応援練習が終わる頃でした。玄関でスリッパに履き替え、目指す3階の教室に着くと、ちょうど応援の練習を終え、上がってきた子供たちと一緒になりました。
私が一番乗りでした。しばらくして先生が来られ授業が始まりました。授業は、担任の国語科でしたが、冒頭、通知表の評価はどのようにして付けられるかということを板書されながら丁寧【ていねい】にお話なされ、その評価が進学に大きな影響を与えるから、心するようにというようなことを述べられました。

授業が始まって間もなく、勤務先で暇をもらった女房どのが駆けつけました。
くるみさんは、どんな気持ちで授業に臨んでいたのでしょう。

くるみさんが帰宅してから、親子3人で、この日の授業参観の話をしました。
どんなことを話したのかって? それは、ご想像にお任せしましょう^^

写真は今朝のみぃーちゃんです。次第に若葉の緑が濃くなっています。